♯23 願いが叶うなら
今日になってから十六回目の鐘が鳴る。
珍しく時間と空模様が重なり、世界は完全に夕暮れ時。篝火も建物の明かりもほとんどない、緋色と影だけの時間だ。
神社は柚希さんの結晶に阻まれていて使えない。だから、神社の階段下にある広場に儀式の準備がされている。星拾祭初日には屋台が並び、人で完全に埋め尽くされていたところだ。
松明を持って見物をする人の輪に囲まれて唯ちゃんが目を閉じている。
柚希さんの時のような小声は少しも聞こえてこない。炎が風に揺れる音だけが鳴っている。いかにも儀式の前、という雰囲気だ。
太鼓の音が鳴る。
「星を、ここに」
表情を引き締めた唯ちゃんがそう告げると、道の中心を通って籠神輿二基が現れた。私があれやこれやとしている間に旅館の人や住人たちが島中を駆け回って集めてきたのだろう。
ただ、本格的な星が降る時間はとっくに終わっているし、地面にある星も大きなもの以外は輝きを失っているらしい。島の住民たちへの通達や動ける時間も短かったせいもあって、籠の中にはあまり星は貯まっていなかった。
それでもギリギリ量は足りているから、ということで儀式は進んでいく。
太鼓が鳴る。昨日の時とは違う、神楽舞のための雅楽が奏でられ、それに合わせて唯ちゃんが舞いを始めた。
慣れてきていた空間の歪みが僅かに音を立てて軋む。
「……みなさん、注意してください! 恐らく昨晩の怪物たちが来ます!」
その言葉を聞いてみんなが松明を構えなおした。
灯りに弱いことが分かっている。なにより今はまだ夕暮れ時で日の光があるのだ。松明を持ってみんなで固まっていれば大丈夫なはず。
そう心の中で唱えて、みんなで儀式を見守る。
時間が歪む。世界が歪む。風が荒れ、空間が歪んでいく。
石畳や空が軋む音を聞きながらそれでも舞いを見守っていると、積まれていた星たちが少しだけ輝きを増したのが分かった。
「ちょっと減った?」
星が輝きを増して、その後に少しだけ嵩が減ったように見える。光る蜜のようになった星たちが籠の中で揺れ、僅かに色を混ぜ合わせ合いながら神社の方へと吸い込まれていく。
星の奉納はこうやるんだ。なんか、ファンタジーアニメのワンシーンみたい。
昨晩よりはだいぶ少ないものの、ナニカたちが現れて広場を囲んでいる。さんざん見た青白い炎が揺れ、島の人たちを狙っているように見えた。
その炎たちは昨晩のように手を出せないことがわかると集合を始める。ただ寄り集まるだけではなく、その炎を合わせ、存在そのものを大きくしていった。
見えない手足で茂みや樹が次々と倒され始める。しかも、神様の力が弱くなっているせいか、ナニカたちの力も強くなっているようで。
大きなソレがゆっくりと顔を上げて、
「Aaaaaaaaaaaa!!」
と咆哮を上げる。
耳を劈くその声は、石畳を揺らし、世界にダメージを与えている。心なしか建物の隙間なんかも歪んでいるように見えた。
続いて振り下ろされた見えない拳が。
世界の大事な基盤に、甚大なダメージを与えたのが分かった。
「これ、かなりヤバいんじゃ……⁉」
「島の端が崩れてます!」
誰かの悲鳴のような声に反応して、神楽舞をしている人以外の全員が島の外縁の方向に視線を向ける。
島の外側、世界の端。
上の空と下の空の境界に罅が入り、いたるところから粒子を散らして虚空に溶けている。少しずつ無くなって、青白い炎へと姿を変えていく。
変化した青炎は、ナニカたちの元に集い、その火力を増した。
「どうしたらいいんだこれは⁉」
「とにかく街の外縁にいるやつは逃げろ! できるだけ島の中心の方に集まれ!」
「松明を忘れるな!」
怒号のようなものが鳴り響き、下の方にある街へと伝わっていく。
あくまでまだ世界の崩壊は島の外側の何もない場所、上下に空がある場所だけ。島尾土地に崩壊が届くまではまだ時間がかかるはず。その間にこの事態をどうにかしないといけないのだが、その方法が分からない。
用意されていた予備の松明や薪に火が灯され、何人かで即席の組を組んで街中に人が散らばっていく。島の外縁地域に住んでいる、起きていない人や子ども、老いた人たちを呼びに行ったらしい。
明らかに凶暴化したナニカ。この世界の人たちが徘徊者と呼ぶそれが蠢く中を、炎を振りかざして駆け抜けていく。
「私は鶴屋のところに行きます! 唯ちゃんたちは……」
「一番明るくしておくから大丈夫なはずよ。そうでなくても、非常時にはちゃんと動けるように人は残すわ!」
その言葉を受けて安心した。松明を数本に火を焚き続けるための薪もそれなりの数を貰って走り出す。
「この儀式が完遂できれば神様は少しだけ力を取り戻せるはずだ。それまでなんとか我々は堪えないといけない……!」
そうだ。この状況を乗り切るには堪えきるしかない。そのために、それぞれが己の思いつく限りの知り合いや大切な人を助けに行く。そのために、どれだけ辛くても、お互いを信じてこの場を離れていった。
鶴屋もどうせあの時計塔にいるままなのだろう。この儀式の開始も時計塔の鐘の音に合わせている。絶叫が聞こえようが、世界を揺るがす震撃を感じようが、自分の仕事を果たすためにあの小部屋にいるはず。
安全な場所まで連れ出さないといけない。もし拒否されても、儀式が完遂するまでの時間を堪えきれるくらいの火を焚ける薪は届けないといけない。
そこいらじゅうから怨嗟の声と視線を感じながら息を切らして走り続ける。
「奏ちゃん!」
茂みから声がした。
がさり、と出てきたのはこの数日で見慣れた顔。軽薄な笑顔を張り付けたままの室谷さんが、私にゆっくりと近づいてくる。
「……どうしたんですか? 松明も持っていないですし、危ないですよ」
「ああ、松明ね。さっき燃え尽きちゃって」
いやー、熱かったなぁ、なんて頭を掻いて笑っている。
ただ、その背にはあるはずの翼が無く。明かりのある場所を避けるように、フラフラと歩きながら近づいてくる。
努めて笑顔で友好的に。速くなる鼓動を抑えつけて、全力で「いい子の小宮奏」を演じる。
「ないと困るから、その松明、くれないかな?」
「そうですね」
きゅ、と松明を握った手に力を込める。
左腕で抱えていた篝火用の薪束から一本取り出して火を移す。ありがたいことにすぐ日は燃え移り、パチパチと火花を散らせた。
それを、室谷さんの足元に放り投げる。
「……どういうことかな。なにかしたっけ、俺」
「そうやって光を避けるのが何よりの理由でしょう?」
室谷さんの姿を借りたナニカが足を止める。
その隙を見逃さず、私は再び全速力で駆け出した。
「あっ、クソが!」
虚を突かれて飛び出た罵声と共に、室谷さんの姿だったモノが輪郭を溶かす。徘徊者の中では珍しく朧気に輪郭すらあるそいつはたぶん、鶴屋が言っていた知性があるタイプの徘徊者なのだろう。
演技を練習していて良かった。たぶん、最初から警戒をしていたらあっさり捕まっている。すぐにこっちに走り出せるようにしていたアイツを火のついた薪で牽制できなかったらダメだった。
偽室谷さんはわりとすぐに諦めてくれたようで。背後から迫る気配は消え、後ろには誰の姿もない。
焦っていたせいで乱れた呼吸を整える。
翼があるのに、飛べる世界に来たのに、私は走ってばっかりだ。こんなに綺麗で休めそうな世界に来たのに、やっているのはお仕事と元の世界ですらほとんどしたことのない全力疾走。変なことをしているなぁ、なんてどこか冷静な頭の片隅で考える。
頑張って時計塔を登り切り、ボロの扉を叩く。
「鶴屋、起きてる? 大丈夫?」
「何者だ」
「何者って……私だけど。小宮奏」
困惑しつつそこまで言ってから思い出した。
そうだ、鶴屋は徘徊者に会ったことがあるんだ。しかも、炎だけで姿がないやつではなく、知性があって人を騙そうとする徘徊者に。これだけ揺らいでいる世界で扉越しに話しかけられれば警戒して当然だろう。
人である証明をするために、松明と一緒に魂珠時計を差し出す。
「これで証明できるかわかんないんだけど……どうかな?」
「入っていいぞ」
「はーい」
一応私の方も警戒して、松明を先に入れつつ扉を開ける。
中には、高所と天気変動のせいで寒くて震えている鶴屋の姿がある。鶴屋の方も、ちゃんと徘徊者でないことを証明するために魂珠時計を見せている。
その様子を見て安心したやら、呆れるやら。さっさと予備の松明に火をつけて手渡してあげれば、ありがたそうに震える手で受け取ってくれた。
「なんでまだいるの」
「仕事だからだよ。時計屋だからな、俺は」
「ばーかばーか。ワーカーホリック」
「お前に暴言を言われると腹が立つな」
どれだけ否定しようとしたって、その言い訳でこんな部屋にずっといるのはバカのやることだと思う。頭が固い、でもいいかもしれない。
ツッコミの言葉はいったん飲み込んで、現状を説明する。
青炎のナニカ……徘徊者の巨大なやつが出てきたこと。そいつの咆哮と拳のせいで、本格的に世界が崩れ始めていること。島の端から崩れているから、そこから逃げるためにみんなで広場に避難をしていること。
「だから鶴屋も逃げよ。ここまで崩壊が来るかは分かんないけど、端に近いでしょ、ここ」
「時間を告げるのはどうするつもりだ?」
「鶴屋がいるなら今は何時です、って言えばいいだけでしょ。寝不足で頭動いてないの?」
むすっとした顔されても。実際に顔はむくんでいるし、明らかに頭が動いていないことしか言ってない。絶対に私が座布団とか持ってきた後もほとんど寝ていないでしょこれ。
「直す手段の見当は?」
「ついたよ。今夜を乗り切れたらどうにかなるはず。あと、それで元の世界に帰れるかも」
「ちゃんと見つけたんだな」
そこで、一瞬思案顔になって、
「じゃあ早めの報酬でも渡そうか?」
「報酬?」
「忘れたのか? ちゃんと帰れそうになったら飛ばせてやるって言っただろ」
……そっか。そのために頑張っていたんだっけ。
「でもどこに飛ぶの? そこまで余裕とか無いと思うけど」
「神社の近くの広場まで行くんだろ。ここからなら歩いていくより飛んでいく方が安全なはずだ。少なくとも、徘徊者が空を飛んだ話は聞いたことがない」
「寝不足で危なかったりとか……」
「何年柚希を運んできたと思っているんだ。ここからあの広場まで飛ぶくらいなら三徹していてもできるに決まっている」
「それは流石に無理だし三徹しようとすんな」
たぶん必要に駆られたら平気な顔でやりそうだから釘を刺しておく。しょうがないだろ、とか言ってコイツならやりかねない。
「じゃあ、行くか」
ひざ掛けと座布団を置いて、鐘の方向の扉の方に向かう。
小さな梯子を登り、物見櫓のような場所に出る。
鶴屋に支えられて体を引っ張り上げるとそこには、小さな屋根と胸下くらいの高さの壁、そして中心には大きな鐘があるだけ。出入り用の穴があるから、人が立てるスペースは本当に小さい。
「で、ここからどうするの?」
「まずはお前が俺の松明を持つ」
「はいはい」
両手に松明を持つ。これで私は動けない。
「それで、っと」
「ちょっ、まっ、鶴屋ぁ⁉」
両手が開いた鶴屋が私の腰に後ろから腕を回した。
体がズレないように思いっきり力を込められていて少し苦しいくらい。顔が私の左肩に乗っているし、背中は密着しているしで思わず鼓動が速くなる。
ナニコレ。もしかして柚希さんと鶴屋、登校のたびに毎回コレしてるの? ズルい。羨まし……じゃなくて!
「動くな。落ちるぞ」
「でもさあ、一言あるじゃん!」
「これ以外の方法がないんだからしょうがないだろ。というか、それくらいの想像ついていなかったのか」
「考えている余裕がなかったよ‼」
もーっ! と叫んで腕を振り回してやりたいけど、松明持っているし、それ以上にがっしり捕まえられているし。想像がついていたとして一言は言うべきだと思う。
たくさん浮かんでくる文句を飲み込んで、動きを止める。
「……で、こっからどうするわけ」
「そりゃあ当然」
「ちょちょちょっ⁉」
私を抱えたまま、胸下まである壁を平然と背中で乗り越えようとしている。
体が浮いて、それでもがっしり支えられていて、思ったより筋肉質なことに気がついて。
「きゃああああああ!」
天地をひっくり返しながら時計台から落ちていく。
遠くの松明の炎も、崩れて消えていっている世界も、旅館も、全部が反転している。頭から真っ逆さまに。
その落下が、空中でゆっくり減速し、再び反転しながら止まった。
後ろを振り返ろうとして、鶴屋の顔があって、慌てて反対から背後を見ればそこには透明の翼があった。僅かに燐光を散らし、優雅に空に浮かんでいる。
静止したそこで、ようやく仮の落ち着きを取り戻すことができた。
「……ばっかじゃないの⁉ なんで⁉ なんで落ちた⁉」
「松明を両手に持っている人間を、あの風があって狭い隙間に座らせてからしっかり抱えろと? そっちの方が危ないだろ」
「そうかもしんないけど!」
じゃあ別にこの一番高いところからじゃなくていいじゃん。私が入ってきた出入り用の扉の方ならもっと広いし安全でしょ!
と言っても、たぶん寝不足の鶴屋は面倒くさがって戻ることはしなかったと思う。いいだろ別に、とか言いながら無理矢理落下していただろう。
その怒りというか、衝撃のおかげでむしろ頭が冷静になった。
頭が冷えれば、浮かび上がってくるのは当然、見える景色への感想だ。
「……私、空、飛んでるよね?」
「俺が抱えていてもいいって言うなら、間違いなく」
「そっか……そっかぁ……!」
足元の暗がりでは小さな青白い炎がいくつも揺れているし、遠くでは大きな青炎がなんとか島の人たちが焚いている篝火に近づこうとしている姿が見える。
回収され切っていない、転がったままの星。粒子になって崩れている世界。
その全てを空から見下ろしている。
「俺にちゃんとくっついてできるだけ動くな。足を揃えておかないと空気抵抗でおかしなことになる」
「了解!」
「……心なしか不安だが、動くぞ。ある程度は遊覧するから安心しろ」
滑るように空を動き始める。あっさりと時計塔の高さを超えて、神社すら見下ろす高さに到達した。無軌道に浮かんでいる小島以外では、たぶん世界で一番高い所にいる。
眼下の騒動がまるで関係ないかのように、私はゆったりと空を飛んでいた。
暗闇と炎の明かりで彩られた街。
見る間に姿を変えていく空と、地上では味わえないほどに近づいた雲。
高い塔に登った時よりも見えている人たちが小さい、あれだけ走り回っていた旅館の屋根ですら指先に乗りそうなほどなんだからよっぽど高い所にいるんだと思う。
松明が私の周囲を照らす。風が体を撫でる感触が、飛んでいる実感を強くしてくれる。
そこまで高度を上げて、止まる。
「飛ばすぞ」
「お願い!」
抱えられた姿勢のまま直角だった姿勢が、上体を中心に前傾する。
さっきまでの重力に抗う感覚とは正反対の、どうしようもない力に身を委ねる感覚。背筋が寒風に晒されるような、骨の隙間が浮くような、思わず身構えてしまう落下の感覚が全身を襲う。
充分に加速したところでベクトルが横に変わる。大きく広がった鶴屋の翼が、風を受けてその全てを推進力に変えていく。
眼下を景色がゆっくり流れる。遠くの方で浮島が崩壊に飲み込まれたのが見えた。ずっと先で走っていた人を追い抜いて、緩く弧を描きながら広場へと向かっていく。
下の方ではそんな余裕が無いだろうけど、もし今空を見上げたら、空に二筋の松明の尾を引く姿が見えるだろう。
「もっと早く飛んで!」
「……お前な、俺の寝不足を気にしていたはずじゃ……まあいいか」
角度がさらに鋭角に近づく。
風を切る音の威圧感が増したせいか、気分はどんどん上がっていく。
「あまり余裕でいていいわけでもないからな。他の人たちが気がつく前に終わるぞ」
その言葉の通り、再度高度を上げることはしないでどんどん下がっていく。道を歩く人の見分けが大まかにつくくらいになって、大空を飛んでいるというよりは街の上を観光しているような感じだ。
ここまでくるとスピードはそこそこ。さっきまでの、いかにも飛ぶことに慣れて遊び始めました、というような感じではない。翼を持って生活するならこれくらいの速さがいい、というくらい。
弧を描いていた軌道はかなり直線に近づき、視線の先には集合地点の広場がある。
「……満足はできたか?」
「満足ができたかできていないかで言えば、できてないよ。私の翼で飛んだわけじゃないし、こんなに楽しくて綺麗な景色を見れるものに満足できる気がしないもん」
「お前なぁ」
「でも、夢が叶った。元の世界だったら絶対に叶わなかったことがこうやって体験できただけで私はすごく嬉しい。本当にありがとう」
左肩にある鶴屋の顔を、目を見ながらそう言う。
「俺は約束が果たせたならいい。少しでも満足できた部分があるならそれでいいだろ」
「あ、もしかして照れてる?」
「このまま落としてやろうか」
「ごめんって」
一瞬で仏頂面になってしまった鶴屋に、どうどう、と声をかける。それもむあkついたみたいで、ほんの少しだけ腕を緩められたりガクガク揺らされて少しだけ酔いそうになった。
からかったのは私が悪いけど正直物凄い怖い。
「つくぞ。たぶん足の力が入らないから膝を打たないように気をつけろ」
私と鶴屋が飛んできたことに気がついたらしく、広場の片隅に下り立てるだけのスペースが作られる。
飛び始めた時のようにほとんど空中で停止した状態で、ゆっくりと地面に降ろされた。
足がついて、言われていた通り力がないらなくて床に崩れる。
「……なんでこうなるの?」
「上空は寒いのに飛ぶときは姿勢を保つために力を込めるだろ。だから疲労と冷えで力が入らなくなるんだ。慣れたら無駄な力を入れなくなるから、いちいちそうはならないんだけどな」
初心者は大抵そうなる、らしい。筋力不足と変な姿勢、なにより全身に入った無駄な力がそうさせるんだとか。
鶴屋の透明な翼の根元を見ればわかる通り、この世界の翼は背中から直接生えているわけじゃない。飛ぼうとしたときに根元の方が現れて、飛べるようにふわりと広がる。
さっきまでの飛行の通り、疑似的に飛行には関わっているらしいけど、直接的に風を捉えているわけではない。翼をたためば落ちる、広げれば滞空する、という感じ。
でも触られたり風が羽の隙間を通り抜けていく感覚もある。だから筋肉で翼を動かそうとするのがよくあるミスなんだとか。ついでに、姿勢を保つための筋肉も出来上がっていないからよく筋肉痛になる。
……この世界に来てからずっと筋肉痛に襲われているような気がするのはなんでだろうなぁ。
「そうだ、こんな話してる場合じゃないんだった……儀式はどうなっていますか⁉」
「舞いはもう終盤だ。思ったより徘徊者の被害も無いし世界の崩壊も早すぎるということは無いらしい。今のままなら間に合う目算だ」
リーダーが言う通り、広場とそこに繋がる広い道は松明を持った島の人で埋め尽くされている。祭りの時よりも密集していて、しかも屋台のあったスペースまで使えているようだ。
遠目で見れば、世界の崩壊は上下の空の境界のみの場所が大体消えたくらい。一部では島の端も罅や崩壊に飲み込まれているけど、ギリギリ生活圏には届いていなかった。
各所で神社の関係者の人と旅館の従業員の人が声掛けをしている。すっかり怖がって鳴いている小さな子なんかをなだめるのは専らお姉さん方がやっていた。
人が集まったことで松明の明かりも密集する。明るさを増した道は、元の世界の都会より明るい。巨大な徘徊者であっても、そこまで明るいと手出しができないようで離れていた。
咆哮が聞こえる。悔し気に地面を叩く音が聞こえる。そこら中に集まっていた青炎が集まり、固まり、さらに複数体の巨大徘徊者が生まれた。
相当に増した重圧を受けて人々の肩に力が入る。
「法螺貝!」
鋭い声と共にそれぞれの場所で野太い音が響き渡る。合わせて太鼓と鈴の音が鳴り、声の重圧を消し去るように隙間を通り抜けていく。
徘徊者が叫ぶ。
音が押し返す。
そんなやり取りが何度続いただろう。身を寄せ合い、じっと縮こまって、儀式が終わるのを待つ。
そこまで激しくないとはいえ、この間ずっと舞っている唯ちゃんの顔には数筋の汗が伝っている。籠の中の星はほとんどなくなって、僅かに光りつつそこで揺蕩うのみ。
「……どうにか間に合いそうだな」
「本当?」
「あの舞いは大体一時間で終わる」
ずい、と鶴屋が時計を見せてきた、柚希さんの時計はだいたい十七時の少し手前を指し示していた。十六時に舞いが始まったはずだから本当にあと少しだ。
そんなに時間が経っていたんだ、と思いつつ。
「ち、近い」
「今更だろ」
それはそうだけど。それでじゃあいいか、ってなるなら口にしてない。これだけ人が集まっていたら仕方ないけど、でも、近い。なんだコイツ、って顔するな。鶴屋が悪い。
そんな茹っていた私の思考を引き戻すように太鼓が鳴る。
音と共に最後の揺れを見せた籠の星が、ゆっくりと世界に溶けて、消えていった。
「……Aaaa,aaa──」
悶えるように青炎が揺れ、徘徊者が消えていく。
小さなものは吹き消されるようにあっさりと、大きな個体は最後に藻掻いて周囲を傷つけながら、それでも少しずつ火力を減衰させて消えていった。
巨大な徘徊者が消えた時点で世界の崩壊も一旦停止。罅の浸食も止まり、夜らしい静寂が戻ってきた。
「終わった……?」
「たぶんな」
異変が完全に終わったわけではない。
歪んだ空や崩れた部分は戻っていないし、空はさっきも一瞬昼のような明るさになったりした。私の願いを契機に変わった世界は、決定的なところからの復帰はできていない。
それでも、神様は最低限の力を取り戻すことはできた。後は、異変の根本原因である私を儀式で逆行させ、願いごと世界から棄却したら元に戻るはず。
事態の一旦の収束を感じ取って島の人たちが歓喜の声を上げる。唯ちゃんは疲れた顔でその場に座り込み、それでも私に笑顔を向けてくれた。
笑顔を返して、すぐに始まった片付けと明日の準備に参加する。すっかり夜の帳は降りているから、ちゃんと松明は持って。
誰かの肩が僅かに私の翼に触れた。すれ違うように、たぶん触れたことにすら気がつかないまま去っていく。
唇をわずかに噛み締めた。
明日、私のこの世界での生活は終わる。この片付けが終わって、旅館に戻ってお風呂に入り、布団に潜り込めば明日はすぐそこだ。
痛いほどに渇望していたはずの帰還が、今はとても近く感じる。
鶴屋はこのまま時計塔に戻るらしい。私も、早く帰って明日に備えることにした。
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