♯12 ズルいヤツ
気がつけば時間はかなり遅くなっていた。思ったより話し込んでしまったし、流石に一日の疲れがどっと出て眠気が凄いことになっている。
ただ。
「……これ、直してもらった方が良いよね」
目の前で魂珠時計をプラプラと揺らす。
作ってもらった当初は規則的な音を奏でていた秒針は、どこかカクカクしているというか、不安定というか。秒針が一定の動きをしていないせいで全体的に変に見えるし、当然のように時間もズレている気がする。あくまで体感だけど、それでも今はこの時間帯ではないはず。
どこか歯車が空回りしているみたいに見えて気持ち悪い。
正直眠たくて仕方ないし、今すぐ布団に潜り込みたい。それでも、と重い腰を上げて部屋を出た。
思ったより人が少ない。祭りの前日だからか、さっきの騒ぎの跡に全員が寝たのか。廊下は記憶にある限りで一番静まり返っていた。すれ違うのは数人の従業員くらいで、客は誰一人として見かけない。
目指す先は当然時計屋。壁にある時計は十一時三十分を指している。私の時計はまだ十時過ぎを指しているからやっぱりズレているみたい。
仕事中に歩きなれた道を辿り、時計屋についた。
だけど。
「……まあ、そうだよね。この時間だし」
時計屋の支店には人影すらない。置かれている商品なんかも片づけられていて、入口こそ閉まってはいないものの、完全に今日は営業終了していた。
今日が終わってはいないとはいえ、時間帯は完全に深夜。旅館内は完全に深夜営業に入っているし、外は明かりも消えて漆黒に包まれている。
流石に諦めよう、と思ったんだけど。
「手持ち提灯?」
本来鶴屋が無表情で座っている店員用のカウンターには、店員の不在を報せる札と手持ち用らしい小さな提灯、そして点火用のマッチが置かれていた。
札には「店員不在、用がある方は旅館隣の時計屋まで。提灯を忘れず持ってきてください」と書かれている。
「そっか、夜は出歩いちゃいけないんだっけ。それとも暗くなければいいのかな?」
この世界で過ごすルール三つのうちの一つ、夜にできる限り出歩かない。徘徊者、と呼ばれている怪物に喰われるという話だったはず。
ただ、星拾祭は基本的に夜に行われる。明日の夏祭りも、星拾いも当然夜に行うものだ。島の道という道にびっしりと篝火台が置かれて充分な薪が用意されているのは、この祭りの間に灯りを絶やさないようにするためだった。
なら、この提灯さえ使っていれば、時計屋に行っても大丈夫なのだろう。
「……大丈夫、だよね?」
正直不安でしかない。ただ、流石にこのお札に「隣の時計屋まで」と書かれていてダメなことは無いはず。
マッチで提灯に火をつけて、持ち手の棒で持ち上げる。持ってみると思ったより大きくて重い。なにより、提灯自体は和紙で出来ているみたいで、火が燃え移らないか心配だ。
ここまでしてしまったからには戻れるわけもなく。お客様用の出入り口で貸し傘を借りて、旅館の裏手の方に回る。窓からの光以外は提灯だけ、というのがとても怖い。少し先の足元すら見えない。
それでもなにとか従業員出入り口の方に回り、そこの小道から時計屋の裏側に回る。この世界に初めて来たときに通った順路を真反対に進んでいく。
出ていいのか改めて不安になりながら道を進み、時計屋の裏手についた。飾り気のない、錆の目立つ簡素な扉。隙間から内側の光が零れて見える。
どうしたらいいのか迷って、やっぱり戻るか、なんてことまで考えた。それでもここまで来たんだから、とノックをする。
「……どなたですか」
「えっと、私だけど。小宮奏」
訝し気な声とそのままの表情で扉の隙間から鶴屋の顔が僅かに覗く。私の顔を見て名乗りの通りと判断して、いったん閉めてチェーンを外してからもう一度開けてくれた。
「どうぞ」
「ありがと。ごめんね、こんな時間に」
「それが分かっていて来たのか……」
時間も時間ということで完全に営業終了の気だったらしく、鶴屋の服装はラフな部屋着だ。着慣れているなりのくたびれが少しだけ見える。
相変わらずこの時計屋の裏側は埃臭い。夏場だから流石に最初の時みたいに電気ストーブはついていないけど、それでもどこか埃のにおいがする気がする。
「あんなに警戒するものなの?」
「するものだ。本当に稀だが、徘徊者の中でも妙に頭が働く奴がいる。そういうやつが騙っている可能性はなくはないからな」
「もしかして会ったことが……」
「あるぞ。まして、店の入り口じゃなくて裏手に来てか細い声を出す奴なんてどの状況でも怪しいから警戒するだろう」
あるんだ。聞いたとかじゃなくて会ったことがある人の言葉というか対応なら、と納得してしまう。いかにも警戒した目で少し怖かったけど納得した。……私だと確認した時点で呆れた視線になっていたけど。
提灯を置いて、雨濡れのまま案内された時と同じパイプ椅子に座る。
「で、なんだ。この時間に来たからにはそれなりの用事なんだろうな」
「その、今から頼もうとしていることが鶴屋にとってどのくらいなのかは分からないんだけど」
懐から魂珠時計を取り出す。
もはや心地いい音ではない。金属が不規則に擦れて軋むような不気味な音だ。完全に動きがおかしくなっているらしい。
「これを直してほしくて……」
「お前な……時計を小まめに確認するっていう習慣は無いのか」
「あるけど。腕時計じゃないのに難しいって」
魂珠時計の形はいわゆる懐中時計の形に近い。手の平に乗せてちょうどいいくらいの大きさで、チェーンがついているだけ。小まめに確認するには不向きというか、ただの女子高生だった身からするとかなり違和感がある。
大切な物なのは理解しているから、行動の合間に持っているかは確認していたけど、その時にいちいち時間までは見ていなかった。旅館の中にいくつも壁掛け時計とかがあって確認に困らなかったっていうのも理由としてあると思う。
「少しでもおかしかったら直すものだぞ、これは。普通は早々ズレないが、それはあくまでその年齢まで持っていたから最適な調整になっているだけ。お前のはほとんど弄っていない状態なんだから、ズレるのは当たり前くらいの気でいろ」
「はいはーい。次からはそうします。……どうせあと五日だから大丈夫だもんね」
「ここに来てから五日間でここまで壊したけどな」
「うるさいっ」
鶴屋が溜息一つ。
大体の現状の把握は終わったようで、早速修理に着手している。
「で、原因は」
「って聞かれても。分かんないよ」
「魂珠時計がズレる条件は説明しただろ」
そういえばそんな説明も受けていた気がする。体調や心の状況に合わせて魂珠が出す力の強さが変わるから時計の動きがズレる、っていう話だったはず。
……私の時計、ギリギリ軋むような異音がするくらい壊れてるんだけど。どれだけ出力変わったわけ。
体調は一回も悪くなっていないはず。むしろ、よく食べて、よく動いて、相当しっかり寝ているはず。風邪もひいていない。
つまり。
「さっきの食堂のやつのせいだと思う。あと、翼いいなぁっていう……羨望といいますか」
「そんなに空に憧れというか、気持ちがあるのか」
「あるよ」
演技に自信が無くても。自分の得意なことやできる教科を答えられなくても。他のどの質問に自信をもって答えられなくても。
この質問の答えだけは絶対に揺らがない。小さい頃からの、私の核とも言えるものだから。
「今は鶴屋しかいないから言うけど、凄いズルいしうらやましいなって思って見てる。みんな、この世界に生まれたからってだけで私が欲しいものを手に入れているんだよ」
私の言葉を、鶴屋は黙って聞いている。
時計を直す手だけは止めずに、ただ淡々と受け止めてくれていた。
「そんなのってないじゃん。生まれた時から持っているのは納得するにしてもさぁ、この世界に来たのに私にも生えないのはおかしいじゃん。期待するでしょ、普通」
鶴屋に言うようなことでも、言ってどうにかなることじゃ無いのも分かってる。
たぶん今日の一日に色々なことが起こりすぎて感情がおかしくなっているんだと思う。眠いし、疲れているから頭が動いていない。そのせいで、まるで壊れたみたいに頭の中の言葉が零れ落ちていく。
「普通の顔して空とか飛んでさ。そのくせ海は知らないってなに。翼がないからって差別するの意味わかんない。羽無しとか言ってさぁ。羽と翼の違いも分かんないなら罵倒しないでよ……!」
あんな差別とかしてる人に翼はいらないでしょ、なんて。思いたくもないのに。
「演技だって上手くなりたいよ! 演技できたからって空を飛べないことなんて知ってるけどさぁ、ドラマとか見て、自分でやってたら好きになったよ! 好きじゃなきゃ続けてないよ……なのにみんな、私が演技すると困った顔するし! 下手なのは知ってるけど……でも、そんな顔で見て欲しいわけじゃない……!」
どんどん歯止めが利かなくなっていく。
鼻声が混ざり、自分でも聞き取るのが難しくなってきた。それでも、鶴屋は、ギリギリ動いているのかどうかってくらいの相槌はしてくれる。
だから、心が止まらない。
「なんでこの世界に落ちたのか分かんないし! 帰れないかもって毎日寝る前考えるんだよ……疲れてなかったら絶対寝れてない。あと五日で帰らないと一年間この世界にいるかもしれないの意味わかんない。元の世界でどうなっているのかも分かんないし」
「人によって時間が凄い過ぎていたり、全く動いていなかったりするらしいな」
「もし帰ったら誰も知っている人がいなかったら怖いよ。帰りたい。今すぐ帰らさせてって神様に言いたいもん」
神社の神様は、姿を見せなくても私たちのことを見ているとか言ってたけど。なら私のお願いを聞いて、叶えて欲しかった。神社に願って叶ったことなんて正直覚えていないけど、翼があるような世界ならもしかしてって思ったのに。
「全部わけわかんないよ。誰か助けてよ……」
パイプ椅子の上で、膝を抱え込んで頭を埋める。気がつけば溢れていた涙が浴衣に染み込んで貼りついてきた。
雨音と私の嗚咽。不規則に響く水音の中で、鶴屋の手が奏でる金属の音だけが心地よく響く。澱むことなく、止まることなく。流れるように動き続けている。
その手は止めないまま、ポツり、と言葉を零した。
「……俺たちはお前のその憧れが分からない。柚希ならわかるかもしれないが、それでも完全にお前の気持ちを理解するのは無理だ」
「そーだよね。八つ当たりしてごめん」
気にしてない、とでも言うように首を振る。
今はその無表情が、少しありがたい。
「ただまあ、演技はいうほどヘタじゃないだろ」
「なにを分かっていってるのさ。演劇団がたまにしか来ないことなんて知ってるからね。来ても鶴屋は見てなさそうだし」
「少なくとも俺とか柚希よりは上手い。あと、さっきお前が食堂でしていた演技のことなら、役になり切れていなかった様が面白かったぞ。内容も色々と混ざりすぎていて喜劇としては良かった……じゃなくてだな」
そこで鶴屋が手を一瞬止めて、私の魂珠……ターコイズを指しながら続ける。
「見ての通りお前の魂は空の色をしている。魂珠に特徴としてはっきり出るほど物事を好いている人間なんてこの世界にはほとんどいない」
その言葉が、すっとどこかに染み込んでくる。
「こうやって隠しきれない色をするほどにお前は空を好きで飛びたいくせに、その羨望を他人の前ではちゃんと隠していただろう。まるで翼が無い事をあまり気にしていないみたいに振る舞って、夜中に怯えながら人を訪ねるくらい不器用なくせに慣れない仕事をちゃんとやっている」
石が時計の中に仕舞われて、小さな歯車たちの中に隠れていく。
「それが演技じゃなくてなんなんだ。本来のお前のままだったら腫物に触るように遠巻きにされていたぞ。翼が無くて素性がよく分からない人間なんてできれば関わりたくない、っていうのがこの世界の住人どもの本音だからな。なのに、あの酔っ払い共にあからさまに言われるまで普通に接してもらえたのは間違いなくお前の努力の結果だ」
「そんなのみんなやってることじゃん。ってか、結局自分を偽っているんだから良くないことじゃない?」
「魂の色を誤魔化すくらいの気遣いを普通だと思っているなら見当違いだな。翼があるかないか、自分たちと同じかどうかでしか人を見られないヤツの何倍もちゃんとしている」
芸術のような動きで歯車を詰め終えた鶴屋は、点検をしてからその背面を閉じる。もう一度全体を見直して、問題が無いことが確認してから返してくれた。
大きさは変わっていないのに、どうやったのか重さは減っている気がする。どうやったんだろう。
秒針は心地よいリズムで時間を刻み、今の時間を教えてくれていた。
十二時過ぎ。元の世界でもそうそう起きていたことのない時刻。
「お前の努力は無駄じゃない。この五日以内にちゃんと元の世界に帰れる。……柚希の勘は、よく当たるからな」
「そこは自分の言葉で言ってほしかったなぁ」
「俺の言葉にそこまでの重みも意味も求めるな」
道具を片付けて、手袋を外す。
そして、なにかを思い出したかのように私を見た。
「な、なに?」
「……そういえばお前、ちゃんと柚希の翼のこと聞いたんだな。じゃあ登校を俺が助けていることも聞いたな?」
「聞いたけど……?」
「じゃあ、約束してやる」
そこで一瞬、鶴屋の背中に久しぶりに見た翼が輝く。透明なのに、この暗めの部屋の中ではっきりと輝く、鶴屋の翼だ。
本当に久しぶりに見た。
「もしお前がちゃんと帰れそうなら、餞別で空を飛ばしてやるよ。柚希を運んでいるのと同じやり方でな。報酬がないと人は動けないだろ」
それはきっと、私が飛ぶという夢を叶えられる最初で最後の機会。
正直なことを言うと、さっき鶴屋に「元の世界では時間が過ぎていないこともある」って言われて、心のどこかが少し揺らいだ。
元の世界にはこんな綺麗な風景は身近に無くて、テストと演技の練習の日々が帰ってくる。きっと、演技が上手くない私は、またみんなに苦い顔をさせてしまうだろう。その悩みはきっと消えることはない。
だから、元の世界に戻った時に時間が過ぎていないかもしれない、なんて小さすぎる望みに賭けて、もう少しこの世界にいてもいいかもなんてことまで一瞬脳裏によぎった。
そんな私が帰りたいって思える、最高の報酬を鶴屋は用意してくれた。何物にも代えがたい、私が一番に求めているものを。
「……鶴屋さぁ、よくズルいヤツって言われない?」
「言われないな。ほら、満足したらとっとと帰れ。ここは時計屋であって話聞き屋じゃない」
「今更説得力ないよ、それ。でもありがと」
「次は常識的な時間に来い。あと、時計はこまめに確認しろ」
「はーい」
そこでふと、なに故か気になって、
「……柚希さんのも鶴屋が直してるの?」
「いや」
その質問に、鶴屋は端的に否定をする。
「柚希の時計は、世界一正確だからな。ズレたことはもう五年以上ないよ」
「そうなんだ……」
それだけ聞いて、なんとなく満足した。
ちゃんと時計を懐に仕舞い直し、消えていた提灯の火を点け直す。流石に鶴屋も眠いようで欠伸を噛み殺し……いや、遠慮なく大口開けてた。目尻に涙まで溜めている。
つられて欠伸をしちゃったから、なんか悔しい。
私も本当に限界みたいだ。
「お休み、鶴屋」
「ゆっくり休め」
そのあと、どうやって部屋に戻ったのかはいまいち覚えていない。
ただ、この世界に来てから一番いい夢を見れそうな気がした、はず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます