それはやってきた
それは一年に一度しか降らないと言われる、世界大災害の一つ。それが降り注ぐ場所が町や村であるならば最後、その原型を留める事はないと言われている。
「おいアリスどうした!」
「シュウよ! よくぞ戻ってくれた。実はの」
「結界を解けアリス。俺が片付ける」
「それはならん……今結界を解けば、魔物の侵入まで許してしまう」
苦渋の面持ちでアリスが言う。
「じゃあどうするんだ!」
シュウは怒りを含んだ口調で吐き散らした。
「そこでじゃ、ホヅミにリリィよ……不躾と知りつつも頼みがあるのじゃ。一時的に妾の力を解いて魔法を使える様にする。お主の魔法で、アルストロメリアを救ってはくれぬか?」
誠実で威光のある真っ直ぐな視線に貫かれた様で、ごくりと唾を飲み込むホヅミ。
断る理由もなかった。ここで活躍すればリリィの不評も減るかもしれない。ホヅミはアリスの依頼を
アリスの命の下、王国兵士達は王国民を地下牢へと避難させた後、部隊を編成していた。方々に散らばらせ、各々に対処に当たらせる様準備を整えている。その中核として
「空が……」
ホヅミは見上げてぽつりと零す。重たい暗雲が立ち込めた空。急な冷え込みに肌が
ふと暗雲に乱れが出来た。その乱れは亀裂を広げる様に大きくなっていき、そしてそれは姿を現した。
「
大雹はボール球の様な大きさかと思いきや、それは次第にこちらへと近づく程に大きさを増していく。見れば暗雲で他の所からも大雹と呼ばれる氷の塊は姿を現していた。
「リリィ、行くよ!」
「うん! ホヅミん!」
二人は空へと手をかざした。
「(リリィ、力借りるよ)
ホヅミは新たな技術を身につけていた。といっても普段の戦いではその技術もあまり必要はないのかもしれない。それは魔力の増大化だ。魔力を出す感覚を身につけることが出来たために派生した技術。以前よりも数倍は大きさな氷柱が出来ており、凡そドラム缶程の大きさだった。
「
リリィも新たな技術を身につけていた。今までは
二人の魔法は空から降りかかる大災害を粉々に砕き、溶かし、跳ね除けた。アルストロメリアの少ない人数ではこの大洪雹は防ぎ切る事は出来なかっただろう。それだけに多くの役割をホヅミとリリィは果たす事が出来たのであった。
綺麗に王国の周りを取り囲む様に氷の塊が積もった。氷の塊は運び出して貯水する画策を取るらしい。大洪雹が止んだので避難していた国民達は、出てきて氷の運び出し作業に移る事となった。その作業にはもちろん、シュウやホヅミにリリィが参加する事となる。たくさん魔法を使った後だからか、お腹を幾度も鳴らして氷を見詰めるリリィをホヅミは宥めて、何とか二人で重たい氷を貯水池へと運ぶ。その際にホヅミは気がかりな事があった。
「何であいつが」
「知らねぇよ」
奇異の視線をホヅミへと向けながらこそこそと話す者達がいた。よくよく見ればホヅミを避ける様にして皆作業に取り掛かっている。
(まぁ……うん、分かってた…………分かってたけどね)
魔物に対しての偏見は根強い。もちろん魔物の血を半分引いたリリィに対してもだ。その体を動かす自分はどうにも居た堪れない。ホヅミにとってはいつかを思い出す所業だった。
「シュウさんが手懐けたからだろう」
「そうよね。じゃなきゃ……」
するとホヅミの前にふらり、シュウが現れて二人は足を止める。氷を運び終えて次の氷を取りに行く所なのだろう。重たい氷を一人で運搬するのだからさすがの身体能力だとホヅミは感心する。ホヅミは
「ちっ」
何故か自身を見て舌打ちをするシュウに、困惑のホヅミである。
「しゅ、シュウさん。今回はお手柄でしたな。上手い事その魔物のハーフを使いこなして」
恐る恐る訊ねる一国民。けれどいかにも機嫌の悪そうに睨みで返すシュウ。それを傍目から見るホヅミの予想がつくところでは、今回出番がなかった事にでもイラついているのだろうか。
「……あの」
蛇に睨まれた蛙の様に動きが固まる一国民。
「てめぇふざけてんのか?」
「ひっ……そんな、何もふざけてなど」
おっかなびっくりに掌を前に出して慄く一国民に対して、シュウは向き直る。
「おい、聞けよてめぇら。俺はこいつに何一つ指図しちゃいねぇ。故にこいつは自分の意志でてめぇらの住まうこの王国を守ったんだ。次にこいつに向けて不平不満を言ってみやがれ。全て俺が言われたものだと思うから覚悟しろや!」
その怒号に萎縮した国民達はぴたりとこそこそ話を止めた。シュウがイラついていたのはどうやら出番云々ではないらしい。ホヅミに対して向けられている視線にだった様だ。
「お姉ちゃん!」
「わっ!? え、え?」
不意にホヅミは誰かにお尻に抱きつかれぎょっとする。前方に回された手は小さな子供の手だ。振り返ると小さな少年が自身に抱きついていた。
「お姉ちゃん、すっげぇかっこよかった! ありがとな! 」
お礼を言う少年は初めてアルストロメリアを度だった日にシュウに対して大きな口を叩いていた少年だ。ピンク色の小さな頬を上に持ち上げて、まるで星空の様な瞳でホヅミを見上げている。
「うん、どういたしまして」
ホヅミは笑顔で返すと、その笑顔と少年の行動に民衆がざわつく。どうにもやり切れない様子でいた。
それは一人の兵士による叫び声だった。
「敵襲だぁーっ!!」
シュウは血相を変えて一目散に入口への方へと走っていく。民衆達は皆顔色青く狼狽え始める。ホヅミとリリィは氷の塊から互いに顔を覗かせ合って頷くと、氷の塊を一旦地面に置いてシュウを追いかけていった。
とてつもなく禍々しい邪気を放ち歩いて向かってくるのは四体の魔物。一体は漆黒の衣装を纏い、兵士に近づくと、手を一払い。兵士の胸元は抉られて、地には扇状の血痕が出来る。そして剥き出しになった兵士の臓物の一つを魔物は鷲掴み、握り潰した。
「クリッシュ!!」
仲間の名を呼ぶ声も虚しく。魔物は怯える兵士を見てその鋭く尖った歯列を剥き出しに嘲笑して見せた。それには兵士達も身震いで攻撃に転じる事が出来なくなる。
「てっめぇぇえええ!!!!」
兵士達の背後から突っ切って来たのはシュウ。拳を構えて魔物に向かって腕を振り抜いた。
「おや? あなたは確か」
魔物はシュウの腕をいとも簡単にいなして攻撃を躱す。
「これ程の力……あの時には見せませんでしたねぇ」
「黙りやがれクソ緑野郎」
二撃、三撃と拳を繰り出すが、シュウの攻撃は完全に見切られている様で、全て躱されてしまう。
「力はある様ですが、その様な単調な動きでは簡単に読まれてしまいますよ」
思い出されるのはエピルカ邸でのメイドとの戦闘。培ってきた格闘技術の差。荒くれ者のシュウには、カラナはメイドと同様に勝てない相手なのかもしれない。
「くっ!」
シュウはこのまま攻撃を続けても
「王女! やはりいらっしゃったのですね。先程多大な魔力反応がありましたので来てみましたが大当たりでした。今まで魔力反応を途絶えさせていたので心配していたのですよ」
「お前は………カラナ!! しつこいなもう!」
カラナは三体の魔物を引き連れて訪れていた。他二体は以前ホヅミが倒したのと同じ様な骸骨の魔物。そしてもう一体は半人半魔の異形だった。だがその異形の顔は、ホヅミには見覚えのある顔であった。それにはホヅミも背筋が凍りつく程であり、目をぱちくりと開いては閉じ、開いては閉じと繰り返し、グローブで目を擦る。しかし目にしている事実は変わらない。
「よぉ穂積……お前をぶっ殺しに来たぜ」
異形の半分は紛れもない、高橋の姿だった。
緊迫した空間に、一筋の風が吹き抜ける。シュウは鬼気迫る表情で、リリィは呆れ顔でカラナを睨みつける。けれどホヅミは、ホヅミだけは一体の異形から目を離す事が出来ないでいた。蘇る恐怖。今にでも自我を失ってしまいそうなホヅミだ。
「どうして……高橋君がここに」
「あ? 誰だお前。何で俺を知ってんだよ。俺が用があるのはそっちの奴だよ」
振られたリリィはきょとんとしてホヅミの方を見やった。
「ホヅミん、あれ知り合い?」
「え? ………その………」
暗くなった表情で
「あ? 何がどうなってんだ? あっちが穂積の野郎だろ? カラナさん。どういう事すか?」
カラナもやり取りの様子を見て、違和感を抱いている様だった。
「もしかすると……もしかするかもしれませんねぇ。一度確かめてみますか」
言うとカラナは躊躇いなくホヅミ達の元に向かって歩く。警戒する三人。
「さて……"どなたかの"を見せていただきましょうか」
五メートル、四メートル、三メートル、と近づいてきた所でシュウは足で地面を軽く抉って砂煙を上げた。カラナがそれに怯んでいるところをシュウは攻めかかる。
「
しかしカラナは砂煙の入った目を右手で擦りながら、左手の一払いでシュウの拳を簡単にいなしてしまう。
「ではあなたのを見させていただきましょう。その力も気になりますし」
カラナは左手でシュウの首を鷲掴みにして体を持ち上げた。
「離し……やがれ……」
「おっと、暴れないで下さい。あなたの首が折れますよ?」
抵抗出来ずに苦悶を浮かべるシュウを、砂の取れた目で厭らしく見詰め、右手をシュウの額へと持っていく。
「
シュウの頭には今までの記憶が走馬灯の様に駆け巡る。
「なるほどなるほど……そういう事だったんですか」
カラナは右手を下げると、シュウを横に投げ飛ばした。
「そんな………シュウさんが」
「アルストロメリアはもう……終わりなのか?」
戦意喪失する兵士達。それを尻目にカラナはホヅミとリリィの二人を見比べてにやりと口角を上げる。
「王女と入れ替わっているのですか……ならば話は早い。用があるのは王女の体です。体の方だけいただきましょう」
カラナは後退っていくと交代で骸骨の騎士二体が前に出てきた。長剣と小さな盾を装備している。
「無駄だよ! ホヅミんには浄化魔法の力がある」
「ユウジ! 事情は分かりましたね? どうやら王女の体の方に、あなたの目的である穂積さんが入っている様です」
骸骨の後ろから半人半魔の異形は歩み寄ってくる。
「つまりどうしたらいいんすか?」
「殺さない程度に痛めつけてください」
カラナは後ろへと下がって、ホヅミとリリィの前には半人半魔の異形と骸骨が立ちはだかる。
「元よりそれがしたかったんだ」
「(ホヅミんを守らなきゃ!)
「おっと」
リリィから放たれる巨大な火炎は躱されて、代わりに骸骨を包み込む。けれど骸骨には火炎魔法は通用しない。
「
「
直撃するリリィの魔法。だが次の瞬間、リリィのお腹に埋められた拳は、ユウジのものだった。
「ぐはぁっ!?!?」
防御なく、物凄い力によって捌けられるリリィ。シュウの元まで吹っ飛んでいく。口からたくさんの液が溢れ出て、息が出来ずにその場で
「お前うぜぇよ」
「リリィ!」
ホヅミはリリィの元に駆け寄ろうとするが、ユウジによって胸ぐらを捕まれてしまう。
「よぉ穂積。てめぇ女の体になっていよいよ気持ち悪くなったじゃねぇの」
「っ………」
体を易々と片腕で持ち上げられるホヅミ。その尻目にはリリィとシュウの元へと向かう骸骨の姿があった。早く助けなければと心が逸る。
「何余所見してんだよ。こっち見やがれ、オカマ野郎!」
「ぐあああああ!」
ユウジはリリィ達のいる反対側の二の腕を握り締める。ホヅミの悲鳴を聞いて嬉しそうに、次第に力を強めていく。
「ああああああっ!!!」
モキュリ!!
ホヅミの左腕は握り潰され不快な音を、ユウジには愉快な音を奏でた。
「痛い……痛いよぉ……」
耐え難い痛みに声がか細くなる。
「はははっ! 泣けよ泣けよ。お前の涙が俺の心を満たすんだぜ? 最高だよ」
するとユウジは腕を組み替えて、今度はホヅミの右の二の腕を握り始めた。
「ひひっ、こっちの腕も潰してやるよ」
「うああああ!!!」
悲痛な叫びが地を駆け巡る。その声に兵士達は涙を流し、カラナとユウジは喜びの表情を浮かべた。
「やめやがれぇぇえええ!!!」
カラナの魔法の影響で気絶していたシュウが目を覚まして、ユウジの元へと駆ける。
「おっと、手出しはさせませんよ。
「なっ!」
地を蹴る速度が急激に落ち、シュウはバランスを崩して転げてしまう。
「何だと……魔物のお前が……結界魔法?」
シュウは結界の中では固有能力
「記憶で覗かせてもらいましたよ。あなたの力は結界内では使えないんですね」
「クソッタレ! ……おいホヅミ! 魔法だ! 魔法を使え!」
ホヅミはシュウの叫び声を聞いて、忘れていた事を思い出したかの様に、右掌をユウジにかざす。
「気をつけなさいユウジ! 入れ替わっているとはいえ王女の体です。魔力は人とはかけ離れている!」
「分かってますよ(要は魔法を唱えさせなきゃ良いんだろ)」
ユウジはホヅミの口元を見詰める。魔法が唱えられるその直前。ユウジはホヅミの唇を奪った。絡めつく舌の感触。意識を根こそぎ持っていかれそうになる感覚。呼び起こる恐怖の記憶。魔法は唱える間もなく遮られた。
「
シュウの魔法は手元に空間の裂け目を作る。繋げた先は異形の側面。シュウは力を込めて思い切り殴りにかかった。しかし拳はユウジの頬に当たれど、びくともしない。やはり素の力では、半人半魔と化したユウジにはダメージを与える事が出来ない様で、シュウは苦渋する。
「何だよ……あいつの仕業か? 邪魔すんなよな」
「ホヅミ今だ! 魔法だ!」
空間の裂け目はユウジの手出しを遮る様に閉じた。そしてホヅミはシュウの叫びを聞いて気を取り直し、魔法の言葉を言いかける。
「
「させねぇ」
再びユウジはホヅミの唇に口を添えた。けれどホヅミはそのまま魔法を唱え続けた。心の中で。
(
だがそれはしてはいけない禁断の手法であった。魔法は本人の意思と本人の言霊によって初めて魔力が形を作るものである。ホヅミはその事を忘れてしまっていた。
魔法の暴走。特にホヅミの特大な魔力は、
ゴゴゴゴゴ!!
降り注ぐ雹にその場にいる全員の意識が空へと移る。
シュウは蹲るリリィを抱えて雹を避ける。慌てふためく骸骨は地盤の崩れに足元を掬われてそのまま落下していく。また、シュウの足元も崩れ始めて落下の一途を辿る。
「これだから王女の魔力は」
あのカラナまでもがホヅミの魔法によって翻弄され、崩れゆく地面と共に下へと落下する。
「ここだ!
シュウはカラナが宙に浮いたその瞬間を見逃さなかった。落下するカラナの背後に空間の裂け目を生み出し、カラナを異地へと飛ばしてしまう。
地盤は崩れ、地の深い底へと誘われるシュウとリリィ。
こうしてカラナの脅威は一旦なくなった。だが地盤の落下によってリリィとシュウ、ホヅミとユウジで完全に分かれてしまっていた。
シュウとリリィの落ちたそこは暗い地下空洞。粉々に積み重なった地盤は不安定だ。その隙間から漏れる太陽光が頼りになっている。
「ここは………わっ!? シュウ! シュウ大丈夫!?」
気絶から目を覚ますリリィ。目の前には自身に覆い被さる様にシュウがいた。
「くっ……やっと起きやがったかよ」
リリィは辺りを見回した。落ちてきた箇所は地盤の崩れにより塞がれている。所々から漏れる光が立ち上る土煙を彩っていた。
どうも骸骨達は地盤の崩れに巻き込まれてお陀仏らしい。岩と岩の隙間から罅の入った骨の先端が飛び出ている。
「そうだ! ホヅミんを、ホヅミんを助けないとっ。どいてシュウ」
だがシュウは動く気配がない。
「どうしたのシュウ? 早く助けに行かないと」
どうもシュウの様子がおかしい。覆い被さったままでぴくりとも動こうとしないのだ。
「いったいどうしたの? ……ん? なんで岩盤なんか背負ってるの?」
見るとシュウは大きな岩盤を背負っていた。それでいて額に汗をかきながら、何かをぐっと堪えている様だ。
「……見て分からねぇとはこの事だな……動けねぇんだよ」
「動けない? ……………はっ?!」
リリィは気づく。岩盤越しに突き立ち聳える、ホヅミの生み出した氷柱を。その氷柱は貫通し、リリィのお腹すれすれの所で止まっている。
「まさか……ボクを守るために!?」
地盤が落下する直後、シュウは落下の衝撃を緩和すべく、無理な体勢で下敷きになる事を選んでいた。ただそれは、リリィを守るために行った事であり、自己犠牲に等しい。更にはその背中で降り注ぐ落石やホヅミの魔法の暴走による氷柱を防いでいたのだ。
「良いから早く何とかしてくれ」
「わわ分かったっ!!」
一方その頃、地上に残ったホヅミとユウジ。兵士達はホヅミの魔法の巻き添えを恐れて一目散に王国へと避難して行ったのだった。
「マジ危ねぇ。熱魔法で溶けねぇのかあの氷」
ユウジも強大な魔法に驚いてホヅミを突き飛ばし回避に専念していた。そして大洪雹に次ぐホヅミの魔法が止むと、ユウジは再びホヅミの元へと歩み寄っていく。ホヅミは左腕を抑えて苦しそうに俯いていた。
「なぁ穂積。俺さ、ずっと思ってたんだよな。人で遊びたいって」
「ひぃっ」
ユウジの声に反応を示して、ホヅミは顰めっ面で見上げる。半魔体のせいか、それはこの異世界に訪れる前より一層に、恐ろしく邪悪に微笑んでいた。
「
ユウジの腕を目に見えない何かが纏う。ホヅミには認識出来なかったが、何か危険なものである事は感じられた。
ユウジは腕を振り下ろす。するとホヅミの衣服は裂ける。そして徐々に感ずる下腹部の痛み。血が腰巻きにまで滲みホヅミを苦しめた。
「ぐああああっ!」
「ははははっ! 苦しそうにしてる所が堪らねぇ。さすが俺のサンドバック」
二振り目。跪く太ももを横一文字に切り裂く。複数の激痛がホヅミを狂おしく攻める。
「ああっ!」
「はははは! 最高だ。持っと泣け、持っと喚け!」
それからもユウジは何度も腕を振り下ろし、その度にホヅミの体に傷が刻まれていく。致命傷にならない程度な弱加減で、ホヅミをじわじわといたぶるユウジ。次第にホヅミの意識は朦朧とし始めていた。全身の痛みのあまりに気絶まであともう一歩といったところだろう。
「おい、何寝てんだこらっ!」
「ぐはっ!?」
ひとしきり切り刻んだ後、ユウジはホヅミのお腹に蹴りを入れる。
いっそ気を失ってしまえばどんなに楽だろうか、ホヅミは自身の血によって汚れた地面を眺めながらそう思っていた。
ドゴォォンン!
その時、空気を破裂させる程の破砕音が轟く。
「ホヅミぃーっ!」
「ホヅミん!!」
先程地盤の崩壊があった箇所から現れたのはシュウとリリィだった。リリィはシュウに背負ってもらっている。
「あ? ちっ、んだよ良いところなのによぉ……ていうか、カラナさんはどこいったんだ?」
ユウジは辺りを見回してもカラナの姿が見当たらない事に疑問を抱く。そしてその僅かな時間で、シュウは地面を蹴ってあっという間にホヅミの元へと辿り着いた。
「ホヅミん! そんな。どうしてこんな………お前か! お前がホヅミんを!!」
震えるほどに腹を立てたリリィ。後先を考えずにユウジへと殴りかかろうとする。
「待て! お前の力じゃ通用しないだろ! それよりもホヅミの治療を」
「うん、そうだったね……
リリィの治療が始まる。それを確認したホヅミは、痛みがまだ治まってもいないにも関わらず安らかな表情をする。リリィはそんなホヅミを憂い、懸命に回復魔法に専念した。
「何だよつまらねぇ。何で治すんだよ」
ユウジは不満気に口を尖らせる。
「てめぇ、覚悟は出来てんのか?」
「あ? 何だよ覚悟って……え? もしかして怒ってんの? 何で? …………あ、そっか。お前ら知らねぇのか。だったら教えてやるよ。そいつさ、オカマなんだぜ?」
しれっとした態度でにやけるユウジを見たシュウの眉間には皺が寄る。
「うるせぇんだよタコ!」
ボコォオオオオオ!
シュウの渾身の一撃は無防備なユウジの腹に収まり、生々しい骨の折れる音を幾多にも鳴らして、体を一直線に吹っ飛ばす。
「ぐはっ! がはっ! げはっ! ごはっ!」
その勢いは止まる事無く、ユウジはどこまでもどこまでも遠くへと飛ばされていってしまう。やがてはその嗚咽すらも届かない遠い地まで、ユウジは飛ばされるのだった。
リリィの治療が終わると、ホヅミは先程までの痛みが嘘の様で一安心する。けれど体中を見渡せば衣服がもう使い物にならないくらいにボロボロだった。その事についてはホヅミはリリィに謝罪をする。しかしリリィは怒るどころかホヅミの身を一番に案じていたので、ホヅミが無事である事に喜びの感情を振り撒いていた。
「あの……さっき……高橋君が言ってた事なんだけど……」
ユウジが吹っ飛ばされる直前に言っていた言葉。それはもちろんシュウの耳にも入っただろう。それがあって、ホヅミは気まずい気持ちだ。
「実は……」
ホヅミはシュウに事実を話した。性同一性障害である事を。性同一性障害とは何なのかを。
シュウがどんな答えを返そうとも、自分がどんな目に逢おうとも構わない。自分の運命は、ここで決まる。
「まあ……」
さすがのシュウもいつもの様に怒った口調で流暢に返す事はしなかった。ただそれだけに、ホヅミの肝は冷える。
「別に……」
シュウの言葉を待つ中で、ホヅミの心臓の鼓動は早くなる。いっそ首切り台の様に一瞬にして切り落としてくれと言わんばかりに、心で早く終わってくれと連呼する。
「つかよ、お前と初めて会った時、お前女子の制服着てたじゃねーの? んで風呂の一件もあるし、言われなくても分かってたよ」
しまったとホヅミは自身の抜かりに気づく。だがシュウはその事を初めから分かっていて今まで自身に接してきたのかと思うと、ホヅミは不思議な面持ちだ。
「気持ち悪くないの?」
「んなわけねぇ」
そう言うシュウはいつもと同じ様にへの字顔だ。そんなシュウに安堵するホヅミ。
「そっか、ありがとう」
にこり笑って見せると、シュウは背中を向ける。気になって少しだけ覗いてみると、
「それにしてもこの服、ボロボロになっちゃった。ごめんねリリィ」
ユウジのおかげで服の至る所が血に染まってるわ裂けているわで散々だ。
「いいよいいよ。後で洋服買いに行こ」
「うん」
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