♯20 すべての灰を堰き止めて


「小宮さん! 大丈夫ですか!」

「柚希さん……⁉」


 名前を呼ばれ、驚きに少し身を震わせながら振り向けば、輿から顔を出している柚希さんがいた。祭りの最中の、運ばれている時のような無表情じゃない。焦りと芯の強さのある顔だ。


「大丈夫です、でも……!」

「怪我がないなら良かった。たぶん色々あったんだと思いますが、今は聞かないでおきますね。話している余裕もなさそうですし」


 私の背中にある、不格好に出たまま翼を見てそう言った。柚希さんの背にも淡い紫の色の片翼が生えていて、いかにも動かし慣れていないです、という感じで揺れている。

 なんとか引っ込めようとはしているのだろう。たまに少しだけ小さくなっては元の大きさに戻っていた。


「小宮さん、落ち着いて聞いてください。星拾祭が乱れてしまったのは確実で、たぶん明日と明後日が正念場です」

「なんの話、ですか」

「今日は私が抑えますから、小宮さんがどうにかしてください。任せますからね」


 急にそんなことを言われても頭が追い付かない。それでも、柚希さんは言うことは言った、という態度で周囲の人に輿を動かすように指示を出す。

 恐怖を抑え込んで、男たちが神輿を担ぐ。順番を気にせず、一目散に階段を駆け上がっていった。他の人たちはなに事かという顔で見ながら道を開けている。

 向かう先は、神社。

 そうして登り切った先。

 島の中でも随一の量の篝火が焚かれている。砂地の場所の周りまでしっかりと焚かれているおかげか、流石にこの気配たちも神社の敷地には入れないらしい。

 ただ、感じる気配は度を越して刺々しい。恨みとかそういうレベルではない、存在を懸けた執念のようなものを感じる。

 刺すような威圧感を感じながら、柚希さんと輿を運んでいた人たちが次々と本殿に駆け込んで儀式の準備を始めた。流星はもう止まってしまっているけど、これまでの間に集まった星が本殿の前で輝いている。その星たちを使って儀式を敢行するらしい。

 舞台には柚希さんだけ。雅楽隊の人たちは、本殿の前の石畳の上に簡易の椅子を設置して待機している。


「お願いします」


 柚希さんの言葉と共に、太鼓が打ち鳴らされる。

 拍子に合わせ、龍笛、篳篥の音が響き渡った。騒めきで満ちていた神社が僅かに静かになり、音が遠くまで通る。

 シャラン。

 神楽が始まると、柚希さんの両袖に付けられた鈴が鳴り、境内の中に響いてゆく。その音を嫌がるように神社の外で青白い炎が揺れ、荒れ狂った。 

 静と動。静かな雰囲気で粛々と行われる神楽舞と、それに反比例するように激しく火の粉を散らす青炎。痛みに悶えるような青い炎の動きを押しやるように、音が響き、島中に届いていく。

 それに合わせるように、柚希さんの周囲から波動のような物が広がっていくのを感じる。幾重に楽器の音が重なる中で、鈴の音だけが一際輝くような、不思議な感覚だ。

 ナニカたちはこの神社や神楽舞を一番の脅威と認識したようで、猛烈な勢いで島中から神社に集まってきている。

 風が不気味に揺れ、花が、茂みが、木々が踏み荒らされた。それでも、この領域だけは清浄なまま、紅炎に照らされて舞いが続く。

 舞いを見ているだけで、音を聞くだけで、荒れそうになる心が落ち着いていくのが分かる。


「みなさん、ここから逃げてください」

「今夜は私たちがどうにかします」

「だから、今は、ここから去ってください」


 神主らしい、少しだけ豪華な装いの人が前に進み出てそう告げる。その言葉には、抗うことを許さない強制力のようなものがあった。

 その声に押し出されるように、一人、また一人と、鳥居をくぐって外に出ていく。


「駄目……」


 思わず私の口から出た声は、自分自身の耳に届くことさえなさそうなほどに小さくて擦れていた。

 この人たちが犠牲になろうとしていることが分かる。神社の周囲にナニカを集めて、自分たちだけで抑え込み、時間を作る。そのためだけに身を投げ打とうとしていた。

 誰がそう言ったわけでもない。でも、痛いほどにその意志が伝わる。


「そんなの駄目……!」


 私が原因なのに。私の独りよがりのせいでこの事態が起きているのに。

 逃げることしかできないなんて、駄目だ。許されない。

 長い棒を持った人が次々と住人たちを鳥居の外に出していく。自分たちはまるで守護兵や門番のようにしっかりと立ちながら、一般人たちを危険な場所から離れさせていく。

 私はそれに抗おうとして、抗えなくて。

 神主さんの声と奏でられる音楽に押され、私を逃がそうとする人に引っ張られ、どんどん本殿から離れていく。


「柚希さん!」


 その声に柚希さんは応えない。ただ淡々と己の役目を果たしている。

 ただ、最後の一瞬。私が鳥居を出されるその瞬間にだけ柚希さんの目が私を捉えて、そっと、いつものように悪戯っぽく微笑んだ。

 任せましたからね。

 そんな声が聞こえたような気がした瞬間、神社の周囲に赤い境界が生まれた。

 赤い境界に触れたナニカたちはついに神社の敷地への侵入を果たす。深紅に燃え上がりながら、次々と本殿へと突貫を始めた。

 突撃の途中で燃え尽き、崩れ、灰の風になりながら柚希さんたちに襲い掛かる。

 それでも柚希さんたちは揺らがない。

 灰が積もり、荒れ狂い、柚希さんたちの姿が見えなくなっていく。島を埋め尽くしていた気配たちがどんどん呑み込まれ、燃え尽き、それでもなお襲い続けた。

 シャラン。

 音が響き、灰一色の中に、深夜のようなラピスラズリの色が混ざる。荒れ狂う灰嵐の中、濃い紫の結晶が生まれ、悪意の暴力を飲み込み、鎮めていく。

 柚希さんの魂珠の色だ。


「────ッ!」


 なにかを叫ぼうとして、声にならなくて。

 誰かに引っ張られながら、縺れる足で転がり落ちるように階段を下っていく。必死に足を動かしながら、それでも神社の方を見ることを止められない。

 紫の領域が広がっていく。

 赤い境界を越え、神社の敷地から溢れた深紫が、道を埋め尽くし、竹林を覆い、凍てつかせながら成長していく。灰が混ざった不透明な結晶の肥大化に合わせて、ナニカの気配がどんどん弱くなっていった。


「奏ちゃん、大丈夫かい⁉」

「室谷さん……」


 私の手を引っ張ってくれていた室谷さんが心配して私の顔を覗き込む。手を引っ張ってくれていたことすら気がつかなかったのに、それでも変わらない心配をしてくれた。室谷さんの背中にも翼があるということは、私と同じように痛くて苦しんだはずなのに。

 でも、それを気にしたりお礼を言うだけの余裕が今の私には無い。


「なにが、どうなっているんだ……」


 目の前には結晶に閉ざされた神社があった。

 結晶の成長は止まり、中の嵐や気配、雅楽も含めて全てが静止している。まるで時間ごと凍り付いてしまったかのように、硬く、全てを封じ込めていた。

 怪しい風は止み、恐ろしい気配はすっかりと鳴りを潜めている。

 島中の人が集まってきた。大人は手に松明を持ち、それぞれ手ごろで武器になりそうなものを構えている。鋭い目で結晶を見つめ、階段の中腹まで登ってから中を確認し、驚きと困惑の混ざった顔で戻ってきた。

 そんなことが何度か繰り返され、集まった人たちは無言でお互いの顔を見合わせる。

 さっきまでの騒動が本当にあったのか分からないくらいの静寂。松明と、倒されずに残ることができた篝火の音だけが静寂の中で弾けた。

 子どもたちは危ないからと家に帰されたようで、私の他には学生らしい人はいない。せいぜいが大学生くらいで、基本的に大人しか見当たらなかった。それだけに私の姿はどこか浮いているように感じる。

 柚希さんたちのおかげで、どうやらナニカによる攻撃は収まったらしい。

 だけど。


「寒っ……」

「なにこれ、雪?」


 動きやすい恰好をそていたせいで露出していた手足が鳥肌に包まれ、空から降ってきた綿雪で濡らされる。思わず体を抱えて小さくなり、突然の寒風に身を縮こまらせた。

 ……突然の寒波が来たかと思えば。


「眩しいっ」

「ねえ、あれ……!」


 一瞬にして空が明るくなった。真昼のような明るさに包まれ、思わず目を細める。突然の光に合わせるために痛む目を押さえ、なんとか慣らしながら空を見れば、そこには太陽が燦然と輝いていた。

 島中の木が一瞬で紅葉し、春の花を咲かせ、全てを地に落とす。

 夕暮れになり、朝焼けが広がり、雨と同時に太陽が気温を容赦なくあげていく。

 時間帯も、季節も、天気も、全てが壊れていた。変化した次の瞬間にはまた変化して、その変化に慣れたころにまた変化、と不規則に動き続ける。

 そして、本当の季節を思い出したかのように蝉の声が聞こえて、夜に戻った。

 もう驚く声すら上がらない。狂ったように動く月と星にも反応を示す余裕がない。全てが許容量を超えているせいで、黙って次の変化を待つことしかできない。

 その静寂を切り裂くように、鋭い足音と荒い息が聞こえてきた。


「柚希は……柚希はどうなってる⁉」

「鶴屋……」


 思わずみんなが道を開け、神社に向かう階段を指し示す。

 汗濡れの体は気にも留めず、長い坂を駆けあがってきたその足で階段を上がっていく。灰混じりの紫晶を松明で照らし、その内側を見て、動きを止める。


「…………」


 手に持っている松明を足元に打ち付けようとして、直前で止めた。溢れ出る憤りをぶつける先を見つけられないまま、全身を震わせている。

 なにも言わず。それを見ていた周りの人も、なにも言えず。顔を伏せたまま、ゆっくりと戻ってきた。


「鶴屋、その……」

「……」


 鶴屋の顔が上がり、視線の先にある私の翼を睨んだ。

 私の罪の証。この世界で生きるための、たった三つのルールを犯した証拠。誰がどう見ても、この異変の前後で決定的に変わっているのは私の背にあるコレだけ。


「えっと、その……」


 なんと言っていいか分からない。どの言葉も間違っている気がして、詰まってしまう。

 周囲の視線が集まっているのを感じる。さっきまでナニカが放っていたような刺すような意志じゃない。じっとりと纏わりついてくるような、観察の視線。

 それを同じように感じているはずの鶴屋は。

 私の隣をあっさりと通り抜けて、坂を下り、去っていく。


「……」


 さっきまでとはまた違う、居心地の悪い空間。

 せめて怒鳴りつけてくれたら。その憤りをぶつけてくれたら。酷く罵って、翼を毟ろうとしてくれたらいいのに。

 鶴屋は全部を飲み込んで、なにも言わずに時計塔に戻っていく。

 集まっていた人たちも散り散りに去っていく。なにか声をかけようとしてくれる人もいたけど、私の翼を見て、結局なにも言えずに帰っていった。

 広場に集まっていた人がほとんどいなくなってようやく、引き摺るように私の足も動き始める。最初に聞いていたものとは違う理由で柚希さんがいない旅館に向かって、ゆっくりと。

 鐘の音が響く。

 鶴屋の鳴らす音が樹々の間をすり抜け、歪みが消えていない世界に消えていく。

 歪み、不快な音を立てる魂珠時計を見つめ、今が何時なのかすら分からないまま布団に入った。寝られる気なんてしないけど、それでも無理矢理瞼を閉じる。

 窓の外はこの間にも姿を変え続けていた。

 浅い眠りを何度も日光が叩く。何度も、何度も。

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