♯21 間違いだらけの世界で


 翌朝。

 桜と雪が舞う昼時……のような朝に目を覚ました。

 昨晩の出来事は、残念ながら夢でも幻でもないらしい。世界は今もなお狂ったままで、窓の外から見える景色はかなり汚れていた。

 倒れた篝火台に散らばった落下物。木の葉も花弁も問わず地面に散乱し、道を埋め尽くしている。その上から雨に濡らされ、雪が積もり、土まで被さって汚れていた。

 空気は冷えているのに蒸していて気持ちが悪い。布団の中は蒸れているのに外の空気は冷えているから、体感の温度は異様に冷たかった。

 ナニカの踏み荒らしを逃れた茂みや樹の上には、溶け残った雪が乗っている。


「……夏、だよね。今日って」


 寝ている間にいくつの季節が去ったのだろう。何度、天気災害がこの島を襲ったのだろう。いくつの太陽が昇って、何回月は踊ったのか。

 全部が不明。ただ、目の前で夜に暗転した今が、七月三十日の朝であることは間違いないはず。

 魂珠時計はズレたままだから、本当にあっているのかは分からないけど。


「冷たっ」


 いつも通り顔を洗おうとして、蛇口から出た水の冷たさに驚く。

 思わず離れた手をそろそろと蛇口に近づけ、改めて水を掬って顔にぶつける。手首を伝い、肘の方まで垂れてきて浴衣が少し濡れた。どうせすぐに乾くから、と気にしないことにする。

 日課のストレッチや声出しをする気にもなれず。かといって食堂に顔を出すわけにもいかず。

 とにかくなにかをしよう。そう考えて、衝動的に外に出た。


「……荒れてるなぁ」


 千切れて転がった注連縄の残骸と焦げが付いた地面が変な感じだ。目が覚めた人から片付けをしてはいるようで、旅館の周りや家の多い所は少しだけ片付いていた。

 手伝うために近づこうとして、遠巻きに見られていることに気がついて止める。

 私の背中に翼は相変わらず出ているままだ。鶴屋に似ていると思っていたけど、思っていたより空の色だったそれは未だに仕舞えていない。

 起きてからも何度か仕舞うのは試した。でも、そこに感覚があること自体が初めてで、どうやったらそこに脳から命令が行くのかも分からない。肩や肩甲骨の辺りに力を籠めると少し震えるけど、それだけ。

 翼が出っ放しの人は他にいない。この島の人はみんな、飛ぼうとするときにだけ出している。それだけに私の様子は異様でしかないのだろう。

 昨夜の出来事も当然伝わっていて、私のことも知っているに違いない。この異変の原因の人物かもしれないそういう態度になるのも仕方ないのかもしれない。

 話したり手助けをするのは諦めて、あてもない散策を再開する。


「眩しっ」


 今度は突然昼になり、濡れた石畳が日光を照り返す。思わず目を細めながら歩いていると、足は自然と神社の方に向かっていた。

 坂を上る。汚れた、思ったより急で狭い道を、ゆっくりと。

 屋台も篝火台もない道は思ったより寂しくて、これだけ長い道を何回も登ったのか、という変な感慨さえ湧いてくるくらいだ。

 祭りの本会場だった場所を通り過ぎる。

 ぐっと下がった気温と、それを象徴するように積もったままの雪。やっぱり、この景色を見せられて夏だと思う人はいないと思う。

 倒された篝火台と竹林の残骸の散らばる、神社へと続く階段の前にたどり着いた。

 見上げた先には、中腹から透紫の結晶に閉ざされた階段と灰がある。世界の歪みや変化を気にせず、昨日の夜のまま、ただそこにあり続けている。

 結晶化した蜂蜜が薄く纏わりついたような場所を踏みながら、階段を登れば。


「思ったより、温かいんだ」


 冷たい景色の中にある結晶だから、見た目通り冷たい物だと思って触ったのに。

 中で固まったままの炎の温かさが伝わっている感じ。大きい結晶の周りだけ雪がないから、本当にここだけ取り残されているような錯覚をする。


「……」

「なあ」

「ひゃっ⁉」


 突然声がかかる。

 小さく跳ね上がり、そのままの勢いで振り向けば、そこには鶴屋がいつもの鉄面皮で立っていた。感情が分からない顔の、そのままで。


「お前は驚くときに同じ顔しかできないのか」

「驚くときに毎回違う顔をする人の方が珍しいと思うけど……」


 反射的にそう返して、それ以上なにを言えばいいのか分からない。私は鶴屋にかけられる言葉を、少なくとも今は持っていない。

 だから、この無表情を前に、言葉を待つしかないわけで。


「そこまで身構えるな。話しづらい」

「……鶴屋って結構無茶というか、外れたこと言うよね」


 そうか? って顔をされるのは不本意というか、意外というか。少しズレていることを自覚してないなら是非自覚してもらいたい。流石に、この状況で私からなにかを言うのは、無理。

 他にも、例えば。


「この異変はお前が?」


 そうやって突然直球を投げるところとか。

 頷いて肯定することしかできない。言葉で応えるには、ハードルが高すぎる。


「お前な。あれだけルールのことを説明してやってこれか」

「……ごめんなさい」

「そんなに翼が欲しかったか?」

「それはっ! ……欲しくなかったわけじゃ、ないけど。そうじゃなくて……」


 ルールを破ったのも、その願い事の内容も、全部が独りよがりなのは分かっている。ちゃんと自覚して、反省もしているつもりだ。

 でも、誓って私欲で翼が欲しいから願い事をしたわけじゃない。


「柚希さんが変な風に扱われる世界なんておかしいって思ったから、それで……その、なんというか。えっと……」

「どうせそんなところだろうと思ったよ。柚希の翼も見えるしな」


 そうか、翼が増えたのは私だけじゃない。柚希さんと室谷さんにも生えている。私が知らないだけで、もしかしたらそれ以外の翼が無かった人にも生えているのかもしれない。

 私と同じように鶴屋も結晶に触れて、呟く。


「お前の気持ちは分からんでもない。けどな。柚希はもう既に十六年耐えてきているし、とっくに飲み込んだ後だよ」


 必要なら俺が運ぶしな、とも続ける。

 そっか。少なくとも鶴屋と柚希さんの二人は、とっくにこの不条理を飲み込んでいたんだ。飲み込んだうえで、この世界のルールを乱さないように静かに戦っていた。

 私はそこに割り込んでしまった。二人の覚悟を邪魔をしてしまったのだ。


「ごめんなさい」


 素直にその言葉が出る。

 怒っているはず、とか。申し訳ないとか。そういう沢山の気持ちで堰き止められて出なかった言葉が、すっと口から出てくる。頭を下げて心からの言葉を告げる。

 ルールを破ってしまったことも、二人の努力に水を差してしまったことも。全部があまりにも申し訳なくて仕方なかった。


「気にするな、とは流石に言えない。存分に気にした上で、お前がどうにかしろ」

「どうにか、って言われても……」


 自分の帰る方法さえ分からないのに、このめちゃくちゃになった世界を元に戻さないといけない。しかも当然のごとくやり方なんて分からない。


「俺はまだ仕事があるからな。悪いが手を貸している余裕がない」

「まだ時間を報せないといけないんだ」

「いや、もうそれは終わっているんだが。時間が分かりにくいだろ。だから一時間に一回は鳴らしたい。たぶん、この島中の時計が狂っているだろうからな」


 そういえば、旅館を出る前に一瞬見た掛け時計も変な動きをしていた。逆行したり、止まったりしていて怖かったのを覚えている。

 私以外の人の魂珠時計も、旅館以外の置時計もたぶん全部ズレているのだろう。


「鶴屋のもズレてるの?」

「そうだよ。情けないことにな」


 ほれ、と無造作に突き出された時計を見れば、秒針がすっかり動きを止めていた。そのくせ長針と分針はたまに動いているようで、微妙にズレた時間を示している。


「……じゃあ、どうやって時間を確認してるのさ」

「これだよ」


 今度は大切そうに、しっかりと握ったまま見せてきたのは、可愛らしさと実用性を両立した魂珠時計。今もなおちゃんと秒を刻み続けるその時計は、たぶん正しいんだろうな、という時間を示し続けている。

 その文字盤の奥。小さな歯車の中心には、結晶と同じラピスラズリが温かく輝いている。


「それ、もしかして柚希さんの?」

「そうだ。これが動いているということは、たぶん柚希は大丈夫なんだよ」


 魂珠はその持ち主の心、魂そのものと言っても良いもの。

 生まれた時に、まるで喉の栓が抜けるように産声と共に吐き出され、その人が死ねば崩れ去る。体調や心理状態に合わせて波動を変えるそれが、今も健在ということは。


「この異変を解決したら、柚希さんは元に戻る?」

「確証はないな」

「柚希さんの時計がズレちゃったらどうするの?」

「そうなる前に元に戻せ。というか、柚希の時計は世界で一番正確な時計だぞ。中学生になってからはズレたことがない」


 ……改めて、四つ目のルールの意味というか、唯ちゃんたちが忠告してくれた時の表情の理由がわかったような気がする。

 鶴屋がどんな人なのか、柚希さんがどんな人なのかはもう痛いほどに分かっている。みんなが言っている、鶴屋が優しいという言葉の意味も、悔しいけどなんかわかる。

 そんな二人が、誰よりもお互いを信用している。


「わかった。頑張ってなんとかするから、鶴屋は安心していて」

「安心は無理だな。どうせなにをするのかも考えずここまで来たんだろ」

「その通りだけど。なんかムカつく」


 なんでそんなに理解されてるの。

 ……ちょっと嬉しいとか思うなっ。


「任せるよ。鐘を鳴らさない間はできる限り動く気だけど、一時間に一回はあそこに戻らないといけないから俺は当てにするな。……寝不足だしな」

「夜通し起きてたの?」

「少しは寝た」


 このバカ。全部終わったら柚希さんに怒ってもらおっと。

 今私が怒ったところで絶対反省しないし動き方も変えないだろうから、今は黙っておく。


「じゃあ、どうにかするから。頑張るからさ、そしたらこの翼の使い方、教えてよ」

「大抵の人は使えるようになるまで数か月かかる」

「……無理じゃん」

「だから飛ばしてやるって言っただろうが」


 言いたいことは言い終ったようで、鶴屋が透明の翼を開く。珍しく少しだけイヤらしいドヤ顔をして、ふわりと浮き上がった。

 そのまま、当然振り返ることもせず時計塔の方に去っていった。


「アンニャロー……」


 絶対わざとだ。ムカつく。

 夏空に似合う積乱雲から雪が降っているのもアイツのせいだ。鶴屋がふざけたりするから雪が降る。いっつも無表情でいたらいいのに。

 溜息一つ。振り返って柚希さんに一礼をしてから、階段を降りていく。

 どうしたらいいのか分からないなら、色々試すか、調べ物をしなきゃいけない。 まずは、図書館へ。

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