山奥の小説家

青キング(Aoking)

山奥の小説家

 ここ数年間、麓の村にある墓地に綴じ紐でくくられた原稿用紙の束が不定期にお供えされている。


 原稿用紙には小説らしき文体で丹念に手書きで書き込まれていて、いたずらにしては凝り過ぎている気がしているし、村の人間は誰が置いていったのかわからない原稿用紙の束を気味悪がって、文量が多いこともあって誰も読もうとはしていない。


 雑駁な都会の生活に嫌気がさして片田舎のこの地に移り住んだ小説家の僕だけは、悪趣味であるのを承知で人様の原稿用紙を家に持ち帰り勝手に読ませてもらった。


 ここで例えば原稿用紙に呪いの言葉が書いてあるだとか、特定の文字を拾うと告訴文になるだとか、そういうものだったならホラーやミステリーの題材にでもなりそうだが、生憎とどう読んでも原稿用紙の束は手書きの小説でしかなかった。


 ジャンルにも統一性がなく、歴史、探偵、戦争、純文学など多岐にわたり、途中で終わることなくきちんと完結している。


 村の人々に聞いても誰が置いて言っているのか知らなかったが、毎日墓地で待っていると先日ようやく原稿用紙を置きに来ている白髪にサマーニットを着た老人を見つけた。

 老人が墓地で車に乗り山道にはいっていくのを見届けると、僕も車に乗り込み老人の車をこっそり追いかけた。

 しばらく足場の悪い山道を登っていくと、お爺ちゃんの車が丸太づくりの建物のガレージに納まり終えたところだった。

 車の中からサマーニットの老人が出てくるのを確認し、僕は建物の敷地内に車を乗り入れた。

 老人が僕の車に気付き、なんだろうという顔で玄関へ向かう足を止めた。

 車の窓を下ろして、老人に話しかける。


「あの、突然すみません」


 近くで見る老人の顔つきはとても温和そうだが、怒鳴り声を挙げられたらすぐに退散しようと考えながら反応を待つ。

 老人が僕の顔をじっと見る。


「どなたですか?」

「麓の村に住んでる三瀬といいます。墓地に小説に置いていっているのはあなたですか?」


 名乗るついでに尋ねた。

 老人は頷かず静かな怒りの眼差しを向けてくる。


「紙類のゴミを捨てる場所ではないと言うのだろう。原稿用紙をどこに置こうがわしの勝手だ帰ってくれ」


 どうやら文句を言いに来たと思われているらしい。

 僕は顔の前で否定のために手を振る。


「ゴミだとは思っていません。自分はあなたが小説を墓地に置いていく理由が気になっているだけなんです」

「……お主、今小説と言ったか?」

「ええ。原稿用紙の内容をしっかり読ませてもらいました。マズかったですか?」


 人様に読ませるものではなかったかも、と思わず申し訳ない気持ちで聞き返す。

 しかし老人は返事をせずに皺くちゃの手を顎に添え、俯き加減に何かしら考え始めた。


「あの、どうかされましたか?」

「つかぬことを聞くが……」


 顎から手を離して僕の顔に視線を戻した。


「は、はい」

「わしの小説はよく出来てましたかな?」

「はい。どれも面白かったですよ」


 短く感想を告げると、老人の口元に小さな笑みが現れる。


「中、入りませんか?」


 突然の招待に僕は失礼しますと頭を下げてから、先に建物の中へ消えていく老人を追って車を降りた。



  木材と生活の匂いに満ちた建物の中は、部屋の数と調度が少なくいかにも老人の一人暮らしという感じだが、書斎だけは異質だった。


「すごい本の数ですね」


 老人の書斎は西方の窓から程よく陽光が射し込み、書籍のびっしり詰まった本棚が端に置かれた文机を囲んでいた。


「すみませんね。窮屈な部屋で」


 数えきれない本の量に驚く僕に老人は苦笑いした。


「いえ、それより凄い冊数の本がありますね」

「長すぎるぐらい生きてますから、数も多くなりますよ」

「この部屋にどれぐらいの本があるのか把握してますか?」

「どうでしょう。おおよそ二万冊は超えていると思いますよ」


 二万冊とは驚きだ。

 一応は小説を稼業にしている僕でも生涯読んだ冊数なんて一万冊にも満たない。

 きっとこの老人は毎日飽くことなく本を読んできたのだろう。


「何か気になる本でもありますかな?」


 好意的な口調で話を振ってきた。

 僕は本棚へ近づいて大まかに背表紙を眺めていく。

 すると明らかに装丁の古い背表紙の擦れた冊子が目に留まる。


「この本をいつ頃の物ですか?」


 背表紙の擦れた冊子を指さし、老人に顔を向ける。

 老人はお目が高いというような顔つきで笑った。


「それはだいぶ古い本ですよ。70年以上前ですかね」

「70年以上前ってことは、もしかして戦前?」

「ええ、そうですよ」


 戦前の本だと知り、僕は俄かに興味がわく。


「あの宜しければ、この本の表紙を見せていただくことは出来ますか?」

「いいですよ。ちょっと待ってください」


 僕の頼みに老人は快く頷くと、ゆっくりとした足取りで僕のところへ歩み寄ってきて背表紙の擦れた冊子に両手をかけた。

 上下で優しく挟むように本棚から抜き取り、そっと差し出してくれる。


「どうぞ。開いてみてください」

「あ、いえ、表紙を見るだけで結構です」


 雑に扱うと背表紙のところから半分にちぎれてしまいそうで、開くことは遠慮して表紙だけをじっくりと眺めた。

 表紙には墨書で『善の研究』とある。


「これ、もしかして初版ですか?」


 見た目からの印象の古さに尋ねる。

 違いますよ、と老人は手を横に振った。


「残念ながら初版ではありません。二版です」

「初版ではないとしても二版ですか。まだ民家に現存しているなんて思いませんでしたよ」


 二版でも宝物に匹敵するぐらい貴重なことは確かだ。


「これを買ったのは小説を書き始めたばかりの頃でしてね」


 昔を思い出しているかのように老人は目を細めて懐かしむ声を漏らした。


「え、そんなに前から小説を書いてるんですか」

「まあ、最初は手遊びでしたがな」



 照れたように後ろ頭を掻く。


「その頃から小説の執筆を続けてるんですか?」

「ええ、まあ。しかしお恥ずかしながら下手の横好きですが」

「出版社の賞などには?」

「若い頃に何度か送りましたがことごとく落とされまして。才能がなかったんですな」


 自嘲的に言ってしめやかな笑い声を出す。

 才能がない、なんてことはない。

 墓地に置いてあった小説を読んだ限り、これほど良質な作品に出会ったことがないと衝撃を受けたぐらいだ。

 運悪く時勢や審査員が作風を好まなかっただけだろう。


「仲間に申し訳ないですよ」


 老人が往時の記憶がぶり返したように唐突に呟いた。


「仲間とは?」


 僕が訊き返すと、老人は真っすぐな視線を向けてくる。


「取るに足らない話ですよ」

「そもそも僕はあなたが墓地に小説に置きに来る理由を知り立ったんですから。もしや仲間との話がその理由関係あるのですか?」

「ええ、その通りです」


 笑い、すぐに表情に陰りがさす。


「みんな戦争で死んでしまった」

「戦友ですか?」

「ある意味ではそうかもしれません。しかし年齢は私よりも三つ四つ上の人達ばかりですよ」

「どういう仲間だったんですか?」

「あなたはわしが墓地に小説を置く理由を知りたいと言いましたな?」


 僕の問いに対して問いかけで返してくる。

 老人の表情は真剣だ。


「ええ。聞かせてください」

「……みんな戦争に行ったまま戻ってこなかった。みんなわしの小説の先輩だった。わしの小説が出来たらみんなに読んでもらう約束だったのに、小さかったわしだけ残されてみんな感想をくれないまま逝ってしまった」

「創作仲間だったんですね」

「うむ」


 僕が確かめるように言うと、老人は一回しっかりと頷いた。


「あの墓地の中に創作仲間のお墓があるんですね」

「そうじゃ。別れてから七十年以上経つというのに、小説を持っていくとみんな感想を言ってくれる」

「……そういうことだったんですか」


 話を聞いて納得した。

 墓地に置いてあった小説は亡き創作仲間に送るものだったんだ。


「わしも生い先長くないからの」


 ポツリと声に苦笑を交えた呟きが聞こえた。

 そんなことないですよ、と上っ面だけの慰めは言えない。

 僕はこの人の八十幾年分の十数分しか知らないのだから。


「最後にはみんなに良い感想をもらえるようにしたいですな」


 少しだけ晴れやかさを残して老人は笑った。



 あれから六か月後、墓地に小説が置かれなくなって久しい。


 老人と初めて言葉を交わして以来、何度か老人の元を訪ねて執筆の進捗などを訊いたが、毎回ぼちぼちと答えられて小説の内容は一切知らされないままだった。

 自分も小説家だと明かそうと思って訪ねた日には、もう老人は亡くなっていた。

 文机の上に完結した小説の原稿用紙があり、僕はそれを麓の村まで降りて老人の仲間の墓にお供えした。


 そして今日、ようやく墓地に製本された小説が届けられる。

 仲間と同じ墓地に建てられた老人の墓に一冊の小説を安置した。


 僕だってあなたの小説の読者ですよ。だから言わせてください。


「あなたの作品にはとても敵いません。面白かったです」


 今の感想は老人に聞こえているだろうか。

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