第45話 放課後の練習
体育祭本番が二週間後に迫った週明けの月曜日、彩人は体育着に着替え、校庭に立っていた。今日から昼休みや放課後を利用した体育祭の種目練習が解禁されたのだ。校庭には彩人と同じようにジャージ姿の生徒が多くいる。
もちろん、彩人は進んでここに立っているわけではない。ペアの仮面女子が「今日から練習するからね!帰らないでね!」としつこく言ってきたため、それを無視するわけにもいかず、渋々了解した次第だ。
「お待たせー」
「遅い」
「それ女子には禁句だよ」
校庭に現れた薫は彩人と同じく体育着を身にまとい、いつもは下ろしている髪を今日は後ろでまとめている。普段は見えないうなじが姿を表し、見ていいのかダメなのか、妙に変な気分にさせられる。
「てゆーか、この学校のジャージほんとにダサい。なんでこうなったんだろ」
薫が不満を垂れ流しているが、これには同感せざるを得ない。ここ都立井荻高校は制服なし髪染めありピアスありの自由な校風が売りの高校だが、なぜか体育着だけは指定なのだ。
学年ごとに色で分けられており、青、赤、緑の三種類が存在する。彩人たちの学年カラーは緑なのだが、青と赤が原色に近いのに対し、緑だけはなぜかエメラルドグリーンのような色をしている。おかげで一番ダサく、不人気のジャージとなっている。
「まあでも、似合ってるぞ」
「ぶっ飛ばすよ」
薫はそう言って睨んでくるが、いつも由依に鍛えられている彩人には通用しなかった。それよりもうなじの方に目が行ってしまう。
「な、なによじっと見て……」
「いや、なんかエロいなって」
「早速セクハラ!これで1セクハラだからね」
「数えるのか?」
「そう、1週間に何回されたか羽沢先輩に報告するから」
「あー、やめとけやめとけ」
「なんでよ」
「数えきれなくなるから」
「そんなにするつもりなの!?」
そんなくだらないやりとりをしていると、よく見知った二人の男女が近づいてくるのが見えた。
「おーっす彩人、それに雨音さん?だっけ、久しぶり」
「どもどもー」
仲良く現れた美男美女は、彩人の数少ない友人である吉野秀馬と旭丘凛である。秀馬はサッカー部、凛は弓道部に所属しており、見た目良し性格良し頭良し、まさに完璧超人。極め付けにこの二人は一年生の頃から恋人同士であり、学年どころか学校でも一目置かれているカップルという、キラキラしている層の要素をこれでもかと詰め込んだ二人組だ。
「彩人たちも練習?」
そう爽やかな顔で問うてきたのは秀馬だ。こんな顔で話しかけられたら女子はイチコロだな、と彩人は呑気に思った。
「そうだな」
「なんの種目出んの?」
「二人三脚」
「それはまた……」
するとその会話を聞いていた凛が、薫のもとに駆け寄った。
「薫ちゃん大丈夫?セクハラとかされてない?」
「もうされた……」
「ちょっと倉木!」
「身体的接触はまだないぞ」
「そういう問題じゃないから!」
「まだって言ったんだけどこの人……」などと言っている薫を無視し、彩人は秀馬に話しかける。
「お前らはなんの種目出るんだ?」
「もちろん二人三脚!」
「もちろんなのか」
「もちろんだよ」
秀馬の言い分は彩人にはよくわからなかったが、どうやら仲のいいカップルが二人三脚に出るのは常識らしい。
「あ、そういえば」
「どうした?」
その場で話し込んでいると、彩人は秀馬と凛に話さなければいけないことがあることを思い出した。随分と遅くなってしまったが、この二人なら快く許してくれるだろう。
「今度時間あるか?話したいことがある」
「あー、じゃあ今週の水曜日部活休みだからそこで。凛にも伝えておくよ」
「……まだ何も言ってないのによくわかったな」
薫と凛は向こうで話し込んでいるため、この会話は彩人と秀馬のみで行われている。にも関わらず秀馬は、彩人の思考を先回りするかのように凛の名前を出した。
「ん?ああ、彩人から話があるってことはそれなりに大事なことだろうし、それだったら俺だけじゃなくて凛にも話すつもりなんだろうなって」
「……お前、いい奴すぎて最低だな」
「それ、褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」
秀馬はケラケラと笑ってそう言って、凛に「そろそろ行こう」と声をかけた。
秀馬のこういう勘の良さや気の回しようには頭が上がらない。今まで何度も彩人の意図を汲み取っては完璧に解釈してくれた。やっぱり僕の友達は最高だなと、彩人は心の中で思う。
「それじゃあ、またな彩人、雨音さん」
「薫ちゃんに変なことしたら許さないからね!」
ありがたい捨て台詞を置き土産に、秀馬と凛は自分たちのクラスの練習場所へと向かい、彩人と薫はその場に取り残された。
「凛とどんな話してたんだ?」
「彩人くんの悪口」
「そりゃ、光栄だな」
「……」
「美少女2人の会話に出てきてさらに悪口まで言われるとか、ご褒美だろ」
「なんでこの人とペアなんだろ……」
「それは諦めろ。ほら、お前を縛る縄借りにいくぞ」
「私の足と君の足を縛る縄だから!」
◆ ◆ ◆
薫との練習を終えた彩人は、更衣室で制服に着替え直していた。ジャージのまま帰ってもいいのだが、あれで帰るのには勇気がいる。学校で着る分ならいいが、あれで外を出歩くのは罰ゲームに近い。何より今は泥だらけだ。二人とも二人三脚は初めてで、そして全く呼吸が合わず転びまくったのである。これでは公共の交通手段を利用するには気が引ける。
狭く汚い更衣室で着替えた彩人は、相談部への部室へと向かった。スマホに由依から「放課後練終わったら部室に来なさい」という命令、もとい連絡が来ていたからである。
部室のドアを開けると、優雅に紅茶を飲んでいる由依がいた。彩人と同じく放課後の練習をしていたはずなのに、それを一切感じさせない、いつも通りの由依だった。
そんな由依に見惚れていると、
「見惚れてないで早く入りなさい」
そう入室を促された。
「すみません、すげえ綺麗だったので」
「知ってる」
そう蠱惑的な笑みを向けられ、不覚にもドキッとしてしまう。
「倉木くん今、ドキッとしたでしょ」
「そりゃ、こんな美人にあんな笑顔を向けられたら一般男子高校生なんてイチコロですよ」
「……つまんない」
素直に思ったことを言っただけなのに、由依の思惑通りの返事ではなかったせいか不満を露わにしている。この理不尽さ、相変わらずの女王様っぷりだ。
彩人はドアを閉め、自分の定位置へと向かい椅子に腰掛けた。紙コップに入った紅茶を渡される。一体いつになったら紙から陶器に変わるのだろう。いっそ家から持ってくるか。
そんなことを考えていると、
「それはそうと、なんの種目出るの?というか、出られるの?」
前の話題への興味は失ったと言わんばかりに、由依にそんな質問をされる。
「人限定の借り物競争と二人三脚に出ます」
「……進んでやりたいって言ったの?」
「まさか。余ったので良いって言ったらこうなったんです」
「だよね、倉木くん、人望ないし」
それは自分が一番よくわかっていることだが、面と向かって言われるとあまり面白くはない。だが、由依はそんなのお構いなしに質問を続けてきた。
「二人三脚は誰と出るの?確か、男女のペアだったわよね」
この質問に彩人はさっきとは違う意味でドキッとした。種目の話になった時点で、この質問は逃れられないことはわかっていたため身構えていたが、いざその状況になるとかなり言い出しづらい。
言っても不機嫌になることは確実だが、言わないで後々バレた時の方が怖いのでここで白状しておく。何もやましいことはないのだから。
「……雨音です」
彩人のその発言に、由依は何か訝しむような視線を彩人に向け、
「……ふーん」
と、最大限に含みを持たせた相槌を打ってきた。
あまりの迫力に彩人は一瞬たじろいだが、自分は何も悪いことはしていないと念じ、なんとか平静を装う。
「一応言っておきますが、これも成り行きなので、不可抗力です」
「別に、言い訳なんて頼んでないけれど」
由依は明らかに不機嫌になっているが、ここは気づいていないふりをしていつも通りを心掛ける。
「先輩と組みたかったなあ」
「セクハラされそうだから嫌よ」
「じゃあ視姦だけにしておきます」
「なんでそれなら許されると思ってるのよ……。ま、雨音さんは相談のこともあるし、今回は許してあげるわ」
なんとか許しが出たようだ。
「ただ、次はないから」
一瞬の安堵も束の間、とびきりの笑顔と共に特大の釘を刺され、彩人はこくこくと頷くことしかできなかった。
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