第十話 さまよえる一般人

 ――ねえ……おじさん、どこ?


 真っ暗な中に響く自分の声に起こされた。


 目を開けると景色が違う。

 あ、そりゃそうだわ。夕べは水希ちゃんの部屋で、ベッドの脇に布団を敷いて寝たんだから。思い出すまでにちょっと時間がかかった。

 起き上がると、ボーっとしながら昨日のことを思い出す。


 お風呂には交代で入ったけど、その間もあの袋に変わりはなかった。寝るときに水希ちゃんはデスクの上にあの袋を置いた。そこを見ると今はない。水希ちゃんもいない。いつも私より早起きだから、袋を持ってもう一階したに降りたのかな。

 変な夢を見たようで寝覚めは良くないけど、朝までずっと眠れたんだから、大きな問題はなかったってこと。あの三人は、また封じ込められて出られなくなったみたい。


 玉に戻る間際の三人の顔が浮かぶ。

 変な話だけど、ちょっと可哀そうな気もしてくる。あれだけ嫌がっていたというのは、あの中は窮屈なのかな。息苦しいのかな。


 いやいやいや、まともになれ、ワタシ!

 あんなアブナイ人たちに同情しちゃダメ。係わりあったら絶対に危険な目に遭う。

 これは、つまりなんだ。雨の日にずぶ濡れの野良猫を見ちゃったときの、あの感情だ。気の毒だからと拾ってきたりしたら、家の中はメチャクチャ、トイレのしつけもできてなくて、引っ掻かれて怪我をして、悪さばっかりで散々な目に遭う。

 ……でも……でも、可愛いのよね。 ううー、しまった。例えがマズかった。私、猫派だったのに。

 そんなわけのわからん思いを振り払おうと、布団から出て私も階段を下りた。


 リビングからTVの音が聞こえて、キッチンからお料理している音がする。ボサボサ頭を掻きながら入っていった私に水希ちゃんが気づく。

「オハヨー」

「水希ちゃん、猫って好き?」

 ……まだ寝ぼけてたみたい。


「なに? 突然」

「い、いやいや、何でもないよ」

 ふうん、と言って水希ちゃんがベーコンエッグの載ったお皿を持ってくる。

「今日は土曜だし、私は講義無いから袋は見張ってるよ。心配しないでアオイは学校行って」

「うん……ありがと」


 美味しそうなベーコンエッグが目の前にある。きっと私を気遣って作ってくれたんだ。

 でも気持ちはモヤモヤ。とりあえずあの三人は目の前から消えたけど、一昨日からのことが頭の周りに黒い雲みたいに巻き付いている感じ。


「ねぇ、水希ちゃん……ほんとにあの三人をまた出すの? それで一緒に住むつもり?」

「そうだねぇ。生活はともかくとして、このまま放っておくわけにもいかないし。もしアオイが会ったおじさんが持ち主だったとしたら、一緒に見た男の人たちと言うのも気になるし。あの三人がどこからきた何者かが分からないと、先に進まないよ」

「でも、ちょっと待って」

「うん?」


「あのさ、もし……またあの三人を出すときには、やっぱり私の血が要るの?」


「まぁ、そこよね。問題は」

 水希ちゃんもうなずく。

「とりあえず、アオイの血を付けて命じれば霊玉に戻ることは分かった。でも出すときはどうするか。もちろん血を付ければ出てくると思うけど。もうあのバンソーコーは乾いて役に立たないし」

「ええー! じゃ、いちいち血を出さないといけないの?」

「いちいちって、これから何度も出したり入れたりする気なの?」

「えっ、いや、そういう意味じゃないけど……」


「でも、血だよねぇ……血が欲しいねぇ」

 ……水希ちゃん、それじゃ吸血鬼だよ。


「アオイは、いま高校二年よね」

 水希ちゃんが私の顔を見つめる。

「そうだけど、なに?」

 彼女の目の色がなんか変。私の顔からツツーっと下に降りてくる。

 なんだろう。なんでかな。水希ちゃんの次の言葉が100パーセントわかる気がする。

「あのさ……あなた、せいr」

「――っ!やだーっ!!! ヤダヤダヤダっ! ぜったいに! 嫌だぁぁぁっ!」

「あー、だよねぇ……ごめん。私が悪かった」


 あっぶな!

 何を言い出すかと思えば。あやうく変態の仲間入りをさせられるところだった。


「身体を傷つけるよりはましかな? なんて……」

「水希ちゃん、今度そんなこと言ったら、うち出て行ってもらうからね!」

「わかったよ。ジョーダンだって」

「ジョーダンに聞こえないよっ!」

 泣きたい気持ちで叫ぶ。


「ま、確かに血を使うというのもね。だけど、まだ何か変なのよね」

 水希ちゃんが腕を組む。

「変?」

「何となく中途半端っていうか、まだ完全にアオイがマスターにはなっていないような……」

「それって、もしかして解約もできるってこと!」

 思わず身を乗り出した。

「えっ? うーん、それはどうかな……無理な気がするけど」

「なーんだ。はぁ~」

「とにかく、アオイが言ってたおじさんや黒服の男の人たちが気になるよね。情報がないか調べてみるよ」


 とりあえずそこは水希ちゃんに任せて、私は学校に行った。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 四時間目終了のチャイムが鳴る。

 土曜日で授業はここまで。礼をして先生が教室を出ていくと、みんながわっと浮き足立つ。


「あー、帰りたくない……」

 机に突っ伏した私の独り言を聞きつけたのはリナだった。

「どーしたの? なんか変だよ。アンタ」

 うっ、そう言われたって、しゃべるわけにもいかないし。

「バイトは?」

「うん、今日は休ませてもらうことにした」

「なんか用事あるの?」

「う、うーん、そういう訳じゃないんだけど……」

 リナが顔を近づけてきた。ひそひそ声になる。

「……もしかして、きてるの? それで具合悪いとか」

「ちっ、ちがう!」

 今朝の水希ちゃんの言葉を思い出して、思わず叫ぶ。リナがびっくりして身を引いた。


「あ、じゃさ、お昼食べて帰ろうよ」

 そう言ってくれたのはカオリン。でも水希ちゃんの手前、早く帰らないと心配だし。そう思ってCANBASE- Routeカンバセ-ルート(あ、これはメッセ機能ね)で連絡してみた。

 すぐに返ってきたのは『いいよー』って軽~い返事。ちょっと安心したけど、他人事みたいに扱われるのも、なんか複雑な気分。


 結局、二人につれられるようにしてファミリーレストランに入ったけど、やっぱり頭の中はあの三人のことでいっぱいだった。


「どーしたのよ? 昨日からため息ばっかじゃん」

 カオリンが訊いてくる。横でリナがまたニヤニヤしてる。

「まぁ高校二年ともなれば、いろいろとあるよねぇ」

「何言ってんの。一番お子チャマのくせに」

「言ったな!」

 そんな二人を見てると相変わらずで、今だけはホッと気が抜けたけど、でも中学の時からのこのノリもなんだかずっと昔のことのような気がして、以前のようには入り込めない。


「そういえばさ、知ってる? 横沢さん」

 カオリンがちょっと声を低めて話題を変えた。


「横沢さん、どうかしたの?」

 私が訊くと、思わせぶりにニヤッと笑う。

「サクッと教室出て行ったでしょ? あれ、カレシと一緒に帰るんだよ」

「えっ、そうなの?」

「三組の藤田君って人。先週告られたんだって」

 クスクスと笑う。でも莫迦にしてるっていうんじゃなくて、微笑ましいっていうか祝福してる感じ。


「すごーい。やっぱりあるんだねぇ。そういうこと」

 身の周りで初めての恋バナ、カップル誕生だ。

「篠原さんとか倉木さんと一緒のグループだったよね。今はカレシといっしょかぁ」

 そういった声に、ちょっと憧れの混じった気が自分でする。リナがふんふんとうなずきながら、したり顔で言った。

「さて、もしそういう事態となったとき、われわれ三人としては友情をとるか愛情をとるか?」

 カオリンがリナをつつく。

「ちょっと、やめてよね。もしそうなったら応援してもらわないと。ねー、アオイ」

「う……うん」


 とりあえずうなずいたけど、今はそんな気分じゃない。それでもやっぱり気になって尋ねてみる。

「でも、告られてOKしたってことは、横沢さんも前から知ってた人ってこと?」

「じゃない? だって、いきなり知らない男子から告白されても、それはゴメンナサイ、だよね」

「まぁ、そうだよねー」

 リナも同意する。


 ということは、ずっと前から密かに相思相愛だったってことか。

 ふーむ。私の知らないうちにみんな大人の階段を上っているなぁ。それに引き替えこっちはわけのわからん妖怪の相手か。


「ね……二人はさ、好きな人とかいるの?」

 思い切って訊いてみた。二人とも一瞬、へっ? て私を見たけど。目を合わせると、神妙な顔つきになる。

「いやー、正直クラスの男子はないかなぁー」

「うん。めぼしいの、いないよね」

 コラコラ、岡本里奈クン、君は何様のつもりだ?


「ま、高二でも男子は所詮ガキだしね」

 カオリンがため息まじりに言った。

「でもさ、そういうのって、ある日突然変わるって気もしない?」

「あー確かに。文化祭で一緒の仕事したとか、体育祭でカッコイイところが見られたとか」

「そうそう。普段と違うところを知ると、ちょっと評価高くなるかも」

 リナがケラケラと笑う。


「でもさー、正直うちの男子じゃたかが知れてるじゃん。いきなりすっごいイケメンと出会うとか、ないかなぁ」

 リナの言葉を聞きながら心で思う。

(いるよ。自宅うちに。ちょっと年上だけど、三匹も)


「そんなマンガみたいなこと、あるわけないじゃない」

(あったよ。マンガより凄いよ。イケメンのうえに妖怪だか神様だっつうんだから)


「そんなのわかんないでしょ。学校でなくたって、夏休みにどっか行ったら、とかさ」

(昨日、学校の理科室でだよ)


「うーん、でもナンパはなぁ……もうちょっとムード欲しいよね。」

(怒られたり、もてあそばれたりしてるよ。こっちは)


 なんだか私一人がおいてけぼりのまま、勝手に盛り上がってる。


 劇的な出会いか。

 確かに今回のことは一生に一度、いや普通なら絶対にあり得ない衝撃的な出会いだったよ。で、この先どうなるのか、当事者の私にもさっぱり分からないんだけど。


 結局、とりとめのない会話のままランチタイムは終わり、レジでお金を払うとドアに向かった。

 二人に続いて出ようとしたら、ドアのすぐ外に女の人が立っててドキッとした。

 長い黒髪にちょっと古臭い感じのピンクのワンピース。前髪で目が隠れてるから、どことなく不思議な雰囲気。

 中に入るのかな? そう思って、どうぞ、って道を譲ったけど動かない。邪魔になると思って先に出た。前を横切りつつチラッと目をやったとき、なんとなくだけど、女の人が口元だけで笑った気がした。


「ねぇ、いま何してたの?」

 表で待っていたリナが訊いてくる。


「うん、あの女の人がさ……」

 振り返ったけど、もういない。 あれ、中に入ったのかな?

「女の人って……どこに?」

「え?」

 カオリンも不思議な顔で私を見てる。

 もう一度振り返ってみたけど、ガラスドアの向こう、店内にも姿がない。ほんの一瞬でそんな遠くに行けるはずないのに。


 そう。劇的な出会いは、あの三人とだけではなかったんだ。

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