第27話 過去③
翌日静香からもらったお金を持ち、新宿へと足を運んでいた由依は無事目的の夏服を購入し、出かける日の朝を迎えていた。
前日、あまりの暑さと人の多さに疲労困憊だったいつもより早く寝たため、今日はすっきりと起きることができ、少しだけ気が楽になる。
早速前日買った服を身に纏い、準備を始める。準備と言っても、由依はまだ中学一年生だ。同級生にはメイクする人もいるだろうが、由依はあまり興味がなかった。ヘアアレンジもする方ではないので、ストレートアイロンで前髪を整える程度で終わってしまう。
かなりゆとりを持って起きたので、出かける時間まであと三十分もある。
どう暇を潰そうか悩んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
「入るわね」
そう言って現れたのは静香だった。
昨日の今日だったため、由依は顔に出ないようになんとか取り繕う。
「出かけるの?」
よそ行きの格好をしている由依を見て、静香はそう言った。好意的なトーンではなく、何か訝しむようなトーンで。
「ええ、友達と江ノ島に行ってくる予定」
由依も端的に最低限のことを伝えた。
「そう。夏休みの宿題は大丈夫なの?」
本当に聞きたかったのはこちらなのだろう。出かけること自体には興味はなく、すぐ違う話題に切り替わる。
「……問題ないわ。一週間もあれば終わる量だもの」
「ならいいわ。気をつけていってらっしゃい」
静香はそう言って由依の部屋を出て行く。
わかっていたことだが、由依は改めて母親の興味が自分にないことを実感させられた。
「あの人が興味あるのは、私が出した結果だけなのね……」
その事実が、自分が思っていたよりずんと心に重く響く。
自分の親に興味を持たれないことが、ここまで自分の中で消化しきれないものになっていることに由依は今更のように気付いた。
ただ今は、どうしようもない。
母に何も言うことができない自分の不甲斐なさを由依は恥じた。
自分がもっと優秀だったらよかったのか。それとも期待もできないような拙劣な子ならよかったのか。この問いに答えはない。意味もない。それを由依は理解している。だが、どうしても考えてしまうのだ。
悶々としていると、家を出る時間を迎えていた。
バッグを手に取り最後に姿見で自分の姿を確認すると、ひどく暗い顔をした羽沢由依がそこにいた。
せっかく桜と出かけるというのに、こんな暗い顔してたら彼女に心配をかけ心の底から楽しい外出にはならない。
そう思った由依は先程の出来事を忘れるように自分の頬をパチンと叩き、気を入れ替えた。
「よし」
靴を履き玄関を出ると、雲は多少見受けられるが、澄んだ青色の空がどこまでも広がっており、由依の気分も少しだけ晴れた。
「……このくらい澄んでいたいものね」
そう呟き、由依は桜との待ち合わせ場所である保谷駅へと向かい歩き始めた。
保谷駅に着くと、すでに桜は着いており、由依は急いで駆け寄る。
「随分早いわね」
由依は待ち合わせ時間の十五分前には着くよう家を出たのだ。桜はもっと前からいたことになる。
「楽しみすぎて早く着きすぎちゃった……えへへ……」
桜は少し照れながら、それでも嬉しそうにそう言った。
「……そう」
桜の素直な言葉に少し照れながらも、由依はそう微笑みながら返す。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん!」
タイミングよく来た電車に乗り込み、最初の目的地である鎌倉へと向かう。
一度池袋まで出て、そこからJRに乗り換えて一本だ。完全に観光地化されていることもあってかなり行きやすい。もっとも時間はかかるが、二人ならすぐだ。二人なら、その時間さえ楽しめてしまう。
電車に揺られている間、由依と桜はずっと話していた。二日ほど会わなかっただけなのに、お互い話すことが尽きない。
桜は話を聞くことが上手い。どんな話でも興味を持って聴き、的確な相槌を打って話し手がもっと話しやすくなるような返し方をする。気がつけば由依がずっと話しているなんてこともある。それでいて由依の話がひと段落つくと、桜は状況を見て違う話をしたり由依の話と関連付いたような話をしたりする。
由依は桜のそれを感心して見ていた。人をよく観察して、なおかつ細かいところにまで気を配らないと出来ない芸当だ。それを自然にやってのける桜に尊敬の念を抱いていた。見習うべきところだなとさえ思う。
そうして話していると、いつのまにか目的地に到着していた。
駅は人でごった返しており、夏休みの威力を改めて知る。
「うへえすごい人だね……」
桜は顔を手で扇ぎながらそう言った。
その仕草が気休めにしかならないぐらいには暑く、ゆうに三十度は超えている。
「ええ。それにすごい暑さ……」
「そうだねえ……熱中症だけには気をつけよう……」
小町通りに入っても人だかりは変わらず、進みがかなり遅い。その分並んでいる店を吟味できるのだが、どこのお店も異常なくらい混んでいる。
「何か食べたいものはある?」
ゆっくりと歩きながら由依が桜に聞く。
桜は「うーん」と悩みつつ、
「冷たい飲み物とか飲みたい!」
と、元気な声でそう言った。
「確かに喉渇いたわね」
暑さで喉はカラカラだ。
冷たい飲み物を飲むべく周りを見回しながら歩いていると、果肉が入ったジュースが飲めるお店を見つけた。
二人ともオレンジジュースを頼んだ。一口飲むとカラカラだった体に染み渡り、体温が下がったのか幾分か涼しく感じる。
その後も小町通りを練り歩き、それぞれの食べたいものを買っては食べ買っては食べを繰り返し、お昼を過ぎる頃には二人とも満腹で、一旦ベンチに腰掛けて休んでいた。
「いやー食べたねえ……」
「食べたわね……」
二人とも少し苦しそうな声色でそう言ってお腹をさする。
「でも、楽しいね」
桜が由依と目を合わせ、笑顔を見せる。
由依はその言葉に心から同意し、
「ええ、そうね」
と、微笑んだ。
まだ数時間しか経っていない。それでも、心の底から楽しいと、そう思えるような外出になっていた。
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