第4話 修繕の依頼

 聖華暦830年 聖王国領 南東の宿場町


 同盟へと続く街道沿いの宿場町。

 この宿場町は近くに温泉が湧くことから湯治場として賑わっており、比例して町の規模が大きい。


 私達はこの町の名士である男爵の邸宅に招かれていた。

 聖王国の貴族に縁故があるわけではない。仕事の依頼があり、邸宅まで呼び出されたに過ぎない。


「君にこの[本]の修繕を頼みたい。」


 そう言った。

 初老の男性、白髪混じりの髪を丁寧に撫で付け、やはり白髪混じりの口髭を丁寧に切り揃えている。温和な笑みを湛え、口調はとても穏やか、清廉な印象を受ける紳士だ。


「引き受けるのは構いませんが、なぜ私なのです?私は定住地の無い旅人、悪く言えば不審な他所者です。」


 失礼の無いように言葉を選び、疑問を口にする。

 初見の他所者、これだけでもあらぬ疑いを掛けられ、謂れの無い誹謗を受ける事だってある。


「この町には[本]を修繕出来る職人が居ないのだよ。それに、君の仕事振りは世話役のオットー君から聴いておるよ。とても丁寧な仕事をしてくれたと喜んでおったよ。」


 先日、宿場町の世話役をしているというオットーという人物から、昔からの組合の記録を認めた帳簿が傷んでいたので、修繕を依頼されたのだ。

 帳簿と言えど文字を書き記した立派な[本]である。[本]の修繕を行うときは、私の持てる最高の技術で事に当たる。

 それが[本]に対しての礼儀というものだ。

 だから取り立てて特別な事をした訳ではない。


「この[本]は私の一族にとって大切なものでね、修繕は信用のおける者に任せたいのだよ。」


「一度くらい良い仕事をしたから信用できるというのは、買い被りも良い所ですが… そこまで仰られるなら、お引受けしない訳にはいきませんね。修繕の依頼、賜ります。」


 早い方が良いとの事だったので邸宅の一室を借り受け、私は作業の準備を始める。

 作業は2日、擦り切れ傷んだ表紙の交換、手垢で汚れたページも写本して入れ替える。そして、白紙のページを50枚、追加するのが依頼の内容である。


「タカティン、どうして新しいページの追加がいるのです?」


 もっともな疑問だ。

 ただ修繕するだけなら、追加のページなど要らないだろう。だが、この[本]にはそれがどうしても必要なものなのだ。


「この[本]は書き掛けなんだよ、リヴル。これは依頼主の一族の[歴史書]だ。」


 そう、この[本]はまだ書き掛け、まだ完成していない。

 一族が存続する限り、決して完成しない。

 一族が滅び、書き手が居なくなっても完成しない。

 永遠に完成しない[本]。

 けれども世代を重ね、次代へと受け継がれるそれは、その一族の在りようを書き連ね、伝え続ける。

 書き手が移り変わり、それでも変わらず、その一族の在りようを書き連ね、伝え続ける。


 興味深い。

 この[歴史書]ばかりでは無い。あらゆる[本]はそうした一面を持っている。

 物語であれ、日記であれ、ただのメモ書きであっても、それは書き手が必要だと書き残した記憶である。


「だから[本]とは、受け継がれる記憶そのものなのだ。」


[人]は度し難い、不可解で興味深い。


[人]は永遠には生きられない。アンドロイドである私でさえ、永遠には程遠い。

 そんな[人]は永遠に近付こうと足掻き、足掻き、足掻いた末に手に入れたもの。

 記憶を保存し、次代へ伝える術。

 それが記憶を書き写す[本]という存在。

 私が[本]という存在に畏敬の念を持つ理由である。

 科学技術が発達する以前、遥か昔から、記憶を保存するという発想。

 大変にアナログではあるが、記憶を電子媒体で保存するアンドロイド・AIなどの、とてつもなく広い意味で、先祖とも言える。

 新たに創作される[本]は我々の異母兄弟。

 私が[本]という存在を人類の叡智と尊ぶ理由である。


「では始めよう。作業中は、特に[人]が居る時は大人しくしているんだぞ、リヴル。」


「邪魔したりはしないのです。だから少しくらいはお喋りして欲しいのですよ。」


 作業は順調に進み、予定通り、2日で[本]の修繕を終えた。

 修繕の出来栄えを観て、初老の紳士は満足気に頷いた。

 近々、孫娘が結婚し、次代の当主が一族に加わるのだという。そしてこの[本]は、次代を担う二人に受け継がれる。

 その為に、修繕の依頼をしたのだという。


 永遠に完成しない[本]。

 だけれどその[本]は、人類が創造した他のどんな物よりも、尊いものなのである。

 受け継がれる記憶。紡ぎ続けられる記憶。

 私はその事そのものに畏敬の念を持っているのかも知れない。


 全く度し難い、不可解で興味深い。

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