♯19 星に夢を、神に願いを


 神輿を見ていられないから、できるだけ人の少ない場所を選んで小走りで抜けていく。人の邪魔にならないようにだけ気を付けて。

 この数日間ですっかりこの島の地理は頭に入った。人が少ない場所や穴場そうな場所、反対に人がたくさんいそうな場所は完全に分かっている。

 たぶん今の私はお祭りの参加者らしくない顔をしているだろう。

 鶴屋も柚希さんもきっと、どんな反応があるかなんて分かっていて、それでも仕事をしているはず。お互いに手を離せない場所で、誰の助けもない中で必死に頑張っているんだ。

 二人の頑張りを誰より近くで見ているからこそ、理不尽に晒されてほしくない。

 あの柚希さんと演技をした夜になんとなくわかった。この世界には、ある種の田舎根性というか、排他的感覚がある。私や室谷さんみたいな異世界人だけじゃない。片方の翼がないというだけで柚希さんは忌避されている。

 それなら、私が願うべきはただ一つ。


「はっ、はっ」


 息を切らして島を駆けまわる。

 なかなか癒えない筋肉痛と、石畳のせいで痛む足裏が辛い。仕事やトレーニングで鍛えられていたとはいえ、ずっと走っているせいで体力は無くなっていた。

 籠の中には沢山の星。青や赤、白に黄色。たまに見かける、楽しそうに星を拾っている人たちと比べるとたぶん相当多い方だと思う。

 どのくらい集めたらいいんだろう。それすら分からないまま、とにかく籠がいっぱいになるまで無我夢中で集め続ける。


「あ、お神輿来た!」


 誰かが叫んだその声を聞いて、思わずその場を離れた。

 今柚希さんに不躾な視線を送る人を見たらなにを言ってしまうかわからない。感情に任せて変なことを言って柚希さんたちの立ち位置が変になる方が嫌だ。

 そうやって、島の中でも人の気配がのない方へ、ない方へと進みながら星を集めていく。

 ……どれくらいそうしていただろう。


「これで一杯、でいいのかな……」


 一瞬の間に何度も色が変わる星が、籠の縁ギリギリまで。島中の人たちが持っている手持ちの籠とたぶん同じ大きさだから、これで一回分でいいと思う。そう思わないと足が止まってしまいそうだ。

 息は切れているし、体調はけっして良くはない。それでも、体に鞭を打って神社の方に走る。

 篝火が焚かれている道の中で人の視線を避けようとしている私は、すれ違った人から見たら変に見えるだろう。でも、そんなことを考えている暇はない。

 神社に行ける階段の前を通り抜けて、山の裏に向かう細い道へ。

 ホタルが舞い、篝火がパチパチと音を立てる。揺れる光に照らし出された石畳の道に、空から無数の星が降る。誰もいない、なのに騒がしい、夏の象徴のような道を走り抜けていく。

 そうやって走り抜けた先。あの日は入れなかった山の頂上の敷地に入っていく。

 二人が座っていた台にはたぶん触ることさえできない。そこまでの心理的余裕はないと思う。だから、そこだけは避けるようにして敷地の中を進んでいけば。


「……やっぱりあの二人も、ちょっとだけズルいよね」


 神社より高いそこは文字通り島の頂上。

 その場で一周するだけで、端の端まで島の全体を見渡すことができる。島中を照らす篝火よりも美しく空で輝き、そして落ちてくる星に少しの間魅了された。

 柚希さんがいる神輿も島をだいたい一周したようで、籠神輿に沢山の星を乗せながら山の麓あたりまで戻ってきている。

 鶴屋はちゃんとその姿を見ているのかな。時計ばっかり見ていて、この素晴らしい光景を見ていなかったりしたら後で全力で怒る。そんなの、あまりにももったいない。

 そうやって大切な人たちのことを見直してから、星の入った籠を目の前に置く。

 正しいやり方は分からないから、ここまでで見た人たちの見様見真似で。覚えている限り真似をしながら柏手を打ち、瞑目する。

 この思いがちゃんと届くように。他の人がいないから、声に出して願いを告げる。


「この世界の、翼が無い人を助けてあげてください」


 元の世界で神様に会ったことはない。たぶん、お願いを叶えてもらった覚えもない。


「翼をあげてください。お願いします。これ以上、あの人たちの悲しそうな顔は見たくないんです。翼があればどうにかなるなら、どうか」


 それでも、生まれてから一番真摯に、願いを告げる。


「この世界を変えてください……!」


 ──その言葉が放たれた瞬間。

 星が降り始めたあの時のように、空間が、世界が、揺らいでいく。

 ただ、前の時のような静謐さや神聖さは感じない。ただ歪み、捻じれ、崩れていく。

 あれだけいたホタルが見えなくなり、虫の音も無くなって、見かけだけの静寂が訪れる。風が不気味な音で樹々のすき間を通り抜け、肌を撫でた。

 島中の篝火が、火の粉を大量に吹きながら巻き上がる。


「なに、これ」


 視界が歪んだ気がした。寒い日の風呂上がりのような抗えない虚脱感と、気持ち悪くなるくらい歪む視界。落ちている星が引いた尾が乱れて、空に気持ちの悪い線を引いた。


「いっ……⁉」


 突然の激痛に襲われて座り込む。背中の肩甲骨の辺りが物凄く痛い。

 たぶん、肩甲骨がそのまま痛んでいるわけじゃないんだと思う。薄皮一枚体の外、自分の体ではないところに猛烈な痛みを感じている。

 倒れ込んだ私の目の前には空になった籠。風に運ばれて僅かに揺れているのを視界に納めながら、壮絶な痛みに喘ぐ。なにが起こっているのかもよく分からないまま、ただただこの痛みが過ぎ去るのを待つ。

 感覚がある場所が伸びているような。

 体を一気に成長させられているような。

 体じゃない場所が増えていくような、背筋を悶えさせたくなる気持ち悪さ。

 島中の困惑と悲鳴の声が聞こえてくる。空の歪みや気持ち悪さは全員感じているのだろう。楽しく星拾いをしていたのに突然世界が壊れ始めたのだ、当然と言えば当然ではあるのだが。

 身悶えしながらなんとか痛みをやり過ごし。背中を見てみれば、そこには。


「なんで、私に……?」


 背中には、鶴屋と同じような翼が生えていた。透明で僅かに燐光を散らす、いかにも翼ですと言わんばかりのもの。

 私の身動ぎや感じた痛みの元を少しだけ動かす。体じゃなかった空間に力を通さなきゃいけないから物凄く変な感じがする。

 そんな慣れない感覚の先で、ようやく軽く震える程度に動いた。

 遠目で見れば柚希さんがいた神輿の辺りでも相当に騒ぎが起こっている。もしかしたら柚希さんの方でも似たようなことが起こっているのかもしれない。

 そのことに対する申し訳なさと、翼が自分にあることへの感慨。それを埋め尽くすほどの、阿鼻叫喚に対する焦り。

 私は、今頃になってこの世界のルールの一つである『世界のバランスを乱さないようにすること』という文言を思い出していた。

 ただ、今さらどうにかできるわけもなく。

 どこからか銅鑼の音が響き渡る。誰かに届けるための音ではなく、乱雑に撥を叩きつけたような耳に刺さる打撃音だ。威嚇音だとしてもあまりに激しい。

 その音に合わせるようにして、島中の道ではない場所から強い「意志」のような物が大量に立ち上がったのを感じる。人生で初めて感じた、あまりに大きくて強い敵意の塊だ。

 ガサリ。茂みを踏みつぶすような音が響く。

 その音に反射的に後ろを振り返っても、そこにはなにもいない。

 ガサリ。ガサリ。ガサリ。

 次々と、無遠慮に茂みが踏み荒らされていく。砂を踏む音も混じり少しずつ近づいて来ているのが分かった。

 なのに。


「誰もいない……なんで……?」


 明らかに沢山の意志のような物が近づいて来ているのが分かるのに、目の前の景色には誰もいない。絶対にそこにナニカが集まっているのに。

 続々とそこに集まったナニカたちの、肩ぐらいの高さの所から青白い炎が灯された。気配の数の分だけ、ゆらりと不気味な炎が。

 明らかに足音が聞こえるのに姿はない。青白い炎は確かにそこにあるのに、温度も周りを照らすだけの光もない。見えない存在の影も、当然のごとく見えなかった。

 完全な暗闇の中に炎だけが揺らいでいる。

 ──篝火の光だけは避けるように。

 その光景を見て反射的に駆け出す。頂上の広場を走り抜けて、登ってきた道を戻っていく。

 私の後を追ってくる気配、道の脇から出てこようとして阻まれる気配、その全てを敏感に感じ取りながら、振り向くことなく。

 不規則に流れる風が、抵抗を感じない翼の隙間を潜り抜けていく感覚が気になる。


「どうしよう、どうしよう……!」


 道も、風も、感じる気配も、全てが私の感覚を狂わせる。なに度も転びそうになりながら、細い、石畳の道を全力で走り抜けていく。

 当ても考えもない。ただ、あそこから逃げなきゃ、という本能だけ。

 明るい所は大丈夫なのだろう。少なくとも篝火がしっかりと設置されている道に奴らが出てくる様子はない。

 ただ、青白い松明以外に槍でも持っているのかと言わんばかりの、肌を指す殺意のようなものが痛い。なんでここまで敵意を持たれているのか、全然分からないのがあまりにも怖くて息が詰まる。

 裏道を走り抜け、神社に繋がる道にたどり着いた。

 狙われているのは私だけではないようで。


「おかあさん!」

「なんだよこれ! なにが起きてる⁉」


 全員が差すような気配を感じているようで、子供たちは泣いて、大人はそんな子供たちをなだめつつ事態に困惑しているようだ。

 篝火のある場所に近づいて来ないことには全員気がついている。気配は道の周囲の暗い部分に押し合うように密集しているようで、周囲は不気味な炎の集塊が蠢いていた。

 篝火の内側に入れないのをもどかしく感じたのか、気配たちの動きが変わる。

 個別でどうにか近づこうとしていたのを止め、暗闇の中心で集まっていっているのを感じる。思わずその方向に視線を向けてみれば、青白い炎が集まり、うず高く積み上げられていっていた。


「大きくなってる……?」


 一つの炎がくっついて大きさを増す。それを見て真似を始めたかのように、次々とくっついて肥大化していく。茂みだけでなく樹々まで容赦なく圧し潰し、不気味な音を立てて存在の強さを増していった。

 そして、そのナニカが岩壁を削り、持ち上げた。


「逃げてっ!」


 反射的に叫ぶ。

 狙いは明らかに篝火台だ。ただ、この神社前のエリアには沢山の人がいる。あのままナニカが岩を投げれば、確実に大人数を巻き込む大惨事になるはず。

 他にも数人叫んでくれたおかげで竦んでいた足が動いたらしい。弾かれたように岩の落下地点から離れていく。

 篝火台が倒れ、注連縄に燃え移っていく。明かりが途切れ、道に暗い部分が増えていく。

 大きなナニカの足元を小さなナニカが走り抜け、暗い場所を埋め尽くしたのが分かった。そいつらは、まだ倒れていない篝火台もなんとか倒そうと奮闘している。

 直接的になにかをすることは難しいだろう。ただ、全く方法が無いわけではないことは分かってしまった。

 ──島全体を巻き込んで、悲鳴が響き渡る。

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