第34話 過去⑩

 気が付いたら家にいた。どうやって帰ってきたのかも、いつ帰ってきたのかも、わからなかった。

職員室での出来事も、あの一言以降あまり記憶にない。死因は自殺ということが微かに耳に入ったぐらいだ。

桜が自殺。その事実が由依の心を蝕んでいった。

なんで。どうして。

そんな疑問が、由依の脳をぐるぐると掻き乱す。

 それと同時に、桜の自殺を信じられない自分もいた。

 明日になったらけろっと戻って来るんんじゃないか。またあの笑顔を見せてくれるんじゃないか。

 桜の死を直接確認したわけではないのだ。ただの手違いかもしれない。

 現実逃避をしても意味ないことを理解しながらも、由依はそう考えざるを得なかった。

 そう考えないと、心がもたない気がしたから。

 そう考えないと、自分が自分でなくなる気がしたから。

 結局その日は何も喉を通らず、寝ることも叶わず、ただひたすらの虚無がそこにあった。

 こういう時も親が干渉してこないのは正直言ってありがたい。今何かを聞かれてもまともに答えられる気もしなければ話せる気すらしない。由依は少しだけ親に感謝した。

 そんな日々が一週間。最低限の栄養を摂りつつも、何もできない日々が続いた。だが、不思議と涙は出なかった。


「親友が死んでも涙一つ流れないなんて、とんだ薄情者ね」


 由依は自分に向けて悪態をついた。

 どうして涙が出ないのかわからない。悲しくて苦しいのに、涙だけは出ない。

 そう考えるたびに、親友のために泣けない自分がいることを突きつけられているようでより苦しくなる。

 由依はこの一週間、どこか現実離れした気分になっていた。

 何もできなければ、何もやる気が出ない。生きる意味すら失ってしまったかのように、心にぽっかりと大きな穴が空いている。

 食はどんどん細くなり、体重が落ちる。陽の光を浴びずに過ごし、日に日に顔色が悪くなっていった。

 そんな由依を見てさすがに心配になった由依の母静香は、なるべく栄養のあるものを由依に食べさせ、


「ご飯はしっかりと食べなさい」


 そう由依に告げる。

 何かあったことは気づいているだろう。だがそれを聞いてこようとはしない。普段なら憤りを覚えるかもしれないが、今はその不干渉がありがたい。

 そんなボロボロの由依を現実に引き戻したのは、一通の案内状だった。




 桜の自殺から二週間が経ち葬式が執り行われ、由依も出席した。

 本当は行きたくなかった。出席したら、桜の死を認め、受け入れなければならないから。それが怖かったのだ。

 だが現実は容赦なく事実を突きつけてくる。

 続々と集まる喪服に身を包んだ参列者。

 悲しみに暮れる遺族と近親者。

 そして、死装束を纏った桜の遺体。

 棺桶に横たわっている桜は本当に寝ているようで、死んでいるとは思えなかった。

 だが、その身体から声が出ることもなければ、その身体が動くこともない。

 目の前の一つ一つの要素が、門脇桜という人間が死んだ事実を是見よがしに見せつけてくる。

 もう桜には会えないんだ。

 途端、今まで出てこなかった感情が押し寄せてきた。

 悲しみ。

 もう二度とあの弾けるような笑顔を見ることができなければ、あの元気な声を聞くこともできない。

 怒り。

 なぜ桜は自殺をしなければならなかったのか。誰が桜を追い込んだのか。

 苦しみ。

 桜のいない世界で自分が生きる価値はあるのか。

 気づいた頃には、涙が頬を伝っていた。

担任に呼び出されてから二週間、由依はようやく桜の死を実感したのだ。

その日は一日中、声を押し殺して泣き続けた。




あの葬式から夏休みが明けるまでの間、由依は桜がなぜ死ななければならなかったのか、何が桜を追い込んだのかを考えていた。

桜の自殺自体受け入れることはできたが、納得することはできない。

真相を突き止めなければいけない。由依がその選択をすることは自然なことだった。

よっぽどのことがなければ、桜が自ら死を選ぶことなんてありえない。由依はそう考えていた。

だとすればそのよっぽどのことはなんだったのだろうか。

勉強がプレッシャーで、ということはまずないだろう。彼女は勉強こそ苦手だったが決して逃げ出すことはせず正面から向き合っていた。なにより自分で進路を選んだのだ。桜がそれを途中で投げ出すことは考えにくい。

家族との関係は良好だった。由依が桜の家に遊びに行った時もとても仲良く話していたことが記憶に残っている。

そうすると残されたのは学校だ。由依が様子を知ることができなかったクラス。そこに何かあるのではないだろうか。

ある程度予測はついた。ならばあとは調べるまでだ。

夏休みが明け新学期。

学年から一人減っても、なんら変化はなかった。夏休み前と変わった様子はどこにもない。そのことに憤りを覚えつつも、由依はそれを表に出すことはしなかった。

初日から四限目まであったため、昼過ぎに桜がいたクラスに向かうことになり、由依は急いでA組の教室に向かう。

 三年A組の教室に着くとすでに帰り始めている生徒が数人いたため、由依はその生徒たちに声をかけていった。


「ごめんなさい、門脇桜のことについて聞きたいのだけれど……」

「! すみません何も知らないです」


 その生徒は目も合わせず早口でそう言って去ってしまう。

 その後も同じ調子で話しかけるが全員何も答えず、すぐにその場を去ってしまった。

 何か変だ。このクラスの異様な雰囲気を、由依は感じ取る。しかし、それが具体的に何かまではわからない。

 幸い明日は六限目まである。昼休みにまとめて聞くことにし、由依は一旦その場を離れた。




 翌日の昼休み、由依は一人で三年A組のクラスへ向かった。昼食はどこで食べてもいいことになっているが、クラスの大半は教室で食べる。このクラスも例外ではなく、教室には多くの生徒が残っていた。

 由依は教壇に立ち、クラス全体に聴こえるように、


「少しいいかしら。一学期までこのクラスにいた、門脇桜さんのことについて聞きたいことがあるのだけれど」


 と、凛とした声でそう言った。


「急に何」


 そう返してきたのは、クラスの後ろの方でグループになっていた一人の女子。


「あなたは……折本さんね」


 名前を覚えられているのが意外だったのか、里香は一瞬目を見開くが、すぐにいつもの態度に戻る。


「それで、なんのようなわけ」


 ぶっきらぼうにそう言って、由依を睨みつける。

 だが由依はその眼差しに負けることなく、


「彼女が自殺した理由について考えていたのだけれど、様々な状況を鑑みた結果クラスで何かあったんじゃないかと思って聞きに来たの」


 そう毅然とした態度を貫き通した。


「ふーん。でも特に何もなかったと思うけど。ねえ、みんな」


 里香は興味なさげに相槌を打ち、取り巻きに話を振った。


「うんうん、普通に過ごしてたよね」

「それね、特に関わりもなかったし」


 取り巻きたちは示し合わせたように首を縦に振っている。


「クラスのみんなもそう思うよね?」


 里香はそのまま他のクラスメイトにも同意を求める。

 しかし彼女の問いに答える者は誰一人としていなかった。


「……相田くんもそう思うよね?」

「え⁉︎あ、うん、僕も、そう思う……」

「今川さんもそう思うよね?」

「……はい」


 痺れを切らした里香が、クラスメイト一人一人を五十音順で呼び始めた。口調こそ軽いが、絶対に逆らうなという声音が大いに含まれている。

 一人一人の弱みでも握っているのではないかと思うほどの関係性。

 由依は昨日感じていた違和感を思い出していた。

 折本里香による絶対王政。

 それがこのクラスの違和感の正体だった。誰一人として彼女には逆らえない。逆らえば、このクラスでの居場所を失う。

 ほぼ間違いなく、彼女がこの件に関わっていることを由依は確信する。

 由依がそう考え始めたところで、最後の一人まで確認が終わった。


「誰も何も知らないってよ」


 里香が馬鹿にしたような口調で由依にそう告げる。取り巻きたちも嫌な笑みを浮かべ由依の方を見ていた。かなり気分が悪い。


「そう……あなたたちが……」

「は?なんも知らねえって言ってんじゃん」


 里香が語気を強める。


「あくまでシラを切るつもりなのね」

「だから、なんもなかったってクラスのみんなが証言してんの。つか、うちらがやったっていう証拠も何もないだろ」

「そうね」


 このまま話していても埒があかない。折本里香が自分の非を認めることはまずないだろう。ここは一度引いて、証拠を集めべきだ。


 そう判断した由依は、


「時間を取らせて悪かったわね。これで失礼するわ」


 そう言ってクラスを去った。

 里香がクラスで権力を振りかざしていることはわかったが、なぜ桜が標的になってしまったのかがわからない。

 そもそも目立つタイプではなかったため、里香のようなグループに目をつけられること自体考えにくい。

 しかし事は起きてしまった。取り返しのつかないことが。

 由依は真実を突き止めることで桜に顔向けできると信じていた。それが正しいのか間違っているのかはわからない。

 ただ今は、それしか考えられないのだ。




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