第43話 報告
部室に着くと、椅子に座り優雅に紅茶を飲んでいる由依の姿があった。これだけで絵になるのだから恐ろしいものである。
自分の定位置に座ると、由依が紅茶を出してくれた。相変わらず紙コップだが、出されるだけマシと思って異議を唱えたくなるのをグッと堪える。一口飲んでほっと息を吐くと、由依が話しかけてきた。
「それで、どうなったの?」
「それがですね……」
見たもの聞いたものをできるだけ正確に由依に伝えると、由依は呆れたような感心したような微妙な表情になった。
「なんだか、なんて言っていいかわからないわね」
「そうなんですよ」
「でも、悩みってそういうものよね」
本人は人に相談するほど悩んでいるが、当の友人たちは全くもって気にする素振りはない。自分の悩み、コンプレックスなどが、他人にとっては陳腐でどうでもいいこと、なんてことは往々にしてある。自分がどんなに気にしていることでも、他人からしてみれば気にも留めないことなのだ。
いざ打ち明けても、「なーんだそんなこと気にしてたの」とか「気にしすぎだよ」とか、軽く遇らわれる。だったら言わないほうがマシだと、そう思ってしまうのだ。
「どうしたもんですかね」
「そうね……なんとかして雨音さんに勇気を出してもらいたいのだけれど……」
薫だって、他人に言われて勇気を出すくらいならもうとっくに打ち明けているだろう。こんなことで悩んでいるのが馬鹿らしいなと思わせる何かがあればいいのだが……。今の彩人には到底思いつかなかった。
「とりあえず、しばらく様子見ですかね」
「そうね、でも体育祭までには片付けてあげたいわ」
「なんで体育祭?」
「体育祭を心から楽しんでほしいからに決まってるじゃない」
なに言ってるの、という視線を向けられるが、彩人には全くわからない感情だった。そもそも、体育祭のどこが楽しいのかわからない。そっちこそなにを言ってるんだ、という視線を返すと、由依が聞いてはいけないことを聞くかのような声音で尋ねてきた。
「……ちなみにだけれど、去年の体育祭はどうしてたの?」
「一日中クラスの待機場所で座ってました」
事実を告げたが、由依は引いているのか憐んでいるのか呆れているのかよくわからない曖昧な表情になった。表情豊かだなあなどと思っていると、由依がさらに踏み込んでくる。
「……なにがあったか一応聞いてもいいかしら?」
拒否する理由も隠す理由も彩人にはなかったため、首を縦に振る。
「僕が割と早い段階で浮いてたのはご存知ですよね?」
「ええ、まあ……」
「それで、体育祭の時期にはすでにクラスで僕に関わってくれる人間は吉野と凛しかいなかったんですよ」
この高校に三人しかいない友達の二人である吉野秀馬と旭丘凛。二人はこの学校において部活に入っていなかった彩人を色眼鏡で見ることなく、そして詮索するようなこともせず、倉木彩人という人間を見てくれている。
そういえばあの二人には部活に入ったことを伝えていない。折りを見て話すことにしよう。
「だからクラス単位で動く体育祭は憂鬱で仕方なかったんです」
「その調子だと、文化祭も悲惨なことになってそうね……」
「聞きます?」
「……それは文化祭までいい」
「そうですか」
文化祭も文化祭で中々残念なことになったのだが、今はご所望されないらしい。
「えーと、どこまで話したっけ。あ、それで種目を決める段階であいつどうするよって雰囲気になったわけです」
クラスで浮いている、嫌われている人間は、クラスで動く時にどうしても腫れ物扱いをされる。彩人は気にしていなかったが、大抵の人は居た堪れないだろう。だからこそ、浮かないように嫌われないように空気を読むのだ。自分の意思を押し殺してまでも、周りとの同調を選ぶ。彩人の時も、周りの友達に合わせて腫れ物扱いしていたが、決して誰かが率先して何かをすることはなかった。
「吉野と凛もどうにかしようとしてくれたと思うんですけど、実行委員でクラスをまとめることが最優先だったので動けそうになかったんです。なので『余ったところでいい』って言いました」
「あまり気分のいい話じゃないわね」
「話し合いが終わった後で二人とも謝りに来たのはちょっと引きましたけどね。いい奴らすぎて」
「そんなだと友達いなくなるわよ」
「大丈夫です、最近一人増えたので」
そこまで口にして、彩人は自分が余計なことを言ったことに気づいた。しまった、と思った頃にはもう遅い。
「その友達、雨音さんでしょ」
先ほどとは打って変わった由依の冷ややかな視線が彩人に向けられている。嘘を吐いたら吐いたで痛い目に遭うのはわかっているため、大人しく白状する。
「……そうです」
「ふーん。可愛い友達ができてよかったわね」
「雨音は確かに可愛いですが、僕は先輩一筋です」
「私の前で堂々と他の女のこと可愛いって言うな」
「いった!」
由依から容赦のないデコピンが飛んできた。勢いをつけて放たれた一撃で慣性が乗っており、通常より威力が高い。
この話を続けると本格的に由依の機嫌が悪くなりそうだったので、彩人は素早く話題を戻した。
「それでですね、種目は障害物競走に決まったんですよ」
露骨な話題変更に由依は一瞬目を細めたが、無言で「続けなさい」という圧を放っており、彩人はありがたく従った。
「で、迎えた当日。日頃の運動不足が祟ったのか、開会式のラジオ体操で足首を捻挫。その日一日中、椅子に座ることになりました」
「……なんというか、最低ね」
「自分でもそう思います。おかげでクラスの風当たりがもっと強くなりました」
秀馬と凛は大笑いしていたが、それ以外のクラスメイトはにこりともせずに彩人を見ていた。本当に空気を読むのが上手い。
「これが去年の体育祭の全貌です」
「楽しめないと言うに足りる内容だったわ」
「お褒めの言葉をいただき光栄です。ちなみに先輩は?」
「そんなの、私を中心に誰一人欠けることなく協力して全力で楽しんだに決まってるじゃない」
「そうですか……」
聞くんじゃなかったな、などと思っていると、部室のドアがノックも無しにガラガラと音を立てて開く。
「やっと見つけた!」
そう声を上げたのは彩人の担任でもあり、相談部の顧問でもある小竹瞳であった。髪は茶色がかったショートヘアで、身長は高すぎず低すぎず、細身で余計な肉はついていないように見受けられる。本人は結婚したがっているが、未だ独身である。
「ノックぐらいしてくださいよ……」
そう由依が毒づくが瞳は気にする様子はなく、
「ごめんごめん。それはそうと倉木くん、相談部に入ったこと私に言わないってどういうこと?全然捕まらないし今日だって探し回ったんだからね」
と捲し立てる。
報告するつもりではいたが、薫の件もあり完全に失念していた。ここは素直に謝っておこう。
「いやあの……すみません、ほんと。色々バタバタしてまして」
「……倉木くんが素直だと気持ち悪い」
素直に謝ったらこれだ。今までのらりくらりと適当言って瞳のことをかわしてきたツケが回ったのだろうか。ふと横を見ると、由依がうんうんと頷いていた。どうやら素直になると気持ち悪がられるらしい。
「ま、ちゃんと部活に入ってくれたことは喜ばしいけどね。これで職員室でぐちぐち言われないで済む……!」
「先生、本音がダダ漏れです」
「仕方ないじゃない。本当にうるさいのよ、あいつら」
「先輩これ、教師として大丈夫ですか?」
彩人がそう由依に問いかけると、苦笑いして「ダメそうね……」と同意してくれた。心を開いてくれていると好意的に解釈できなくもないが、あまりにストレートすぎではないだろうか。
「まあまあ、ここくらいでしか本音言えないんだからちょっとぐらい許してよ」
「いつか教師として致命的な発言が飛び出しそうなんですが……」
「ところで、部としてはきちんと活動してるの?」
「今更顧問面ですか……」
彩人が悪態をついていると、由依が代わりに答えてくれた。
「はい、今一件の相談を受けてます」
「おー、そうなんだ。そうかそうか、精一杯悩みたまえよ少年少女たち。青春時代に悩んだことが大人になって活きることも大いにあり得るとお姉さんは思うよ」
「お姉さんって歳でもないでしょうに……」
「倉木くんなんか言った?」
限りなく小さい声で呟いたはずなのに、瞳の耳はそれを聞き逃してはくれなかった。下手に怒らせて成績を下げられても困るため、「なんでもないです」と言っておく。
「あ、いけないもうこんな時間。たんまり仕事残ってるから職員室戻るね。戸締りだけはしっかりよろしく!」
瞳はそう言うと、バタバタと部室から出ていった。滞在時間は五分もない。
「嵐が過ぎ去りましたね」
「クラスでもあんな感じなの?」
「あんな感じです」
「……そう。まあでも、いい先生よね」
「そうですね、それは思います」
男女分け隔てなく接し、そのフランクさから生徒との距離も近く信頼もされている。それでいて一人一人のことをしっかりと見ている。彩人のような生徒でさえも見捨てるようなことはしない。
彩人は去年一年間諦めずに関わってくれたことに感謝しつつ、瞳が早く結婚できることを祈った。
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