♯16 怠い体と温かさ
「あー……ヤバいかも……」
翌朝。
いつも通り、というには少し遅い時間に起きて、その瞬間に体の不調を悟った。
喉が痛いし、夏に布団をかぶっているのにとても寒い。なにより体が熱くて、関節とか節々が筋肉痛とかとは明らかに別種の痛みを訴えている。
夜に走って汗に濡れた服で歩いたこと。お風呂を出た時にちゃんと全身拭ききらなかったこと。なにより心の健康が先に崩れきっていたこと。
全部が重なって、数年ぶりにしっかりとした風邪をひいてしまったのだろう。
「気持ち悪い……」
少し動くことすら嫌なくらいだ。話すのも辛い。たった一晩でこんなに体調が悪くなるのか、って驚くくらいには体調が崩れきっていた。
小学生とかの頃とは違って頭はちゃんと動くから、原因が自分にあるのも分かって辛い。
「小宮さん、おはようございます。入っても大丈夫ですか?」
「入って大丈夫です……でも近づかないでください……」
流石にここまで色々してくれている人に風邪をうつすわけにはいかない。
私の声を聞いてなにとなく事態を察したらしい柚希さんがそっと入ってくる。布団に入ったままの私を見て完全に事態が分かったようで、懐から大き目のハンカチを取り出して自分の口元に巻いた。
私の額に手を当てて熱を測っている。
「……だいぶ熱いですね。少しお待ちを」
手を洗い、扉は開けたままでどこかに小走りで去っていく。
わりとすぐに戻ってきた柚希さんの手元には小さな桶と数枚の手拭い、さらに数人の従業員さんの手で追加の布団が運ばれてきた。
テキパキと処置が進められていく。額には濡れ手拭いが置かれ、首元や足の汗が拭かれた。
「流石に今日は無理ですね。星拾祭も準備日ですし、休んでいてください」
「すみません、本当に」
「いえいえ。慣れない環境で働いていたのに急に休みになったので疲れが出たんだと思います。気に病まず、しっかり休んでくださいね」
なんと言えば分からなくて黙り込む。
昨夜、あの広場にいる姿を見てしまったことは気がつかれていなかったらしい。足音はちゃんと消せていたみたいで安心したけど、それ以外の所がなに一つよくなかった。
でも、柚希さんはそんな私の懊悩には気がつかなかったようで、他の従業員と共に退出していく。何度か見に来ますね、と言われても頷くことしかできないけど、それがとてももどかしかった。
寝よう。仕事ができないのも、手間をかけさせたことも、昨晩のアレを見てしまったのも、全部が心苦しいけど。それならせめて、一刻でも早く体調を直さないといけない。
目を閉じるとゆっくり意識が揺らいでいく。体は寝ようとする私の努力をちゃんと汲んでくれたようで、わりとあっさり眠りに落ちていった。
その後、柚希さんは宣言通り小まめに体調を見に来てくれた。
お昼にはおかゆを持ってきてくれて、レンゲで一口ずつ食べさせてくれる。土鍋は熱そうだったのに、口に運ばれる頃にはちょうど良い温かさになっているのが凄い。いかにもお世話慣れをしている感じだ。
額の手拭いを変えてもらい、もう一度全身を拭いてもらう。
「体調はどうですか?」
「朝よりはだいぶ良くなったと思います。気持ち悪さとかボーっとした感じはないです」
「それは良かったです。おかゆ、最後まで食べれそうです?」
「食べれます、美味しいです」
ダシと塩が程よく効いてて食べやすい。鈍くなっている舌でも味が分かりやすくて、それでいて濃くはないから、安心して食べられる。
そんな感じで介抱してもらい、街や旅館の喧騒を遠く聞きながら眠りにつく。
どうやら街の人々は、明日の星拾祭本番の準備に奔走しているらしい。昨晩に島中で大量に使ったらしい薪の追加、屋台の撤去、片付けなんかをしている声がずっと聞こえていた。
その遠くから聞こえる声は子守歌に最適で、とても落ち着いて休むことができた。
……ということで、ゆっくり眠っていたんだけど。夕方になったころに、枕元に誰かの気配を感じて意識が浮上した。
「……」
「……」
小さな金属と工具を弄る、小さな物音。起こさないようにという意思は感じるものの、最低限出てしまう音は仕方ないだろう、とでも言いたげな堂々とした雰囲気も感じる。
枕元に誰かがいるのだけが理由じゃない、言いようもない不安感。心をそのまま撫でられているような、少しの気持ち悪さがあった。
その不快感がどうしても拭えなくて、薄く瞼を開けてから周囲を軽く確認すると。
「どうしてコイツはたった一日でこんなに出力が変えられるんだ……」
などと独り言を零しつつ、私の時計を直している鶴屋がいた。
たぶんこの言いようのない不安感は、魂珠を他人に触られているからなのだろうな。前回はそんなことを考えている余裕がなかったからわからなかったけど、たぶんそういう事だと思う。
「……」
気まずい。たぶん一方的に気まずく思っているだけなんだと思うんだけど。
ただ、今起き上がるわけにはいかない理由がある。
時計が乱れるのには理由があって、その乱れた理由からどれくらい出力がブレる可能性があるかを時計屋は考えて調節しなければいけないらしい。そして、鶴屋はそれをその人の思い当たる理由を直接聞くことで対処をしている。
でも、今回の理由に限っては答えられるわけがなく。
「……」
「……」
結果として、私が一人だけ非常にいるのが苦しい空間が生まれている。
一日寝たし美味しいおかゆを食べたおかげもあって、体調は自分の感覚の上では結構良くなってきていた。出歩くのも問題ないだろうし、寒気も熱っぽさもない。風邪の可能性があるから接客はできないと思うけど。
「なんで空色なんだろうな、コイツの石は。生まれた瞬間から空が好きだったわけでもないだろうに」
どうだったかな。かなり小さい頃から好きだった気がする。
という返答は心の中だけでして、できる限りの寝たふりを続ける。鶴屋に聞きたいこととかは沢山あるけどそれはいったん飲みこんで。
それ以降は特に鶴屋もひとり言を言わずに作業をしていた。黙々と歯車を組み込み、各部のパーツを組み替えつつ時計を仕上げていく。蓋をして、ちゃんと動いているのを確認してからチェーンを通して完成。
たぶん、柚希さんに言われて直しに来たのだろう。寝込んでいる間はずっと枕元に置いていたから、ズレているのはたぶん目に入っていたはず。
仕事は終わった、とでも言いたげにさっさと工具を片付けて退出していく。
扉が閉まり、その足音が遠のいていくのを確認してから、直してくれた時計を確認すると。
「これ、可愛い」
簡素で真っ直ぐなだけだった秒針の形が可愛いものに変わっている。チェーンも腕とかに長く着けていても痛くならなさそうな、細くて滑らかなものに付け替えられていた。それ以外にも細かい所が変更されている。
今までは本当にシンプルな懐中時計という感じだった。アンティークさもない、本当にただただ手持ち用の機能時計。
それがファッションとして生きるようになったというか、ふと見た時に少し笑顔になるくらいに進化したというか。誰かに「時計を見せて」と言われた時でも、自信を持って見せられるくらいの可愛らしいものになっている気がする。
高校生だから腕時計は持っているけど、それこそ機能性を重視していた。女子の持ち物とわかるくらいの見た目ではあったけど、それこそシンプルを極めたものを使っている。
それだけに、時計でお洒落をするのは初めてでなんか楽しい。
「書き置きくらいしてったらいいのに」
寝ている人に説明とかしていたら単純に変な人だけど、それでもなにか書き置き位していけばいいのに。変なところで鶴屋らしいというか、なんというか。
時計を見たり、柚希さんが持ってきてくれた本を読んだりしつつ一日を過ごしていく。
運んできてもらった夕ご飯を食べて、一緒に用意してもらった柚生姜茶を飲んで、入りたいときにお風呂に入る。着ている浴衣も生活の時間もお客さんと同じだから、まるでこの旅館に泊まりに来た人みたいでなんか楽しい。
気がつけば夜も深まり、窓を開ければ湿気た涼しめの風が吹き込んでくる。月は青白く輝いて、淡く島を照らし出していた。
一階の従業員用の部屋にいるから島の方は近くしか見えないけど、あの高台から見たら綺麗だったりするのかな。それとも、今日は篝火台に火が灯されていないから結構暗かったりするのかな。
そんなことを考えつつ、今日何度目かの眠りについた。
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