♯7 憧れの話
この世界に来て三回目の朝。
なんとなくこの時間に起きるのも、すぐに働く支度をするのにも慣れてきた。起きてすぐあの完成度になっている柚希さんは本当にすごい。
仕事にもだいぶ慣れてきて、よく話したり一緒に仕事をする従業員や、いつもいるお客さんの顔はほとんど覚えたと思う。お客さんも私の話題はこの二日間で話し飽きたようで、視線はほとんど向けられなかった。
あっさりと時間は過ぎていき、気がつけばお昼。休日ということもあってかお客さんはかなり多く、十一時にはもう食堂はてんやわんやの状態になっていた。
それでも従業員の入れ替わりなんかはスムーズに行われる。みんなの慣れとかを凄い感じた。
忙しく動いているうちにあっさりとお昼は終わり、午後。
「ごめん、お待たせ」
お昼を食べた分だけ少し遅れたのを謝っても、鶴屋はほとんど無反応。無地の涼しそうな上下を着て、時計屋の前で待っていた。
ちなみに私は柚希さんに借りた服。結構歩くかもと思ったから下はズボンにした。身長が柚希さんの方が高いから、丈が少し合っていないんだけど。
「どこに行くのかは決まっているのか」
「決まってない。どこかオススメとかある?」
「ない」
「……目についたところから適当にぶらつくのでいい?」
ここまで適当でいいのかな、とは少し思う。
ただ、多少調べ物をしたとはいえ、この世界はまだまだ分からないことだらけ。星拾祭についても、この世界のルールについても、知っているようでほとんど知らない。
だから今日くらいは鶴屋に任せてもいいのでは、と思った。変に色々と連れまわしたりはしないだろうし、無駄もしたがらないはず。
「というわけでしゅっぱーつ!」
向かうのは、昨日までとはまた違う方向。図書館の方に向かう木で見えにくい隠れ道みたいな方ではなく、人通りの多い方に向かって歩く。
昨日までの道は暗い上に人通りが本当になくて少し怖かった。探検みたいな雰囲気はあっても、それ以上に不安な気持ちになっていた気がする。人通りが多いこと、なにより視界が開けているのは大切だな、とすごく思う。
少し上機嫌になって周りを見る。
星拾祭は来週の二十七日から。その前の最後の土日ということで、その準備をしている人が結構多いようだ。屋台なんかはもう設営をするらしく、沢山の看板や骨組みが道の脇にある。
「なんか、まだお祭りまで日にちあるのに少し早く始まりそう」
「屋台なんかは早く始める場所も多い。どうせ子供は星拾祭で来週は休みだからな、遊んでいたり暇をしていることが多いんだ」
「たしかに小さい子が多いかも」
色々と準備をしているのは若者以上の年齢。小学生くらいの子供たちは、積まれた物や人の隙間を縦横無地に走りながら遊んでいて設営なんかはしていない。
この世界の夏休みがいつなのか、そもそもあるのかもわからないけど、子供たちにとってはゴールデンウィークのような感覚なのかもしれない。
あんまりはしゃいでいたり危ないことをしそうだと注意されているけど、基本的には温かい目で見過ごされていた。頑固そうなおじいちゃんでもこういう時期は見逃してあげるらしい。
「鶴屋も小さい頃はみんなと遊んでたの?」
「さあな」
それくらい教えてくれてもいいじゃん。でも、遊んでいなかったらそう言いそうだし、遊んでいたんだろうな。その時はこの鉄面皮じゃなかったのかな。少しだけ気になる。
物と人だらけの道を抜けると今度は、商店街みたいなところに出た。
神社へ向かう階段に繋がる、緩く回るようにして伸びる道。さっきまでは道の脇に雑に店ががあったのを、ちゃんとした店舗に変えた感じ。
当然、店の種類も変わってくる。
いわゆる出店や屋台っぽかった商品たちは職人の技を使った物に変わり、綺麗なアクセサリーなどの小物や食べ物類が目立つ。ショーウィンドウのようになっている場所もあって、見ているだけでとても楽しい。
その中で、否応なしに気がつかされたのは。
「おや鳴くん、この間はありがとう。これ、お礼のコロッケ」
「ありがとうございます。腰は大丈夫ですか?」
だとか、
「おにーちゃん、お花あげる!」
「摘んできたの? 可愛いね、ありがとう」
だとか。
もちろん全員ではないけど、それでも沢山の人が鶴屋に声をかけている。親し気に声をかけて、前に会った時の話なんてして、なにかをくれたりするのだ。
小さく手を振ったり会釈をする人を含めたら結構に数になると思う。
「人気なんだ」
「知ってる人が多いだけだよ。俺以外の時計屋は別の島にしかいないし、そいつも魂珠時計は扱っていないからな」
「島にいる人全員がお客さんってこと?」
「そうだ」
それだけにしては仲が良い気がするけど。
たとえ田舎っぽい場所だったとして、じゃあそこの住人みんなと仲良くできるかって言われたら私は難しい。できる気がしない。
この世界の事は分からないことだらけだけど、やっぱり鶴屋のことが一番分からないかもしれない。
「コロッケ、一口ちょうだい」
「昼を食べて遅れてなかったかお前」
「いいじゃん、美味しそうなんだもん」
やる、と渡されたコロッケ半分を食べつつ神社への道を進んでいく。
だんだんと山の高い位置に来たからか、人通りはかなり減った。竹や木の影が増え、自然の姿が強くなる。星拾祭のための装飾がされていたり篝火の台が置いてありはするものの、どこか無造作というか、本当に準備してあるだけ、という感じだ。
少し視線を上げると、いかにも山です、という風景の中にある鳥居の朱が映えている。
「わりとキツくなってきたかも」
傾斜はだいぶある。さっきまでとは違って、道の先を見ようとしたら顔を上げなきゃいけないくらい。坂道ではなく階段も増えてきている。
一応人の手はしっかりと入っているらしく、ゴミや落ち葉みたいなものはほとんど落ちていない。
「この先は神社だ。一応敷地は歩けるし建物も眺められる。かといって特別見る物もなにも無いが、行くか?」
「ここまで来たし行こ。お参りしたら元の世界に帰れるかもしれないし」
「賽銭は?」
「持ってない」
こら、神社の敷地中でため息つかない。私が悪いけど。
図書館の職員のお姉さんが言っていた通りなら、神様は出てこなくても見て聞いているらしいんだから。
残りの階段を登り切って、遠目からでも大きく見えていた鳥居をくぐる。
やはりこの神社は大切にされているようで、中はとても綺麗だった。石畳は綺麗でデコボコがほとんどないものになっているし、隙間から雑草が生えていることもない。
手水舎で手を洗って、用意されている綺麗な白いタオルで拭く。
その後は道に流れに沿って本殿の前へ。十五円を受け取ってから優しく賽銭箱に投げる。二礼二拍してから目を閉じた。
元の世界に無事帰れますように。……あと、できたらその時、演技も上手くしてください。
初詣の時みたいに、黙って神様に願い事を伝える。
そして目を開けると、終わるのを待っていたらしい鶴屋が呆れた顔をしていた。
「……神社はお願い事をするんじゃなくて、努力が実った時にそれを見守ってもらった感謝を伝える場所だぞ」
「図書館のお姉さんはお願い事が叶うって言ってたもん。だからいいんだよ」
「なら願い事の後の一礼を忘れるな」
「……細かいことばっか気にしてると禿げるよ」
忘れていたのは事実なので、その場で振り返って頭を下げた。
今まで本殿しかちゃんと見ていなかったから、と辺りを見渡す。
手入れは念入りにされているらしく、石畳以外の場所に敷かれている砂利すら綺麗に均されていた。篝火台もこれまでの道に用意されていた物より大きくてがっしりした物が用意されている。
周りの樹までしっかりと手入れされているようで。風は程よく吹き抜けるし、夏の昼過ぎなのにほとんど暑くない。鳥の鳴き声が少しだけ響いて空に抜けていくのも心地よい。
後ろを見れば、鳥居越しに街並みが広がっている。
「……景色良いね。他の場所より高いから眺めがいいや」
「見慣れたよ、俺は。もっと高い場所も見慣れているしな」
「それでも綺麗なものは綺麗でしょ」
少しだけムッとしながら言い返す。
そりゃ、翼があって飛べる人からしたらこの高さなんて珍しくないかもしれないけど。それでも空は綺麗だと思う。
いまいち分かっていなさそうな鶴屋から視線を外して周りを見る。でも、他には特になにも無いようだ。社は本殿だけ、狛犬や撫牛もない。手水舎以外の場所への道は無いし、第一それ以外の所には整えられた砂利が敷かれていて歩きにくい。
要は、神社で出来そうなことは終わったというわけだ。
「帰れなかったなぁ」
「その程度で帰れるなら俺が今頃こうやって付き合わされていない。第一、願い事をするなら星拾祭の二日目にするべきだ」
「何事もやってみないと分かんないでしょうが。……そういえば気になったんだけど、鶴屋は当日になにを願うの?」
「俺は願わないよ。仕事がある」
「仕事?」
つい、と鶴屋がおもむろに指で指し示した先を見る。
指の向こうにあるのは街の外れ。家が立ち並ぶ場所から少し離れた場所に、ポツン、と立っている時計台があった。
「あそこで時間を報せる仕事がある」
「時計を見たらいいんじゃないの? それこそみんな持っているじゃん」
「大抵の魂珠時計は狂うんだよ、その時間は」
時計が狂う。
「一年で崩れたバランスを直すのが星拾祭だ。なら、その祭りや儀式の最中は当然その狂いや影響は大きくなる。この世界の人間はその影響を受けやすい。だから、時間を報せてちゃんと儀式を進める助けをする人間が必要だ」
「それを鶴屋がやるの?」
「そうだ」
時計屋だからな、となにでもないように言う。
街の様子を見ていれば、大人たちでさえ忙しさの中でも楽しそうにしているのが伝わる。なのに、その中で鶴屋だけがあの時計塔にいなければいけない。
「別に俺だけが働くわけじゃない。この神社の宮司も、柚希も同じ時間に働くぞ」
「え、柚希さんも?」
「柚希は今年の巫女担当だ。むしろ儀式の中心だよ」
つまり、二人とも二日目の儀式の日は仕事なのだ。鶴屋は時計塔で、柚希はこの神社で。
「……その日も夜は出歩けないの?」
「そうだな。俺たちはそれぞれの場所で朝まで過ごす」
みんなが星を拾いながら願い事をする日に、この二人は仕事をする。祭りを楽しむ人たちのことを知っていて仕事をしなきゃいけない人が目の前にいる。
その、違和感というか、寂しさのようなものが顔に出ていたのだろう。私の顔を見た鶴屋が言葉を続ける。
「安心しろ、一日目はちゃんと二人とも祭りに参加する。それに、俺も柚希もそこまでして願うこともないんだよ。星が降る様子はこの神社でも時計塔でも見えるし、これまでもさんざん見てきた」
なになら来年も見れるしな、と、やっぱりなんでもないように言う。その空気が、なんか余裕を感じるような、無理しているような感じに思えて。
「鶴屋、あのさ」
「なんだ」
「柚希さんは優しいし可愛いから大丈夫だろうけど、その……誰も一緒の人がいなくて寂しかったら一緒に周ってあげるからね」
「大きなお世話だ」
流石の鶴屋も今の言葉にはイラっと来たらしく、勝手に神社の出口に向かって歩き始めてしまった。
いや、確かにだいぶ失礼なこと言ったけど。でも、楽しむときは全力で楽しんだ方がいいだろうし、お祭りに行くなら複数人の方がいいかなって思うじゃん。からかいの意志があったのは認めるけど、怒らなくてもいいのに。
満足したなら帰るぞ、とでも言わんばかりに階段をどんどん降りて行っている。
「降りる時って階段が急に感じるよね。手すりないと怖いかも」
一番下まで見えちゃうのが怖いのかも。途中で平坦になっている場所がほとんどないからその感覚が強調されている。
うへー、となりつつ降りていると、街の方で空を飛んでいる人が見えた。
「そっか、鶴屋は困ったら飛べばいいのか」
「そうだな。だから階段で怖くなったことは無い。こういう時にいちいち使ったりもしないけどな」
「じゃあいつ使うのさ」
「登校の時は使う」
なにそれ、私も言いたい。というかしたい。
登校する時に翼を使いますって言いたい。
「鶴屋でも学校行くのは面倒なんだ」
「それもそうだけど、面倒だから使っているわけじゃない。あの浮島を見ろ」
指をさした先には、どうやって浮かんでいるのか分からないくらいの大きい浮島があった。島の下側は、意外にも蔦や斜めに生えた植物たちで埋め尽くされている。
その島の上に、いかにも学校です、と言わんばかりの建物が霞んで見える。
「あれが俺と柚希の行っている高校だ。面倒とか面倒じゃないとか以前に、飛ばないと行けない」
「なんだ、そういうことか」
どこでも行けちゃう扉が欲しいとか、ワープできたらいいなとか。そういう、誰もが考えるような意味での飛んで行ける、ではないみたい。
「……前から少し思っていたんだが。そこまで強く空に憧れでもあるのか」
「あ、わかるんだ。うん、あるよ。すっごく」
空に憧れた人間として考えそうなことは一通り、何巡したか覚えていないくらい想像した。
翼がある日突然生えたらいいな、とか。
漫画の超能力みたいに飛べないかな、とか。
ベッドの上からジャンプした回数も、お風呂場で肩甲骨を触った回数も覚えてない。小さい頃は、風船とか傘を持ったらとにかくジャンプしてた。
もし生えるならどんな翼が良いかな、とか。
空を飛んだら綺麗な景色がいつでも見えるのかな、とか。
雨が降った日の手入れは大変そうだな、とか。
「鶴屋は、空が綺麗だなぁって一時間くらい眺めたりしない?」
「しない」
「だよね」
元の世界でだって、長すぎ、そこまではしない、って言われるんだから、この返答はある意味予想通りだった。
いざその想像の一つにあった世界に来てみれば、変なところも多いけど、思ったより普通の世界で。そこの住人は空に憧れがないみたい。
私の背中に翼は生えなくて、元の世界の時と同じように、自由に空を往く存在を見上げている。
「……あのさ、私、元の世界だと演劇してるんだ。演劇をする人はなににもなれるんだ、って言葉を信じてさ。それだったら空も飛べるのかなって。……飛べるわけないのにね」
「……」
「練習はちゃんとしてたんだけどさ。でも上手くいかなくて、悩んでいたらこの世界に落ちちゃった」
「そうか」
いつも通りの淡泊な反応が、今は少しありがたい。
話しているうちに下まで降り切った。大通りを通る人たちの喧騒が僅かに聞こえてくる。
「ごめんね、急に変な話して。演劇してるのもわけわかんないよね」
「いや」
鶴屋は一拍置いて、少しだけ悩んだような顔を見せる。
その悩んだ顔のまま、私を見て。
「……その話を柚希にもしたらいい。たぶん、真剣に聞いてくれるぞ」
「鶴屋も真剣に聞いてよ」
「真剣だよ、俺なりに。ただ俺はその感覚が分からないからな」
そういう鶴屋の顔は、少しだけ緩んでいるように見えた。思わず見返したらいつもの鉄面皮に戻っていたけど、たぶん、見間違いじゃない。
なぜかその顔が、妙に頭に残って。
この日、布団に入って眠りに着くまで、全く消えなかった。
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