第39話 意図しないダブルブッキング

「あの、よかったら今日、泊めてくれない?」

「……は?」


 あまりに突然の提案に、思わず間抜けな声が出てしまう。薫のことをアホだとは思っていたが、まさかここまでだと彩人は思っていなかった。


「自分が何言ってるかわかってるか?」

「うん、わかってるよ。親と喧嘩しちゃって、家に帰りづらいんだ」

「そんなの、わざわざ僕に頼まなくたって、あ……」

「あ……、じゃないよ!泊めてくれる友達はいるから!」

「じゃあなんで僕に」

「……今日初バイトだったし、遅くなっちゃうし、友達にも声かけづらくて」

「僕がいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「……ネットカフェとか?」

「……アホか」


 いくら日本でも女子高校生が一人でネットカフェに泊まるのは危ない。未成年だし、何か問題が起きてからでは遅い。最悪の結果になるくらいなら自分に切り出した方がマシかと彩人はそう考えざるを得なかった。


「……着替えとかはあるのか?」

「うん、それは大丈夫」

「そうか、じゃあ入ってくれ。野垂れ死されても困るからな」

「さすが彩人くん、優しいね」

「追い出すぞ?」

「あはは、ごめんごめん」


 薫はそう軽快に笑って、「お邪魔します」と彩人の家に足を踏み入れた。脱いだ靴を整え、端に寄せる。その様子が妙に板についていて、思わずじっと見つめてしまう。


「……何、意外そうな顔して」

「いや、意外だなって思って」

「こんなでも一応マナーはありますー」


 こんな、という自覚はあるんだな。と彩人は思いつつ、自分の靴を靴箱に閉まった。

 トイレや風呂場を案内すると、自分の荷物をリビングに置いた薫がこちらにやってくる。


「お風呂借りていい?」

「……割と図々しいのな」

「あ、もしかして一緒に入りたい?彩人くんがどうしてもって言うなら……お礼も兼ねて入ってあげる♡」

「遠慮しとく」


 彩人がそう言うと、「即答はないじゃんか……」などとぶつくさ言いつつ薫は風呂場へ消えていった。

 自分の部屋に戻り、荷物を置いて椅子に腰掛け、彩人は一息ついた。

 ついこの間は由依を泊めたはずなのに、今度は薫を泊めている。先輩からクラスメイトになっただけだが、そもそも付き合ってもない異性と一夜を過ごすこと自体が彩人の感覚ではあり得なかった。


「何だか変なことになってるな……」


 そう呟き、最悪な状況を想像してしまう。

 由依の突然の訪問。

 しかも前科ありだ。

 しかし、さすがに今日はないだろう。バイトだということは伝えてあるし、だいぶ夜も遅い。あの由依がわざわざ彩人の家に足を運ぶことはまずないはずだ。明日も学校がある。訪ねてくるにせよ、こんな平日は選ばない。

 そう思って明日の準備をしつつ薫が風呂から出てくるまで休憩していると、滅多に通知の来ない彩人の携帯に一件の通知が来ていることに気付く。

 嫌な予感を感じつつも恐る恐る開くと、


『あと十分ぐらいでそっち着くから。よろしくね』


 と、本来なら飛んで喜ぶはずの女王様からの連絡だった。しかも通知は8分前。もうすぐ来てしまう。今日ほどこの連絡が嬉しくない日はない。

 文書を送ってたら間に合わないと思い、彩人は思い切って電話をかけた。

 するとすぐに由依が出てくれる。


『珍しいわね、電話なんて』

「そうですか?それはそうと、今日はちょっと立て込んでおりまして……」


 思わず電話をかけてしまったことをすっとぼけ、やんわり拒否する姿勢を見せる。だが由依は納得いかない様子で、「ふーん」と少しご立腹みたいだ。


『私をここで追い返すんだ?こんな時間に?』

「いや、えーとですね、ちょっとタイミングが悪くてですね」

『ま、もう着いたから。とりあえず開けなさい』


 由依はそう言うと電話を切ってしまった。彩人は急いで一階に降り、玄関へと向かってドアを開ける。


「……どうしてチェーンなんてかかってるのよ」

「最近物騒なので……」

「開けなさい」

「いや……」

「聞こえなかった?開けなさい」

「はい……」


 あまりの圧力に屈する他なく、彩人は渋々チェーンを外した。途端、由依がドアを勢いよく開けて、彩人のものにしては小さいローファーを見つけてしまう。

 しまった。そう思った時にはすでに遅く、由依の視線はその茶色の靴に注がれていた。


「このローファーは?」

「えーと、中学生の時履いていたやつで……」

「ふーん」


 こんなにも「ふーん」を怖く言える人間が由依以外にいるだろうか。少なくとも彩人には考えられないほど、由依が言うこの単語の恐怖は半端ではない。

 そして、運が悪い時は重なるもの。

 そのタイミングで、髪を濡らしたパジャマ姿の薫が風呂場から出てきてしまう。


「……そういうこと」


 そう呟き、由依の目が彩人を侮蔑するものに変わった。


「違うんです先輩。これは……」

「何が違うのかしら。弁明できると言うなら、明日の放課後せいぜい言い訳しに来なさい。今日は帰るわ」


 由依はそう言って、素早く玄関から出て行ってしまった。


「終わった……」

「なんか、ごめんね?」

「タイミングが悪かっただけだから気にしないでくれ……」


 気にするなとは言いつつも、彩人は内心は絶望でいっぱいだった。薫はあり得ないぐらい落ち込んでいる彩人を少し可哀想だなと思いつつ、「髪乾かしてくるね」と洗面台に消えてしまう。


「明日なんて言えばいいんだ……」


 由依にどう言い訳をするか。全部正直に話すべきなのか。どうしたら許してくれるのか。全て彩人の力量にかかっていることは、言うまでもない。




 


 

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