第十二話 グルメでサバイバル

 水希ちゃんが窓を見る。

「アオイ、こっから下りて!」


 窓の外には一階の屋根が少し張り出してる。その下は裏庭。

 でも飛び降りろってこと。

「く、くつは?」

「あるわけない!」

 このまま飛び降りか。汚れるなぁ。洗濯どうしよう。ソックスの泥は落ちにくいんだよ……と、こういうときに限ってまるで無用な思いがよぎる。

 お母さん、蒼衣はしっかり庶民的な良い娘に育ってるからね!


 押されるようにして、窓から屋根に出た。

「これ掴んで!」

 水希ちゃんが革ベルトを差し出してくる。

「ゆっくり下りるの。気を付けて!」

 ベルトを掴んだまま、そろりそろりと後ろ向きで屋根を下る。そのうちにかかとが軒先に達した。もうここからは歩けない。後はかがんで軒先にぶら下がるしかない。でもなかなかうまくいかずに四苦八苦。


「みみ、みずきちゃ……手はなさな……」

 ベルトを握りしめたまま、へっぴり腰で裏庭を見下ろす。こうしてみると結構高い。


 その時、水希ちゃんの後ろでドアがベキぃっ! と軋んだ。

 板が裂けて、その隙間からあのお椀アタマがニュロンってはみ出してくるのが窓越しに見える。

 振り返った水希ちゃんが、あっと声をあげた拍子に、彼女の手から力が抜けてベルトがズズーっ!

 支えをなくした私の身体がずるっと滑る。

「キャーっ!」


 屋根から落ちそうになって、かろうじて雪止めの金具にしがみついた。でも下半身は軒先からぶら下がってる。制服のスカートがお腹までめくれあがってお尻まる出し。

 パンツが、パンツが見えてるっ!

 ううー、今日どんなの穿いてたっけ? 頭が混乱して思い出せない。ダサいジュニパンじゃありませんよーに!


 ご近所中にお尻をさらけ出したまま、しばらくぶらぶら軒先にぶら下がっていたけど、どうしようもなくなり、結局ドスンっと裏庭に落ちた。

 あいたた。

 とにかく下には降りられた。早くキッチンへ。


 リビングのサッシはカギがかかってるから、玄関に回ってドロ汚れも気にせずそのまま駆け上がる。

 キッチンに飛び込むと、テーブルの上に昨日の保存バッグがあった。ファスナーを開けて袋を取ると、紐を解いて逆さにするように玉を出す。

 相変わらず、うっとりするほど綺麗な三つの玉。


 でも見とれている場合じゃない。そして、このうちのどれを出すか。

 ジンを出したら今度こそ火事になっちゃいそう。ハクは何ができるのか分からないし、やっぱり一番常識人っぽいショウかな?


 でも、誰を出したとしてもその後どうするかが問題で、決めあぐねてるまま、とにかく先にシンクの下の扉を開けた。ナイフケースに包丁が並んでる。


 やっぱり血を出すしかないのかぁ。身体で一番痛くないところってどこなの? 指先をほんのちょっとだけ切ればいいかな……

 うー、やだよぉ! でも、でも、早くしないと!


 決心して、ナイフケースから包丁をスラっ! でかいっ! だめ、もっとちっちゃいの!

 ペティナイフを見つけて抜いた。


「アオイっ! そっちに行ったぁぁ!」

 水希ちゃんの叫び声。

 えっ? と振り向いた私の目の前に、お椀がカパーって口を開けてた。


 あ…… パックン!


 ……グニョグニョ、ベチョベチョ、ブヨブヨ。

 なんて表現したらいいかわかんない感触。頭から両肘くらいまでをパクっとやられて身動き取れない。息もできない。

 肘から先を振り回した。といっても見えないし、身体がどうなってるかも分からないから、そう思っただけ。

 でも、ここで時間切れだった。意識がフーっと薄れていく。


 あー…… このまま食べられちゃうのか。これで死ぬんだ。


 今までの人生が走馬灯のように……っていうほどには、何も浮かばないなぁ。

 そう感じながらほわーって浮かんだように思った私の身体が、突如としてべーっ! て吐き出された。


 キッチンの床に叩きつけられた痛みで目が覚める。

 いたたた。

 もうこれで何度目だよ。ベチョベチョのまま、床に転がる。


 助かったけど、なんでだろう? しかも息ができなかったから頭はくらくら。こういうのを、朦朧とした意識、っていうのかな。

 酸欠状態でボーっとしている私の顔を、上からお椀アタマがじーっとのぞき込んでる。

 いや、目じゃなくてアタマ? くち? とにかくお椀なんだけど、私を見ている視線を感じた。


 かと思ったら、ついーっと動いて脇を見る。

 テーブルの上をやっぱりのぞき込んでる。

 お椀がまたこっちを向いた。まるで、私とテーブルの上を交互に見比べてるみたい。


 何だろう? テーブルの上……うえ……うえ……

 テーブルの上!? あの三人の玉だ!


 お椀の口がテーブルの上に伸びる。ペタッとくっついたと思ったら、あの三つの玉をくわえた。口を閉じたまま真上に向くと、ゴックン!

 えっ? どうしよう! 飲まれちゃった。三人とも!


 何とかしようと手を伸ばしたけど、こっちも力が入らない。

 立ち上がろうともがいている私の前で、お椀アタマの形が変わっていく。見る見るうちに元の女の人の姿に戻った。

 前髪で目は隠れたまま。でもはたから見てもわかるほどの……スッゴイ笑顔!

 ほっぺたがポォっとして満面の笑み、っていうの。リア充真っ盛り。お化けじゃなかったらルンルン、スキップしそうな感じ。


 やっと立ち上がった私に、スキをみて水希ちゃんが駆け寄ってくる。

「アオイ! だいじょぶ? しっかりして」

「み、みずきちゃん……玉が、三人が……食べられちゃった」


 水希ちゃんが、落ちていたナイフを掴むと女の人に向ける。

 でも、そんな私たちを全く無視して元お椀アタマの女の人は、そのまま廊下に出ると玄関に向かって歩いて行く。

 あれ? もしかして……帰っちゃうの?


 水希ちゃんに支えられながら後を追う。私たちも、玉が食べられたというのは大変なことだと思っていた。だけど、どうしたら良いのか分からない。女の人とは言え、あのお椀アタマと戦う方法も思いつかない。

 

 女の人は、何ごともなかったかのように玄関に向かっていく。

 でも、廊下の中ほどまで行ったらぴたっと止まった。


 クッ、クケッ、グゲゲッ、グッゲゲゲゲ!


 身体が小刻みに震えてる。

 どうしたの? なにもできずにただ見ている私たち。

 女の人の身体の動きが大きくなって、震えるというか、身もだえするかのように、ぎくしゃくしながら両腕を振り回す。

 それにつられて、身体がどんどんふくれていく。身体から、パアーっと赤と青と銀の光が漏れだした。


 グギャーッ!

 ひときわ大きな声とともに、ボーン!


 全身がスライムみたいになって吹っ飛ぶ。 飛び散る。 降り注ぐ! 廊下中に。壁に。天井に。そして、私たちの身体に。

 気が付くと、ありとあらゆるものがベッチャベッチャの粘液にまみれて、足元には三つの玉が転がっていた。

 ただ立ちつくすだけの私たち。


「……何が、どうなったんだろ?」

 頭っからベッチョベチョの私が、のろのろと口を開く。


「……たぶん」

 ベッチョベチョの水希ちゃんが応える。

「あれほどの妖怪たちを封印するんだから、この霊玉にもきっとすごいパワーがあるんだよ。だからアオイをやめてこっちにした。でもパワーが大きすぎて消化できなかった……そういうこと、かな?」


 あぁ、なるほど……

 つまり、ワタシは不味まずかったんだ。


 最初は私を口にしたけど、大きくて食べづらいわりに美味しくもなかった。でもそばにすっごいご馳走を見つけたから、こっちはペッと吐き捨てられて、大ご馳走を食べ直したってことか。

 私って、妖怪のお口にも合わないんだ……


 乙女ショジョとか、女子高生とか、そんなものの価値以前に、命の価値を全否定された。

 妖怪に。


「……それでさ、水希ちゃん」

 遠い目をしながら、私が言う。

「うん?」

「この廊下、どうする?」


 グッチャグチャのベッチョベチョになった廊下を見て、グッチャグチャでベッチョベチョの私たちは、途方に暮れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る