♯8 この世界には無いものもあって


 七月二十五日。

 タイムリミットまで、今日をいれてあと七日。一週間以内に帰る方法を見つけないと、たぶんだけど、私はこの世界であと一年間過ごすことになる。

 とは言うものの。

 今日は日曜日。朝早くから多数のお客さんが出入りしていて、従業員たちも裏でてんやわんやしていた。裏に繋がる暖簾をくぐった瞬間に従業員の人たちの笑顔が消えるのをなに度も目にしている。

 私も朝から忙しく動き回っていた。


「ごめんね、今日は午後も働いてもらうことになっちゃって」

「大丈夫ですよ。お世話になってますし、調べ物も行き詰まっているので」


 昨日のあの後に鶴屋と色々調べられそうな所に行ったし、簡単に試せそうな事も試したけど、結局効果は無し。帰れそうな予感すら感じ取れず、調べ物も知っていることしか出てこない。

 お祭りについては、毎年のことを毎年やっているだけ、という感じでそこまで詳細に意味や内容を記録した資料がない。多少詳しいことが載っていても、私が帰る方法に繋がっていそうな情報は見つからなかった。

 というわけで完全に難航中。もし今日の午後に調べ物の時間を貰っていても進展はしなかったと思うから、それなら役に立てた方が良い。

 というわけで今日は朝から働くことになった。

 すっかり顔なじみになった従業員さんたちと一緒に掃除に精を出す。朝の利用者がほとんどいない時間を使って、五人がかりで風呂場の床を必死に擦る。


「デッキブラシって、ちゃんと使うと、腰に来ますね……!」

「一日でヌルヌルが結構溜まるの、ムカつくー!」


 などと、お互い愚痴を零しながら。

 お客さんは大半が寝ているか、食堂でご飯を食べているはず。柚希はお客さんの間を見事に抜けながら仕事をしているんだろうし、高宮さんは流石の手際でご飯を作り続けているのだろう。

 そうなれば私も頑張って仕事をしないわけにはいかない。


「とは言っても広すぎないですか⁉」

「入浴中はそんなこと思わないのにね!」


 一人が窓を、二人が浴槽を、私ともう一人で床をやっているけど、全然終わりが見えない。綺麗にした場所から顔を少し上げるだけで、次に綺麗にしないといけな場所がある。

 という状況で、女性が五人集まれば当然のごとく話が弾むわけで。


「皆さんの魂珠が気になります。私はターコイズなんですけど」

「はいはい、あたしトパーズ! 結構黄色くて綺麗だよ!」


 真っ先に教えてくれたのは百瀬唯ちゃん。ヘアピンの似合う、高校一年生だ。片手でデッキブラシで床をこすりながら大きな声で答えてくれた。

 腕にしっかりと巻きつけられた魂珠時計を遠目に見せてくる。ただ、当然見えるはずもないので近づけば、かなり小さめで装飾された時計の中でトパーズが輝いていた。

 光を反射して綺麗に輝いている。時計自体も小さくて取り回しが良さそうだ。常にどこか動いているような、困ればその場で跳ねていそうなその子に似合っている。

 そんな感じで、掃除の手はほとんど止めないまま、全員の魂珠を見せてもらう。

 コランダム。アレキサンドライト。翡翠。

 宝石というよりは発掘された石みたいな物もあって見ていて飽きない。形といい、色といい、混ざりものや周りについた石の具合といい、なにとなくその人らしいなという感じ。

 時計の形も含めて、ここまで個性が出るんだ、と思うと同時に、私のターコイズもそう思われるのかなって少し気になる。


「動く速さもなんとなく違うんですね」

「ね、それ気になるよね。なのにちゃんと時間が分かるから凄いよ」


 唯ちゃんの時計は、石に近いほど歯車が速く動いているように見える。反対にコランダムのお姉さんの物は全体的に結構ゆったり動いているように見えた。でも、指し示している時間は同じ。秒針もちゃんと同じタイミングで動いている。

 なんというか、心臓の鼓動みたいだ。


「奏ちゃんの時計はあんまり凝ってないね。鳴くんに言えば色々アレンジしてくれるよ?」

「もしかして唯ちゃんも鶴屋にやってもらったの?」

「そうだよー。ってか、たぶんここの人たちのほとんどが鳴くんにやってもらってるよ。色々リクエストも聞いてくれるし、お仕事も早いし。鳴くんに頼むのが一番いいと思う」


 周りの人たちも、それぞれの仕事はやりつつ同意するように頷いている。

 動きやすいように小さくて軽くしてほしい、とか。音が気になるからできるだけ小さくしてほしいとか。反対に、置時計っぽく置いても見えるように、大きくしてほしいだとか。色々な要望を鶴屋は叶えつつ時計を作っているらしい。

 その、思ったよりもあるバリエーションを見て少し羨ましくなった。


「……言えば、すぐやってくれるかな?」

「やってくれるよ。やってもらっている間はお仕事に行ってもいいし、次の日に取りに行ってもいいし」

「そうなんだ……ってあれ、時計ってできるだけ身の回りに置いておかないといけないんじゃなかったっけ」

「それはまあそうだけど」


 でもねぇ、と全員が少し笑顔を見せて。


「鳴くんだしなぁ。手元にないのはちょっと不安だけど、まあ大丈夫でしょって思っちゃう」

「時計屋さんに頼んで不安だからやめてくれって言うのも変だしね」

「なになら、やってもらってる間にお話ししよって言ったらしてくれるよ。悩み事とか聞いてくれるし、テストで分かんない場所とか教えてくれるし」


 そんなバカな、って思ったんだけどみんな頷いていて驚いた。

 犬や子供を預かるだけじゃなくてお話聞きとかまでしているの、本当にわけわかんない。時計屋じゃないの、ってツッコミをしたくなるのは私だけみたい。


「なら、後で頼んでみようかな」

「そうしたらいいと思う! ついでに悩みとか聞いてもらったらいいよー」

「それはいいかなー」


 目下の最大の悩み事は、それこそ昨日鶴屋と向き合ってみたけど意味はなかった。演劇の事も悩んではいるけどそれはそれ。戻らないとお話にならないから、今はそれは置いておく。

 そっか、と唯ちゃんはそこまで気にした風もなく呟く。


「奏ちゃん」

「ん?」

「たぶんいつ行っても、どんな話をしても鳴くんは聞いてくれるけどね」


 そこで初めて、なんて形容したらいいか分からない顔をして。


「でも、鳴くんに惚れちゃダメだよ」


 いつか、誰かから聞いたようなことを忠告してくる。

 他の人もさっきまでのように頷いたりはしていないけど、どこか同意をしているのが伝わってきた。その真意だけは分からないまま、それでもたぶん正しいんだろうなということだけが分かる。

 二回目でも、やっぱりその忠告になって返したらいいかわからなくて。


「ならないよ、絶対」

「そっかぁ」


 デッキブラシの音が、どこか大きくなった気がした。

 ……そんなこんなで、色々と雑談を話しつつ風呂掃除が終了。お客さんも大半が起きた後らしく、館内はわりと静かになっていた。

 ただ、表が静かになった後は大抵、裏が忙しいことになっているわけで。

 具体的にはゴミ出しと片付け。


「こんなにゴミって出るものなんですね」

「凄いわよー。働く側にならないと分からないことって結構あるのよねぇ」


 大袋三つに詰まった生ゴミを運びつつ正直な感想を口にする。

 これだけ大きい旅館だし、あれだけお客さんがいたらそりゃゴミは沢山出るだろうけど。両を想像するのと実際に持つのではあまりに重量感が違う。生ゴミってこんなに重いんだ、というのを初めて知った。

 五つを超えた日はまとめて台車みたいなものを使うらしいんだけど、三個なら手で、という感じらしい。

 そうやって捨てに行く間にも沢山の従業員とすれ違う。全員が急いで動いていて、ああいかにも働いているんだな、という感じ。数日前までバイトのバの字すら考えていなかったのにな、と変な感慨がわき出てくる。

 ゴミ捨て場は旅館の建物の外、裏側の小道を少し行った場所にある。


「焼却炉とかあったら楽なのかしら」

「管理が面倒くさい気がしなくもないですね。あと臭いとか……」

「そうよね。難しいわ」


 一緒に捨てに行ったお姉さんと一緒に、たぶんここで何度も繰り広げられてきたであろう話をする。


「ゴミが溜まって海に行ったりしちゃたら大変ですし、少し離れた場所で手軽に燃やしたり出来たら楽かもしれないですね」


 何気なくそういうと、お姉さんは少し意外そうな顔で、


「……小宮ちゃんは、海を見たことあるの?」

「え? ありますけど……?」


 当然のように返してから気がついた。

 そうだ、ここは浮島だった。昨日鶴屋と島の周りを見た時も、海なんてなかった。島の地面の切れ目の先にあるのは、裏返った空と地平線。海なんて、右を見ても左を見ても広がっていなかった。


「海は、確か見渡す場所全部が水なんでしょう? 想像できないわ」

「水というにはしょっぱいですよ。海によっては辛いです」

「塩が入っているのも本当なのね。大きな水たまりとは聞くけど、乾かないのが不思議だわ。青かったり緑色だったりで、とても綺麗なんですってね」

「全部が綺麗だったりはしないですけど、写真だと伝わり切らないくらい綺麗な場所もあります。私はあいにくと、そこまで綺麗なところは見たことないですけど」


 そうなのね、と頷く表情はとても楽しそう。もしかしたら、お姉さんの頭の中には、絵の具みたいな青の海が想像されているのかもしれない。

 たぶん、私がどう言っても、きっと美しい海をこの人は思い浮かべるんだろう。


「一目でいいから見てみたいわ。一面見渡す限りに海がある島もあるんですって」

「きっと、見れますよ」


 翼こそなくても、私がこうやって空を飛ぶ世界に来れているんだから。海を見ることぐらいできるはず。できて欲しい。

 そうね、と微笑むお姉さんと一緒に、まだ忙しく動いている旅館の中に戻っていった。

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