♯4 帰るまでのタイムリミット
翌朝。
部屋の外の騒がしさ、そして学生としての生活習慣に引っ張られるようにして目を覚ました。
変に緊張をしながら寝たせいか、それとも布団がいつもと違ったせいか。思ったより痛む体と頭を不満に思いつつ起き上がる。
部屋にある鏡に写る私は、どこか不満そうで。はねている髪がとても目立つ。
「ドライヤー、あったっけ」
風呂は当然大浴場で済ませている。寝る前はそんな余裕も思考能力もなくて、洗面所に入ったかすら覚えていない。
とりあえず、そのおぼろげな記憶にある位置で布団をたたむ。布団カバーはどうしたらいいかわからないからそのまま。
そのままの流れで洗面所に向かう。
流石に寝癖直しスプレーみたいな利器の類ものは置いていないらしい。目を完全に冷ますためにも冷水を軽く頭から被り、手櫛で整えつつ水気を落とす。僅かに錆びたノズルに写る姿は、逆行のせいもあってまるでお化けだ。浴衣が白系なのも相まって、余計にそう見える。
変なイメージを振り払うべく改めて冷水を被って、今度こそちゃんと水気を落とす。タオルで拭いて、思ったより軽いドライヤーの熱気を当てた。蒸れつつもすぐに熱を持つ髪を触りつつ、そういえば夏だった、と思い出した。
「なんか、思ったより和服って着崩れないんだ」
合わせている内側の結び目が多少緩くなってはいるものの、人前に出られないほど崩れたりはしていない。そのことになにとなく感動しつつ、襟元から手を突っ込んで手早く結び直す。
鏡で姿を見直してから朝のルーティーンに戻った。
「あ、え、い、う、え、お、あ、お」
発声練習。高校生になってから始めて、気がつけばすっかり習慣になっていたそれを、今日も行う。その必要があるのか、元の世界には帰れるのか、さっぱり分からないけど、やらないと気持ちが悪いから。
一応まあまあの早朝で、しかもここは旅館。従業員用の宿泊場所と客用の宿泊場所が離れているのは知っているけど、それでも気持ち控えめな声で。
目を覚まし、声を出すためのストレッチをして、活舌の練習もする。
一通りやってから、もう一回髪の確認だけしてから布団を広げたままの部屋に戻った。
「小宮さん、起きていますか?」
「はーい! 起きてます!」
「あ、良かった。入っていいですかね?」
「どうぞ!」
入ってきた柚希が、おはようございます、と淑やかに礼をする。
朝のクオリティの違いが凄い。私より一時間は早く起きていそう。仕事中と変わらないというか、仕事前だからもっと整っているんだろうな。
そんな変な感想を持ちつつ挨拶を返す。
「小宮さん、今日からよろしくお願いします。とりあえず今日は裏方をやりつつ、旅館の一日の業務の流れを覚えてもらおうと思っています」
背筋を伸ばして敬語で話す様は、流石旅館の娘といった感じ。無理矢理やっているんじゃなくて、自然体っていうか、慣れている感じがあるのが凄い。
思わずこっちの背筋にも力が入る。
「たぶんメインのお仕事はお掃除と簡単な接客になると思います。お風呂や廊下の掃除をして、夕食の時間になったらお盆をお客さんの部屋や食堂の机に運ぶ。それ以外の時間は裏で他の雑用をしつつ、従業員の顔と名前、一日の流れを覚えていってください」
「はい」
「もちろん、一日で全部覚えようとしなくていいですからね」
今日も柚希さんはいたずらっ子みたいに微笑む。それなのに纏う雰囲気自体は柔らかいというか、大人っぽいのが凄い。
「午後は基本的に夕食の時間まで自由です。この時間に元の世界に帰る方法を探してください。試せそうなら試してもいいですし、一人では無理そうならこの旅館の従業員を頼っても大丈夫です」
もちろん私と鳴もいいですよ、と続ける。
「今は星拾祭前でだいぶ乱れているので、高く浮いてしまっている島に手掛かりがある時は難しいと思います。でも、図書館もこの本島にありますし、たぶん問題はないかなぁと」
本島というのは、この旅館や時計屋のある大きな島の事を言うらしい。中くらいの大きさの浮島は地平線の近くで揺蕩っていて、それ以外の小さい浮島は高く浮いたり降りてきたりを繰り返しているんだとか。
たまに中くらいの島が高く浮かぶときがあって、それはいつ地平線上に戻るかわからなくて少しだけ危ないらしい。
「そんな感じで進めようと思います。たぶん、お夕飯の時間まではほとんどお客さんも出払っているのでお仕事は難しくないかと」
「はい」
「ゆっくり慣れていってくださいね。なにか分からない所とかはありましたか?」
「大丈夫です」
その後は柚希に案内されて、昨日とは違う、わりと大きめの食堂に案内された。
仲居さんたちが頻繁に出入りしている。夜に働いていた人が戻ってきて、朝担当の人と入れ替わっているらしい。
「そういえばこの旅館って大きいですけど、お客さんって……」
この旅館の周辺は、都会か田舎かといえば完全に田舎だ。山間の村のような雰囲気の所に商店街がある感じで、高い建物も密集した住宅地もない。駐車場のような物もほとんど見かけなかった気がする。
この土地の人だけがお客だとしたらこの旅館は少し大きすぎる気もするし、なにより経営が長く続かないはず。
その疑問の中身を察したようで、どう説明したものか、と僅かに首を捻りつつ説明してくれた。
「隣接している他の本島から来るんですよ。別の所から来た人の宿泊場なんです」
「隣の本島?」
「はい」
柚希さんに追加でしてもらった説明をなんとか想像したり理解できる範囲で解釈すると、どうやら本島というのはいくつもあって、それぞれで人がいるらしい。
というのも、この世界は私がいた地球みたいに球ではできていないようで。平面で、島ごとに世界の境のようなものがありはするものの、果てなくどこまでも続いているんだとか。
その境をまたいで島を行き来する人達がいる。その人たちが泊る場所が、この旅館らしい。
「だから、ここのお客さんはある意味、みんな小宮さんみたいな別世界の人でもあるんですよ。少し安心しましたか?」
「そうだったんですか……」
そういう場所で働けるのは、結構ありがたいことかもしれない。改めて、ありがたさと仕事欲、なにより元の世界に帰る意欲が湧いてくる。
そうやって話しているうちに、朝ごはんを食べ終わった。食器たちをお盆に乗せてカウンターまで持っていく。
どうやらこの後すぐに柚希は登校のようだ。制服に着替えるために自室に戻るらしい。
「それでは頑張ってくださいね。昨日のロッカールームで着替えて、清掃道具の部屋に行けばお仕事を教えてくれる人がいるはずです」
「分かりました!」
挨拶をして柚希さんと別れる。
昨日練習しておいたおかげで着替えは問題なく終了。
すれ違うたびにされる挨拶を返しつつ掃除道具部屋に行けば、そこには既に並んでいる数人の従業員と、そのリーダーらしき人。遅れているわけではないみたいだけど、並んでいる人たちに一斉にみられると少しだけ怖い。
「おはようございます!」
「おはよう。この子が今日から勤務する小宮さんだ。……で、あってるよね?」
柚希さん経由で話は通っているらしい。返事と共に簡単な自己紹介だけはして、すぐに作業に取り掛かる。
雑巾での廊下拭きや窓拭きといったメジャーなものから、旅館の外の灯篭掃除まで。一通りの仕事内容をしっかりと叩き込まれる。
ただ、午前中で人の少ないことと、裏をメインに掃除を任されたおかげで接客はしていない。そのおかげで緊張とか変な失敗はしなくて済んだ。
必死に覚えることを頑張って、なによりお仕事をやっているという意識のおかげで午前中はあっさりと過ぎてゆき。
気がつけばお昼を食べ終わり、自由時間になっていた。
自由時間とは言っても、やるのは元の世界へ帰る方法を探す時間だけど。
「とりあえず、図書館かな」
既に場所と簡単な行き方は聞いてある。この旅館からはまあまあ遠いみたいで、結構歩かなきゃいけないみたい。
昨日は雨が降っていたし、なによりどんな街なのかもあまり見れていないから、ゆっくり歩いていけるのは結構嬉しかった。
平日の昼間。夏なのもあってだいぶ暑い。お昼を過ぎて人通りがほとんどなくなった街は、どこか静かだった。
そんな街並みの中でも変わらず目を惹くのは。
「星拾祭、かぁ」
星拾祭の準備をしている人たちと、お知らせのポスター。
そういえば、名前も祭りの意味も知ってはいるけど、具体的になにをするのかは知らない。私が行ったことのある祭りは夏祭りの盆踊りくらいだけど、それとどのくらい似ているんだろう。
気になって話しかけられそうな人に訊いてみたところ、少しだけ分かった。
星拾祭は本番が三日間。その間に準備日もあって、計五日間行われるらしい。
「結構長いんだなー。夕方から夜までの祭りしか知らなかったから、変な感じ」
初日。
この日は、漫画とかで見るような、いわゆる夏祭りをするらしい。屋台がたくさん出て、みんなで踊ったりして夜遅くまで騒ぐのだとか。花火も上げて、かなり賑やかになるみたいだ。
休み一日を挟んで、二日目。
この日が星拾台の一番の特徴かもしれない。この日にバランスの歪みが最高潮になって、たくさんの星が降るらしい。この世界で唯一の、流星群の日。
いわゆる流星群みたいに尾を引いて落ちる様子を見るのではなく、本当に島中に星とやらが落ちる。その星を拾って、本島の一番高い所にある神社に持っていくらしい。
この日、心からの願い事をすると叶う、なんて話もあるのだとか。
「なんか、七夕と夏祭りがくっついた感じなのかな?」
もう一度休みを挟んで、最終日。
この日は打って変わって、全体的に静かに進むらしい。二日目に集めた星たちを使って、その年の巫女が儀式をする。住民たちもできるだけ静かに過ごすようだ。
この日の儀式を以てバランスが整い、来年の星拾祭まで安定するのだとか。
この五日間は、島中で篝火が焚かれ、夜に現れる怪物たちを抑える。それでも篝火のない所には行かないこと、もしなにかしらで危ない目に合いそうなときは明かりのある方向に行くこと、と何度も注意をされた。
「これって、つまりさ」
もし私がこの世界に来たのが、鶴屋の言う通りバランスの崩れによるものだとしたら。私は星拾祭の最終日までに元の世界に帰らないといけないということになるはず。
もし失敗したら、次の星拾祭が近づくまで一年近くこの世界で過ごさないといけないかもしれない。元の世界がどうなっているのかも分からないのに。
星拾祭は五日後、七月二十七日から始まる。祭が終わるまでの十日以内に、この一切手掛かりもなにもない状況から元の世界に帰る方法を見つけないといけない。
……背中に冷たい汗が流れた、気がした。
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