♯11 悪い酔いも醒めるような


 お昼を食べてから戻ってくると、さっきまでとは違いすっかり屋台が立ち並んでいた。作業も大半が終わったようで、設営をしていた大人たちはほとんどいない。

 言わずとも大人たちは今夜の天気を分かっているようで、篝火台はちゃんと用意されているものの、薪がセットされているものは一つもない。

 提灯は表面に油を引いてあるようで雨でも大丈夫なんだとか。


「雰囲気がいいなぁ。わくわくする」


 子どもたちが浮島の間を飛んで遊んでいるのを見ながら、忙しく働くこと半日。

 気がつけば降りてきていた日は、雲の合間から光が少し見えるだけ。予報通り雨が近いらしく、空の綺麗な紫は見ることができなかった。

 旅館に戻ったころには完全に日は落ち、雨が降り始めている。

 一日働いたからか、雨だからか。旅館の中にはかなりの数の人がいて、思いおもいに星拾祭の前日を過ごしている。

 私が来た日とは違って娯楽ゾーンはほとんど埋まっているし、まだ夕方と夜の境の時間なのに酒盛りの声が聞こえてきた。旅館の中全体が騒がしくて、季節とは違う意味での熱気をとても感じる。

 私も働かなきゃ、とは思うものの。


「腕が……足が……腰が……」

「お疲れ様です。なんだかんだ連日働いてもらってますもんね。そのまま少し休んでいて大丈夫ですよ」


 柚希さんにそう言われて、従業員室の長椅子の上で寝転んでいた。

 連日の慣れない仕事、そして今日の祭りの準備。疲れがとり切れず溜まっていたし、それに加えて筋肉痛が襲ってきて辛い。蓄積した疲労が爆発した感じだ。

 祭りの準備の大半は移動か物運びで、足を使うものばかり。そのせいで太ももはどの姿勢でも痛いし、足の裏はジンジンと痺れて痛みを訴えてくる。

 呻きつつしばらく轟沈していると、日中旅館で働いていたらしい柚希さんが心配になって様子を見に来てくれた。


「大丈夫……ではなさそうですね。今日はもうお休みにしますか?」

「でも柚希さんもずっと働いているじゃないですか。私だけそんなこと、言えないです」

「私はまあ、小さいころからやってて慣れていますから。今日も外に出ていないですしね」


 どうやら日中外にいた人が多いらしく、お昼以外は比較的忙しくなかったらしい。どれだけ謙遜をされても毎日働いているのは凄いと思うけど。

 柚軽く足全体を揉み解してもらい、湿布を貼ってもらう。


「癒されます……」

「そのまま休んでいていいですからね。今日はもう重労働は無し、後で少しだけお皿の片付けとか手伝ってくれたらいいので。動けそうになったらフロアに来て下されば大丈夫です」

「分かりました」


 じんわりと染みるように、湿布を貼ってもらった部分から冷えていく。湿布はあまり得意じゃないけど、それでも今はこの冷たさがありがたかった。

 変な感覚かもしれないけど、給料が出ていなくて本当に良かった。もし出ていたらこの時間も休みづらくて仕方なかったかもしれない。


「……雨音、凄いな」


 ほとんど木製でかなり広く造られているお客様用玄関口とは違い、従業員用の玄関とロッカールームの周りはかなり簡素な石造りになっている。そのせいか、雨音が地面を打つ音がはっきり聞こえてきた。

 湿気は不快なものの、石のおかげか、雨のおかげか、思ったより暑さは感じない。ちょうどいい室温と、少しだけ感じる涼しさ。旅館を取り巻く落ち着いた雰囲気も相まって、夏にしてはかなり過ごしやすい。

 柚希さんが置いていってくれたコーヒー牛乳を飲み終わったら仕事に戻ろう。

 そう思って本を開きつつ冷たい瓶を傾けた。少しだけの香ばしさと少しだけ物足りない甘さが舌の上を通り、体の中を落ちていくのが分かる。

 美味しくてすぐに飲み終わってしまった。

 名残惜しく思いつつ瓶を捨てて、仕事に戻ったことをフロアリーダーに伝える。


「戻りました! お待たせしてすみません!」

「いいのよ、疲れているでしょうし。疲れたら休むべきよ。でも今からはバリバリ働いてもらうからね」

「了解です!」


 これ持っていってくれる? とお猪口を渡された。思ったより上手に重ならないな、と思いつつお盆を掴んで、いざフロアに行こうとした、その時。


「オイオイどーなってんだよぉ!」

「ここは客の要望も満たせねぇのか!」


 という怒声が響いてきた。

 一瞬、旅館中の時が止まる。物音で騒がしかった裏側まで含めて静まり返り、全員が近くの人と顔を見合わせた。私もリーダーと視線をぶつけ合い、すぐにフロアに向かう。

 そこには。


「酒もおせぇし、ここはどうなってんだよ!」

「すみません、すぐに持ってきますので少々お待ちください」

「既に待ってるんだよこっちは! とっくに待たされてんの!」


 顔を真っ赤にして怒る数人の男性と、その文句を言われている柚希さんの姿。

 男性集団の周りには酒瓶や皿が散らばっていて、いかにも酒盛りの勢いのまま散らかしているんだな、という感じ。食べ物や浴衣の帯まで散乱していて、見ているだけで鬱屈とした気分になる。

 確かに祭りの前の日の夜ということでお酒を飲んでいる人は多かった。それでもここまで乱れる人はまれだし、周りで飲んでいた人たちも冷めた視線を送っている。人によってはさっさと片付けを始めて退散しようとしていた。

 そんな周囲の状況には目が行かないらしく。


「謝るんじゃなくて動け! 頭下げるなんてガキでもできるんだよ!」


 と、頭を下げる柚希さんに対して罵声を浴びせ続けている。

 なにが不満だったのかは分からない。お酒が思ったように来なくて怒っているのか、他に気に障ることがあったのか。なにが原因で柚希さんに当たっているのかも含めてすべてが不明。

 ただ異様だったのは、その様子を遠巻きに見てはいても誰も仲裁に入らないこと。男たちへの奇異の視線もありはするのだが、それ以上に柚希さんへの黒っぽい視線があることに気がついた。

 フロアリーダーも、それ以外の従業員も、誰も動かない。まるでこの状況が仕方ないとでも言うように。

 その様子が、嫌に目についた。

 思わず体が動く。柚希さんと男たちの間に割って入るようにして声をかけた。


「どうかされましたか?」


 声をかけてから少しだけ後悔というか、怖くなって足が震えているのを感じる。机に置いたお猪口が揺れて、乾いた音を立てた。

 なんだお前、とでも言いたげな視線を受け止めて、それでも頑張って見返す。


「見たことねぇ顔だな、他のやつは出しゃばってくるなよ」

「ってかコイツあれだろ。少し前に話しに出てた羽無しだろ」

「なんだよ、同族を助けに来たのか。出てきただけで酒は持ってねぇし……羽無しは気が利かねぇ奴ばっかだな」

「余興の一つでもやってみろよ。テメェらみたいな目障りなやつらのせいで前夜祭を楽しめてねぇんだよ!」


 口々に、お互いの声が被さることなんて気にせず言葉を叫ぶ。

 大声を近くで聞いているせいで耳が痛い。唾も飛んでいる。その中でも、羽無しという単語がとても耳についた。

 まるでそれが免罪符とでも言うような表情で、当然のように暴言を叫び続け、私と柚希さんの翼が無い事を罵り続けた。

 ムカつく。

 私たちをまるで人間と思っていないような言い草と視線がムカつく。

 それを仕方ないとでも言うように受け入れ、流しているくせに、私が目を向けると視線を逸らす周りの人にもムカつく。

 それを受け入れている柚希さんにも、少しだけ、ムカついて。


「……余興をしたら、お酒が来るまで待ってもらえるんですか?」

「アン? いいぞ、しょーがねぇから待ってやるよ」

「くだらねぇことしやがったらこの酒瓶投げつけるからな!」

「羽無しが俺らを楽しませられるのか見物だなぁ?」


 ……私ができる余興。

 冗談は言える雰囲気でも、そこまでのネタがあるわけでもない。というか、細かいところで文化が違うから、通じるかすら分からない。

 歌。無理、この世界の歌を知らないし、そもそも上手くない。

 そんな私が、ギリギリ自信を持ってできる余興なんて一つしかなくて。


「即興劇を、します」


 男たちが訝しげな眼で見てくる。柚希さんも、驚いた目で見てくるけど言ったからにはやるしかない。

 題材は無い。ただ、部活の中で、個人練習の中で、何度も即興劇はやってきた。一人でやったことはほとんどないけど、それでもどうにかはなるはず。

 目を閉じ、ゆっくりと体を動かす。

 私が台詞を発するたびに食堂中の視線が突き刺さるのが分かる。それでもできるだけ気にしない。演技者は、見られることこそが本望だと信じて。震える指先と声で、演技を続ける。

 私の演じる主人公は、やっぱりどこまでも臆病で、どこか滑稽だけど。それでも、気持ちは届くと信じて。


「私も」


 動かしていた手を柚希さんが握る。

 演劇なんてしたことないはずなのに、それでも入ってきてくれた。二人で言葉を考えて、とにかく口から発していく。なんとなく合わせて動いて、相手がそれにどう合わせるかを見る。

 その繰り返し。終着も分からない、どこまでも続きそうな即興の世界。

 ここまで来ると変な余裕が出てきた。男たちのつまらなさそうな顔も、それ以外の景色も目に入ってくる。


(リーダー、動いてくれた)


 フロアリーダーのお姉さんが動き、私が置いたお猪口を全員に行き渡らせてお酒を注いでいる。ついでに落ちていた皿や小さな食材たちも拾い集めてくれた。

 興味がない人はさっさと退散をしているし、声が聞こえたのか、出入り口から覗き込んでいる子供たちもいる。遠くで応援するように軽く手で拍子をとってくれているお婆さんたちもいる。無言で、それでもちゃんと一挙手一投足を見ているお兄さんもいる。

 ……いつの間にか、いつも通りの無表情で立っている鶴屋もいる。


「いよーっ、いいねぇ!」


 室谷さんの、状況や空気感を無視して合いの手が響く。

 宣言通り旅館に戻ってからお酒を飲んで酔っ払っていた室谷さんは、顔を真っ赤にしてお面を振り回していた。子供向けのお面だから、視界に入るたびにおかしくて笑えてくる。

 たぶん柚希さんもそれが見えたのだろう。お互いに顔を見合わせて、笑いながら演技を続ける。


「……」


 文句を言っていた人たちは完全に毒気を抜かれたのか、なにも言う気が無くなったようで、黙ってお酒を口に運んでいた。

 場の緊張感は完全に無くなっている。

 なら、楽しいけど、そろそろ潮時だろう。


「どうだいお嬢様?」

「ええ、とても良かったわ」


 いつの間にかロマンス物みたいになっていた私たちの即興劇は、私のリードに合わせて柚希さんが綺麗なポーズを決めて閉幕。

 子どもたちや年配の人からの控えめの拍手が聞こえてきて、恥ずかしくなった私はとにかく頭を下げる。なにを言えばいいかわからなくて、ありがとうございました、と小さく言ってそそくさと退散した。

 裏側への暖簾を超えた途端に力が抜けて、その場にズルズルと座り込む。


「……怖かったー!」


 私の横に柚希さんも座り込んで、怖かったねー、と呟く。終わってみて最初に零れた言葉というか、感情はその一言だった。

 あの男の人たちも、周りの人も、演じるのも、全部。全てに怯えながら必死に声を出していたんだと思う。その証拠に声はガラガラだし、握りしめていたらしい指は鬱血して白と赤の二色だけになっている。

 喉はガラガラで、風通しがいはずの着物の中はじっとりしていた。外から見ても分からないけど、たぶん内着の脇は汗で酷いことになっているはず。


「まさか柚希さんが入ってくると思わなくてびっくりしました」

「だって参加したくなっちゃったんだもん。私は見せてもらうだけの筈だったんだけどなぁ」


 柚希さんが入ってくれたから余裕ができたけど、いままでの即興劇でもそんなのは体験したことがなくて少しだけ混乱した。その辺から脚本というか台詞はかなりメチャクチャだったと思う。

 でも、凄く楽しかった。その感想はきっと、二人とも変わらない。

 そうやって二人で話している姿が見えたのだろう。フロアリーダーのお姉さんと、前に一緒にゴミ捨てに行ったお姉さんがコーヒー牛乳を持ってきてくれた。


「あれが演劇なのね、見れて良かったわ。予告が無かったのは少し残念だけど」

「ご、ごめんなさい」

「いいのよいいのよ。二人が楽しそうにしているのを見れただけで十分だったわ。にしても小宮さん、上手いのねぇ」


 今日はもう休んでいていいですよ。それだけ言い残して、二人は仕事に戻っていく。

 さっきまで休んでいたのにまた休むわけには、とは思うものの。筋肉痛や一日の疲労の上でさっきの出来事があって、さらに働ける気はしなかった。言葉に甘えて休ませてもらう為に、もう一度足腰に力を入れ直して立ち上がる。

 そのまま二人で廊下をぬけて、従業員玄関の外にあるベンチの所に行く。雨をちょうど避けているそこに並んで座り、コーヒー牛乳を一気に半分くらい流し込んだ。

 雨風のせいか、それともさっきの汗のせいか。少しだけ冷えていた体が冷たいコーヒー牛乳のせいで震える。着物を着ているのに夏の蒸し暑さがちょうどいいなんて変だな、なんて思いながら。

 少し寒いのは柚希さんも同じようで、少し服を気にしながら、今日はもう休んじゃおうかな、なんて呟いている。


「柚希さんって演劇とかしたことあるんですか?」

「ないよ。っていうか、ここに演劇の文化自体があまりないんだよね。他の島から来た人がたまにやっているのを見るくらいかな?」


 演技の舞台に旅館を貸してくれって頼まれることがあるんだよ、と教えてくれた。演劇旅団みたいな人たちがいるのだろう。その人たちの演技が見たいな、と思ったけど今は置いておく。

 この世界では演技の文化がそこまで浸透していない。ということは、柚希さんは完全に素人だけど私を助けてくれたことになる。


「ありがとうございます、一人だったらたぶんダメでした」

「私も助けてもらったからお互い様だよ。なにより楽しかったから大丈夫。こちらこそありがとうね」


 そのままダラダラと、コーヒー牛乳を飲みながら話をする。

 演劇の話。さっきの演技の最中の周りの人の話。旅館の話や、高校の話まで。

 男たちに言われたことが気になりはするけど、あえて二人とも触れない。楽しそうな話題だけ。久しぶりに女子高生らしい会話をしている気がする。とりとめのない、終わりの見えない会話がとても楽しい。


「そういえばさっき、鶴屋もいましたね」

「いたね。結構最初から見ていたみたいだし、恥ずかしかったなぁ」


 他の人は、好悪はあれどなにか表情は見せていたのに、アイツはずっと無表情だからおかしい。演じているときはそのキャラクターになりきっていたいのに、なんにも考えていないような、どこかを見透かすような目を見ると、思わず元の自分に戻されてしまう気がする。

 見てもらえるだけでありがたいのは変わらないけど、でもアイツは少し遠慮したいかも。

 そうやって話しているうちに気分も心臓もだいぶ落ち着いた。コーヒー牛乳は飲み終わったし、そうなるとやっぱり汗で湿っぽくなっている着物が気になる、

 リーダーさんたちの言葉に甘えて休むことにし、二人でロッカールームに戻った。話しながら着替えるこの時間が、部活の時みたいで懐かしい。

 私は貸し出されている浴衣に。柚希さんは私服の、可愛いワンピースタイプの服に着替えていた。


「そういえば柚希さんの私服姿を見たのは初めてな気がします。とても可愛いですね」

「ふふ、ありがとう。旅館の着物じゃない服を着ているのを他の人に見られたことがあんまりないから、少し恥ずかしいけどね」


 そのままの流れで、一緒にご飯を食べて、お風呂にも入った。まるで友達と旅行をしているような感じ。いつもと入っている時間が違うからか、他に使っている従業員さんもいない二人きりの独占状態。

 人目を気にせず過ごす時間が、とても楽しかった。

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