♯6 室谷さん


 次の日。

 この日は昨日とほとんど変わらず、午前中に働き、午後は調べ物、という感じだった。

 昨日の読み切れていなかった部分を読んだ後に、同じ職員さんに古書堂や伝承に詳しい人のいる場所を教えてもらうという進展はあったけど、それ以外は概ね同じ。

 ただ一つ違いがあるとしたら、接客も一部任されるようになったことと、そこで室谷さんという人に出会ったことだろう。


「やあ、君が奏ちゃんだよね。噂で聞いてるよ」


 と、なんとも軟派な感じで声をかけられたのが出会い。

 聞けば、この旅館の従業員や泊っている人の間では少しだけ私の名前は知れ渡っているらしい。隣の島からならともかく、他の世界からというのはやはり多少珍しいようで、軽く噂になっていたようだ。

 とは言うものの、こんな風に直接声をかけてきたのは室谷さんだけなんだけど。


「大変だよなぁ、しかもその歳で仕事してさ。偉いよホント」


 最初に感じた軟派な感じは間違っていなかったらしい。

 軽薄というほど無責任そうではないけど、たとえて言うなら風来坊とかみたいな、足元が定まっていない感じはある。本人の芯はブレないけど安定もしていない、みたいな。

 二十代後半っぽい見た目なのにそんな感じがするから、どこか違和感がある。


「あの、仕事中ですので……」

「ああゴメンゴメン。どうしても気になっちゃって」


 と、その場では話が終わったものの。

 事あるごとに、


「どう、仕事は大変?」

「なんか困ったことあったら聞いてね」


 などと言ってくる。

 近くを通るたびに声をかけられるのは少し嫌というか、気になって仕方ない。こういう人に声をかけられた経験がないのもあって、対処法がさっぱりわからない。

 どうしたらいいんだろう。お客さんだから無下にするわけにもいかないし。

 そう、本気で悩んでいたんだけど。


「ごめんね、何回も話しかけて。同じ境遇の人間としてなんか声かけたくなっちゃうのよ」

「同じ境遇ですか?」

「そうそう。と言っても俺のほうは何回目か覚えていないんだけどねー」


 室谷さんはどうやら、私が感じた通り生活に安定感がないらしい。

 曰く、中学生の時に初めてこの世界に来て以来、何回もこの世界に来ている。だから当然この旅館の人や近くに住む人とも顔見知りだし、世界を移動してしまった焦りもなくなってしまったらしい。

 安定していないというか、安定できないというか。その結果として、どこか浮ついたような、フワフワとした人になったと自己紹介してくれた。


「元の世界への帰り方とかって分かったりしますか?」

「それがねぇ……分かんないんだよね」

「毎回どうやって帰っているんですか……?」

「川に落ちたら戻ってたりとか、寝て起きたら戻ってるとか。毎回期間も方法も毎回違うんだよね」


 思わず呆れたような目をしてしまったのはどうか許してほしい。

 じゃあなんで声をかけた、って言いたくなるでしょ、誰でも。せめて手掛かりだけでも、って思ったのに。

 もちろん勝手に期待をしたのは私なんだけど。なんか釈然としない。


「ごめんって。そんな顔しないでよ。確か帰る方法探しているんでしょ、探すの付き合うからさ」

「って言われましても」

「俺、見ての通りこっちの世界だと無職だからさ。奏ちゃんの空いてる時間に手伝うよ」


 無色なのは誇らしげに自分で言うことじゃないと思う。柚希さんの好意や巡り合わせのおかげとはいえ、私だって働いてはいるのに。

 その提案をどうしたらいいのか判断に困って、ついでに仕事中に話していて良いのかも悩んでいると、通りがかった柚希さんが声をかけてくれた。


「室谷さん、あんまり新人さんを拘束しないであげてくださいね。あと小宮さん、室谷さんに手伝ってもらうのは私は賛成ですよ? 少なくとも、私たちより世界の行き来についてはわかる思いますから」

「そうそう、頼っちゃいなよ」

「……少し考えさせてください」


 たぶん、完全に善意で言ってくれているのだとは思う。ただ、身の回りにいたことがないというか、接したことがないから信頼できていないだけ。

 ただ、そのなんとなく受け入れられないというのがとても気になっているんだと思う。ただでさえ身寄りといえるようなものがない状況だから余計に。

 お客様用食堂での接客を終えて、その後に廊下を歩いていると。


「……今日もなにしてんのかわからないんだけど」

「見ての通りだが」

「その場合、鶴屋は時計屋からペットショップに転職したことにならない?」


 時計屋の隣を通り過ぎる時、流石に異様な光景に声をかけてしまった。

 小さな支店のエリアと、そこから明らかにはみ出た犬たち。大型犬から小型犬まで、多種多様な犬が支店の柱にリードで繋がれていた。

 唯一の猫はなぜか鶴屋の肩の上。置かれている商品の時計たちにこそ触れないようにしているから影響はなさそうだけど、じゃあこの光景が時計屋に見えるかといえば全く見えない。


「さっぱり分からないんだけど」

「一昨日と同じだぞ。近所の動物好きの方が風呂に入っている間、時計を直しながら動物たちも預かっているんだ」

「だからそれは時計屋の仕事じゃないでしょって」


 私の感覚がおかしいのかな。絶対に間違っていると思うんだけど。

 この廊下を通っている人は視線を向けてもなにも言わないし、変な顔もしていない。小さな子が触りたいと言えば親は笑顔で送り出している。なんで?


「安心しろ、その人の時計はもう直している」

「そうじゃなくてさぁ」


 思わず気が抜けて、小さく息が零れる。

 良くも悪くも気が抜けるというか、直截で飾らない言葉には少しだけ安心した。たぶん鶴屋は嘘とかは絶対に言わないし、思ったことをそのまま言ってくれそうな気がする。

 つまり、よっぽど仕事や鶴屋本人にとって都合が悪くない限り、訊いたことを誤魔化さず答えてくれるっていうわけだ。


「あのさ、さっき室谷さんて人に……あ、室谷さんわかる?」

「知ってる」

「その人に、明日の帰る方法を探すときに手伝ってあげようかって言われてて」

「ああ、最近お前がしてるよくわからんやつか」

「よくわからんって言うな。で、その返答に悩んでる」


 返答ねぇ、と鶴屋が呟く。

 小っちゃい子と一緒にゴールデンレトリバーを撫でて、可愛いね、なんて言い合いながら。


「なにに悩んでいるんだ」

「……たぶん、大丈夫かなって不安なだけ。深い理由とかは特にないんだと思う」


 正直な内心を吐露する。

 そう、たぶん理由なんてない。なんか不安だから、室谷さんがどんな人か知らないから、っていうだけ。室谷さんに対する不快感とか、そういうものですらないと思う。


「なんとなく気になるのか」

「そう」

「ならやめておけばいいだろう。柚希にでも頼れば良い。迷惑だって思ったりはしないはずだぞ」

「学校はどうする気よ。私はともかく、鶴屋と柚希さんはいかなきゃいけないでしょ」

「少なくとも明日は休日だ」


 鶴屋が突き出してきたカレンダーにある日付は、今日が七月の二十三日の金曜日であることを示していた。

 つまり明日は土曜日。学校は無い。


「じゃあ、明日は暇なんだ」

「そうなるな」

「なら室谷さんのは、ありがたいけどとりあえず断る。代わりに鶴屋が手伝って」


 あ、珍しく少し驚いた顔してる。

 目尻が細くなってるし、犬と小さい子に向いていた視線がやっとこっちを見た。


「柚希さんはそれこそ旅館のお仕事があるでしょ。それに、柚希さんに鶴屋なら手伝ってくれるはずって言われてる」

「時計屋は見ての通り、この旅館に支店を出しているんだが」

「だから今の見た目はペットショップだって」


 どことなく不満そうだ。

 犬を撫でていた子が帰っていったのもあって、鶴屋の顔は完全に無表情の鉄面皮に戻っている。それでも不満そうなのはしっかり伝わった。


「……分かった。行ける時は付き合ってやる。ただし、室谷さんには自分から断りを言いに行けよ」

「ありがと!」


 なんだか、鶴屋と話したら少しだけ胸のつかえがとれたかもしれない。

 気が軽くなって、私も犬を撫でていい? と聞いたら面倒くさそうに頷いた。

 お前も撫でるんか、という顔をしているポメラニアンを軽く撫でた後で、いつの間にか犬に集られている鶴屋を残して時計屋を出る。


「おやすみ。手伝ってほしいときは言いに行くね」

「分かったわかった」


 失敗したかも、という顔をしている鶴屋に手を振って別れる。

 話している間にわりと時間が経っていた。話す事は話したからと、さっさと裏手に戻っていく。

 その後は、話した時間分も働くべく、食堂を駆けまわったのであった。

 食堂にいるのは既に酔っ払った大人たちだけ。

 当然のようにお酒を飲んで酔っ払っていた室谷さんをフロアリーダーが連れて行っていたのを見た時は、思わず呆れた視線を向けてしまったけど。本人は酔いつぶれているから、もし顔を見られていたとしても、たぶん覚えていないんだろうな。

 なんか、昨日とは違う意味で、どっと疲れた気がする。

 そうやってあっさりと過ぎた二日目が終わった。


 ──タイムリミットまで、残り八日。

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