♯18 流星雨の夜


 柚希さんと鶴屋はどうやら少し前に出て行っているようで、どこにもいない。今夜の仕事のために早くから出ているのだろう。


「小宮さん、上がっていいわよー! お祭り楽しんでいらっしゃい!」

「はい、ありがとうございます!」


 着替えを終えて、用意してもらっていた動きやすい服装に着替える。街の外には、一昨日の祭りの時に負けないだけの篝火が焚かれていた。

 注連縄と紙垂が上昇気流に揺らされているのを見ながら足早に神社に向かう。柚希さんのお披露目がなに時からかは分からないけど、夕方って言っていたからもうすぐのはず。

 星拾祭初日ほど人は出歩いていないようで、道はだいぶ歩きやすい。星を拾うためなのだろう、子どもたちを中心に小さな籠や風呂桶を持っている人をたくさん見かける。屋台こそないものの、みんな楽しそうな顔をしていた。

 浴衣を着ているせいで暑いのかもと思っていたけど、夏にこれだけ篝火を焚いていたら汗をかくのも当然かもしれない。むしろ、浴衣より肌を出しているせいで火の熱さが直接伝わってくる。

 汗を拭いながら坂を上り、階段を上がる。流石に多くなってきた人の流れに乗っかって、ようやく神社にたどり着いた。

 狭い境内の中を、それなり以上の密度で人が埋め尽くしている。前に来たときはしっかりと砂まで形が作られていたから石畳の道の外は歩きにくかったんだけど、そうも言っていられないくらい多い。

 今は扉が閉じているけど、本殿の中が見やすいようにか、お賽銭箱は片づけられていた。代わりに大きな籠やお皿みたいなものが準備されている。その、いかにもなにかをここにお供えします、と言わんばかりのそこからさらに数メートル離れた場所から人の壁がある感じ。

 集まった人たちはゆっくり、思いおもいに話しながら待っている。


「準備で肩が痛くてさぁ」

「ねぇ見てこれ、可愛くない?」

「お母さん、お巫女さんまだー?」


 全員が気を遣って声を潜めているような、それでいて自由にいるような感じ。

 話し声は篝火の薪が小さく弾ける音と、通り抜ける風に運ばれて消えていく。生い茂る竹林と、すっかり薄暗くなった空に溶けていく。

 僅かな沈黙と、声の盛り返し。何度かそれが繰り返された時に、ようやく乾いた拍子木の音が響き渡る。一瞬で境内が静まり返って、全員の視線が本殿の方に向いた。


「これより、今年の巫女のお披露目を行う! 神主のクジによって正式に選ばれた正式な巫女だ、不敬な言葉は慎むように!」


 本殿の扉の前にいる男の人がそう叫び、降ろされていた幕が引かれる。幕を紐で結び終わり、いよいよ扉の取っ手に手が掛かり、一気に開かれた。


「すごい……綺麗……!」


 礼のために頭を下げていてなお、その全体の均整というか、神聖さが伝わる。

 一点の曇りもない白衣と、鮮烈に視線を引きつける緋袴。その二つをしっかり覆い隠すようにふわりと広がるのは、僅かに透けた千早だ。

 ゆっくりと柚希さんが顔を上げる。丈長で纏められた黒髪の房がうなじの辺りから流れ、肩から前に流れて揺れた。

 細工の施された冠を被り、その飾りをほとんど揺らすことなく静止した。

 くどくない程度に顔にはたかれた白粉と深紅の口紅の対比が美しい。元々良い顔のバランスとそれぞれのパーツの美しさが光り、思わずため息が出るほどだ。

 言っていた通り緊張しつつ、それでも堂々とした表情。ここが神社で儀式の最中でなければ、たぶん大げさなくらい拍手をして柚希さんを困らせていたと思う。

 ……それなのに。

 柚希さんがその片方しかない翼を広げた途端、背筋が震えるくらい空気が冷たくなるのを感じた。


「やっぱり、あの子って……」

「不適よね」

「クジは神様の意志だから文句とかはないんだけど、ねぇ」


 つい数秒前にされていた注意喚起がなんの意味もない。

 それぞれが小声であっても、この人数が声を出せば嫌でも耳に入る。そうでなくても、話している姿は当然見える。意識してか、無自覚なのか分からないそのたくさんの意志が、うねりとなって空気を澱ませていく。

 そんな事さえ分からない人たちが、こそこそとしているつもりで、不躾に。自分たちの言いたいことを言いたいだけ口から放り捨てる。

 神主さんらしき人や注意喚起をした人は歯噛みをしつつもそれを止められない。

 ただ一人、柚希さんだけが揺らがないまま、真っ直ぐ前を見据えている。


「……ッ」


 耐えきれなくて、出口の方に向いた。人波をかき分けて、階段の方に向かう。

 後ろで、大きく薪が弾ける音が聞こえた。

 煤と火の粉が舞い散って、目が痛い。

 祭りの開始を報せる太鼓が煙い夜空に響き渡っていく。


「やっぱり見栄えが少し悪いわよね」

「本当に神主様がクジを引いて選んだのかしら」

「変なことにならなければ良いな」


 本殿から離れていたら分からないとでも思っているのか。そう叫びたくなるほど無遠慮な声の中を駆け下りていく。どこを目指すでもなく、ただ一段下の階段を見て。

 始まるを告げる太鼓の音は島中に響き渡っているようで、この高い場所から見える中でも街中で人が動き始めていた。全員が空を眺め、星がいつ降り始めるかと待っている。

 儀式が進んだのだろう。太鼓の音の響き方が変わる。遠く、時計台の方から大きな鐘の音が鳴り響く。星拾祭が、儀式が進んでいく。

 シャラン。

 本殿の方から微かに聞こえた鈴の音に合わせて、空が変化を始める。柚希さんが踊り始めた神楽に合わせて、空が、境界が、反転した空が、揺れる。

 シャラン。

 島中の篝火が大きく揺れて、風が変わった。篝火のない場所からホタルたちが湧き出て、道を、林を、森を淡く照らし出す。

 シャラン──。

 空と、反転した空が見える場所に、いくつもの波紋が生まれた。

 高揚したような感嘆の声が、あらゆる場所から聞こえる。みんなが持っている籠や桶を握り直し、一瞬でさえ見過ごすまいと空を見つめる。

 空に浮かび上がった無数の波紋の中から、指で摘まめそうなくらい小さい、綺麗な光のようなものが零れて。人々の待つ場所へと、一斉に流れ落ちてくる。

 流星群。星雨。星河。

 どんな名前が似合うか悩むくらいの流れ星が、長い尾を引いて、真っ逆さまに。

 思わず足を止めた。ただでさえ誰でも魅了する空が彩られる最高の天体ショーを見て、止めざるを得なかった。

 地面に当たり、少しだけ跳ね返って、私の足元まで転がってきた。硬い音なんてしない。重さが無さそうな、それでいてちゃんと転がる、不思議な光たち。


「これが、星?」


 摘まんでいる感覚と僅かな重さが、私の人指し指と親指の間で明滅を繰り返している。


「おねーさん!」

「ミユちゃん?」


 小さな可愛らしい声が足元から響く。驚いて向けた視線の先にいたのはミユちゃん。この世界に来た日に鶴屋と卓球をしていた子だ。すっかり捻挫は良くなっているみたい。

 私が拾った星が欲しいのだろう。もしかしたら集めるのに協力してくれているだけかもしれない。小さな手に持った籠を差し出してくる。


「はい、どうぞ」

「ありがとーございます!」

「なにをお願いするの?」

「いっぱい! だからたくさん拾わないといけないの!」


 促されるままその籠に星を入れてあげれば、ありがとー、と嬉しそうに言いながら頭を下げて去っていった。ミユちゃんのお母さんたちも遠くから頭を下げている。

 そんな光景が、島中のそこかしこで起こっていた。

 誰かが拾って誰かの籠に入れる。集まった星を見て笑顔を見せ合う。大きな籠にも、小さな籠にも、同じくらいの星がどんどん集められていく。


「その星って、どうするんですか?」

「集めたら神社に持って行って奉納するか、神輿と一緒に島を周る神輿の籠に入れるんだよ。その時に願い事をすると叶うんだってさ。ほら」


 教えてくれた人の声に被せるように法螺貝の音が鳴り響く。太鼓の音と共に、神社の階段の上から松明を持った人がなに人も現れた。

 たくさんの松明に煌々と照らされたその内側から、三基の神輿が出てくる。

 私たちが綺麗にしたあの神輿だ。星を集めるための籠神輿二基と、神様の乗ることになる大きな神輿。籠神輿に挟まれるような並びで、人波をかき分けて出てきた。

 階段を埋め尽くしていた人がすぐに道を開ける。たくさんの男衆が神輿を担ぎ、ゆっくりと階段を下っていく。

 自分の隣を通る時に、それぞれの持っている星を籠神輿に入れていた。籠が過ぎ去るまでの間、手を合わせて瞑目している。たぶんそれぞれのお願い事をしているのだろう。

 階段を降り切るころには各々が持っている籠より籠神輿の星の方が少しだけ嵩が多いくらい貯まっている。人が手を合わせるたびにそれぞれの星が極彩色の光を放っていた。

 ただ、神輿の簾が揺れて柚希さんの顔が覗くたびに、人がそそくさと視線を外す。

 それがどうにも痛々しくて。


「……」

「お姉ちゃんどうしたの? どこか痛いの?」


 ミユちゃんが私の顔を見て心配してくれたらしい。小さな眉を寄せて見つめてくる。

 これ使う? と差し出してくれた小さな籠を受け取り、なんとか笑顔を作ってお礼を言う。演技ができる人で良かった。お祭りの日にこんな小さい子の表情を曇らせるわけにはいかない。

 一応親御さんに確認したら、どこでも配られているようなものなので、と言って譲ってくれた。本当にありがたい。

 神輿の方を見る。風に揺れて僅かに捲れた簾の隙間から、柚希さんと視線がぶつかる。

 その表情を見た途端、なんとか抑え込もうとしていたなにかが溢れ出してきて。

 叫びたいのを動く力に変えて走り始めた、


「はっ、はっ」


 ──もし、今度こそ、本当に神様が願いを叶えてくれるなら。

 あれだけ頑張っている人を見捨てるなんておかしいと思うから。

 そんなのを許したままじゃ、いけないと思うから。

 私は元の世界に帰るお願いをしなきゃいけない。でも、星をたくさん集めたら願いが叶うというのなら、柚希さんのために私は動きたい。

 思わず足が動いていた。

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