♯13 世界で一番高い所で叫ぶ


 翌朝。

 窓から差し込んでくる光を浴びて目を覚ました

 今日は星拾祭の初日。夕方からが本番だけど、屋台は昼間からやっているみたいだし、お仕事もないからできるだけ楽しみたい。


「……そういえば、室谷さんと約束したんだっけ」


 思い出して少し気が沈むような、そうでもないような。

 昨日で柚希さんとはけっこう仲良くなったと思うし、たぶん鶴屋のことも少しは分かっていると思う。ただ、室谷さんのことはあまり知らないからどこかで怖がってしまっているんだと思う。


「今までナンパとかされたことないし、そういうことをされたことがある知り合いもいないからなぁ」


 いつ会うかの約束もしていないけど、室谷さんならその辺りはどうにかしてきそう。最悪、この旅館に泊まっているんだから探せるはず。

 その時はちゃんと、貰ったお面を着けていこう。時計の横に置いていたお面を見つつ、そう決めた。顔に付けるかは分からないけど。

 いつも通り洗面所に入る。顔を洗い、髪を整えて、いつものルーティーンをこなしていく。

 すっかり慣れちゃったな、と思う。昨日の夜は旅行感というか、普通じゃない日という感じがあったけど、朝はもう完全に習慣っぽくなっていた。

 手順は変わっていないし、たぶん寝ぼけていても間違えないんじゃないかな。

 発声練習が終わって、ストレッチをしていると外から柚希さんの声が聞こえた。


「小宮さん、起きてますか?」

「はい、おはようございます!」

「良かったです。とは言っても、今日は小宮さんのお仕事ないんですけどね」


 そう、今日はお休み。旅館自体はやっているけど、連日働いているのと、今日が星拾祭ということでお仕事は無くなったのだ。

 それでも早起きをしているあたり完全にここでの生活が染みついてきている。

 私の返事まで確認してから柚希さんが入ってきた。柚希さんは今日も変わらず仕事があるようで、しっかりと従業員用の着物に身を包んでいる。


「昨日はありがとうございました」

「いえいえ、今思い出すと少し恥ずかしいくらいです」


 思えば、いくら相手が酔っている人にやらざるを得ない雰囲気にされたとはいえ、昨日の私は突然一人劇をし始めた人でしかない。男の人たちが出していた声は旅館の多くの人に聞こえていただろうし、柚希さんが入ってきてくれたおかげでなんとかギリギリ変人の看板を背負わなくて済んでいると思う。


「今日は小宮さんはお祭りに行きますよね?」

「はい。……室谷さんと約束もしましたので。行く約束をしただけで、それ以外なにも分からないから困ってはいるんですけどね」

「室谷さんらしいですね」


 私が知らないだけで、たぶん似たようなことを何度もしているのだろう。少しあきれたような苦笑いをしている。そこまで素行が有名なのにずっと軟派な態度でいれるのも、ある意味凄い。


「夏祭りを楽しむならやっぱり着飾るべきかなと思いまして。そういう約束があるのなら尚更、持ってきてよかったです。こちらを見てもらえます?」


 そう言って柚希さんが差し出したのは大きくて平たい紙製の葛籠。縦幅はそこまでないけど、横幅が軽く腕を広げないと両端まで届かないくらい大きい。

 その箱を広げると、中には和紙に包まれた濃い青の布が見える。


「これって……」

「浴衣です。旅館の作業着や部屋着とは違う、着飾るための服ですね」


 和紙の紐をほどき、その生地を広げてくれた。いかにもお高くて触り心地の良さそうだ。

 作業着の着物は二部式、つまり上下に分かれている。そうすることで紐で縛る部分が増えるし、足の動きで引っ張られて上の方が崩れることが少なくなるのだ。ようは、かなり動きやすいから作業向きの構造になっている。

 それに対して、柚希さんが見せてくれた浴衣は上下が繋がっている。歩きに合わせて上がズレやすくなったりする代わりに、上下での模様ズレなどが起きにくくて見栄えがいい。速く歩くこともバランスをとるのも難しくなるが、見た目がぐっと良くなるのだ。

 しかもこの着物はかなり上質で色が美しい。濃い目の青の生地にうるさくない程度にとりどりの色で花火が表現されている。白、赤が良いアクセントになっていて、見ていて飽きない。

 帯の色は花火の色を惹きたてる鮮烈な赤。帯締めの橙が目立つ赤を補佐しつつ、全体を程よく引き締めてくれるはず。


「それと、これです」


 着物に目を奪われていて気がつかなかった、文庫本二冊分くらいの大きさの箱が目の前に置かれる。一点の曇りもない漆塗りの箱の中には、豪華な飾りの簪と小さな巾着、小物たちが入っていた。


「この色が小宮さんには似合うかな、と思いました。どうでしょう?」

「凄く綺麗です。だけど、どうしてここまで……」

「やっぱり、楽しむときは全力で楽しみたいじゃないですか。着飾るのもその一環ですよ。室谷さんじゃなくてもいいですけど、見せたい相手がいるのなら尚更美しくするべきです」


 その言葉を聞いて浮かんできた顔は、なんでかは分からないけど、鶴屋の顔だった。

 違う、それはなんか、違うでしょ。

 頭を軽く振って、脳裏に浮かんだ像を掻き消す。


「柚希さんが着る分はあるんですよね?」

「それはもちろん。この旅館にあるものの中で小宮さんに似合いそうなものを選んで持ってきたものがこれです。私自身のは他でちゃんと持っていますよ。……私にも着飾った姿を見せたい人はいますから」


 それを聞いて少しだけ安心した。

 働いているとはいえ、行く先がないのを助けてもらっている身。外出の時の私服なんかも柚希さんの服を借りている。これでもし、私は今夜もお仕事があるので大丈夫です、なんて言われたら流石に申し訳なさ過ぎて借りられない。


「今すぐ着るか決めなくていいですよ。気に入ったのでしたら取っておきますし、他が見たければいくつか持ってきます。とりあえず、お昼のお祭りとかを楽しんできてから決めてくだされば大丈夫ですので」

「ありがとうございます」


 たぶん柚希さんなりの、昨晩の恩返しなのだろう。嬉しいような、返しきれない恩が貯まっていくような複雑な気持ち。

 それでもこれは素直に受け取ることにして、複雑な部分は飲みこむ。


「気楽に考えてくださいね。もし着たいなと思ったら、お昼過ぎにはここに戻ってきていただければ着付けなんかもお手伝いするので」


 なんとかお礼の言葉を返すと、着物はいったんここに置いていきますね、と畳んで箱に戻してから帰っていった。

 この綺麗な浴衣は着たい。できる事なら着飾りたいし、たぶん元の世界に戻れた後にわざわざチャレンジしようとはしないと思う。この機会に楽しむのは絶対に良い事のはず。

 ただ、この世界に来てからいくつもかけられた言葉が頭の中で響く。


『鳴には内緒だよ。……時計屋には惚れないこと』

『でも、鳴くんに惚れちゃダメだよ』

『私にも着飾った姿を見せたい人はいますから』


 違う。アイツは関係ない。見せたい相手なんていないから。

 アイツはただの時計屋で、私と約束しただけのヤツ。……いいヤツなのは認めるけど。そういう意味じゃないっていうか、なんていうか。


「もっかい水、被ろっと」


 蒸し暑いから冷ましたいだけ。昨日の夜は雨だったしね。

 濡れた髪の隙間から外を覗けば、昨夜の雨の余韻すらない快晴。空の端まで見渡す限りの青が支配している。

 色々好きな空はあるけど、青空はその中でもかなり上位に来るくらい好き。自転車で坂を駆け下りたくなる。なにを投げても吸い込まれそうで、一番広い気がするから。

 満足した私はタオルで乱暴に髪を拭いて窓の方へ。

 当然まだ髪には湿り気があるけど、お構いなしに櫛を通す。水滴が畳に落ちないようにだけ気を付けて、景色を楽しみながら風を浴びる。夏らしい風を含んで、髪がふわりと揺れた。

 仕事が無いのをいいことに、じっくりと景色を楽しみつつ髪を梳かした私はようやく着替えをする。柚希さんが今日も貸してくれた外着に身を包み、なんとなくポニーテールに結い上げて、時計はチェーンで腕に巻き付けた。

 時計はどうせ後で動かしにくいなって思って仕舞うんだろうけど、気にしない。浮かれたような、ワクワクするような気持ちに、今は正直でいたいから。

 窓を閉めて、鍵を持って、忘れ物なし。

 食堂で朝ごはんを食べてから行く場所は、決めてある。


「行ってきます!」


 お客さんの迷惑にならないように小声でそれだけ言って、石畳の道を小走りしながら進んでいく。昨夜のことはもうある程度知れ渡っているみたいで、色々な視線が向けられるけど気にしない。

 屋台通りを抜けて、雨で湿った篝火台の道を抜けて、坂道を進む。人通りの減った道をどんどん進み、急な階段を登っていく。


「はっ、はっ」


 流石に息切れしてきた。でも、あと少し。

 竹林が左右を埋める階段の先にあるのは、大きな鳥居とお社だ。一礼をしながら鳥居をくぐり、手水舎で手を清める。

 前のようにそのままお社に行くことはせず、むしろ振り返って島を見下ろす。


「あ、え、い、う、え、お、あ、お」


 私の朝のルーティーン。発声練習とストレッチを、今日はここを借りてやらせてもらうことにした。お賽銭をいれていないし、前みたいにお願い事をしに来たわけでもないから、もし見ているなら神様は私のことを変なやつって思っていると思う。お願い聞いてくれてないし、もしかしたら見てないかもしれない。

 それでもいい。私は、この島を一番感じられそうで、空に一番近い所にいたい。

 ストレッチをしてる人は見たことがないから、もし誰かに見られたら恥ずかしいな。この後に演技練習とかもする気だし、人が来ないと良いな、無理か。お祭り会場の本命はこの階段下だし、っていうか声出ししてるし。

 でもいいや。下手なのはしょうがない。でも、下手じゃなくする努力はできる限り続けたい。もし演技をする時に、震えなくていいくらいの自信は持ちたいから。

 口と喉を開いて、できる限りの大きな声を出す。あ、じゃない。叫びたいことを、全力で。


「ばかやろー!」


 色々と全部に対して。神様も、この世界も、元の世界も、私自身も。あとなんか浮かんできやがった鶴屋にも。全部、全部に言ってやりたい。


「ばっかやろー!」


 柚希さんにちゃんとした翼をあげてほしい。

 私が飛べないのおかしい。

 てか、原因不明だけど、こんな変な事態にするならせめて先に一言欲しい。

 色々な思いを全部込めて、全身全霊で叫ぶ。喉が痛いから私はまだ声を出すのが下手なんだなぁ、なんて変に冷静になりながら。


「……スッキリした! たぶん!」


 お社の方を振り向いて頭を下げる。ごめんなさい、朝から変な大声出して。でも今から、こっちの世界に来てからできてなかった演技の練習もします。許してください。みて楽しくはないと思います。

 でもちゃんと断りはいれたからよし、ということにして練習を再開する。


「……そういえば縄跳びは見てないなぁ」


 体力作りの一環でよくやっていた。部活に入ってすぐに沢山やったことだし、出来たらやりたかったんだけど。

 ないものはないから仕方ない。割り切って道具がなくてもできる、体を使う技術の練習をメインにゆっくりと体を動かしていく。数日で体は鈍って動きにくくなるから、思い出しも兼ねて。

 演技はだいたい三つの要素で出来ている。表情と、体の動きと、声。本当は他にも色々あるんだけど、見ている人が気にするのは大体この三つ。全部が合わさってできてはいるんだけど、鍛えるなら個別がいい。

 こういう一人の時でもやりやすいのは体を動かすのと声を出すこと。ダンスから筋トレ、歌から早口言葉まで、物がなくてもできる練習は沢山ある。

 階段が長くて良かった。もし下で作業している人とかが見えたら、流石に続けられない。


「お祭りの日になにやってんのかなー、私」


 ここから見える景色の中では沢山の人が歩いている。見えている人数はこの世界に来てからたぶん一番多いと思う。旅館がしっかり賑わっていたから別の島からお祭りを愉しみに来ている人も結構いるんじゃないかな。

 飛んでいる人もそれなりに見えるけど、まあ、うん。昨日少しだけ吐き出せたから、大丈夫。

 体を動かし続けること約一時間。久しぶりにしっかりと練習ができてスッキリした。

 太陽はわりと高くまで登ってきている。濡れていた地面はすっかり乾き、気温も上がってきた。動いていたのもあってうっすらと汗をかくくらいだ。

 で、これからどうするか、っていう話なんだけど。

 祭の本番は夜で今は朝と昼の間くらい。お昼にも屋台がやっていなくはないんだけど、どちらかというと暇な子供たち向けという感じで本格的に動いてはいない。

 正直暇というか、なんというか。


「……島、見て回ろうかな」


 景色を見ながら、ふとそう思った。

 思えばこの世界に来てからずっと忙しく動いていたかもしれない。初日はともかく二日目以降から今日までずっと働いていたし、自由時間は帰る方法を探していた。一人で島をゆっくり散歩したり、いわゆる観光みたいなことをしたことはなかった気がする。

 そうと決まれば、ということでもう一度社に向かって一礼だけして階段を降りる。

 目標は……お面屋さんか花火屋さんということで。室谷さんがかかわっているみたいだし、元の世界じゃそういう職人とは無関係だったから気になる。

 というわけで本当に久しぶりに自由気ままに歩いた。気が向くままに進み、気になったものを見る。お面屋や花火屋以外の店も見つけた者から入ってみた。

 屋台の方に行っていて閉まっている店も多かったけど、それなりに楽しめたと思う。なにより、子供のころ以来のなにも考えず歩ける時間はとても楽しかった。

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