♯10 断り切れないお誘い
七月二十六日。星拾祭前日で、子供たちもその準備を手伝う日。
この日の寝覚めはたぶん、過去一番で最低だった。
目は開かないしゴロゴロする。頭は痛い。気分も上がらないし足先が寒い。夏特有の蒸れ感が、妙にムカつく。
それでもなにとか体を叩き起こして洗面所に向かう。生温い水を頭から被り、乱雑に頭を掻きむしる。髪の毛の間を流れていく水に少しだけ背筋をゾワッとさせつつ、この後はまず飛び散った水の拭き掃除だな、なんて考えつつ。
思ったより飛び散っていた水たちをげんなりしつつ拭き、今日もいつも通りのルーティーンをこなす。発声練習、ストレッチ、活舌のための運動。完全に沁みついている習慣を、淡々とやっていく。
全てやり終える頃には、足先の冷えは無くなっていたし、少しだけ頭痛もおさまっていた。
思ったより全身で蔓延している筋肉痛はもう、気にしないことにする。
そして、浴衣から着物に着替えたあたりで部屋の扉が控えめに叩かれた。
「小宮さん、起きていますか?」
「はい、起きてます! どうぞ!」
「失礼します。おはようございます、小宮さん」
入ってきたのはやっぱり柚希さん。相変わらず楚々とした動きが似合う人だ。
私がちゃんと準備を終えているのを確認したのだろう。少しだけ微笑んでから言葉を切り出す。
「小宮さん、今日も変則的に動いてもらうことになります。というのもですね、今日は島を挙げて星拾祭の準備をする日なのですが、この旅館の従業員も方々にお手伝いに行くのが慣例になっているんです」
「お手伝いですか」
「はい。日中だけなんですけどね」
ここに滞在している人なんかまで巻き込んで、本当に島の人全員で星拾祭の準備をするのが今日という日らしい。纏まった人員がいるこの旅館は、その戦力として買われているようだ。
もちろん夜は夜で旅館の仕事がありはするらしい。夜の外は出歩けないし、準備で疲れた人が温泉に浸かりに来るから、年内でも五指に入る盛況具合になるのだとか。
昨日と同じく休み時間自体はちゃんとあるようだけど、今日もかなり疲れるのは確定らしい。
「とりあえず日中は街で祭りの準備の手伝いをお願いします。お昼はいつも通りここで用意するので帰って来てくださいね。午後は暑くなるようなので、程よく休みつつ、継続してお手伝いをしてもらうことになります」
「了解です」
「ちゃんと美味しいご飯を用意しておきますね。……あと、夕方から夜にかけて雨が降るようです。よければその辺りも気をかけていただけるとありがたいです」
「分かりました」
準備の中で雨に弱そうな物とかが置いてあったら、忘れず言うようにしよう。まさか篝火用の薪を野ざらしで置いたままにしていたせいで湿りました、とかじゃ話にならない。
というわけで、身なりを改めて整えてから、他のお手伝いに行く人と共に人が足りていない場所に向かう。
街は完全にお祭り前日、という感じで浮かれているのが分かる。
単純に人が多くて活気づいているらしく、そこかしこから声が聞こえてくるし、子供たちは集まってどこかに行こうとしていた。
その子たちが自然な動作で翼を出して飛んでいく姿を見送りつつ、最初の目的地である島の共有倉庫に向かう。
共有倉庫とはいうものの、その実態は、街で使うけどその機会が少ないものを放り込んでおくただの物置らしい。掃除は毎日されているものの、とりあえず置き場所に困ったものを放り込んでいくからかなり雑多な風景になっているようだ。
そこになにをしに行くのかというと。
「まさか神輿を倉庫に置いているとは思いませんでした」
「神社は置く場所が無いのよね。となるとあそこしかないのよ」
というわけで、星拾祭で使う神輿を運び出して掃除をするらしい。
遠くからでも見えた大型倉庫の扉を開ける。
「……暗いですね」
「あと、やっぱりどうしても埃っぽいわね。タオル持ってきておいて正解だったわ」
毎日掃除をしているとはいえ、やはりそこは大型倉庫。取り切れない埃はどうしても出て来るし、そうなれば多少は積もりもする。壁のくぼみは、一面が白く覆われていた。
「まずは窓を全部開けましょうか。風で飛んで行って無くなってしまうものも、それで特別困る物もないでしょうから」
「そうしましょう」
換気と光を取り込むために、一気に窓を開け放っていく。夏場らしく蒸れた空気が、風通しが良くなったことで僅かに和らいだ。
島の反対側でやっているらしい農耕のための道具を筆頭に、色々なものが雑然と置かれている。どう使うのか分からない物や、たぶんこう使うんだろう、というこの世界特有の物もあって少し面白い。
ただ、他の人は当然見慣れているらしく、さっさと神輿の前からどかしていた。
出てきたのは高さが二メートルと少しくらいの思ったより大きな神輿。地域のお祭りで神輿を担ぐ時の物とかと比べればかなり大型で、担ぐための棒も相応に長かった。
紫と緋と金色をメインに、垂幕や鳳凰を模した屋根の装飾が目を惹く。輿というだけあって人が乗れるようにか、中は空洞になっているようだ。前面には扉もついていた。
「これが神様の御神体を載せるメインの神輿よ。やっぱり近くで見ると大きいわねぇ」
「メインの、ということは他にもあるんですか?」
「そうよ。なんたってこの神輿を担ぐのは星拾祭の花形、二日目ですもの」
星拾祭は三日に分かれている。
そのうちの二日目が星拾祭の本番とも言うべき行事の、星拾いがあるのだ。空から落ちてくる星を拾い集め、山の上にある神社まで運ばなくてはいけない。
お姉さんが目を惹くメインの神輿の隣にある、二基の神輿を指さす。
「これは星を神様と運ぶための神輿なのよ。輿というよりは籠みたいでしょう?」
「本当ですね」
「神様は普段神社から動けないらしいのよ。一年の中で唯一この島を見て回れるのがこの星拾祭なのよね。なら神様には手で奉納したいし、綺麗な物と一緒に見て回ってほしいじゃない?」
拾われた星は、拾った人がそれぞれで神社まで運んで、専用の場所に集めていく。神輿が島中を巡る間にそれはずっと続けられ、いざ神社に戻ってきたときには山盛りになった星が奉納されているらしい。
ただ、その集めた星をただ奉納するだけでは寂しいだろう、なにより神様の目の前で神様自身に奉納したい、という人も少なからずいるのだ。むしろそういう人の方が多い。その人のために、輿というよりは大きな籠のような二基の神輿が随行するのだろう。
それぞれで星を拾って神社に運びつつ、神輿が巡ってきたらそちらにも奉納する、ということらしい。
分かりやすく説明してもらい終ったころにはすっかり換気が済み、上の方で重なっていた埃はほとんどどこかに飛んでいったようだ。
「それじゃ、やりましょうか。隅々まで掃除するわよ~」
袖をまくり、バケツにタオルを突っ込んで何枚も一気に濡らした。万が一にも神輿がびしょびしょにならないようにしっかりと絞ってからどんどん手渡していく。
全員に濡れタオルが行き渡ったところで、なんとなくで三組に分かれて掃除を始めた。
「思ったより隙間にも埃って溜まるんですよね」
「そうなのよねぇ。客間なんかもそうよ、数日誰も使っていないからって放置しているとすぐに埃で白くなるのよね」
金色の装飾が埃でくすんでいるのはやっぱり視線を引く。垂幕は最悪はたけば気にならなくなるかもだけど、色の強い部分の装飾となるとそうもいかないし、隙間の汚れもかなり目立つのだ。
遠目で見ていればただの壁や屋根にしか見えない部分も、近くで見れば細かい木組みで出来ているのが分かる。その噛み合わせ部分や梁の部分に、まるで見つからないよう隠れるかのように埃が溜まっていた。
そんな汚れやほこりたちを拭って、容赦なくバケツの水で洗い流していく。少し拭うだけで埃がついて拭きにくくなるから、少し拭いては濯いで、を繰り返す。
徐々に綺麗になっていくのが見ていて楽しい。
「これ、何人くらいで担ぐんですか?」
「どうだったかしら。大体十五人くらいで担いでいた気がするけど」
「子供たちも参加したりしなかったりするし、まちまちなのよねぇ」
ようは、お母さんたちに勧められて担ぐことになる子供たちの数がまちまちで、それに合わせて多少人数が増減するということらしい。基本は十五人、ということはやっぱり結構大きいのだろう。
担ぐための棒には、年季そのものとも言えるすり減りとへこみ。木製にしてはささくれもほとんどなく、思わず撫でたくなるような手触りをしている。
「……実は人手、結構足らなかったりしますかねこれ」
「こんなに大きい神輿だもの、少なくとも運び出しには他で人を呼ばないといけないわね」
それだけでなく、僅かな移動でさえ難しいこの現状はどうにも難しい。当然引き摺るわけにもいかず、台車に乗っているわけでもない。下というか、裏側には埃は溜まらないものの、一年間置いてあったのなら拭きたい気持ちはある。
担ぐ用の棒があるから本体は地面から浮いている。なんとかその端から手を突っ込んで、変に壊したりしないように力加減をしつつ拭いていく。
そんな感じで、苦心しつつ神輿の掃除を終えた。
「じゃあ、他の人に頼んで運び出してもらいましょうか」
「ということは次の場所に行くんですか?」
「そうね。たぶん小宮さんは装飾とかの方に行くことになるんじゃないかしら」
一応リーダー役のお姉さんが星拾祭を仕切っている人に連絡しに行って、それ以外の人はまた別の場所に行って仕事をするらしい。
ということを一日繰り返す。街中の人と話して、準備をして、気がつけば歩きなれていた島の中をぐるぐると巡っていく。街の中が活気づいているおかげか、それともなにとなく慣れたからか。図書館に行ったときなんかより島をじっくりと味わえている気がする。
子どもたちはみんな遊びにいったのか、思ったより見ない。作業しているのは大半が高校生以上の人で、ほぼ全員が慣れた様子で作業をしている。
立ち並ぶ提灯と屋台、そしてそれ以上にたくさん道に設置されている篝火台がいかにも祭の前という感じ。たぶんお試しをしているだけなんだろうけど、そこかしこからソースの匂いがするし、一部ではチョコバナナなんかも見える。そのおかげで準備で体を動かしている間も目が楽しい。
と、その中で。
「あ、奏ちゃん」
「……なにしてるんですか」
のほほんと歩いていた室谷さんに出会った。軟派でふわふわとした感じはそのまま、いまいちなにをしているのか分からないまま話しかけてきた。
祭りの準備をしているわけでもなさそうだし、かといってなにの目的もなくフラフラしているわけでもなさそうで。気まぐれに手伝いもしているらしく、ちゃんと働いてください、とも言いにくい。まあ、従業員でもこの島の住人でもないから働く義理がないといえばないんだけど。
まだ屋台は始まっていないはずなのになぜか綿飴を持っているから、余計になにを言っていいか分からない。
「いやぁ、なんかみんな楽しそうだよねって思ってさ。でも奏ちゃんは忙しそうだね」
「分かっているなら手伝ってくださいよ。薪運びの人材とかどこでも欲しがられてますよ」
「それは楽しくないじゃんね」
空気が読めないというか、なんというか。参加者は楽しむのが仕事とはいえ、これだけ動いている人たちを目の前にしてそのスタンスを貫けるのはある意味凄いと思う。
協力しないスタンスと軟派な感じへ拒否感が相まって、少し刺々しい受け答えになってしまう。
「じゃあなにが楽しそうでやる気になるんです?」
「お面塗とか、花火作りとかかな?」
「できるんですかそれ。花火とか資格いりますよね」
「たしかに元の世界はそうだけど。この世界では資格要らないよ」
ほら、と室谷さんが懐から取り出して渡してきたのはありきたりな狐のお面。どうやらくれるらしいんだけど、これをどうしろと。着けたらいいの?
いざ持ってみるとお面はかなりしっかりとした造りをしていた。プラスチックではなく木を彫って作られているから思ったより重いし、色も簡単には落ちなさそうなしっかりとした染料で塗られている。
「あそこのお面屋さんに頼んで少しお面塗りの体験させてもらったんだよね」
「本当になにやっているんですか……」
室谷さんが指をさした先には一軒のお面屋の屋台。渡されたやつに似た狐のお面を始めに、各種動物モチーフのもの、そして図書館でチラッと見たキャラもののお面が並んで飾られている。
いいでしょ、いくつか分けてもらったんだ、なんてキャラもののお面を見せてくる。いい歳の大人がキャラものでいいのか、とは思ったけど、とくにツッコミはいれない。
「その前にもねー、花火を作らせてもらったんだよね。危ないから火薬はほぼ触っていないんだけど」
「それでどうやって作るんですか」
「気になる?」
「いえ、いいです。訊くにしても花火師さんに直接訊きます」
訊いてもなんか変な気分になるだけの気がする。
なんだぁ残念、とは言いつつ綿飴を食べきっていた。置いてあるごみ箱に串を捨てて、いかにも満足です、と言わんばかりの笑顔を見せている。
どうやら特別用があるというわけではなさそうだ。かといって、ではさようなら、ともいかなさそうで。相変わらず疑念の視線は向けつつ、次の言葉を待つ。
「もし暇なら改めて島めぐりにでも誘おうと思っていたんだよね。今は仕事中みたいだし、明日の祭りの時とかどう? 前回は酔っちゃっていたし、先約があったみたいだけど。今回はどう?」
「明日の夏祭りですか」
確かに先約も予定もない。
思えば、元の世界にいた時にもほとんど夏祭りには参加したことがなかった気がする。行ったのは小さい頃に家族とか、中学生の時に友達と行ったくらい。地域にあるサッカーコートを自治体が借りてやっていたのに行って、適当に喋りながら買い食いをしていた覚えがある。
そういうわけで、かなり久しぶりの夏祭り参加になる。それを、室谷さんと。
……なんとなく。本当になんとなく、それは違う気がしてしまった。でもそれだけで断るのか、みたいな葛藤もあって。やっぱり前回のお誘いを断ってしまっているのがどうしても気になる。
「……無駄に連れまわしたり、お酒飲んだり、変なところに連れ込まないって約束してもらえます?」
「お酒もダメ?」
「ダメです。酔っぱらって潰れている姿を何回も見てますし、なにより私はまだ未成年です。こちらから言うのも少し変ですけど、未成年の目の前での飲酒は避けるべきでしょう?」
「それはそうだねー。まあ、旅館に帰ってからでも飲めるからそれはいっか。りょうかいりょうかいー」
本当に分かっているのか聞きたくなる笑顔だけど、それはそれ。既になんとなく後悔しているけど、今は脇に置いておいて考えないことにする。
鶴屋に一緒に回ってあげる、みたいなことを言った覚えもあるから、後で会った時に謝っておこう。また無表情で大きなお世話って言われそうだけど。
予定が決まって満足したのか、じゃあねー、とひらひら手を振って室谷さんはどこかに行った。相変わらず掴めないというか、自由というか。結局なにが本意で私に話しかけてきたのか分からないままだった。
私を誘うのが目的だったにしては、いかにも偶然出会った感じだったし。
「……変な人」
その後姿を見送って、仕事に戻った。
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