♯17 決意


 翌朝。

 すっかり体調は復活したようで、喉に少し痛みが残っている以外は気になるところはない。今日は発声練習はできないだろうけど、体に負担がないくらいで体を使う練習やトレーニングをしようと思う。

 窓の外を見れば、夜の時には暗くて分からなかった、すっかり様子の変わった街がある。

 道の脇の篝火台はそのまま設置されているけど、そこをさらに囲むように注連縄が島中に通されている。当然紙垂も注連縄にあって一定間隔ごとに垂らされているから、遠くから見た時の一体感が凄い。

 元の世界では絶対に目にかかれない光景に思わず視線が奪われる。


「小宮さん、起きていますか?」

「はい、起きてます! どうぞー!」


 そうやって外を眺めていると、外から柚希さんの声が。

 心配そうな顔をして入ってくる柚希さんに笑顔で応える。喉以外は万全なことを伝えると、良かったです、と言いつつ熱は測られた。


「本当に大丈夫そうですね。咳などはないですか?」

「ないです。喉の下の方が痛いだけで」

「なるほど。では、また柚生姜茶を足しておきますね」


 本当に少し体調を崩していただけで、今は大丈夫だと分かったらしい。しっかりとした確認の上で、ようやく少し安堵したようだ。


「お祭りが原因なのか、他に理由があるのかは分かりませんけど。体調は一番に大切にしてくださいね。なんといってもやっぱり体が資本です」

「はい。昨日もお仕事を休んでしまいましたし、すみません」

「そのくらいは大丈夫ですけどね。ただ、あと数日以内に帰らなくてはいけないでしょう?」


 いまだにどうやったら帰れるかは判明していない。たぶん星拾祭が終わるまでに帰らないといけないんだろうな、ということしか分かっていないのだ。

 しかも今日、星拾祭の本番二日目は全五日間の中でもメインの日。降ってくる星を拾い、島中で集めて神社に奉納する。しかもこの夜の願い事は叶うという言い伝えまであるのだからおちおち寝ていられない。

 神社で直接お祈りをして帰れなかったから正直望みは薄い。だけど、願う価値はあるはず。

 そんな日を寝過ごさなくて良かった。なにより、しっかり看病をしてくれた柚希さんには本当に頭が上がらない。


「今日も今まで通り働いてもらう予定ですが、少しだけ事情が変わります。というのも、お祭りは初日よりも遅い時間が開催時間なんです」

「星を集めるんですもんね。夜じゃないと駄目だろうな、というのはなんとなくわかります。星を集める、というのはよく分かっていないですけど……」

「それはたぶん始まってみたらわかると思うので、心配はいらないですよ」


 それは見てのお楽しみ、ということらしい。

 まだ秘密ですよ、と言いつつ柚希さんがする悪戯っぽい笑顔を久しぶりに見た気がする。相変わらず似合うというか、美人専用というか。たぶん一生真似できないんだろうなぁ、と思う。


「あと、今日は私と鳴は手を離せないです。お祭りの巫女と時告げの役割があるので、明日の朝までは帰ってこないと思ってください」


 そういえばそんなことを鶴屋が言っていた気がする。

 柚希さんは夜の間中神社で巫女としての役割を果たすから旅館にいられない。

 星拾祭が近づいて、星が降ることで島のバランスが一年で一番不安定になるから時間がズレる。そのズレた時間を正確に告げるために、鶴屋は時計台で時を告げ続けるという仕事があったはず。

 つまり、今日の私はもしもの時に頼れる人が誰もいないということになる。


「ちょっとだけ不安です」

「分かります。私も巫女は初めてですから今から緊張していますよ」

「そうなんですか? 柚希さんはそういうのも堂々とこなしそうだなぁって思ってました」

「まさか。小宮さんと演技をした時だって緊張したって言いませんでした?」


 そういえばそうだった。私と一緒になって、裏の廊下でへたりこんでいたっけ。

 なんでも淡々とこなしそうだと思っていたけど、柚希さんも高校生なんだった。普段がかなりしっかりしているから変に感じるけど、私のたった一つ年上なだけなのだ。


「その、柚希さんの巫女さんの姿って見れるんですか?」

「見れますよ。夕方くらいに神社でお披露目みたいなことをしますから。でも、知り合いに見られると思うとやっぱり恥ずかしいですね」


 そこで、いつの間にか大きくそれていた話を元に戻す。


「お仕事はしてもらいたいんですが、ちゃんとお祭りは楽しんでほしいなとも思うんです。なので、夕方まではお仕事をお願いします。その後は自由時間なので、お祭りに参加すると楽しいと思いますよ」

「すごく楽しみです。こんなに連日のお祭りとかは体験したことがなかったので」

「そうなんですね。楽しいかどうかは分からないですけど、他ではない体験ができると思いますよ。他の島や小宮さんより前に来た人たちも、見たことがないって楽しんでいたので」


 そう言われるとがぜん楽しみな感じが強くなってくる。第一、星拾いがなになのか想像すらできていないのだ。

 というわけで。楽しみは後にとっておき、仕事のための準備に入っていく。

 柚希さんは今日は本当に忙しいようで、いそいそと自分の仕事に戻っていった。神社に行ったりおめかしをしたりしなきゃいけないのだから大変だろう。

 髪を整え、ロッカールームで従業員の着物に着替える。すっかり和服にも着慣れたおかげで、最初の頃に比べるとだいぶ準備にかかる時間も短くなった。


「おはようございます!」


 食堂で交わされる挨拶に参加すると、お仕事が始まったな、という感じ。用意されている美味しい朝ごはんをしっかりと食べる。

 男衆は街の準備を、女衆は神社の中での準備や子供たちの相手をするらしい。準備を昨日ある程度しているとはいえ、旅館の中の人はかなり出払っているようだ。思ったより閑散としていて仕事がしやすい。

 前と同じメンバーで風呂掃除をしていると、唯ちゃんに前と同じく声をかけられた。目ざとく私の時計を見つけたようで。


「あ、奏ちゃん時計弄ったんだー! 可愛い!」

「結構可愛いし使いやすくしてもらった!」


 唯ちゃんは同級生だし、とても快活な子だから話しやすい。なにより仕事の内容や時間帯がかぶることが多くて、ほとんど必然的に仲良くなった。

 そのおかげもあってか唯ちゃんはすぐに私の時計がリニューアルされたことに気がついたようで。いかにも興味津々、という感じで話しかけてくる。

 私の手にある時計を覗き込む様は人懐っこいリスみたい。


「いいないいな、その秒針は見たことないなー。オーダーしたの?」

「んーん、鶴屋が調節の時にしてくれた」

「鳴くんの方からしてくれたの?」

「そう。昨日休んじゃったでしょ。その時に」


 風邪で寝込んでいたこと、その間に鶴屋が時計の調整をしていたことを話す。あの時に寝たフリをしたことはナイショにして、起きたら直っていたしリニューアルされていたんだ、という説明をする。

 その、鶴屋が勝手にリニューアルしたというのがだいぶ想像の外だったようで。


「鳴くんもたまにはそういうことするんだなー。なんていうか、優しいし色々気も回してくれるけど余計なことかもなって少しでも思うことは絶対しないから、なんか意外」

「優しいっていうの、私まだよくわかんないんだけどね」


 みんなの鶴屋にする評価が少しだけしか分かっていない。たぶん気は回せるんだろうし、ここまで言われるくらいだから聞き上手で優しくもあるのだろう。

 ただ、あくまで私が見たことがあるのは無表情でどちらかと言えば不愛想な鶴屋ばかり。そこまで言うほどかなぁ、というのが本音。

 呆れたような、苦笑いのような顔をしていると。


「奏ちゃんそういえば、一昨日の夏祭りで室谷さんといたよねー。仲いいの?」

「たぶんそうでもないと思うんだけど……誘われたからなんとなく、かな?」


 思えば室谷さんとの関係も本当によく分からない。たぶん同じこの世界出身じゃない人として親近感というか、心配のような物をしてくれているのは伝わるんだけど。

 私の苦手意識が未だにあるのも、それを分かっていて遠慮してくれているのも原因としてあるとは思う。

 そんな感じで話をしつつ、風呂掃除、ゴミ出しが終了。廊下や窓の拭き掃除を終えたころにはお昼が近づいて来ていた。

 唯ちゃんとも分かれ、食堂の方に顔を出すとそこには、さっき話していたばかりの鶴屋と柚希さんがいる。


「鳴は今日も大変だね。ちゃんとお昼に寝ておくんだよ?」

「分かってる。それに大変なのは柚希も同じだろ」


 一昨日の夜ほどではないものの、相当に気を許した感じで話している。昼食の前だからか人が少ないのもあって、かなりラフな感じだ。


「やっぱりさ、一時間ごとに鐘を鳴らし続けるのって大変じゃない?」

「神楽を舞う方が大変だと思うけどな。それこそ昼寝もできないだろ」

「私はお化粧してもらっている間は仮眠できるから大丈夫だよ」

「それはそれでダメだと思うんだがなぁ」


 傍から聞いているだけでもそれは足らないと思う。

 ただ、今更言ってもしょうがないし、とお互い諦めているようだ。

 柚希さんがそんな少し重い空気を吹き飛ばすように、パン、と小さく手を叩いて話を少しだけ切り替える。


「そんな話をしに来たんじゃなかった。鳴、鐘を鳴らすときはたしか自分で持っていく時計を使うんだったよね? 魂珠で動くやつじゃない、機械のやつ」

「そうだな。あそこに設置されている時計はだいぶ昔の物らしいから、正確な時刻を告げるためには別で正確な時計がいる」

「じゃ、その時計にはこれ使って」


 そう言って柚希さんが差し出したのは、それまで沢山の時間を超えてきたのだろう、一つの細かい傷が目立つ懐中時計。飾り気のないそれは、柚希さんには似合うような、違和感があるような。


「……お前な。時計を人に安易に渡すな」

「鳴は別枠でしょ。それとも、変なことする?」

「しないけど」

「じゃあ大丈夫。正確な時計がいるんでしょ?」


 そっか、柚希さんの時計はズレたことがないんだっけ。だとしても、それは。


「たぶん鳴のことだからちゃんとした時計は持っていくと思ってるよ。だからこれは私の気持ち。私も一緒に頑張っているから、その時に鳴に持っていて欲しいの。たぶん、その方がいい気がするから」

「……そうか。柚希の勘はよく当たるからな。分かった」


 そこまで言われてようやく納得したようで、時計を受け取る。柚希さんが鶴屋を信用したように、鶴屋も柚希さんを信用して。

 分かっていたことなのに。

 お互い頑張ろうね、と笑いあう二人が見ていられない。時間と、あの夜に見えなかった表情まですべて見ているようで。


「星拾祭の間は、この世界と一緒で人の心も揺れやすくなる。柚希のことだから大丈夫だと思うが、頑張れ」

「うん。見えないかもだけど、思い出したら時計台から見守っててね」


 私は、あの時と同じように音を立てないようにそこを去るしかなかった。

 その後のお仕事は、たぶん、ちゃんとできてはいたと思う。間違いもなく、失敗や槍の腰もなく。言われた仕事を、慣れた通り、しっかりこなしたはず。

 ただ、自信を持ってちゃんとやっていたと言えるほど、覚えてはいられなかった。

 揺れたような、揺らいだような、気がして。時計を見てみれば。


「……アイツほんと、仕事だけはちゃんとしてるんだから」


 全く揺らぐことなく一定のリズムを刻み続けている。あまりにも揺らぎやすい私の代わりにちゃんとしてくれているかのように。

 ──決めた。私はもう、帰ることだけを考える。今からの時間を、どの瞬間も使って、全力で。その事だけに全力で挑む。今日をいれて残り三日間を頑張り切ることに決めた。

 それが終わるまで。元の世界に帰るまで。この、胸焼けのような気持ちを隠していよう。


「もっとちゃんと言ってくれたらいいのに。鶴屋のバカ」


 目尻を拭って、無理矢理に表情を整える。入れ直した気合が崩れないように。

 とりあえずお昼までの少しの時間のお仕事をちゃんとやろう。美味しいお昼ご飯を食べて、それから、柚希さんが心配しなくていいくらい頑張ろう。

 頬を叩いてみて、思ったより力が入らなくて。痛いような、怖いような、


「しまらないなぁ」


 苦い顔をしながら仕事を始めた。

 いざ始めてしまえば思ったより気にならないもので、しっかりと体も頭も動いてくれている。さっき以降は鶴屋も柚希さんも見ていないのもあるかもしれない。

 鶴屋に関しては、時計を直してくれたお礼を言いたい気持ちもあるんだけど。

 お客さんが少ない間に、掃除を主軸に働いていると思ったより時間が過ぎていた。祭りに合わせてか、ゆるりと島全体の熱気のようなものが高まっているのを感じる。

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