♯5 それは御伽噺のような


 思ったより時間がないかもしれない。

 自然と歩く足に力が入る。この数分を急いだってなにも変わらないだろうけど、だからといって簡単に冷静にもなれない。


「とりあえず図書館に行かなきゃ」


 島の中心地に近づくにつれて、提灯や装飾、篝火の台が増えてくる。遠くまで続く石畳と装飾たちの道は、だんだんと島の中心に近づいているようだ。

 その道の先には高い山と、ここからでも見えるくらい大きな鳥居がある。恐らく、あそこが祭の本会場であり、三日目に儀式が行われる神社だ。

 神社に向かう曲がり角を無視して教えてもらった道を進んでいく。この島で唯一らしい図書館は、さらにその奥だ。

 その後は独り言すら口にせず、ただ道を間違えないことだけに集中した。

 そこから歩くこと十数分。汗で背中がわりとじっとりしているのを少しだけ気にしつつ、ようやく着いた図書館の姿を見上げる。

 紅蘭図書館、と看板が掲げられている。島の唯一の図書館らしい。二階建ての大きな建物で、木造の建物を赤レンガの塀が囲っているせいか、どことなく雰囲気が硬い感じがする。

 重い扉を開けた先には、無数の本たちでできた静かな世界があった。


「凄い数……」


 人が通る幅より圧倒的に本棚の方が場所をとっている。本棚たちにはびっしりと本が詰められていて、見るだけで圧倒された。

 背表紙のタイトルをなぞろうとするだけで精一杯になる。


「なにかお探しですか?」


 その、あまりにも初めて来ました、という反応が気になったらしい。

 ポニーテルの似合う職員さんが声をかけてくれた。他の客はほとんどいないようで余裕もあるのだろう。


「えっと、星拾祭について知りたいんです」

「星拾祭ですね。ご案内します」


 一階の奥に、結構な広さをとって専用のスペースが作られていた。

 どうやら、外に合ったポスターや小冊子しかり、星拾祭について訊きに来る人というのは結構多いらしい。児童書みたいなものも多いということは、もしかしたら小学校とかで授業や課題でも使われたりするのかも。

 ありがとうございます、と頭だけ下げてから本たちを見渡す。

 思ったより多い。子供向けの本から歴史書、儀式のやり方のまとめや図解まである。ちょっと手に取るのをためらうくらいの厚みのものは、いったん見ないふりをすることにした。

 とりあえず、入門編のような本を手に取る。

『星染めの夜』。

 いわゆる、童話のようなものらしい。まるでクレヨンで描かれたような表紙が印象的だ。

 内容はどうやら星拾祭の本番、その中でも二日目がメインらしい。


 ──昔々、ある所に。村の山の奥、みんながいつも見る場所に、一つの大きな神社がありました。その神社はひっそりと、それでいて楽しく祭りをしていました。


 今あるものと比べると心なしか小さめな鳥居と社が描かれている。竹林の中にひっそりとある神社と、その周りで食べ物を並べたり飾りつけをする人たちが楽しそうにいた。

 ……今みたいに島は浮いていないし、地平線は今みたいに広くない。


 ──神様はその姿を見て、楽しそうな笑顔を見せています。


 社の中で座って、踊る人たちをみる女性。いや、女子くらいかもしれない。一人だけ白髪だし、少しだけ光っているし、たぶんこの人が神様なのだろう。


 ──神様は、楽しそうに笑う人たちを見つつ、村人たちに訊きます。


「お主らはどこまでも楽しそうじゃな。いつもいつも同じ願いばかりみんなでしよって。なにか他に願うことはないのか?」


 そう問う神様に、村人たちは踊りながら首を振ります。そして、みんな揃って、今で満足しているのです、と答えました。


 恰幅のいいおじさんから可愛らしい女の子まで。みんなが今年の豊作を喜んで、その感謝を神様に伝えている。神様に来年の豊作を祈願しているらしい。

 神様の方も、本気で他の願いがあるかを訊いているわけではないようで。どこかからかうような、そんな表情をしているのが絵でもわかる。

 毎年天災に襲われるし、争いもある。農耕以外の悩みなんて数知れないだろう。

 それでも彼らは、毎年神様に豊作だけを願い続けた。篝火を焚き、櫓を立てて、楽器を奏で、星を拾い集める。それを農作物と共に神様に捧げ、来年の富を願うのだ。

 拾われた星は色々な形と色で描かれていた。虹のようにきらめいているのだろう。籠にたくさん積まれた星が、食べ物や供物と共に神様の前に並んでいる。


 ──女の子は神様に訊きます。


「神様はお願い事をしたらなんでも叶えてくれるの?」

「なんでもは無理じゃよ。でもお主らは真面目じゃからな、なにかあれば多少は手を貸そう。そのくらいは我のような小さな神でも叶えられるからの」


 神様と村人たちは、支え合いながら生きていました。


 村人が神様に捧げものをする。その分神様が村人を助ける。

 その不思議な力で、厳しい年でも村人が飢えないほどの実りを授けていた。


 ──でもそんなある日、遠くの村の人たちが、沢山の火を持って現れました。


 さっきまでの明るいテイストとは違う、暗いページ。真っ暗な夜闇の中で、小さな月明かりと無数の松明が揺れている。

 そこからしばらく、本に文字はない。絵だけで話が進んでいく。

 燃える森と家、そして逃げ回る人々。戦いの詳細な描写こそないものの、なにが凄惨なことが起こっているのかは明らかだった。

 神様に質問をしていた少女が神社に走っている。竹林の石畳を走り抜け、泥だらけになりながら、必死に社に向かっている様が描かれている。


「神様、私たちを助けてください」


 夜闇の中で光る神様が少女を見つめる。


「私たちではどうにもできないです。どこか、安全な所に逃がしてください。私たちを助けてください」


 その少女の言葉に、神様は。


「わかった、叶えよう。争う相手がいない、来る者も少ない世界に逃がしてやる」

「ただし、我の力は他事には使えなくなる」

「我の裁定も、加護も、知恵もない。お主ら同士の争いごとや不運も全てお主らだけで乗り越えなければいけない。嵐も、不作も、全てだ」

「それでも、良いのだな」


 神は、この村人たちと共に滅ぶのならそれでも良いとさえ思っていた。

 それでも少女に問う。願いを叶えて欲しいか、と。


「お願いします。私たちを助けてください」


 その言葉と共に拝殿が光る。祭りの最中でもないのに無数の星が降り注ぎ、村に落ちていく。

 村の土地が抉れ、浮き上がった。争う人々だけを残して、畑も山も乗せたまま空に昇っていく。

 そして、その村の住人だった人たちだけに翼が生えた。神様が持っていたような光に包まれ、島になった村を追うように登っていく。ある高さのところで、明確に世界が切り替わったようで、下にも空がある世界になった。

 その後はほとんど今の世界と大きな違いはない。

 もちろん時代というか、文化の発展具合は大きく違った。でも、下に空があること、島が浮いていること、そして人々に翼があることが普通になった。

 元々あった神社は、星の固まりのような、極彩色の鉱石に包まれて完全に沈黙。神様は、村人たちに姿を見せなくなった。


「そして、その頃から私たちの世界の住人は、村人である証明として石を持つようになったのです」


 という一文と共に、本は締めくくられている。受けた衝撃を隠せないまま本を閉じて、棚に戻した。

 ……どういう感想を持てばいいのかわからない、というのが本音。児童書にしては漢字が多いな、とは思ったけど。相応の対象年齢向けなのかもしれない。

 そうやって衝撃を受けている姿を、さっきの職員さんは遠くから見ていたらしい。できるだけ音を立てないようにはしつつ、それでも小走りで近寄ってきた。


「それ、昔話にしてはちょっと怖いですよね。私も初めて読んだ時は同じ感じになりました」

「ちょっと、びっくりしてます」

「まあまあ後を引きますけど、そんなに気にしなくて大丈夫ですよ。大体それ、あんまり信用できないっていうか、変なところ一杯ありますし。石の所とか特に」


 私たちはほら、石は持っているけど自分で出したものでしょう、とお姉さんが笑う。たぶん、この童話を読んだ人たちに毎回同じように言っているのだろう。

 確かに、細かい部分で変な所は沢山ある。たとえば、農耕で生きていた時代から空に行ったのなら、ある意味私のいた世界の日本と似たような雰囲気や文化があるはずがない。

 第一この島は一つの村としては流石に大きすぎる。大きな山があって、建物や住居があって、さらに浮いている小島がそれなりにあるのだ。一周を歩いてしようと思ったら、半日くらいはかかるはず。

 つまりは、この職員の人の言う通り、童話は童話なのだということ。


「最初にそれを読んじゃうとびっくりしますよね。うーん、そこまでちゃんと案内するべきだったかしら……」

「い、いえ、私が気になって読んだので……。でも、オススメは知りたいです」

「オススメですね、任せてください」


 お姉さんはそう言いながらパチリ、とウインクをして本を探し始めた。

 過去の写真集やもっと優しそうな伝承集など、星拾祭だけじゃなく、この島に住み人たちのことも知れそうな本を次々と選んでいる。流石に多いと思ったのか、いくつかは本棚に戻しつつ。

 その手を止めないまま、お姉さんが小さく呟くように。


「でも、過去になにかあったのは間違いないらしいんですよ。この島がバランスを大切にするのは、そのなにかの時に崩れやすくなったからだ、って伝承は昔からあるんですって」

「バランスですか」


 鶴屋と柚希さんに教えられたこの世界のルールのうちの一つ。

 未だにその意味は、よく分かっていない。


「ここに来るまでに、山の方に大きな鳥居があるのを見ませんでした? あの神社の中には今も鉱石で固まった神様の御神体があって、お話ができなくても私たちを見ているんだ、って話もあるんですよ。星拾祭二日目にお願い事をする時も、神様はちゃんと聞いているそうです」

「そうなんですね。少し、面白いです」

「それは良かったです」


 選び抜かれた三冊を渡される。少しだけ、思ったより重い。

 なにかあったら遠慮なく声をかけてくださいね、と言い残してお姉さんは他の仕事に戻っていった。

 なにというか、焦りとか、そういうものは少しだけなくなったかもしれない。

 とりあえず選んでもらった三冊の中から一冊を選んで席に着く。そして、日が落ちているのに気がつくまで、じっくりと読み込んでいった。

 その後。

 窓の外が暗くなってきているのを見てやっと結構時間が経っていたことに気がついた。慌てて本を返却、飛び出すようにして図書館を後にする。

 道を思い出して、頭の中で逆にたどりつつ小走りで帰る。仕事帰りらしい人々とすれ違いながら旅館にたどり着いた時には、夕日は天辺の一部を残してほとんど見えなくなっていた。

 戻ってきてね、と言われていた時間ギリギリだ。もっと余裕を持って帰るつもりだったのに。

 息を切らせてたどり着いた先。旅館の出入り口の前を通りかかった人影が、少しだけ近づいてきて。


「遅かったな。もう時計がズレたか」


 旅館に帰るということは、当然その隣には時計屋があるわけで。

 ちょうど帰ってきたらしい鶴屋に、翼をしまいつつそう言われた。反射的に時計を取り出して、ほとんどずれていないのを確認する。

 大丈夫、ズレてない。


「大丈夫ですよーだ、ちゃんと動いてます」

「なら余裕を持って動け。日が落ちる前に帰らなくてどうする」


 ああ言えばこう言う。ムカつく。

 私は鶴屋たちとは違って、翼なんて便利なものはないの。肩で息をしているの、見えるでしょうが。

 思わずムッとしつつ、鶴屋と一緒に帰ってきていたらしい柚希の方に向き直る。


「すみません、遅れました」

「遅刻はしてないし、そもそもそこまで時間に厳しくないから安心してね。魂珠時計なんていつ遅れるかわからないんだから」


 魂珠時計はその人の精神状態や体調によって動きが変わる。だから、多少のズレはしかたない、ということらしい。

 ただ、夜になるまでには帰ってきてね、ということだけはしっかりと言われた。帰れなさそうならどこかでちゃんと一日泊めてもらうこと、とも。夜に出る怪物とやらはよっぽど恐ろしいらしい。

 柚希について裏に入り、ロッカールームで着替える。あれだけ練習したから、流石に間違えたり着られないということは無い。


「小宮さん、今からは色々運んだりするお手伝いを主にお願いします」

「はい!」


 お料理運びから細やかなトラブル解消、スリッパの用意から皿洗いまで。いわゆる雑事やお手伝いを、目についたり頼まれた物からどんどんこなしてほしいらしい。

 流石にまだ接客はしないみたいだけど、でも声は掛けられるかもしれないから、簡単な応対のやり方とかは分かるように見ておくべきだろう。

 その後はずっと仕事で、とても忙しかったし、なによりとても疲れた。お客さんが落ち着いて、夜メンバーに入れ替わるまでの数時間を全力で動き続けたのだから当然とも言えるけど。


「仕事って、大変なんだなぁ……」


 お盆を運んで、掃除をして、洗い物をして……と旅館中を動き回った。

 ちなみにその間、柚希さんは看板娘として接客を頑張っていた。常連らしい人と話したり、個室の人の世話をしたり。

 ちなみに、鶴屋はおばあちゃんと長い間話し込んでた。なにをしているんだろう、本当に。

 時間はどんどん過ぎて気がつけば十時半。夜勤の人と入れ替わる時間だ。

 熱いお風呂に浸かり、なんとか布団を敷いたころには、もう瞼が言うことを聞いてくれなかった。夏の暑さすら気にならないまま布団に包まり、あっさりと眠りに落ちる。


 ──星拾祭最終日まで、あと九日。


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