殺人腕と死体愛好家

水野 正勝

殺人腕と死体愛好家(1話完結)

これは鉄道自殺した一人の青年についての話だ。


 その青年は、そこそこ大きな地方都市にあるやや古ぼけた一軒家で更年期の父親と一緒に暮らしていた。母親はいない。


 青年はここ十数年間、一度もこの家を出ずに過ごしてきた。彼の人格に重大な問題があっただとか、不治の病に犯されているということではない。彼が外の世界へ出られないのは、見境なく人を殺めてしまう彼の左腕の問題だった。


***




 青年の左腕が初めて人を殺したのは、彼が七歳の頃で、死んだのは彼の母だった。ある朝、青年の母親がまだ寝ている青年を起こしに寝室に入った時、寝ている青年の左腕が急にショットガンに変形し、母親の頭を吹き飛ばしてしまった。


 母親は、父親によって床下に埋められている。すでに白骨化しているだろう。息子を守るために、彼は妻の死を隠し、息子を外の世界から隔絶させた。


 青年はこれまで何度自分の左腕を切り落とそうとしたか知れない。大きな出刃包丁を突き立てようとしては、いつも寸前で怖気づいて止めてしまうのだった。


 家を出られないから、唯一の趣味は読書で、青年は古今東西の本に埋れて暮らしている。その中で最も気に入った漫画は、右手が宇宙人に乗っ取られてしまった主人公に自分を重ね合わせて何度も読んだ。けれど、その物語の方の右手は理性的で話し相手にもなるし、主人公には恋人がいる。対して青年は、物を言わない猟奇的殺人腕と、女というのをこれまで知らずにきた己しかないのだった。


 青年にはもう一つ密やかな楽しみがある。それは、深夜に自室の外のベランダに出て夜景を楽しむことだった。夜、遠目に人がいるぐらいであれば左腕も武器に変形することはない。偶然そのことを知ってから、青年はたびたび夜涼みに出る。


***


 その夜、ベランダに出た時も青年は気楽な気持ちだった。


 午前一時を過ぎた頃、近隣が寝静まったのを見計らってベランダに出た。本と一緒に父が買ってきてくれる煙草を一本だけ吸う。涼やかな秋風に夜空が澄み渡っている。あまりの美しさに放心して手すりに両腕を乗せた時だった。


 鋭い女の叫び声がかすかに聞こえた。


 声がしたと思われた方を青年が振り向くと、そこは隣人のマキノ家だった。二階の一室から、マキノ夫妻の争っているのが見えた。マキノ夫人は、鼻から一筋の血を流していた。それにも関わらず、マキノ氏は、夫人を今まさにもう一度殴ろうとしている。


 思わぬ身近で起こった家庭内暴力の光景に言葉もなく見入っていた時、青年は自分の左腕が変形していくのを感じた。見やると、左腕は見る見るうちにライフルに変わり、マキノ夫妻の方へ銃口を向けると、青年が引っ込めようとする暇もなく発砲した。


 マキノ夫妻のいる部屋のガラスに小さな穴が開いた。頭を打ち抜かれたマキノ氏が力なく崩れ落ちた。左腕は「ガコッ」と薬莢を吐き出すと、立て続けにもう一発、今度はマキノ夫人へ打ち込んだ。


 青年はすぐに部屋に逃げ込み、震えながら布団に潜り込んだ。


***


 翌朝、青年は『深夜の凶弾 腕利きの殺し屋か』という大見出しの乗った新聞を読んだ。資産家でもあるマキノ氏は、複数の人間に多額の金を貸しており、暴力団にも繋がりもあったと書かれていた。


 その後、程なくして青年は殺し屋家業を始めた。一般的な殺し屋と違うのは、大抵の殺し屋が自ら動き、ターゲットを始末するのに対し、青年のビジネスでは、依頼者にターゲットを青年の家に連れてきてもらい、家の中で始末するという点だった。



 この世界には、殺したい者のいる人間がたくさん存在する。商売はたちどころに繁盛し、稼いだ金で青年は父親を別の場所へ住まわせ、遺体を燃やすための装置を家の中に拵えた。世話人がいなくなっても、物資は定期的に送ってもらえばいいし、髪は自分で切れば良い。青年は、生まれて初めて自分の力で生きている気分になり、心が上向いた。


***


 在宅殺し屋を初めて一年が経ったある日。


 その日も青年は自宅で依頼主がターゲットを連れてくるのを待っていた。今日は一件の殺ししか入っていない。


 チャイムが鳴ったので、「どうぞお入りください」と促すと、ドアが開き、一人の若い女が入ってきた。青年とほとんど同じ若さの、背中までのびた長い髪の印象的な美人だった。


 「始めまして。A子といいます」


 女はにこやかに挨拶した。依頼主のB子は、A子の女友達で、同じ男を好きになったということで、殺しを依頼してきた。青年の家に連れてくる口実として、依頼主が自分の古い友人である青年に、A子を紹介したいとでも言ったのだろう。


 「どうぞ。そこのスリッパを入って上がってください。B子さんはもうじき来ますよ」

 と、青年はにこやかに答えた。女がハイヒールを脱ぎ終わるか否かの間に、青年の殺人腕がナタに変形し、宙に閃いた。

 「あ」

 と、A子が言い終わらない間に、A子の首は青年の足元に転がっていた。

 青年は、どこか変な気持ちだった。音もなく血が流れ出る女の首の艶かしさに、身体中がむず痒い思いだった。



 A子の遺体を焼却装置に運び、衣服を剥ぎ取った。すっかり冷たくなったA子の裸体は蝋人形のように青白く光り輝いている。この一年間に何人もの女を葬ってきた。が、ここまで美しい死体は初めてだと青年は思う。遺体の肌に鼻を近づけ、胸いっぱいに空気を吸い込むと、ずっと昔、母親のうなじにしがみついていた時に無意識に嗅いだのと同じ匂いがした。



 A子の肉体をひとしきり弄ると、それを青年はなんとか焼却した。その日を境に、青年は自分の殺した女の死体で気に入ったものがあれば、戯れるようになった。首を落とした後の切り口を両手で支えるようにして踊らせると、女体はゾッとするほど不気味な美しさで舞った。青年は生きた女に対しては、今までよりも興味を抱かなくなる代わりに、死んだ体に対しては異常なほど欲求を抱くようになった。ひとしきり弄んだ死体でも、特に気に入ったものは、防腐加工をしてから、元は母親の寝室だった部屋に貯蔵しておくことにした。


***


 その日から、青年の左腕は時折眠るようになった。殺害を依頼された人間が訪問しても、何もできずに帰してしまうようになり、評判が悪くなるにつれて依頼も日に日に減っていった。青年は、時々舞い込む依頼を、殺人腕が眠っている時は自分の力でこなさなければならなくなった。


 それからさらに数ヶ月経ったある日、青年の左腕は、人間を見ても何の変化も見せなくなった。青年は殺し屋家業をたたむことにした。青年の気分は軽やかだった。何しろ、これからは意図せずして他人を殺すことを恐れなくても、外の世界で自由に生きていけるのだ。


 新生活の幕開けにあたって、青年は家の中の大掃除を始めた。長く続けた殺し屋家業で染み付いた血痕の掃除や、焼却装置の取り外し、その他諸々。


 「そうだ、この際、家中の部屋を掃除してしまおう」


 青年は、手始めに昔母親の寝室だった部屋も掃除することにした。扉を開けると、胸いっぱいに死臭が飛び込んできた。中には、丁寧に防腐加工を施され、マネキンのように直立した姿勢で固定された女体たちがいる。


 青年は、掃除も忘れて、永遠不滅の完璧な均衡を保たれたマネキンたちをうっとりと見つめた。緊張の抜けきった恍惚の中で、青年はマネキンたちの肌色を愛おしそうにいつまでも撫でていた。。その白磁のように澄み渡った肌に不気味に反射する自分の顔を、「誰のものだろう?」と思いながら。


                 <了>

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殺人腕と死体愛好家 水野 正勝 @aquak10800870

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