第31話 過去⑦
新学期になり一ヶ月が過ぎた。
由依は一人を貫き通している。今更由依に動く気はなく、高校生になれば高校からの入学組も合流するためさしたる問題ではないだろうと考えていた。
深刻なのは桜の方だ。
相変わらず折本里香からの嫌がらせは続き、クラスメイトからは無視をされている。
ただ桜も、この一年だけだと思い必死に耐えている。どんなに辛くとも、こいつらには屈しないと、そう思っていた。
そんな五月のお昼休み、食堂で昼食を取る由依と桜。
学食で定食を頼み、その日あった出来事を互いに話す。三年生になってからそれは日課になっていた。
昼食を終えて、桜はその場にそぐわない真剣な顔をしている。
「どうしたの?」
不思議に思った由依が桜にそう問うた。
「あのね、私違う高校受験しようと思ってるんだ」
桜から出て言葉は由依にとって衝撃的だった。思わず言葉を失っていると、桜が慌ててフォローしてくる。
「今は由依ちゃんのおかげでなんとかなってるけど、高校に上がったら絶対に置いていかれる。由依ちゃんも自分の勉強あるから、もう迷惑かけたくないんだ」
「迷惑だなんて思ったことない……!自分の勉強を疎かにせずあなたの勉強も見れるわ……。だから……!」
由依が必死に、一つ一つ言葉を紡いだが、
「由依ちゃんならそう言うと思ってた。でも、由依ちゃんに頼りきりなのはダメなんだよ」
と、悲しそうに笑って桜はそう言った。
「なんで……」
「由依ちゃんに頼るたびに、自分がダメになっていくのが怖かった」
「……!」
桜は自分の手を強くに握り、こう続けた。
「由依ちゃんと一緒にいるのはもちろん楽しいし、今でも好きだよ。でも、頼りっぱなしじゃいつまでも変われない、ダメな自分のままだって気づいたんだ」
由依は何も言えず、唇を浅く噛み下を向いていた。スカートの裾をぎゅっと握りしめ、桜の言葉を受け止める。
「そして今から言うのは私のわがまま」
桜はそう言うと、ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせる。
「卒業まで、友達でいてくれる……?卒業して違う高校になっても、友達続けてくれる……?」
瞳を揺らしながらの桜のその問いに、由依は言葉を詰まらせた。
正直に言って仕舞えば、桜と一緒に学校生活を送りたいし、卒業もしたい。由依はそう思っていた。
しかし、桜は成長しようと、変わろうとしているのだ。それを止める権利が由依にあるのかといえば、答えは否である。
いくら友達であろうと、いくら仲が良かろうと、人の歩みを止めることは許されない。もちろん進む方向が間違っていれば止めるべきだ。
ただ今回の桜の決断は間違っているところが一つもない。自分の力量を弁え、自分のペースに合っているところに進学しようとしている。
人によっては逃げているように見えるかもしれない。だが、由依はそう思えなかった。
桜の成長を自分が邪魔しているのなら。
自分が足枷となっているのなら。
由依の言うべき答えは、ただ一つだ。
「……もちろんよ。あなたがどこに行っても、私たちの関係は変わらない。やめたいって言われてもやめないから」
その答えを聞いた桜は二、三度目を瞬かせ、小さく吹き出した。
「あはは、由依ちゃん重いよ」
「なっ……!」
「でもすっごく嬉しいよ、ありがとう」
「……こんな言い方しか知らないのだから仕方ないじゃない」
頬を赤らめぼそぼそ小さな声でぶつくさ言っている由依を見て、桜はにっこり微笑んだ。
「ふふ、由依ちゃんは可愛いね」
「……別に可愛くないわ」
「まあそういうことにしておいてあげる」
「なによそれ」
二人はそう言って笑い合った。
中学卒業後は別々の道を進むことになる。
学校が離れれば、今まで通りにはいかない。一緒にご飯を食べることもなくなり、一緒に下校することもなくなる。会う頻度だって極端に減るだろう。
けれど、不思議と心が離れる気はしなかった。
物理的な距離は離れても、精神的な距離は離れないと確信できていた。
それは桜も同様だろう。そういうふうに捉えていたからこそ、桜は違う高校に進学するという選択肢を取ることができたのだ。
一緒にいる時間が減るのなら毎日連絡を取ればいい。距離が離れるのなら会いに行けばいい。たったそれだけだ。
六月に入り梅雨も本格化して来た頃、桜への嫌がらせも次第に強くなっていた。
「あ、ごっめーん」
折本里香が桜の机にわざとぶつかり、どんという衝撃と共に筆箱を床に落とす。がしゃんという音が響くが、クラスメイトは桜の方を見ようともしない。
落ちた筆箱を拾い、桜は自席に戻った。何もせず、何も言わず、ただ淡々とその所作を行う。
自分はこんなことでは折れない。その意思表示をするかのように嫌がらせを受け流す。
それが気に食わなかったのか、里香は自分の机を蹴っ飛ばした。
鈍い音が教室に響き、空気が凍る。
彼女の一挙手一投足が、クラスの雰囲気を変えてしまう。それほどまでに、折本里香という存在がこのクラスにとって脅威であり恐怖の対象だったのだ。
彼女の機嫌を損ねてはいけない。それがこのクラスの暗黙のルールになっており、全員が心掛けていた。
だが、桜だけは違う。彼女だけは、里香に対して抵抗を見せた。どんな嫌がらせを受けようとも、それが悪化しようとも、結果的に里香の機嫌を損ねることになっても。
そんな人として当たり前の行動でさえ、このクラスでの肩身を狭くする材料になってしまう。それが許容されてしまうほど、このクラスは腐っていた。
桜への嫌がらせは毎日行われる。机を蹴られる、物がなくなる、教科書が破られるなど、規模は小さくとも内容は多岐にわたっていた。
しかし、それが毎日続けばどんな人間でも少しずつ心が壊れていく。
毅然とした態度を続けていた桜も、例外ではない。
その日の帰り道、桜はいつものように由依と帰り道を共にしていた。
「どうしたの?」
突然由依からその言葉が発せられ、桜は戸惑う。
「え?」
「何か疲れているような顔をしていたから……」
由依の前ではなんとか取り繕ってきた桜も、段々と限界が近づいてきていた。
「あ、あー……」
桜はなんとか笑顔を振り絞り、
「勉強がね、思ったようにうまくいかなくて」
そう嘯いた。
「そう……なのね……」
もしかしたら由依はこの嘘に気づいているのかもしれない。そう思うと、由依に全てを話したいという欲求に駆られる。
由依に話してしまえば、きっと彼女は真摯に受け止め、すぐさま行動を起こすだろう。
ただ、それではダメなのだ。これ以上に由依に頼ってはいけない。
そんな衝動をぐっと堪え、桜は再び笑顔を取り繕った。
「そうそう。ごめんね暗い顔しちゃって」
「謝るようなことでは……」
由依の心配がひしひしと伝わってくる。心配してくれているのに、嘘をついているこの状況も桜にとっては辛いものがある。
「あ、私今日こっちに用事あるからここで!じゃあね!」
この場にいるのが居た堪れなくなった桜はそう虚言を弄し、その場を離れる。
そして去っていった桜の背中を、由依は見つめることしかできなかった。
由依は家に着くまでも着いてからも、延々と桜のことを考えていた。
きっと桜は何かを隠している。その確信はある。
だが、そこに踏み込んでいいものなのか、由依には判断できなかった。
桜が必死に隠そうとしているものを、無理に聞き出すべきなのか。桜の意思を尊重するべきではないのか。
そんな葛藤が由依の心の中で渦巻いていた。
これを相談する相手もいなければ、今桜がどういう状況なのかを知っている人間の当てもない。
「こんなことならもっと友達を作っておくべきだったわね」
嘲笑気味に由依はそう呟いた。
いくら自分で考えても、答えは見つからない。
本人に聞くのが一番手っ取り早いが、由依はそれが怖かった。もししつこいと思われたら。もし嫌われたら。
そんなことばかり考えて、あと一歩が踏み出せない。
由依にとっては初めての友達なのだ。付き合い自体は二年を超えるが、長く連れ添ったからこそ失うのが怖い。
桜との関係を疑っているのではない。ただ、自信が持てなかったのだ。何が起ころうとも決して揺らがない絆があることを、由依は心の底から信じることができていなかった。
そんな自分の臆病さに嫌気が差した由依だったが、結局桜に聞くことはできず、ただひたすらに時間が過ぎる。
いつもは長いと思う梅雨も、今年は通り雨のように感じていた。
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お久しぶりです結城です。
最近は無駄に忙しくてなかなかこれを書く機会が得られていない状況ですが、なんとか頑張りたいと思っています。でもウマ娘はやってます。ナイスネイチャを彼女にしたい。
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