♯27 届かなくてもそこにある空


 ドン、と遠くで太鼓が鳴る。

 寝起きの倦怠感に包まれたまま前を見れば、目に入ってくるのは緩み切った柚希の顔だ。やっぱり睫毛が長いな、とぼんやり見ていると、障子の外の空がすっかり暗くなっていることに気がついた。

 身を起こすか迷う。腕の中の温もりを離したくない。それに、少し撫でる程度ならともかく、体を起こせばきっと柚希は起きるだろう。それはなんとなく嫌だった。

 どうしようか。

 悩んでいるような、悩んでいないような。このままダラダラと、腹が減るまで過ごしていたい。そんな気持ちに流されつていると、思ったより時間が経っていたようで。

 締めの太鼓が鳴ったのを聞き流し、そのままボーっとしていると、鈴の音が近づいてくる。

 いかにも陽気というか、元気な人なのが伝わってくる。巫女鈴はそこまで元気になるような音ではなかったはずだから、よっぽど跳ねながら動いているのだろう。

 その主の足音は、今いる部屋の前で止まる。

 まさか、と思うも束の間。


「どーこだっけ、どこだっけ。ここかなっと」


 陽気な声と共に扉が容赦なく開かれた。


「あ、見つけた。中野さんは……寝てるみたいだね。鳴くんは起きてるー?」

「……」


 百瀬唯。既に帰ったはずの小宮と仲が良かったやつ。なにを言われるか分からないから、今は背を向けているのをいいことに寝たフリを決め込む。


「起きてるでしょ」


 なんでわかる。


「まあいいや、疲れてるだろうしそのまま聞いてね。聞いてなくても私は言ったからね」


 それは言っていないことになる可能性も当然生んでいる気がするけど、大丈夫なのか。


「とりあえず星拾祭は終わったよ。儀式は無事終了、神様が疲れていそうな気はするけど島は無事。一年後までは不安逢があるけどたぶん大丈夫だって」


 それは良かった。これだけ頑張ってダメでした、と言われたらどうしようもない。少なくとも俺と柚希ができることはしたはずだから、それが実ったのは素直に嬉しい。


「柚希さんと鳴くんが疲れているのはみんな知っているから、二人が寝ている間の時間とかは頑張ってなんとかしたよ。とは言っても最後の儀式だけだったし、特に苦労することもなかったけど。巫女役は私が代わりにやったから安心してね」


 最後の儀式の間は神社の篝火以外は室外で火を焚くことは無い。時間に関しても、夕暮れごろから始まっていれば問題ないという程度の時間管理のはず。唯が代わりに巫女をやったというのなら本当に問題はなかったのだろう。

 僅かに安堵したその瞬間を狙って体勢を崩された。腕を控えめに引かれ、仰向けにされる。


「やっぱ起きてるじゃん」

「お前な……」

「しかも目開けて柚希さんの顔ガン見してるとかエッチ。こんな人と一緒にいると襲われるよ、って注意しとかなきゃ」

「たぶんそう言うと喜ぶぞ」

「……」

「いて、痛いって、抓るなバカ」


 寝ている人の横という、声を出したり暴れられない場所で攻撃するのは人のやることではないと思う。しかも絶妙に痛い場所を少しだけ爪を立てているもんだからなかなかに効くのだ。


「鳴くん、私今ね、見ての通り巫女さんの服を着ているんだけどさ」

「ん?」

「見惚れた? 可愛い?」

「……」

「そこは嘘でも可愛いよって言うところでしょうが。っていうところまで含めて分かっていてスルーしていそうだよね、鳴くんは……。そういうところはちょっとだけ嫌いかも。そのおかげで助かってることも多いけどね」


 時計屋の一番の仕事は魂珠時計を直すこと。そしてそのために必要なのは、話を聞いたり合わせたりできるだけのコミュニケーション能力と人を見る力だ。

 鶴屋は不愛想か、と聞かれたら島の人の大半が「そんなことないよ。最初のうちは私もそう思ったけど」と答えるだろう。それもそのはず、鶴屋はどんな人かを把握したうえでゆっくりとその人に最適な態度に変えていくのだから。

 あまり慣れ合いたくないと思っている人には積極的に話しかけないが、向こうからは話を振りやすいように動く。

 反対になにか聞いてほしいことがある人や、単純に話し好きに対しては物凄く丁寧に受け答えを続ける。常に一番良い対応をするのが鶴屋鳴という時計屋なのだ。

 唯だって何度も話を聞いてもらったし、相談して解決してもらったこともある。言わなくても困っていたら助けてくれるし、時計を直しに行けばいつだって受け入れてくれる。

 それだけちゃんと人を見て動く人が、たとえ寝ていて、柚希の前ではその職業病を止めてしまうのだ。まるでそれが最優先だと言わんばかりに。

 嫉妬しても仕方ないだろう。意地悪だってしたくなる。


「いいよ、怒ってるわけでも嫌なわけでもないから。私が本当に言ってほしいときは言ってくれるでしょ? それで十分だよ」

「すまん」

「はいはい。じゃあ行くね。まだしばらくこの部屋使っていいし、お夕飯出来たら呼びに来るから」


 一瞬立ち上がろうとして、屈み直す。


「そうだ、伝言を伝え忘れてた」

「伝言? 誰からだ」

「さあね。とりあえず心して聴くこと」


 ん、ん、と喉を整え、満面の笑顔で、


「ばーか!」


 と言い捨てていった。

 返答は求めていないあたり本当に伝言だったのだろう。本人の意思がそこに介在しているのかどうかは、なんとなくわかりはするけど、神のみぞ知るということにしておく。

 去っていく足音を聞きつつ姿勢を元に戻す。

 会話の間も小さな寝息を立てたままだった柚希を腕の中に納め直し、一息ついた。どこの誰かは分からないが、バカとまで言わなくてもいいだろうに。

 柚希が起きるまで撫でるのを再開しようか、と思ったところで、またもや腕を控えめに引かれた。今度は前から、逃がさないように捕獲までされている。


「見惚れたの?」

「……起きてたのか」

「質問で返さないの。鳴、見惚れたの?」

「見惚れてないよ」


 意地悪な微笑みに負けないように言い返す。からかいなのは分かっているし、特に痛い腹もないけど、ついついどこかやましいような気持ちになってしまうのはなぜだろう。


「体調は?」

「良好だよ。まだ少し怠いけど、動けない程じゃないかな」

「それは良かった。何かあったらすぐに言ってくれ」


 傷ができる類の体調不良ではないとはいえ、その原因になっているものは病気より不可解でどうしたら良いか分かりにくいものだ。本当に大丈夫なのかはこれからもゆっくり確認しないといけないだろう。

 ただ、翼が生えたり消えるのはだいぶ辛いらしいし、そうでなくともこれだけ荒れた儀式の中核にいたのだ。心配をしてもしすぎなことは無いはず。


「ご飯ができたら呼んでもらえるらしい。それまで休もうか」

「うん。私がいない間のこと、色々教えてね」


 お互いが離れている間になにがあったのか。分かる範囲で、なんとなく話す。とりとめのない会話をダラダラと、気が済むまで。

 この時間がすごく幸せだった。



 ……そんなわけで。

 一部、ひびが入った時や徘徊者が暴れた時の痕跡などで荒れてはいるものの、世界はおおよそ元の姿を取り戻した。

 空に浮かぶ島では、今日も誰かがやってきて旅館に泊まる。忙しく働く人もいれば、良い景色を肴に酒を楽しむ人もいる。

 儀式によって安定したおかげで浮島もほとんどが本島に一時的に戻った。鳴たちの通う学校のような大きな浮島こそそのまま浮かんではいるものの、それ以外は元の形に。

 また一年間かけて少しずつバランスが崩れ、浮かんでいくのだろう。

 忙しく従業員たちが働く声が聞こえる。団体の旅客を必死に捌いているのだろう。

 そんな慌ただしさの坩堝の隣で、正反対に凪いでいたのは時計屋。

 鶴屋は一応店主のカウンターに座っているものの、その視線は一瞬たりとも店内に向かず手元に注がれている。

 あの一件で、島民ほとんど全員の魂珠時計が止まった。調整自体は星拾祭前と変えなくて良い人の時計も、部品が負荷なんかですっかり傷んでいる人しかいない。

 そのせいで鶴屋はずっと時計の修復作業に追われていた。

 金属の音以外は、置時計が時間を刻む音だけ。居心地が良いような、慣れていないと怖いような。聞き慣れているから安心するのだろうか。

 そう思いつつ作業をしていると、店の扉が勢いよく開かれた。


「鳴くん、いるー?」

「いるぞ」


 顔を出したのは唯と、その友達二人。同じく活発そうな子が一人と、少し控えめそうな子が一人だ。仲はとても良いようで距離はとても近い。


「作業中だった?」

「いや、大丈夫だ。そこまで急ぎではないから用事は聞ける」

「良かったー。とは言っても私じゃないんだけどね」


 ほら、と軽く背を押されて出てきたのはおとなしそうな子。おずおずと時計を差し出してくる。たしかだいぶ前に調整した時以来の、簡素な時計だ。


「これを、可愛くしてほしいんです!」


 その、頑張ったのだろう一言と共に時計を受け取る。


「よろこんで」


 友達だというその三人のなかで、その子だけが時計をほとんど弄ってないらしい。これまではなんとなく遠慮して依頼していなかったが、今回の件で時計を直してもらうついでに可愛くして欲しいのだとか。

 そういう願いは意外と多い。姦しくどんな風にするか話し合い始めた三人を尻目に、装飾用のパーツを取り出してカウンターに並べていく。

 ……アイツが空を羨んだように、空を羨む人がいる。海を望む人がいれば、たぶん俺の知らないような悩みを持っている人もいる。それぞれで折り合いをつけているんだと思う。

 そこまで熱中する物との出会いは、まだ、無い。

 ただ、いつかは出会いたい。そう思った。


「鳴くん、お任せでもいいの?」

「もちろん。お揃いになるようにもできるぞ」


 アイツが見ているか、今も飛びたいと思っているのかは分からないけど。

 窓から見える空は、どこまでも青くて綺麗だった。

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