第四話 変なひと、増える

 ソファーとテーブルが、ひっくり返ってた。


 その前に、昼間の男の人が腕組みしたまま目をつぶって立っている。またもバカみたいに見上げる私に、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がる。

 ぽかんと口を開けたまま、相変わらず声のない私。

 昨日から何度目だよ。


 男の人が私を見下ろす。

 学校でもそうだったけど、鋭い目つきで笠の陰から私を見ている。

「また会ったな」


 ……ええ、そうですね。確かにお会いしました。その節は大変ご無礼いたしました。心からお詫び申し上げます。

 ですから、ですから、どうか早くおうちに帰ってください!


 イケメンで、黒い髪に細マッチョ。アクション映画のヒーローみたいな人だけど、もうそんなことはどうでも良い。とにかく、この状況から逃げ出したい。

「あ、あの……」

 あわあわしながら言いかけた私に、窓の外、レースのカーテンを透かしてお隣の家のサッシが開くのが見えた。眼鏡のおばさんが顔を出して辺りをキョロキョロ見回す。さっきの音を聞かれたんだ。

 でも隣のおばさんは、不思議そうな顔をしながら結局は顔を引っ込めた。ほっと胸を撫でおろす、ってまだ問題は片付いてない!

 黒髪の男の人は、リビングに突っ立ったまま、辺りを見回している。


「あの……あなたは、どこのどなた、ですか?」

 消え入りそうな声で訊く私。

「なんだと?」

 またも険しい声。でもこの家でまで引き下がるわけにはいかない。


「あの……こ、困るんです。ここ女の子二人暮らしだから……ほ、ほら、知らない男の人がいるとか近所で噂になったらまずいし、だからすぐに帰って欲しいんです。誰かに見られないうちに!」


 と、まくし立てていたら、男の人の後ろ、リビングの開いたドアの外を、変な衣装の人がスーッと歩いていくのが見えた。

 目が点になる。

 そういえば、銀の玉が廊下に転がっていったような……


 頭が混乱しているうち、後ろのキッチンからゲホゲホとせき込む声。振り返ったら、ほこりの舞う中、傾いた冷蔵庫の前に誰か這いつくばってる。

 あぁ……青い玉はあそこに転がり込んだよねぇ……

 もう立て続けで、ちょっと冷めた眼つきになり始める。


 立ち上がったのは韓流ドラマの時代劇に出てくるような人で、つばの付いたヘルメットみたいな帽子をかぶってた。身体も顔もほこりまみれでしかめっ面。確かに、冷蔵庫の裏なんか掃除したことなかったよ。

 あれ? ほっぺに何かついてる。黒っぽくて、テカテカして、脚があって触覚……って!


「イヤーっっっ! ゴ●ブリィィィ!」


 絶叫とともに飛び退いた。男の人がほっぺに気づいてアレを掴むと握りつぶす。

「ギャーっっ、信じらんない! こないでぇぇ!」


 廊下に駆け出たところで、わっぷ、と誰かにぶつかる。

「おやぁ?」

 笑いを含んだような声。目を開けたらさっき見かけた男の人。

 あーまたコスプレだ。

 こっちは白っぽくて全体的にゆったりとした衣装。頭にはでっかいナースキャップみたいな冠。灰色がかった髪で、またもイケメン、つーか、美形キャラだ!


「これはこれは……何とも可愛らしいお嬢さん」

 その人が私の顎に指をあてると、くいっと持ち上げた。

「久しく閉じ込められていたと思ったが、明けてお会いできるのがこのような乙女とは、まさにこの世の妙ともいうべきか」

 ニンマリと私を見下ろすこの目つき。思いっきりチャラ男だぁ!


「しかも、どうやら禁を解いていただいた様子。お礼申し上げる」

 と言って、いきなり顔を近づけてきた。

 ちょっと、何するの? 突然そんなことされたら舞い上がっちゃう、ってそれどころじゃない。

 手のひらですかさずガード。もう誰と何をしたらいいのか、頭はグルグルだった。


「きさまも禁が解けたのか!」

 リビングから聞こえた怒鳴り声に、我に返る。

「聞き分けのない奴だな! 何度言ったら分かる」

 言い返す声。


 リビングに入ると、さっきの二人がにらみ合ってる。今にも取っ組み合いでもしそうな雰囲気。

 その時、理科室の光景が浮かび上がった。あの赤い玉の人、手から火を噴いてたよね。で、またあの人の手の周りがゆらゆらぼやけ始める、これって陽炎?

 相手の男の人はと思ったら、こっちは青い光がビキビキ音を立てて、稲妻みたいに放電してるよー。


「ヤメテーっ!」

 思わず叫ぶ。二人ともこっちを見た。

 私の後ろから、あの軽そうな人がリビングに入ってくる。

「あっ!」

「貴様っ!」

 二人が叫ぶ。なになに?


 赤い玉の人がいきなり右手を私たちに突き出した。

「どけ! 焼き殺してくれる」 

「やめろ! そいつは私の獲物だ」

 電気の人が割って入る。もう何が何だかわからないよぉ。


 後ろで、フッ、と笑う声がした。

「まあまあ、落ち着きなさいよ。どうやらこの娘が禁を解いたらしい。ここはこの娘の家のようだし、主には礼を尽くして今は戦わないほうが良い。そうだろう?」

 あれ、結構まともなことを言ってる。話の通じる人でよかった。


 でも、二人ともまるで聞いていない。三人が三人ともお互いにらみ合ったまま動かない。すごく険悪なムードが漂っている。

 その三角形の中心に、私がいる。


「あ、あの……とりあえず、皆さん落ち着いて」

 私は、場をとりなそうと思って言った。

「と、とにかく、ここは私の家です。ここでトラブルは困ります」

 そうだ。まず自分が落ち着かなきゃ何も始まらない。

 それに家の中はメチャクチャ。ソファーは転がってるし、テーブルは横倒しだし、サイドボードの上のものもみんなひっくり返ってる。キッチンは冷蔵庫も食器棚も傾いて、床はほこりまみれ。


「そうそう、この娘の言うとおりだ」

 後ろの男が私の肩に手をかけた。一瞬ドキッとしたけど、身体がこわばって動けない。それでも愛想笑いを浮かべて、どうにか続ける。

「冷静に話しましょう。あ、でもその前に、家の中を片付けて、ほしいな……なんて」

 語尾が消え入りそうになった。

「そうだぞ、お前たち。主の家をこんなにしてどうする」

 ぜんぜん心のこもっていない言葉を口にしながら、肩に置かれていた手が首筋を上がると、馴れ馴れしい手つきで髪の毛をいじり始める。心の中がモヤーっとしてきた。

 初対面でのさっきの行いと言い、発情期のサルか、こいつは。

 

 振りほどくように体をよじると、とりあえず赤い玉の人も言うことを聞いてくれたみたいで黙ってる。とにかく、まずは場を落ち着かせて、三人にいろんなことを説明してもらわなきゃ。


 でも、私にはそんなことよりずっと大きな問題があった。

 これだけはどうしても確認しておかないと、この先ここで生活できなくなるような、ものすごく重要なこと。


 キッチンとの境目には電気を出してた人が立ってる。ほこりまみれだけど、この人も見た目はカッコよさそう。で、ほっぺに一か所、ほこりの付いてない楕円形があるの。

「ところで、あのぅ……さっきの、アレはどうしたの?」

「さっきの、何だ?」

「だから……アレよ、アレ」

 名前を口に出すのも嫌だ。自分のほっぺを指差す。


「ああ、ヒレンのことか」

「ヒレン?」

 なんだか分からないけど通じたみたい。

「あんなものは問題ない」

「……いや、そうじゃなくて……アレ、どうしたの?」

「床に捨てたが」


 眼の端に映るフローリングの片隅に、黒っぽいシミがひとつ。



 ――キレた。


「っ!こンの、ボケェーっ!! 何してくれとんじゃぁぁっ!!!」


 激怒とともに、落ちてたティッシュボックスをぶん投げる。


「これで包んで捨てろっ! 床もファブって念入りに拭け! その前にまず自分の手を洗え。三度洗え! 洗った手はタオルで拭くな。ティッシュで拭けっ、バイキンやろう!」

 そのまま赤い玉の人に目を向ける。

「お前は、ソファーとテーブルを戻せ! 床に落ちたものを拾って並べろ」


 後ろから、プーっと吹き出す音がする。

「二人とも、しっかり働けよ」

 振り向くと、あのチャラ男がくすくす笑ってた。

「お前もだ! 手伝え、サルっ!」


 最後に深呼吸をすると、牙を剥く意気込みで怒鳴った。


「てめぇら、絶対にケンカするなよ! したらまたあの玉に戻してやる。永久にな!」


 その後は、私が監督しながら片付けと掃除をさせた。三人とも、玉に戻すと言ったブラフが効いたのか予想外に素直だったけど、家の中のものが何なのかまるで知らない様子だった。

 ティッシュも消臭剤も、ううん、そもそも水道とかタオルとか、そういうものも全部私が教えながら指示して、家の中を片付けた。ついでに冷蔵庫の裏とキッチンも掃除させると、私たちはそろってソファーに座った。


 これから先のことを話し合うために。

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