♯3 四つ目のルール


 幾人もの学生っぽい集団や家族、そして酔った大人たちとすれ違う。

 どうやら、この世界に来てから思ったより時間は過ぎているようで。窓の外に見える空はとうに鉄紺色に染まり、無数の星が輝いている。

 どうやらこの世界は、夜は怪物が出ることもあり、街灯を設置することがほとんどないようで。建物の窓から零れた光以外は、月光と星明りしか光源がないらしい。おかげで、星は光の弱いものまではっきりと見える。

 しっとりとした、旅行先に来ただけのような、それでいてはっきりと違う世界なのを、あらためて実感する。


「やっぱり広いな」


 窓の外から視線を外して、目についたところから回っていく。

 まずは卓球場。やる相手とかいないし、できるかもわからないけど、見るだけで安心できそうな気もする。卓球なら、中学の時に体育でやったし見たこともあるから。

 卓球場を目指して、いくつめかの角を曲がる。

 温泉を出てすぐやれるようにか、食堂よりは出入り口近くにあるらしい。近づいていけば、コンコンと乾いたピンポン玉の音が聞こえてくる。

 なんとなく中学生の時の授業風景を思い出しつつそこにいけば。


「おにーさん強い!」

「ありがとう。ミユちゃんも上手いね」


 なぜか、鶴屋が子供と遊んでいた。

 相手の子供は、たぶん小学校中学年くらいの可愛い女の子。ラケットを振るたびに、小さな二つ結びが揺れている。

 卓球台はその子の身長に合わせて高さが随分と下げられていて、しかも半面だけを使っていた。そんな状態で女の子の相手をしているから、鶴屋の方は当然胡坐だ。


「……なにしてんの?」

「見ての通り、子守りだよ。この子のお母さんは長風呂が好きだからよく任されるんだ」

「親戚とかの子なの?」

「いや?」


 じゃあどういう関係なの。

 思わずジト目で見てしまう。まさか、この不愛想な男が慈善事業でやっているわけもなし。だとしたらあまりにも大胆な犯罪か。冷めた目をしているくせにロリコンなのか、この男は。


「いくよー!」


 ミユ、と呼ばれたその女の子のぽてぽてサーブが鶴屋の方に跳ねていく。それを、打ち返すというよりはラケットに当てる感じで返している。そして、ミユちゃんが目の前に来たその玉を打ち返して……と、あまりにも可愛らしい卓球をしていた。

 なんだこれ。


「鶴屋って、時計屋じゃなかったっけ」

「時計屋だ。見ての通りな」

「どこが時計屋の仕事なの?」


 そして、プレイしながらでも話はするらしい。澱むことなく、テンポ良く、的確に打ち返しやすい所に返し続けている。

 ミユちゃんの話も聞いてるし、上手く打ち返した時は自然に得点を譲っていた。


「時計屋は魂珠時計を直すのが一番の仕事だ、というか、基本それしかやることがない」


 みんなが時計を持っていて、しかも文化レベルで根付いている世界だと頻繁に作ることは無いのだろう。


「あの時計屋にも人は来るが、人通りはこの旅館の方が多いからな。この旅館で昔から支店のような物を出させてもらって、そこで仕事をしているんだ」

「仕事をしているんだ、って言われても」


 小さい子と卓球をしているようにしか見えないんだけど。時計屋の業務との結びつきがさっぱりわからない。

 疑念の詰まった視線の意味を察したらしい。小さくため息をつきつつ、さらに説明が続く。


「……基本的に、魂珠時計はズレないようにできている。それでも、ズレは生まれることはある。で、そのズレの原因は石の波動の出力が変わったせいだ」


 ここまでは説明したな、と視線が確認してきた。

 ちゃんと覚えている。体調や心理状況とかで波動の出力が変わるはず。


「でだ。その波動の力の変化自体は、計測具を使うか石を見たら大体わかるんだ」

「へぇ」

「ただ、その器具や石を見ただけではなんで波動の力が変わったのか分からない。病気なのか、心理由来か、それとも環境の変化なのか。もし病気由来ならその治療状況に合わせないといけないし、心理由来なら原因がわからないと加減が分からないだろう」


 例えば、季節的な低気圧とかが原因の頭痛が理由でズレているのに、短期的な要因用の調整をしたりしないように、ということだろうか。ちゃんと理由に合わせて調整することで客の負担をできる限り減らしているのだろう。

 客に頻繁に店に来させるのは職人の仕事じゃないだろう、ということらしい。


「要は、だ。こういう人付き合いや話すのも仕事のうちなんだよ」

「本当……?」


 柱の地図を見れば、確かに時計屋の支店がある。支店を出させてもらっているというのは嘘ではないらしい。

 ミユちゃんも鶴屋と遊ぶのは慣れている様子で、今日珍しく鶴屋と遊んでいるというわけではないらしい。つまり、たぶん、にわかに信じられないが、これが仕事であるという言は嘘ではないのだろう。

 ただ、目の前で行われているのは、ただの胡坐卓球なわけで。心のどこかでやっぱり信じられない。


「よいしょー!」


 ポコン、という音と共にピンポン玉が跳ねる。


「ミユちゃん」

「なあにー?」

「左足、どこで挫いたの?」

「えっ」


 鶴屋が言葉と共に、今まで打たなかった左側への返球をする。

 ミユちゃんはそれに、子供らしい反応速度で打ち返すために動こうとして、その動きが止まる。思わずといった様子でしゃがみこんで、手で足を押さえていた。


「隠しちゃだめでしょ。見せてごらん」

「う~」


 どうにか嘘を通そうとしたのか、視線を彷徨わせる。

 だけど、鶴屋の視線の前に諦めたようで。ごめんなさい、と頭を下げた。

 そのまま近くの椅子に場所を移し、小さくて白い足を鶴屋に見せる。歳なりの白さと日焼け感がある中で、足首の周りだけ僅かに赤い。


「学校?」

「うん。鬼ごっこの時に」


 恐らく、この子を任されたときに親になにかしら察せそうなことは言われていたのだろう。事前に用意していたらしい湿布を取り出して、踵を支えつつ優しく張り付けている。


「怪我をお母さんや先生に隠さないこと。いい?」

「はーい。ごめんなさーい」


 その後、他に怪我している場所がないかを一応確認して処置は終わり。

 当然卓球は終了。小さな椅子に座ったままニコニコと談笑している。その様子は、どう見ても近所の仲良しで優しいお兄さんそのもので。


「あ、お母さんきた!」


 鶴屋は反射的に立ち上がろうとしたミユちゃんを止めつつ、状況を伝えてちゃんと母親に引き渡している。

 同時に、後から来たお父さんの分まで含めた三人分の魂珠時計を返していた。時計屋の仕事、というのは本当らしい。三人とも、ちゃんとお礼を言いつつ受け取っている。

 お礼をしつつ去っていくミユちゃん一家を見送り、見えなくなった瞬間に鶴屋の顔が見慣れた仏頂面に戻った。慣れた様子で卓球台を片づけるのを黙ってみているわけにもいかず、なんとなく手伝いながら話を振る。


「時計屋の支店に居続けなくていいの?」

「そこまで厳密な時間に固執なんかしないんだよ、ここでは。なにより旅館だしな。落ち着いた時間を過ごそうとする人しかいないよ」


 魂珠時計は、ズレる時はズレるし、大丈夫な時は大丈夫なもの。あまりに壊れている場合でもない限り、急いですぐ直さないといけないということは無いようだ。

 支店が旅館にあるのも、どうやら沢山稼ぐためではないようだ。時計屋の信頼や重要度が高い分、たとえ小さな支店であっても、いるだけで大きい旅館としてはありがたいらしい。


「で、なんだ。地図があるのに迷いでもしたか」

「流石にそんなにどんくさくない。仕事の着物が着れるようになったから旅館の中を見て回ってただけ」


 地図がない裏側で、案内が無ければ迷いかけていたのは黙っておく。


「着物は着れたのか」

「当たり前でしょ。自分で言うのもなんだけど、結構似合ってるからね」

「そうか」


 そうか、ってなに。興味を持ってほしいわけじゃないけど、あまりに無関心なのもなんかムカつく。

 あっさりと卓球台を片づけてラケットも戻した鶴屋は、さっさと支店の方に戻っていく。当然、私の方には目もくれない。

 ここで離れるのも変な気がするし、ということでついていく。


「ついてきても面白いものが見れたりはしないぞ」

「いいよ、別に」


 支店に入って用意してある椅子に座る鶴屋と、その近くの廊下に置いてある椅子に座る私。微妙に向いている角度がすれ違いながら、お互いにじっとその場に座っている。

 背もたれに身を預けて、往来する人越しにその姿を見た。動かな過ぎてつまらないけど、他に見る物があるわけでもなし。


「ふわぁ……」


 良い具合の空調に暇な時間。空腹と疲れ。それらが、この気の抜けた瞬間にすべて浮き上がってきた。力が抜けて、僅かに姿勢が沈み込む。

 ……そうなると当然、眠くなってくるわけで。

 気がつけば瞼が完全に落ちていた。


 ◇


 そして、夢の世界に行けば、いつものように空がある。今日は、なぜか下にも。


「あ……」


 どこかで見たことがあるような、ないような、淡く無限に続く世界。私を置き去りにして、どこまでも、悠然とただそこにあり続ける。

 その空を我が物のように飛ぶ鳥たちの姿。手を翳しても、掴めるどころか、指先さえ届かない。あんなに綺麗な場所を独り占めしている。

 ズルい。ズルいなぁ。絶対、私の方がそこを好きなのに。喜ぶどころか眺めることさえしないで、ただ初めから翼があるからそこに居られるなんて。


「どうせ夢なら、飛べたらいいのにな」


 私はここに座って見ていることしかできない。いつも、気がつけば意識が緩んで、目が覚める。明晰夢なら操れるって聞いて試したことは何回もあるけど、一回も効果はなかった。

 だけど、そのいつも通りの夢も、今日は少し違って。


「なんでアイツがいるの」


 鶴屋が、私よりも少し高い場所にいる。顔も服も見えないし、今日初めて会った人間だけど、それでも間違いない。あの、妙にピンとした背中を見間違えはしないはず。

 なぜか遠い場所にいる鶴屋は、私には目もくれない。

 鶴屋はゆっくりと歩いて、そして、仕舞っていた翼を広げる。肩甲骨の辺りに透明の羽輪が現れて、ゆっくりと広がり、大輪の翼を咲かせた。

 鶴屋の時計に填まっていたのと似ている、透明で少しだけ濁った翼だ。光を通し、所々で撥ね返して、美しく輝いている。


「……アイツ」


 本人が悪くないことは分かっている。たぶん、変な世界に来て、翼が生えている人なんてものを見てしまったからだ。印象というか、インパクトが強すぎて夢に出てきただけ。

 でもさぁ。私の目の前で、飛ぶことないじゃん。

 最初から遠かったのもあってか、あっさりとその姿は見えなくなる。

 その背中を、滲む視界で見ているうちに。意識は濁り、薄れていった。


「あ、起きた?」


 目を覚ませば、そこには顔を覗き込む柚希さんの姿。働いたなりの皴が所々にありつつも、着崩れてはいないのは流石と言うべきか。


「あ、ごめんなさい。寝ちゃってました」

「大丈夫、私たちも放置してたし。首とか痛くない?」

「痛くないです」


 それは良かった、と言いつつ差し出された手を取って起き上がる。首は痛くないけど、変な方向に向いていた肘が少しだけ痛い。

 魂珠時計で確認すると、時刻は午後の九時半。たぶん、この旅館に入ったのか午後六時前後だったはずだから、結構寝たことになる。


「それは良かった。今から従業員が入れ替わって、働いていた人たちがご飯を食べるから、一緒に行こっか」


 柚希に連れられて再度裏の方へ。

 ロッカールームで柚希が着替えるのを待って、従業員用の食堂に向かう。食堂、と言ってもただの小さなちゃぶ台のある座敷だ。せいぜい急須と湯飲み、お盆が備えてあるくらいの部屋。

 そこに、同じく仕事を終えたらしい板前さんが大きなお盆を持って入ってくる。


「柚希ちゃん、お疲れ様」

「高宮さんもお疲れ様です」

「その子が言ってた子かい?」

「はい」


 がっしりとした体つきの人に視線を向けられるのは、美人に見つめられるのとはまた違った方向で緊張する。

 思わず縮こまりつつ、挨拶を絞り出す。


「初めまして、小宮奏です。えっと、柚希さんのお世話になってます」

「ああ、硬くならなくていいよ。君みたいな子はまあまあいるから慣れているしな。災難だったね」


 高宮さんがお盆の上の物を並べていく。

 綺麗に並べられたお刺身、豆腐の乗った小鉢、そしてお吸い物。小盛りの白米もあってだいぶ落ち着く。和食っぽくて良かった、と心から思う。


「すまんな、ここでの夕飯は大抵切れ端や残りもんだ」

「そう言っていつも美味しいものを作ってくれるじゃないですか」


 ありがとうございます、と二人で頭を下げて高宮を見送る。

 急須でお茶を淹れて、湯飲みもちゃぶ台に乗せた。二人分の食事が乗っているから机の上は結構満杯だ。


「いただきます」

「いただきます」


 二人で手を合わせてから、醤油にわさびを混ぜて、お刺身を頂く。


「おいしい……」


 それは良かった、と柚希が微笑む。

 雰囲気や着ているものもあって、とても上品なところにきた気分。初対面の人と、小さな個室でご飯を食べているこの状況はよくわからないけど。

 そのまましばらくは黙々とご飯が進んでいく。お互いにお腹はかなり空いていたから、手はそれなりに速く動いていた。


「ね、小宮さん。小宮さんはやっぱり、帰るんだよね?」

「はい。もちろん」

「オッケー。たまにね、残りたいって人もいるから気になって」


 そうなんだ。少し意外だ。

 少なくとも私の選択肢の中にはそれは無い。……本音を言うとなくはないんだけど、それはこの世界に対する興味とか、翼への憧憬から来る気持ちであって、流石に元の世界への思いには勝てない。


「小宮さんには、ここで働きつつ帰る方法を探してもらおうと思ってるの」

「探す、ですか。……他の人はどうやって帰っていっているんですか?」

「それが人によって違うの。ふらっと来て、何日か泊まって、気がついたらいない人も結構いるから」


 困ったような顔で柚希が笑う。たぶん、神隠しのように消えたり現れる人もいれば、なにかをしないと戻れない人もいるのだろう。


「それで、どうかな。できそう?」

「もちろんできます。むしろよろしくお願いします!」

「よかった、ありがとね。お仕事は明日の朝からお昼まで。午後はお休みで、その時間に色々探してね。できる事があったら私も鳴も協力するから」

「その時はお願いします。……鶴屋はまた小さな子と遊んでいそうだけど」

「言えば手伝ってくれるよ、鳴は」


 どうなんだろう。あっさりと無視とかしそうな気もする。

 小さな子やお客さんに優しいのはなんとなくわかったけど、それでもあの無表情はほとんど動いていなかったのだ。ポーカーフェイスとかいうレベルじゃない。

 大きなお世話かもしれないけど、あれでお客さんがいるのか気になるくらい。

 そう、私は思うのに。


「優しいでしょ、鳴は」

「……」


 まさかそんなー。冗談ですよね。

 そう言いたいのに。そんな表情をされたら言葉が詰まる。そう信じて疑っていないというか、信頼しきった目だ。

 その視線に負けて、ようやく絞り出した言葉は、


「……よく、わからないです」


 の一言。柚希さんは特に大きな反応をすることもなく。


「そっか」


 とだけ言って、食事に戻った。

 箸は思ったより進んでいたようで、お刺身はとっくに無くなり、お吸い物が少し残っているだけ。まだ少し熱めのお茶を飲んで、心を落ち着ける。


「小宮さん。元の世界に戻るまでのルール三つ、覚えてる?」

「時計を大切にする、夜に出歩かない、バランスを乱さないようにする、ですよね。二つ目は怖いし、三つめはまだよく分かってないです」

「そうそう。……でも、実はあと一個あってね」


 鳴には内緒だよ、と口元に指を立てて。


「時計屋には惚れないこと」


 柚希さんがいたずらっ子のように見えたのは、これが初めてだった。頬が上がっていて視線は緩んでいる。子供がするような、小さな隠し事の表情。

 お吸い物を飲みこんで、勢いに任せてまだ熱いお茶を飲み切る。

 そこまでしてからようやく頷いて、話と食事が終わった。


「お盆、戻す場所教えるね」


 調理場や道具場、従業員用のお風呂にも案内してもらって、使い方やルールを教わる。従業員として働く間に何度もお世話になるだろう場所や、覚えて損がないだろうところまで隅々。

 そして一番最後に、この世界にいる間寝泊まりする部屋に案内をしてもらった。

 思ったより大きな八畳ほどの部屋。衣装掛けも部屋着の着替えもあって、窓は大き目だ。今は暗くて見えないけど、日が昇れば綺麗な景色が見えるだろう。鍵もあるから安心して寝られそうだ。


「それじゃあおやすみなさい。明日からよろしくね、小宮さん」

「本当に色々とありがとうございます。……おやすみなさい、柚希さん」


 灯を消して、布団に入る。夏の蒸れた夜は少し厳しいものがあったけど、それでも掛け布団を肩まで被った。そうでないとしっかり眠れない気がしたから。

 その後、眠りにつくまで、どこかざわついて落ち着かなかった。

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