魔王の真実
カラナとユウジの突然の襲撃で生じた混乱は収拾がついた。王国へと踵を返すシュウ、リリィ、ホヅミの三人に集う様に、兵士達が駆け寄る。
「おいよせ! やめろ! やめろー!」
多勢によるシュウの胴上げが始まった。兵士達は最後のシュウが放った一撃を遠目で見ていたらしい。シュウは取り乱して暴れる。リリィとホヅミにはそれが滑稽で面白そうに見えたので、兵士達と共に英雄を空へと放り投げるもてなしに参加した。
城に戻る途中、シュウを待たせて服屋に寄る。ホヅミとリリィで相談し合って、リリィの家名に因んだ衣装にする事となった。
「どう? 似合ってる?」
「……………」
我がもの顔でリリィは聞くが、無言のシュウだ。
「ちょっと、何か言ってよ」
「う、うるせっ……早く行くぞ」
慌てる様に急かす様にシュウは城の方角へと向き直る。リリィは不満気に膨れ面だ。
「……似合ってるよ」
「え?」
限りなく小さな声で何かを呟いた様に聞こえたリリィ。こうして三人は城へと赴く。
そして、祝宴が開かれる。大洪雹の始末を潜り抜けた際の慰労を込めて、また思わぬ襲撃に対し返り討ちを果たしたシュウ達の活躍を讃えて、たくさんの豪勢な料理が振る舞われた。ホヅミにはどれも見慣れない料理ばかりで、さながら海外料理を思い浮かべる。中にはお酒も用意されている様で、その賑やかさはまるで酒場のごとし。兵士達も宴が始まれば人だ。ゲラゲラと下品に大笑いを立てて、愉しげに酒と食事にありついていた。
「あるぇ? ホヅミん? おしゃけ飲まないのぉ?」
酔っぱらいのおじさん達に紛れて一人絡んでくる者がいた。
「いやぁ、私未成年だし」
「みしぇーねん? 何? それ。ほらほら、早く飲まないと……みーーーんな………飲んじゃうよぉ?」
密接して絡むリリィの息はどっぷりとアルコール気が馴染んでいた。とろけた面持ちでピンクだった頬の色は真っ赤っか。ホヅミは少し呆れ気味に目を逸らすが、逸らした先にはシュウがいた。シュウは暴れるでもなく騒ぐでもなく、静かに木製ジョッキの飲み物に浸っていた。頬が赤いので恐らく酒だろう。そういえば初めて出会った日も、未成年などお構い無しに酒場で飲んでいたなとホヅミは懐かしむ様に思い出す。
すると一人シュウに近づいていく者がいた。その人は綺麗な赤いドレスを身にまとい、そのドレスをそのまま写したかの様に、出来上がった面でジョッキ片手に歩み寄っていく。
「シュウぅ〜。よく無事で帰ってきてくれた。妾はもう心配で心配で腹を裂く思いじゃったぞい」
アリスがシュウに悪絡みしている。シュウの後ろに回って抱き締めていた。頬をすりすりと頭に擦りつけて、まるでシュウの反応を待っているかの様に。
「妾のぅ、可愛い可愛いシュウがいなくなったらと思うと……はぁ……ほんとうに良かった。妾の夫が帰ってきてくれて………」
「あん! 誰がてめぇの夫だコラッ!! 離れろ!!」
「ああシュウよ……マイラブパートナー」
じたばたとするシュウを物ともせずに抱き締めることを止めないアリスは、なぜだかホヅミにはとても勇敢に見えてしまった。
愉快な時は過ぎ、それから夜を越す。
シュウ達三人は旅へと向かわされず、アリスから待機命令が出ていた。それは昨日の件。まず一つに、シュウが吹っ飛ばしたユウジの死体だが見つからなかった。よって死亡の確認はまだ出来ていないという事。二つに、昨日地盤の崩壊と共に発見されたとある石版についてだ。後の捜査後に出てきたらしい。それの解読を今朝方まで学者が書庫で篭もりっきりで行っており、つい先程完了したのだ。
「人と魔族と魔物とを繋ぐ架け橋、ホーミスト。この石版にはこう書かれておる。恐らくホーミストとは国の名前じゃろう。妾も、これを解読した考古学者も、聞いた事のない名じゃ」
女王の間。王座の前に立つアリスの手には石版が持たれていた。石版には不可解な文字が書かれている。そう、ホヅミやシュウにもその文字は全くと言って読めないのだ。異世界人の特典とも言える文字変換は行われない。ただホヅミは以前にもその様な文字と出会った事があった。シンア村から外れた森の中。そこにあった石碑にも、今アリスが手に持つ石版と同じ様な文字が書かれていた。
「ホーミスト、どこにあるのかは分からない。故に、探す命をお主達に与える」
「おいおい待てよ。何の探す宛もねぇのに良く言うな」
わしわしと頭を掻きながらため息をつくシュウ。
「これから旅をしながら、それらしい所を徐々に探ってくれ。言うならば、追加の任務じゃな」
「ちっ………分かったよ。やりゃあ良いんだろやりゃあ」
シュウは仕方ないと言った様にもう一度ため息をつくと、踵を返して背中を向ける。ホヅミもそれに続いた。
「ん? どうしたのリリィ」
リリィはその場で立ち止まってアリスの方をじっと見詰めていた。
「あの………女王様。その石版に書かれているのは、先程の事柄だけですか?」
何かを伝えた気に、疑問を投げかけるリリィ。意外なリリィの申し出にアリスは首を傾げる。
「いや、実は違うのじゃ。解読出来たのは先の事柄だけで、他の文字は全くと言って良い程読めぬらしい」
それを聞いたか否かリリィは駆け出した。アリスの元まで行くと、アリスの懐に押し入り、その手の石版を食い入る様に見る。
「何じゃ!?」
「………やっぱり………これ、ボク読めるよ」
そのリリィの言葉にはその場に揃う考古学者、更には付きの兵士達まで、皆が一意に振り返る。
「何じゃと!? それは
「うん。人と魔族と魔物とを繋ぐ架け橋、ホーミスト。ミラージュフォレストの奥にその地を設けた」
「何!? ミラージュフォレストじゃと!?」
次に驚きの声を上げたのは考古学者の一人。長髪と長い髭を携え杖をつく老人だ。
「ミラージュフォレストとはの……あそこは未開の地じゃ。何故ならその入口には、幻覚作用を引き起こす霧が立ち込めておる。心に淀みのある者が入ればもちろん、忽ちに意識を失い二度と戻っては来れぬ危険な地でもある」
考古学者の説明にどよめく。
「はっ! 危険な地? 心淀みある者? くだらねぇ」
シュウが威勢よく切り出した。
「だったら大丈夫じゃねぇか。俺には心の淀みが全くねぇ」
と自信たっぷりに断言するシュウに、その場にいる誰もが固まった。そう、その場にいる誰もが一つの事を思ったのだ。
(一番心の淀みがありそうな奴が言うな!)
ホヅミは心で叫ぶ。
三人はミラージュフォレストまでの行き方を教えてもらい、出立した。どうもシュウの魔法でその近くまで空間を繋げられるらしい。
王国の外に出ると、シュウは魔法を発動した。
ミラージュフォレスト。シュウの手に持つ地図を横から覗き見るリリィとホヅミ。白い霧が出始めている。どうやらその入口に到着したらしい。
「おい、一応言っとくが、これより先は心に淀みがある奴は幻覚で道を閉ざされちまう。分かってるな?」
(いやだから、それをあなたが言いますか?!)
と心で叫びながら、リリィと共に頷くホヅミ。
迫る緊張感。未開と言われる地に足を踏み入れる勇気を振り絞って、ホヅミはシュウの後に続く。
霧の中では魔物が襲いかかってくる気配がなかった。魔物ですら恐れて近寄らない場所なのだろう。
シュウとリリィの歩くペースはいつもながら早い。もし少しでも遅れを取れば、あっという間に一人取り残されてしまう程の深い霧だった。
しばらく進むと、白い光の様なものが霧の先に見えてくる。どうやら出口らしい。いや、もしかしたらそれすら幻覚なのかもしれない。今目の前で歩いているシュウやリリィも。そんな怖い思いを抱いてしまうホヅミ。
やがて光はシュウ達三人を包み込む。
「ここは………ここがホーミストか」
霧は晴れ、映った景色は
「あれ? 皆さん!」
それは聞き覚えのある声だった。
真っ白な毛皮にカジュアルなファッションを決めた、赤いくりくり瞳のうさぎさん。
「ゼロ! 久しぶり!」
「リリィさん、お久しぶりです!」
嬉しそうに耳を立てて歩み寄ってくるゼロ。主に野菜類を籠に入れて持っている所を見ると、買い出しの途中か何かだったのだろう。
「それにしてもさすが皆さんです。霧の中を通って来れたんですね!」
感心を露わに、ゼロは三人を見渡す。
霧は心に淀みのある者だけが幻覚に侵される。何も無かったという事は、三人の誰も心に淀みがなかったという事だ。
「おいてめぇ、この街は一体何なんだ?」
「シュウさんも、お久しぶりです」
「挨拶はいい。ここは一体何なんだって聞いてんだ」
がんを飛ばす様な乱暴な口調で、変わらぬ調子のシュウ。シュウは元々魔物であるゼロに対して穏健な態度を取ってはいなかった。だからなのか、それともいつもの平常運転なのかは分からないが、シュウの心底は計り知れない。
「あはは………この街はホーミストという街です。俺達魔物や、魔族、人間が分け隔てなく生活出来る様にと築かれた街ですよ」
「んな事は見りゃ分かんだよ。俺が聞いてるのは、何でこんな街が存在してんだって話だ」
喧嘩腰に問いかけるシュウ。その態度には苦笑を零すしかないゼロだ。
「何でも人間魔族魔物の御先祖様が設けられたそうなんです。俺も詳しくは知らないです」
「ちっ」
物を訊ねる時はある程度の礼儀は弁えるべきだろうと、ホヅミは思いを口を出さずに仕舞いこんだ。
「あ、そういえば俺の家の倉庫に歴史書があったはず。皆さん、もし詳しく知られたいなら、俺の家へどうですか? もうすぐお昼ですし、話を交えながら一緒に食事でも」
「食事!? 食べる食べる!」
食いつきのいいリリィだ。
「それじゃあ俺に着いてきてください。」
こうして三人はゼロに連れられ、ゼロの母屋へと往来を行く。歩けば歩くほどに分かる、種族間の分け隔てのなさ。ホヅミが経験してきたホーミストの外では、魔物に対しても、魔族に対しても、人間の差別心はあまりに酷かった。その逆も然りだ。特にリリィは魔物と人間のハーフ。その事で何かにつけてはリリィは酷い目に合っていた。もしかするとこのホーミストという街は、リリィにとってもホヅミにとっても最も住みやすい街なのかもしれない。
しばらく歩くと往来を外れて、やや静かめな住宅街へと足を踏み入れる。畑や家があちこちに見られて、生活の跡が豊満だ。
「ここが俺の家です」
木造の一軒家がそこには立っていた。左隣には人参畑がありいかにもといった様子だ。
ゼロは柵の扉を開けて中へと入っていく。すると一軒家の右隣の小屋から誰かが出てきた。
「ただいまユキ!」
「お兄様! おかえりなさい!」
木のバケツに大量の水を汲んで歩いてきたのは、さくらんぼのアクセサリーが可愛らしいドレスを着込んだ、赤いくりくり瞳のうさぎさん。ゼロと瓜二つの女の子だ。
「皆さん、紹介します。俺の妹です」
ゼロはユキと呼んだうさぎさんに手を差して紹介する。
「こんにちは。ユキと言います」
「ユキ、こちらの方々は俺の命の恩人。特に彼女、リリィさんは共に脱獄を図った大恩人なんだ」
「まあまあ、そうですか。その節は兄が大変お世話になりました」
三人はゼロとユキに家の中へと案内される。
テーブルの椅子が足りず、倉庫からゼロが椅子を持ってきていた。三人は横一列に腰掛けると、その前にはユキが持ってきたひんやり冷たいミルクが運ばれた。
「良い妹さんだね」
「え? そうです。ユキはとっても気が利くんですよ」
「まあ、お兄様ったら」
リリィはこっそり耳打ちすると、ゼロは喜んで答えた。その屈託のない答えにはユキも頬を赤らめて照れている。
「それじゃあ俺は、倉庫の方で歴史書を探してきます。どうぞゆっくりしていてください」
そして三人は待たされる。
お腹を空かせたリリィはミルクを一気に飲み干して、シュウはなぜだかミルクに手をつけない。どころかじっとミルクを睨みつけては、料理の支度に勤しむユキを睨みつけている。警戒しているのだろうか。そんな二人の様子を見比べながら、ちみちみとミルクを口に含むホヅミだ。
「ふんふんふーん。ふふんふーん」
ユキは奥の台所で楽しそうにコトコトと音を立てて野菜を切っている。首を伸ばして覗いてみると、どうやら人参を切っているようだ。うさぎが人参の料理を作っている絵面。ホヅミにはどうしてかこうしてか、それが面白く思えてならなかった。
トントン。
ふと、家の扉からノックの音がする。ユキは料理に夢中で気づいていない様だ。
トントン。
シュウはノックの音に見向きもしないでミルクとユキを睨みつけている。リリィはノックに気づいて、どうしようかとまごついている。
トントン。
「あのぉ、ユキさん。来客です」
踏ん切りのついたホヅミが声を上げた。
「ん? はぁーい。今行きますよー」
ユキは料理の手を止めて、扉の方へと向かっていった。
カチャリ。
扉を開けると、現れたのは狼の顔だ。ユキの頭上から覗かせている。
「あ、ノックさん」
ノックと呼ばれたのはウルガルフによく似ている。けれど人型をしている所を見ると違うのだろう。シュウは変わらず警戒心むき出しな視線を送っている。リリィもその姿には少なからず驚いた様だ。
「ユーキみゃん。今日も綺麗だね。そんな綺麗な君に、これ、似合うかと思って」
ノックは背後から赤いチューリップの花束を取り出してユキへと手渡す。
「まあ綺麗、ありがとう。あ、もしかして。もうすぐお昼だから、食事が目当てなんでしょ?」
「あ、バレちゃった? ユキみゃんさっすが〜」
今にもユキが食べられてしまうのではないかと内心思ってしまっているホヅミ。そんな思いと裏腹に、ノックと呼ばれる狼は甘々な口調で語りかける。
「良いわ、中へ入って。今食事の用意をしている所なの」
「ほんとに!? やったぁ〜!」
まるで子供の様に態とらしく燥ぐ不自然な素振りを見るからに、あれは惚れているな、とホヅミは確信した。
「でもね、今お客さんが来てるの。だからお行儀よく待っててね」
「はーい! ………って、お客さん?」
ユキは台所へ戻っていくと、三人とノックの遮りはなくなる。
「あん?」
シュウとノックは目があった。
「お、おとこぉ〜!?」
口を大きく開けて、開いた口が塞がらないと言った様だ。目が点になっている。
「ゆ、ゆゆゆゆゆっ………ユキみゃんが、男を連れ込んでるぅ〜っ!!!!!」
ノックの背筋には衝撃が走った。
「お前! いったい何もんだ!」
「あん? 何だてめぇ」
「どこから来た! 何の目的だ! まさかユキみゃんを我がものにしようと」
シュウとノックはメンチを切り合う様に、その視線と視線がパチパチと音を立ててぶつかり合う。
「お前! 今から俺と勝負しろ!」
「あん? 喧嘩か? おういいぜ。やろうじゃねぇか」
まずい、と思ったホヅミは二人の間に割って入るが、互いに意識し合ってしまった二人の視線は外れない。
「ノック!」
「はいっ!!」
ユキの声に背筋をぴんと伸ばして固まるノック。
「お行儀よくして!」
「はいぃっ!!」
ユキが
それからゼロがとある歴史書を抱えて戻ってきた。
「おや? ノック、来てたのかい?」
「あ、これはこれはお義兄様! お邪魔させていただいておりまぁす!」
「ノック、お義兄様は止めてくれ」
そんな他愛ないやり取りが行われると、いよいよゼロは歴史書を開いて、シュウ達の前で朗読して見せた。ゼロは主要なページだけを読んだらしい。内容はこうだ。
古来人と魔族と魔物は、種族間分け隔てなく暮らしていたという。けれどある時、魔王と呼ばれる存在が現れ、人と魔族と魔物を戦乱の世へと陥れたのだという。互いに争わせ、奪わせ、混沌に染まった世の中で、立ち上がったのが魔物の戦士達。戦士達は世界的に起こった大戦争を
「以上が、この歴史書の大まかな内容みたいです」
ゼロは話し終えると本を閉じてテーブルの上に置いた。
「皆さん、お食事の用意が出来ましたよ」
ユキによって運ばれてきたのはシャリシャリ人参だ。
「うわぁ美味しそう。ボクお腹ペコペコだよぉ」
「私も運ぶの手伝います」
「あ、ボクもボクも」
ホヅミとリリィは立ち上がってユキと共に台所へと向かう。シュウはというと仏頂面で何かを考え込んでいる様だ。ゼロの隣にいるノックは腕を組んであたかも分かった風に何度も頷いている。
「あ! 俺も手伝うよ! ユキみゃん!」
後から遅れてノックは続いた。
料理が運ばれると、皆席について合掌する。
「「「「「いただきます!」」」」」
「ん〜美味しいぃ〜っ!」
先に手早く食事を口に運んだのはリリィだ。かけ込む様にして食事を楽しんでいる。よくお腹の空く子だなぁと、自分の体に疑念を抱くホヅミ。
「やっぱりユキみゃんの手作り料理は美味しいなぁ。美味しいし、ユキみゃんは可愛いし最高だよぉ」
「もう、止めてよノック」
皆が楽しく食事にありつく中、一人難しい顔をして未だに食事にもミルクにも手をつけていない者がいた。
「シュウ? 食べないの?」
試しにホヅミは聞いてみる。
「あん? もし毒が入っていたら、この場で全員
その発言に皆の手の動きは止まる。
「そんな……毒なんて」
ここで可哀想なのはユキだ。せっかく皆の為に一生懸命作った料理を疑われているのだから。
「お前! やっぱり表に出ろ! 俺と勝負だ!」
「止めろノック。シュウさん、俺達は見ての通り魔物です。魔物の作った料理が疑わしいのは、人間であるあなたならば仕方ないかもしれません」
楽しげな食事が不穏な空気へと変わっていっている。それを感じ取ったホヅミはシュウに促す。
「ねぇシュウ、ユキさん一生懸命作ってたよ? 食べてあげなきゃ」
じっと考え込んでいたシュウは、ホヅミの言葉を聞いて箸にゆっくりと手をつけた。そして箸でシャリシャリ人参をひとつまみ。徐々に口に運んでいく。
パクっ。
その場の皆がシュウの咀嚼を固唾を飲んで見守る。
「美味い」
その言葉にぱっと晴れやかな面持ちになるユキ。不穏な空気も吹き飛び、再び楽しい食事が始まる。
食事を終えると、ゼロから提案があった。
「もし良ければ、今日一日だけでも泊まっていってはいかがですか? リリィさん達の色々な話も聞きたいです」
「私も聞きたいです。外の世界の話」
外の世界とはミラージュフォレストの外という事だろう。つまるところ、ユキはこのホーミストから出た事がないのかもしれない。
リリィとホヅミは泊まりたいのは山々だ。だが決定権は引率であるシュウにある。二人は物欲しそうな目線でシュウを見詰めた。
「あん? 何だよ。別に構わねぇぜ俺は。調べたい事もあるしな 」
シュウの許可もあり、三人はホーミストで今日一日滞在する事となる。
ホーミストには宿屋がないらしい。ミラージュフォレストの霧のせいで、旅をする者は誰も近寄らないのだと言う。そんな中で宿屋の営業が儲かるはずもないのだ。それを考えても、今回のゼロの提案は、シュウにとって都合の良いものだったのかもしれない。
シュウは一人、家を出て調査へと出かけてしまった。残るホヅミとリリィは、ゼロ達と談笑。ハイシエンス王都の戦争の後、ゼロと別れたあの日を遡って、順を追って旅路について話していく。
「そんな事があったんですね。とても大変でしたね、リリィさん、ホヅミさん」
思い返してみれば、僅かな期間でほんとうに色々な出来事があった。リリィからしてみれば、二度も捕まったのだからいい迷惑だろう。それに何より、この旅で一番辛い思いをしているのはリリィに違いないのだ。笑って話を流すリリィだが、内心大きな傷を負っているに違いないと、ホヅミは思う。
「そうだ、リリィさんとホヅミさんに、ホーミストの街を案内しましょう。どうです?」
「え! ぜひぜひ! ホーミスト食いだおれツアーだ!!」
「リリィ、まだ食べるの?」
来客を考慮したユキの料理の量は少なくはなかった。多めに作り過ぎたと言ってもおかしくない量ではあったが、ほとんどをリリィやノックが食べ尽くしてしまっていた。
リリィの体は自身の体であるというのに、いったいいつそんな大食らいな胃袋を手に入れたのだろうと、ホヅミは不思議に思うばかりだった。
ホーミストの街は交易はない。だから質素な暮らしかと思えばそうではない。他とのやり取りがないからこその自給自足に特化した数々。美味しそうな香りを漂わす屋台が、往来を活き活きとさせている。
「おじさんこれちょーだい!」
「あいよ!」
リリィは早速何かを買っていた。実をいうとリリィもホヅミも、アルストロメリアから給金が少し出されていたのだ。以前にアンデッドドラゴンを倒した時の賞金は、ルノーラ帝国の兵士に奪われてしまったので持ち金はさほどないが、屋台で使うお金くらいは持っている。ホヅミもちょうど小腹が空いてきたので、おやつ感覚で屋台を楽しむ事にした。
「ユキみゃーん! これ、どうかな? 君に似合うと思って買ってきたんだ」
ノックは途中姿を
「可愛い! ありがとうノック」
「いやぁ、照れるぜ。へへっ」
各々に屋台を楽しんだ所で、辺りはあっという間に夕暮れ時だ。どこか遠くから鐘の音が鳴っている。
「では、そろそろ戻りましょう」
一行はゼロ宅へと戻る。
家の中に入るが、ノックも家の中に入ろうとするものだから、ユキは言い止めた。
「ノック、自分の家へ帰らないの?」
「え? あ、あーそうだよな。もう帰らなくちゃだよな」
残念そうに気を落とすノック。
「それじゃあなユキみゃん。また明日」
「うん、また明日ね」
下手な笑い顔で手を振って背を向けたノックの首はがくりと落ちた。
しばらくするとシュウがふらりと戻ってきて、ちょうどよく夕食の時間。ユキが今回も料理する訳だが、それを気になっていたホヅミはリリィを連れてユキの元に行く。
「ねぇ、私達も手伝っていい?」
「まあ、嬉しい。ありがとうホヅミさん、リリィさん。それじゃあ一緒に作りましょ?」
男子厨房に立たずで席について待つゼロとシュウ。シュウは難しい顔でずっと考え事をしていた。ゼロは待っているだけなのも退屈なので、何とかシュウに話しかける事を試みるも、どれも素っ気のない返答がなされるだけだった。
料理が出来上がると、ユキ、リリィ、ホヅミの三人は男子達が待つテーブルへと料理を運ぶ。白い湯気の立ったほかほかのパイは、一瞬にしてその香りをリビングに広める。
「じゃじゃーん。ボク達の作ったフルーツパイだよ。たんとお食べ」
と言うリリィはちゃっかり、自分の分を通常より倍の大きさにしているものだからお笑いだ。
食事の時間。ホヅミはユキのアドバイスで上手に焼く事の出来たパイを口に押し込む。サクっとほろほろ崩れる生地に、とろりと流れ出す果汁のクリームが、口の中でふわりふわりと浮遊している。最高の味だった。
「んーっ! 美味しいぃーっ!」
和気藹々と談笑しながら、美味しい食卓を囲んだ一時はやがて、静かな夜を迎える。
寝床はユキ、リリィ、ホヅミと、ゼロ、シュウで分かれて就く事となった。
星空の綺麗な夜、しんと澄み渡る虫達の囁きが、皆を癒す子守唄となって、眠りの中へと誘った。
「
その朝ホヅミ達は、暖かな日差しにでもなく、可愛らしい小鳥の囀りでもない、けたたましい
一瞬の出来事だった。屋根は吹き飛び、立ち上る火。粉塵の舞う中でゼロは妹の無事を確認する。
「ユキ! 大丈夫か!」
ユキは井戸の傍で倒れていた。それを見て血相を変えたゼロは家の外へと赴いた。外には火の手が広がっている。民家のほとんどはその原型をなくしていた。
「ユキ! しっかりしろ! ユキ!」
「おにい…………さま」
「ユキ!」
優しくユキを抱きかかえるゼロの心は、悲しみと怒りの入り交じった感情が渦巻いていた。力ない弱ったユキ。ユキをこうした犯人。気配のある空を仰ぎ見ると、一点の存在が宙で見下ろしていた。
「ざまぁ見やがれ! このラーミア=フルドリン様からの天罰だぜ! 何が多種族分け隔てない街だ! そんな街、目障りでしかねぇ!」
叫ぶ一点の存在は高らかと笑う。
不意にその存在ラーミアはホヅミ達のひとかたまりに気がついた。空中浮遊でこちらへと向かってくる。次第にはっきりとしていくその姿は、まさしく魔物。裸の上半身は赤褐色の肌色。紅色の瞳に尖った耳。筋肉の出来上がった体は武闘のそれを表しているかの様だ。
「おいおい、まさかこんな所で出くわすとわな。あ、もしかしてお前もこの街狙ってたのか? あっはっは。わりぃけどたった今俺が片付けちまったよ」
けろりと笑い飛ばすラーミアはどうやらホヅミに話しかけている様だった。何の事だか分からないホヅミは、ゼロやシュウからの視線を受けて戸惑う。
「ま、待って……私は知らないよ」
「おい、知らねぇってひでぇな。同じ魔王の
ホヅミはそれを聞いた途端、思い当たる節があり、リリィの方を見る。そのホヅミの視線に合わせて、シュウもリリィに視線を送る。
「あはは………ごめん、実はそうみたいなんだよね。ボクの称号、魔王なんだ」
ホヅミはうすうす勘づいていた。いくら魔物の血を引いているからといっても、所詮は半分だ。なのにリリィは常軌を逸していると言えるほどの魔力を有している。この異世界に来て浅いホヅミにでさえ、リリィの凄さは身に染みて分かる程だった。魔王であれば、何となく納得出来る。
「リリィ………魔王だったのね………」
「まあ俺は最初から分かってたけどな。お前の体が持ってる魔力量、尋常じゃねぇ。そこのラーミア何とかっていう奴ぐれぇによ」
「おい人間、ラーミア=フルドリン様だ! 様をつけろ! 」
だが、リリィが魔王だというならば、勇者の称号を持っているシュウや自分はリリィの敵となるのだろうか。リリィは自分達が勇者だと知っても何もして来なかった。いやそもそも魔王が勇者を襲うものなのか、勇者が魔王を襲うものなのか、この世界での勇者と魔王が何か未だ分かっていない。
「そんな事はどうでもいい…………よくも………よくもユキを」
愛らしい瞳も今は鋭い刃の様に変わっていた。ゼロはそっとユキを横たわらせると、ラーミアの前に出る。
「
ゼロは左足を前に踏み込み、握った右拳を腰に据える。焦点を定める様に、左掌をラーミアに向けた。ラーミアの眉は寄る。
「これだけ至近距離ならば、いくら貴様が魔王でも一溜りもないだろう」
「お、何か来ますか? やりますか?」
ふざけた態度でゼロを挑発して煽るラーミア。
「舞え……
刹那、ゼロの姿は消え、いつの間にかラーミアの目の前に到達。そして
「ぐああああああ!!!」
ゼロの右腕はへし折られた。
「何だよそりゃ。遅ぇし弱ぇし、てんでなっちゃねぇ」
「ぐぬぅ……」
「拳ってのはよ、素早く、力強くなきゃいけねぇんだよ。俺が手本見せてやるよ」
ラーミアは右拳を握る。バチバチと拳の周りを電流が弾ける。
「
ボコォッ!!!
ホヅミには何が起きたのか分からなかった。ただ目に見えるのは、滴る青い血と胴体を拳で貫かれたゼロの悲惨な姿だ。
「ゼロォ!!」
リリィの叫び声が上がる。ラーミアがよろよろになったゼロの体から拳を引き抜くと、ドボドボと青血が大量に流れ出る。膝から折れて、ぐらりと力なく横たわった。
「ゼロを治さなきゃ! シュウ!」
「あん! 分かってらぁ!」
シュウは地面を蹴り飛躍する。あっという間にラーミアの元へと到達した。
「
「ぐほっ!?!?」
ラーミアは自身の拳にべっとりとついたゼロの血を拭っていたせいか、呆気なくシュウの踵落としは頭上に直撃。
「からのぉ! 回し蹴り!」
一回転で蹴り飛ばしたラーミアは地面を体で抉った。
「ゼロ!
ゼロの傍に寄ってすぐさま治療に移るリリィ。シュウはお構いなしに吹っ飛んでいったラーミアに追撃。
「まだまだァ!!!」
シュウは拳を握って振り抜く。三撃目も直撃すると思いきや、ラーミアはシュウの腕を掴んで止めた。
「痛ぇ痛ぇ、てめぇ何だその力。本当に人間かよ」
「ちっ! 離しやがれ!」
「ああいいぜ」
ラーミアはシュウの腕を離すと、シュウはすぐさま後転しながら飛び退く。
「つーかあれ、何であいつ治そうとしちゃってんの? どう見ても助からないっしょ」
「余所見してんじゃえねぇ!」
シュウはラーミアの隙をついて殴りかかる。
「だからよぉ、あいつも、おめぇも、どうしてこんな攻撃なんだ? こんなの、パンチでもねぇぜ」
言いながら連続するシュウの猛攻をいとも簡単に躱していく。
「ま、一発の強さはめちゃめちゃ強ぇ……鍛えりゃ光るかもな」
言うだけ言うとラーミアはシュウの右腕掴んだ。くるりと捻り回して背中から左腕も掴む。足で背中を押して、腕を強く引っ張った。
ゴキュリ。
「ぬああああ!!」
「お前は面白そうだし、生かしといてやるよ」
両肩を脱臼させたラーミアは、シュウを横へと放り投げた。
ラーミアの襲撃の後、ユキの元へと一直線に駆けていたノック。遠目に倒れたユキの姿を見る。
「ユキみゃーん!」
ユキの傍によって体を揺さぶる。ユキは気絶している様で、命に別状はなさそうだ。だが可憐で綺麗で優しくて温かい心で出迎えてくれるユキをこんな目に合わせた奴が許せない。ノックは魔物の勘で理解していた。向こうにいる赤褐色の男が、
迸る怒りを胸に、敵わないかもしれない敵に立ち向かう勇気を振り絞って、今仇討ちへと臨む。
「グルルル! よくも! よくも俺の大事なユキみゃんをーっ!!!!」
「んあ? 何だ? ありゃボスウルガルフか?」
自身へと向かってくるノックに対して、冷めた視線を送るラーミア。
「 喰らえ!
ノックの鋭い爪には魔力の炎が宿る。果敢に飛びかかるノック。
「邪魔だ。
バチバチと宙で電流が弾け、現れたのは槍を象った雷。ノックは止まる事が出来ずに、雷の槍をもろ腹に受けた。
「がぎゃあああ!!!」
腹を中心に全身に走る激痛に身を焦がすノックは、その爪をラーミアに当てる事のないまま地面に突っ伏した。
(すまねぇユキみゃん………………
ちょうどその頃、ゼロの胴体にぽっかり空いた穴は塞がりかけていた。あともう少し時間があれば、一命は取り留められる。けれどその時間すらも与えてくれそうにない。
「
ホヅミは何度も魔法を撃ち続けるが、その何度に亘って回避を繰り返すラーミア。
「これならどう!
顕現される数多の巨大な氷柱。しかし回避が難しくなれば今度はシュウの様に氷柱を砕いて直撃を避けるラーミア。それどころか
「おいおい、お前魔王だろ。もっとこう………すげぇのやんねぇの?」
「きゃっ!!」
「つーか何で人間なんかといんだよお前」
ホヅミは首を鷲掴みにされて持ち上げられる。
「おい、魔王なら分かるだろ? 人間の醜悪さ、意地の悪さ、愚劣さ。俺はそんな存在が許せない。なぁ、お前もそうだろ?」
「あがっ、がっ、がっ」
だんだんとラーミアの手には力が入っていく。息もままならない程にまでなっていた。
「やめろぉ!!」
リリィはラーミアに向かって魔法を撃とうとした。けれど今魔法を撃てばホヅミまで巻き込まれてしまう。なので切り替えた。ホヅミの腰に差してある短剣に手を伸ばし、掴み、引き抜いて、回転を交えてラーミアに切りかかる。
「
短剣は見事ラーミアの脇腹に直撃した。けれど傷一つ付けられていない。
「痒ぃーな。今こいつと話してるとこなんだ。邪魔すんな!」
「がはっ!?」
まるでボールが蹴り飛ばされる様に、軽く吹き飛ぶリリィ。
ゼロがやられ、シュウがやられ、ノックがやられ、ホヅミはラーミアの手中。このままでは敗北して殺されてしまうかもしれない。そんな不安の念が頭を過ぎる。
「ったくよぉ、魔王が人間に助けられようとしてんじゃねぇよ………ああ胸糞悪ぃ…………殺すか、こいつ」
―――あいつは今、殺すと言った。殺される。ホヅミんが、殺されてしまう。ボクが何とかしなきゃ。けれどどうやって。あいつにホヅミんの首が折られたら、治せない。治しても残るのは抜け殻。早く何とかしないと。何とか。何とか。
「あれ? 何? 何が……どうなって」
ホヅミは今までラーミアに首を掴まれていた、はずだった。お腹にある鈍痛も不思議だ。何が起こったのかさっぱり合点がいかない。
「あれ?! 嘘! もしかしてこれって!」
ホヅミはふと下を見た。自分の着ている服が違う。そう、それは、リリィが着ているはずのものだった。
考えられるとすれば一つ、ホヅミはまたリリィと
入れ替わってしまったのだろう。
「リリィ!」
予想通り、リリィはリリィの姿でラーミアに首を掴まれていた。
「そんな! リリィ! 止めて! リリィを殺さないで!」
リリィはホヅミの声を聞いて、目だけをホヅミに動かした。
「だい……じょうぶ………これで……ボクは負けないよ」
「は? 何言ってんの? お前今から殺されんだよ? 分かってる? 魔王の癖に、弱っちぃお嬢さん?」
「
その瞬間、リリィの体から幾本もの白い炎の荊棘が伸びて、ラーミアの体中を貫いた。
湧き溢れ出る戦いの記憶。リリィの頭の中ではある変化が起きていた。今の
「あが、あ、がはっ!」
口からどっぷりとドス青い血液を嘔吐するラーミア。リリィの首からは手が離れて、リリィは自由の身となる。
「もう許さないよ」
言ってリリィは周囲を見渡した。凄惨に破壊されたホーミストの街並みを見て、過去に起こしてしまった自身の過ちを思い出す。
「大切な仲間を傷つけた……素敵なこの街をこんな風にした……絶対に許さない。天に召されろラーミア、
リリィの両掌はラーミアの胸元に翳される。黄色い閃光が輝いた後、ラーミアの胸を貫く様に炎が噴出された。
「んがあああああ!!!!」
シュウやゼロやノックやホヅミが手も足も出なかったラーミアを、一瞬にして満身創痍にしてしまった。
「………がはっ!……くっ……油断……した………やはり…………魔王は魔王って事か」
千鳥足で後退していくラーミアは、立っているだけでもやっとの様な具合だ。
「しかしなぜだ。…………魔王ならば分かるだろ………なぜ人間の味方をする……素敵な街と言ったが、多種族分け隔てないこの街に、虫唾が走らないのか」
「意味が分からない。魔王だから何? 魔王である前に、ボクはボクだ!」
そう言い切ると、リリィはトドメの魔法を撃つべく、両掌をラーミアへと翳した。
「紫炎の
それは今のリリィが出せる最強の魔法だった。
「
ラーミアにリリィの魔法を躱す余力はなかった。故にラーミアは自身に雷を落とし、その電力を用いて神経伝達を無理矢理に可動させた。痛手の体には無理を利かしてしまう魔法であるが、ラーミアに選択の余地はない。
ラーミアは瞬時にしてリリィの背後へと回った。リリィは反応が遅れ、ラーミアの掌で頭を覆われる。
「その様子だと、まだ記憶が戻っていない様だな。いいぜ、思い出させてやるよ。俺たち魔王に託された、原初の魔王の魂を、その一部を、お前は知らなければならない。その力は人間と魔族を滅ぼすために存在するんだ!」
「んああああ!!!」
「リリィ!」
ホヅミの叫ぶ声も遠く。リリィの目には脳裏には映像が浮かぶ。それは過去に起きた出来事。まるで自身に起きた出来事の様にそれは鮮明で、はっきりとして、リリィの頭の中を支配していく。
原初に生まれ、魔人と化した人間に裏切られ絶命した記憶。次の生まれ変わりでは、魔族に捕まり、数々の拷問を受けて絶命した記憶。そのまた次の生まれ変わりでは、愛した魔族の者を、人間の手によって殺されてしまった記憶、更に次の生まれ変わりでは、魔族に売られ、人間の奴隷として一生を終えた記憶。
「やめて、やめて、殺さないで、嫌ぁ!!」
愛する者に、魔物である事を知られてしまったために、殺されてしまった記憶。
そしてこの力は、全ての生を通して培ってきた力であるのだと、心の奥底で誰かが語りかけてきていた。それは原初の魂。リリィの中に込み上げる、絶望と憎悪。
ほんの僅かな時間で、今までの生の繰り返しを身に体験したリリィの目には涙が溢れ出ていた。苦しくて苦して、首元を掻きむしって血だらけになっていた。
「どうだ? 憎いだろ? 人間が、魔族が。お前はそれを滅ぼすために、生まれて来たんだぜ?」
「はぁっ、はぁ、はぁ、はぁ」
動悸と震えが激しくなって呼吸に難があるリリィは息を荒くしていた。
「まあいい、魔王なら見逃してやる。なんせ知らなかったんだからな。今回の事は水に流してやるよ。ああ、そうそう。これから一週間後、勇者の街カルベラに一斉攻撃を仕掛ける。参加するかどうかはお前次第だぜ」
ラーミアはリリィから離れると、宙に飛び上がった。魔法の詠唱はなく、どの様にして空を飛んでいるのかが不明だ。
ラーミアの去った後、リリィはその場で立ち尽くしていた。
「リリィ?」
リリィの元に寄ってその肩に触れるホヅミ。するとホヅミの手を振り払う様に急に振り返ったリリィは、血相を変えて怯えた様相でホヅミを見る。
「リリィ、大丈夫? 泣いてるの? 汗も凄いよ」
リリィの額からは汗が噴き出していた。
「リリィ……どこにも……行かないよね」
ホヅミは不安になっていた。あの時の様に、入れ替わりが戻った傍から、どこかに行ってしまうのではないのかと、リリィの手を取ろうとする。
「ごめん……ホヅミん……………ボク…………」
リリィはホヅミから目を逸らすと、俯き加減に思い詰めた表情をする。
「ホヅミん…………さよなら」
リリィは駆け出した。
「待って! リリィ! 行かないでよ!」
咄嗟にホヅミはリリィを追いかける。けれどリリィの足は、ひ弱なホヅミでは追いかけてもその距離は遠のくばかりだった。いつの間にかその姿は点となって、角を曲がって姿を消してしまった。
リリィはミラージュフォレストの中をさまよっていた。歩けど歩けど、一向に出口は見えない。
ふと、背後に誰かの気配がした。
「リリィ、どこ行くのさ」
そこにいたのは、ホヅミでも、シュウやゼロ達でもなかった。自身の名前を呼び捨てにするその少年は、トト村にいるはずのフォトだった。
「フォト!? 何で、何でここに」
「へへっ、リリィの事が心配でさ。追いかけてきたんだよ」
「フォト…………フォト…………」
リリィはフォトに駆け寄ると、自身よりも頭一つ分小さな体を抱きしめた。
「何だよ、どうしたっていうのさ。せっかく会いに来たんだから、笑って見せておくれよ」
「ごめん……これでいい?」
リリィは涙を拭ってフォトに精一杯の笑顔を向ける。
「そうそう。それで、どうしたんだよ。一体何があったんだ?」
リリィはフォトに全てを話した。今までの出来事。魔王ラーミアに思い出させられた過去の出来事。親友との別れ。
トト村で仲の良かったフォトに、何故か全て話してしまえた。ホヅミの前では、胸が苦しくてその場から離れてしまいたい思いだったはずなのに。
「そうか。そんな事が……」
フォトは何も言わずに黙って聞いてくれた。トト村の他の皆とは違って、フォトだけは味方でいてくれるのだろうか。それともフォト以外にも、自分の味方がいるのだろうか。
「で、リリィはどうしたいんだ?」
「え?」
「迷ってるんだろ? リリィは今までの恨みを晴らしたいって思うのか? 必死に生きてきた今までを、ずっと弄ばれてきたんだよ、リリィは。いや、リリィでないリリィかな」
リリィは迷っていた。込み上げる憎しみと怒りと悲しみと喜び、全てが入り交じって、自身の頭が混乱していた事にリリィは気づく。
「ボクは……………」
「なぁ、リリィ。もし、リリィに滅ぼされたなら、俺は何も言わないよ。だってそれはリリィが決めた事だ。リリィは昔からすげぇって、俺知ってるからさ。そんなリリィが選んだ答えなら、俺はどんな答えでも受け入れるつもりだよ」
「フォト……」
フォトの温かい安心感のある言葉に、リリィの心は包まれた。
ふとリリィは意を決して立ち上がる。
「行くのか?」
「うん。フォト、ありがとう」
リリィの目の前に、一条の光が差す。リリィはそこへと向かって歩き出した。
「どうやら答えを見つけた様だ」
すると、フォトの姿はぷつりと消えてなくなる。
だがそれをリリィが意識することなく、やがてミラージュフォレストを抜け出す事となる。
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