♯14 綺麗な浴衣とチョコバナナ
人通りがそれなりにある場所を選びつつ島を半周くらいして、時間はお昼過ぎ。
柚希さんに言われた通りちゃんと旅館に戻れば、従業員用の部屋がとりどりの色に包まれていた。見渡す限りの浴衣と装飾品に圧倒される。
いち早く私を見つけた柚希さんが声をかけてきた。
「あ、おかえりなさい。楽しめましたか?」
「楽しめましたよ。お祭りは遠くから見ていただけですけど」
「楽しめたなら良かったです。お祭りは、なにより楽しんでこそですから」
そこで、周りを見渡して。
「それで、これはどうしたんです?」
「小宮さんにしているみたいに浴衣を貸出ししているんです。その準備ですね」
島同士の人の動きが多い、というのは本当のようで。この島の若い人たちは家業なんかをやることも多いけど、そういう場所が特別ない人はこの旅館でバイトをすることが多いらしいのだ。
となれば、私と同じように着飾ってお祭りに行きたいという人は多い。そういう人達のために旅館側がお助けとして浴衣を貸し出しているのだそうな。
普段はしっかり人手の役割を果たしている若い子たちの大半が今日は休日。主婦層以上が旅館を支えて、若い人はお祭りを楽しむのだとか。
「小宮さんはどうされます? あの浴衣にしますか? 変えますか?」
「あの浴衣でお願いします!」
「分かりました。では、着付けに行きましょうか」
ということで手を洗い、すぐに私の部屋から浴衣を持ってくる。
着付けをするとは言ったものの。本番は夕方で時間がまだある。今から着付けると、お昼ご飯を食べたり動いたりしている間に崩れる可能性が高くなってしまう。
というわけで、他の人の手伝いをしつつ、自分の準備をしつつ。髪形や先にご飯を食べる人のためにお盆を運んだり、と臨機応変に動きつつ着付けを進めていくことになる。
柚希さんを含め、長くこの旅館に努めている人は流石に手慣れていているらしく、夕方前に全員の着付けがだいたい同時に終わるように調整をしつつ、テキパキと全体を仕切って進めていく。
さっきまで友達の髪の毛を梳いていた人が次に見たら化粧をしていたりするのだ。手際が良すぎてびっくりする。
みんなでお風呂に入ったりもした。お客さんの大半が使わない時間ということもあって、普段はお客様専用の大浴場が従業員に解放されたのだ。従業員用のとりあえず設置してあるシャワールームとは違った、ちゃんとした温泉に入れるのは本当にうれしい。
しかも入っているのは自分と似たような年齢の若い人たちだけ。仕事や学校から解放された状態で、友達や知り合い、いわゆる仲間たちとゆっくりする時間はとても幸せだ。
まあ、年頃の女子の風呂だから、静かにとはいかないんだけど。
「ねーシャンプーないんだけどー」
「それ次貸して!」
という声がずっと聞こえている。女子特有の高めの声が反響して少しだけ耳に刺さる。
当然それは脱衣所、そしてその外までその喧騒は続いていた。視界を埋め尽くす華美な物々、そして姦しさ。完全に準備のための場所として使われているからか普段とすっかり様子が違って見える。
私は待っていたらしい柚希さんに連れられてロッカールームへ。ここも普段の簡素な様子とは打って変わり、色々な化粧道具や服などで埋まっている。大きな姿見がいくつも設置されて、それぞれ手伝ってもらいながら準備をしていた。
その一席を借りて、私も姿見の前に座る。今着ているのは肌着だけだから思ったより薄くて恥ずかしい。廊下に女性しかいなくて良かった。
「じゃあ化粧していこっか」
「は、はい。お願いします」
高校は当然のように化粧禁止。休みの日もそこまで出かけることが多かったわけじゃない。だから化粧に関しては初心者というか、それ以下だったりする。
だから当然のように緊張をしていた。
「ほら、表情固まっちゃうと良くないから、肩の力抜いて抜いて」
それから起きたことは、正直なにがなんだか分からなかった。
最初は柚希さんが一人だけで髪の毛を纏めたり軽く顔を拭くぐらいだったのに、気がつけばわらわらとお姉さん方が集って道具を弄っている。私の浴衣と帯を見てなにかしら話し込み、突然私の方を見る。
怖くなって目を閉じると同時に、ヘアセットと化粧が開始。顔には粉がはたかれ、髪も程よく湿らされては櫛が通された。目の周りを触られるし、顔を動かしたらいけなさそうだし、色々と動かされるのを耐えていたら瞼を開けられなかった。
首元まで含めて肌のケアもされるようで。言われるがままに左右を向いたり、口を開けたり、顎を引いたりということを繰り返していく。
なに度か似たような手順を辿った気がしてきた頃。ようやく緊張もほぐれ、されるがままの人形の気分が高まってきたあたりでようやく、声をかけられた。
「小宮さん、一回確認してもらえる?」
そう言われておそるおそる鏡を見れば。
「わぁ……」
なんというか、すっかり変わったというと大げさだけど。
目鼻立ちが普段よりしっかりしていて肌が白い。いわゆる普通よりしっかりしていて自信が持てるかも。特別大きく変わったり綺麗になったりしたわけじゃないと思うんだけど、それでも大きな差があるのがよく分かる。
「どうかな、変だなって思う所とか気になるところとかある?」
「変なところはないと思います……それより、なんか見慣れないというか」
大学生のお姉さんたちが化粧をする理由が分かった気がする。特別見せるわけでも自分の顔を誇示したいわけでもなく、ただ心の芯が増える感じ。安心感というか、防御壁が追加されるような気分だ。
「大丈夫ならよかった。で、今から仕上げと髪のセットをしようかなって思うんだけど、なんか希望とかあったりする?」
「よく分からないんでお任せしていいですか?」
「オッケー、任せて」
睫毛のあたりの修正もするようで再度瞼を閉じる。髪が本格的に弄られ始めて改めて緊張してきた。軽く毛先を揃えたりもしてくれているようで、鋏が通る音が聞こえる。耳元で鳴ったりするから背筋がむず痒い。
なに度が確認を重ねられ、肌着に散っていた粉と髪の毛を落とされた。
そうして出来上がった姿は。
「なんかこれだけでも結構心持ちって変わるんですね……変な気分です」
唇も程よく膨らんで見えるし、自分で言うのも恥ずかしいけど明らかに普段より可愛と思う。その上で髪形のセットをされているから、首より上はこのまま他人に見せても全く恥ずかしくないくらいだ。
セットしてもらっている間に時間はかなり経っていたようで。
他に部屋にいた人はとっくに入れ替わっているし、日はすっかり傾いて来ている。周りにいる人は着付けや化粧担当のお姉さん方以外は化粧を終えていて、姿が出来上がっていた。
ここまでしっかりセットされたら今度は着付け。改めて見ても上質な浴衣を、柚希さんともう一人に手伝ってもらいながら身に着けていく。袖を通し、肌着も含めて皴とかを直しながらだからかなりゆっくりだ。
慎重に進んでいく着付けは、帯を留めて、帯締めを結んで完成。
「よかった、思った通り小宮さんは青が似合うわね」
「ありがとうございます……自分じゃないみたいです」
姿見に写るのは、見たことのない自分。
お化粧とかのおかげとはいえ、控えめに言っても綺麗だと思う。写真で取っておけたらいいな、とは思うけど、それはそれで恥ずかしい気もする。
見たいだけ見て、鏡の前を他の人に譲る。時計と貰ったお面、そしてこのお祭りの時に使って、と渡された今日までの分の給料の一部を忘れずに持って外に出た。
ロッカールームの外には同じく着飾った人ばかり。化粧をしに部屋に入ったころの喧騒というか、旅館全体が焦ったような雰囲気はすっかり鳴りを潜めている。
窓の外に見える日もすっかり傾き始め、橙に染まってきていた。
「よかったら、歩きになれるついでに二階から街を見てくるといいと思うよ」
という柚希さんの言葉に従い、階段を一段ずつゆっくり登って二階に行く。思ったより歩きにくいような、それでも思ったより慣れているような。仕事の間中ずっと和服に身を包んでいるおかげかもしれない。
そうやって初日に夜の島を見下ろした場所にたどり着いた。
「……すごい、綺麗」
視界の上半分を埋め尽くすのは鮮烈な橙と薄紫に染まる空。太陽は見る間に沈んでいっているのが分かるくらいで、いかにも夕方という感じ。
そして下に目を向ければ、道を埋め尽くす人の流れと、それを照らし出す無数の篝火。等間隔で並ぶ火が島の果てまで続いている。その篝火で示された島の道に沿うように屋台があって、もうすっかり賑わっていた。
お昼の頃の子どもたち用の祭りがそのまま加速して本番に突入したようで。
子どもたちは準備の時のように走り回ることを止めていて、今はもう周りの大人のようにゆっくりと楽しんでいるように見える。
人の多さなりの騒がしさと、空の明るさなりの落ち着き。各々が自分のペースで道を歩き、それぞれで楽しんでいる。
これこそ写真で撮っておきたいような、思い出に仕舞っておきたいような。少しの感傷じみた感覚と羨ましさに包まれる。
「奏ちゃん」
そんな私に声をかけてきたのは室谷さん。紺色の浴衣に身を包み、同じ色の扇子を帯に指している様は思ったより絵になっていた、子供用のお面と軟派な茶髪がその静かな雰囲気を丸ごと壊しているけど、それも室谷さんらしいというか、なんというか。
「いいねぇ、めっちゃ似合ってる。いい浴衣を着てるね」
「ありがとうございます」
満足そうに微笑む室谷さんが、それじゃ行こうか、とだけ言って先導をするようにゆっくりと階段を降りていく。
軟派な人らしく、エスコートには慣れているようで。手すりの側は譲ってくれているし、慣れていない私の下り階段のペースに付き合うようになに度も後ろを確認してくれた。そのおかげで思ったより怖い感じはないまま旅館の玄関までたどり着く。
そういえば、出入りはほとんど従業員用の簡素な扉でしていた。このお客様用の扉から出入りしたのは本当に数えるくらいで、なんだか新鮮な感じだ。
室谷さんと一緒に、本当にゆっくりと石畳の道を進んでいく。人並みに流されることなく、止めることもなく。一歩一歩を楽しむように。
「奏ちゃんはなにか気になるものとかある?」
「そうですね……」
目に留まったのは、チョコバナナ。この世界にもチョコとバナナってあるんだっていう思いと、元の世界も含めてチョコバナナを食べたことないな、っていう事を思い出したのだ。
綺麗な浴衣に化粧と普段できない体験をしているんだし、この機にできることは全部やっておきたい。
室谷さんは、人波をかき分けてあっさりと二人分のチョコバナナを買ってきた。
「ありがとうございます。お金……」
「いいよいいよ、誘ったのはこっちなんだから。付き合ってもらってるお礼だよ。なにか気になったものがあればすぐに言ってくれたらいいし、なんなら一人で行ってもいいからね」
もう一度お礼を言って、少しだけワクワクしながらチョコバナナを食べてみれば。
「……思ったより、甘くない?」
たぶんだけど、元の世界のバナナより甘くない。バナナらしい風味が増されていて、感じたままを表現するなら、バナナのフレーバーが強めな気がする。
それをチョコの甘さで補っている感じ。ドーナツのチョコがかかった場所が特別美味しいみたいな、そんな感覚だ。鼻を抜けるバナナ感と元の世界のものより強いチョコの甘さが合わさって、これはこれで良いかも。
ポロポロと零れていくスプレーチョコが浴衣を汚さないようにだけ気を付けて食べきり、道の随所に設置されているゴミ箱に串を捨てる。お化粧とかの準備をしている間に空いていたらしいお腹が少し埋まり、むしろ食欲が出てきた。
帯で締め付けられてはいるものの、目の前の景色と屋台から漂う匂いの力は強い。特に五平餅や焼きそばのジャンキーな香りが容赦なく気分を高揚させる。
「楽しい?」
「はい!」
ここでもしっかりと屋台はあるけど、この祭りの本会場は五日間を通して神社の周辺になっている。神社の階段下の大通りを軸に広がっているから、そこまでは基本的に歩き続けることになるだろう。
「室谷さんのオススメとかはあったりします?」
「そうだなー。たこ焼きとか焼きそばは大抵美味しいよ。旅館に帰って夕ご飯を食べる予定なら考えなくていいけど、屋台で今日の夕ご飯を済ますつもりならどれをメインにするかは考えた方がいいかな?」
ちなみに僕は焼きそばの予定、と付け足しで教えてくれた。
イカ焼きやたこ焼きもあるけど、海のないこの世界では魚介はかなり貴重なようで。出している屋台自体も少ないし、お値段もどれも比較的高そうな感じを受ける。お小遣いを貰ってきているらしい子どもたちも、気になった様子こそ見せるものの手を出す子は少ない。
私も、よっぽど気になったものがない限りは室谷さんと同じ焼きそばにしようと思う。
太陽はすっかりその姿を地平線の向こうに隠している。空は完全に濃紺と黒に染まり、東側には星も見えていた。
元の世界の街のような光が少ないからか、結構小さな光のものまでたくさん見える。
「綿飴あるよ。食べる?」
「……口紅崩れそうなのでやめておきます。べたべたしますし」
「子どもっぽいなんて思わないのに。あ、一つお願いしまーす」
本当の理由バレてた、というか子どもっぽく見られているのは分かっていて食べてたんだ。やっぱり、室谷さんはいまいち掴めないというか、よく分からない。
チョコバナナはともかく、綿あめでは流石に唇がつかない自信がない。焼きそばは……ある程度諦めるしかないと思う。崩れにくいものをつけてくれているはずだし、そこまで気にして直すには自分の化粧技術が足りない。
「結構人が増えてきましたね」
「最後まで運営だけを担当する人以外はみんな参加している時間帯だからね。他の島から来ている人も沢山出歩いているから、たぶん道はどこもパンパンだよ」
「そうなんですね。島の人たちがみんな集まっていると思うと、なんか変な感じです」
「しかもみんな道の中にいるからね。まあ、暗い場所は危ないから当然といえば当然なんだけど」
そうだった。
今は目の前の景色の通りみんながわいわい過ごしているけど、本来はこれはかなり危険な事だった。少し過剰なんじゃないか、というくらい篝火が設置されてようやく安全なのだ。小さな子が道を外れそうになった瞬間にその周囲の大人が全力で止めるくらいだし、たぶん相当危ないんだと思う。
「……怪物って言われても、想像つかないです」
「はは、そりゃそうだよね。俺もこの世界の人じゃないし見たことは無いよ」
「そうなんですね。本とかで軽く調べたんですけど、見た目とかの話が載ってなくてよく分かっていないんです。たまに賢いのがいるとは聞いているんですが」
「へー。この世界の人でも最近だと見たことがない人が多いらしいからなぁ」
そうなんだ。思っていたより怖がられていて、だからこそ対策が徹底されているのだろう。その結果として怪物を見た人が少ないのは良い事なのかもしれない。
「まあそんな暗めの話は後にしてと。神社がだいぶ近づいてきたね」
「そうですね。本会場なだけあって人が固まりみたいになってます」
坂道を浴衣で登るのは思ったより大変だった。屋台は見ていたし、私のペースで歩いてはいたんだけど。神社が中心の島で、しかもその神社が山の上にあるから必然的に坂道はきつくなるのだ。
慣れない浴衣で歩幅は狭いし、着崩れに注意しなきゃいけない。お洒落の大変さみたいなものを味わっている気がする。
周りの人はそんな状態も楽しめているようで。
設置されている椅子なんかはすっかり人で埋まっているし、それぞれのご飯を手に談笑している。どこを見ても微笑ましい、
そういう風景に視線を向けつつさらに登れば、ほぼ神社の真下だ。
「今の時間は……だいたい九時半過ぎか。そろそろかな」
「なにかあるんですか?」
「あれ、奏ちゃん忘れてない? 夏とか祭りの風物詩は屋台だけじゃないよ」
その言葉が言い終ると同時に、ひゅるる、と空を潜り抜けるような音が響く。
一拍置いて、空に大輪の花が咲いた。
「そっか、花火……」
「そうそう。俺が手伝ったどれか花火、わかるかなぁ」
私の浴衣に描かれている花火に全く劣らない美しさ。黄色、白、赤、青、といくつもの光が瞬き、そして空と空の間に降り注いでいく。上にも下にも瞬く星を彩るように、世界を眩く彩る。
あまりにも幻想的で言葉を失う。どんな感想も陳腐になりそうな光景に、ただただ視線を奪われた。無数の光が零れ落ち、そして消えていく様をただ黙って見送った。
「どう、綺麗でしょ。ここの夏祭りのメインは屋台じゃなくて、この花火なんだ」
「目玉になる理由が分かりますね。すごい綺麗です」
「俺も初めて見た時は驚いたなー。めっちゃでかいしね」
元の世界でここまで近くというか、迫力を感じられる場所で見たことがないから比較できないけど。それでも視界を埋め尽くすくらいの花火は見たことがない気がする。
最初の一発は開始の号砲のようなものらしく、特別大きかった。その後は比較的小さなものがいくつか続き、空を細かく彩っている。たくさん聞こえてきた音がようやく最初の花火の衝撃を少し和らげてくれた。
それはこの島の住人達も同じようで。
ここまできてようやく、みんなそれぞれの会話や食事に戻っている。
「いやぁ、何度見ても綺麗だなぁ。見ごたえ抜群だよ。ビールとか飲みながら見るのもいいものなんだよ、これ」
「お酒はダメですからね」
「分かってるって。今日は流石にそんなことはしないよ」
訝し気な視線を向けても効果は無し。
ただ少し居心地が悪くなったのか、最初の頃にした話を思い出したのか、いそいで焼きそばを買いに行った。
屋台の人も花火を見入っていたりするけど大丈夫かな。人が本会場に集まってきてるせいか道もかなり埋まってきているし、その分人波の動きも強くなってきているから心配だ。
そんな心配は、しっかりと的中してしまったようで。
「あ、ちょっ……」
──室谷さんが店主と話している屋台がどんどん遠ざかる。通りゆく人の流れに押されてじわじわと神社のある方に流されていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます