第26話 過去②
期末テスト一週間目を迎え、由依と桜は図書室で勉強をしていた。誰かと一緒に勉強をするということは由依にとって新鮮だったが、それでもすんなりを受け入れられていた。
「ごめんね付き合ってもらって……」
桜はお世辞にもあまり成績がいいとは言えない。今回の勉強会も桜からお願いされる形で開催したものだ。
「構わないわ。人に教えるのも勉強になるから」
由依は桜にそう微笑みかけた。
「うう……ありがとう……」
桜は泣きそうな顔でお礼を言い、早速わからないところを由依に聞いた。
「早速ここなんだけど……」
「ああ、ここはね……」
人と何かをすることは今までなかった。ずっと一人で、それに対して何も思っていなかった。一人が当たり前で、なんでも一人でこなすことに少しばかり誇りさえ感じていた。
ただそれが驕りであることを、由依は桜との関わり合いの中で知った。
食事も登下校も勉強も、友達とやった方がはるかに楽しい。一人で生きていけるなんて傲慢だ。
確かに人は一人でも生きられるかもしれない。ただ、一人は寂しいのだ。感情を分かち合うこともなく、会話もなく、一人粛々と生きることは辛い。
由依は人といることの大切さを知り、そう思うようにさえなってしまった。
一度経験してしまうと、それを手放すことは怖くなる。
今のこの関係を手放したくない。由依は強くそう思った。
二人は二時間ほど集中して勉強したところで休憩することにした。
桜は机に突っ伏して脱力していたが、何かを思い出したようにばっと体を起こした。
「テスト終わったら、どこか出かけない?」
当然、友達からのお出かけのお誘いも初めてだ。グループで一緒にいても、遊びに誘われることはなかった。
だから素直に嬉しかったのだ。友達から誘われるということ自体が。
桜からも純粋に遊びたいという気持ちが強く伝わってきて、由依は凝り固まった心が徐々に溶かされいくのを感じていた。
「ぜひ。行きましょう」
それはおそらく人生で初めての本心から出た笑みだった。ずっと建前で生きていた自分の、本音の笑顔。
(こんな顔も、できるのね)
「ん?どうしたの?」
それが表情に出ていたのか、桜が声をかけてくる。
「なんでもないわ。大丈夫」
「そっか」
それからまた勉強に戻り、下校時刻ギリギリまで勉強を続けた。
勉強を終えた二人は、まだ少しだけ明るい外を歩いていた。
「疲れたー……」
「お疲れ様、頑張ってたわね」
「由依ちゃんのおかげで助かりました……」
「明日からもみっちりやるわよ」
「よろしくお願いします」
桜の様子があまりにも真剣だったので、由依は少し笑ってしまう。
すると、笑った由依を見た桜がこんなことを言い出した。
「由依ちゃん、最近よく笑うようになったよね」
思いがけない指摘だった。由依は自分であまり笑う方ではないと思っていた。
だからもし本当に笑うようになったのだとしたらそれは。
「……じゃあきっとそれは、あなたのおかげよ、桜」
「え、私!?」
「そうよ。あなたといるときが楽しいって、そう思えているのよ」
桜の目を見て、由依は真剣にそう伝えた。
その言葉を聞いた桜は少し照れながらも、由依と同じように目を見てこう伝えた。
「へへ、ありがとう。私も由依ちゃんと一緒にいる時、すっごい楽しい」
面と向かって感謝の気持ちを伝えることは、親しい仲になればなるほど難しい。
だがそれでも、由依と桜はそうすることを選んだ。
それが大切なことだと知っているから。
橙、群青、様々な色に染まった文月の夕焼けは、二人を包み込んでどこまでも広がっていた。
無事にテストが終わり、結果が出た。
上位五十人が載った紙が張り出されるが、当然由依の名前は一番上にあった。
「すごいね由依ちゃん……」
桜が貼り出された紙を見ながら本当に感心した様子でそう言った。
「勉強していたからね」
勉強は嘘をつかない。勉強ほどやった時間がそのまま結果に反映されるものはないと由依は考えている。
「さすがです……。あ、でも私も五十位ぐらい順位上げられたよ!」
桜は前回三百人中二百位だったが、今回は百五十位に順位を上げた。由依との勉強は功を奏したのだ。
「じゃあ今度は百位を目指さないといけないわね」
「が、頑張ります」
一学期の期末試験が終われば、夏休みが待っている。
今までの由依の夏休みはつまらないものだった。最初の一週間で宿題を終え、友達と出かけることなく、居心地の悪い家族旅行をして終わり。
毎年それの繰り返しだった。
だが今年は桜がいる。由依は初めて夏休みを楽しみにしていた。
その日の帰り道、由依は桜と一緒に帰り道を歩いていた。
「出かけるところなんだけどさ、江ノ島にしない?」
「江ノ島?」
「うん!鎌倉で食べ歩きとかして、観光名所回って、最後に江ノ島!」
非常に魅力的な提案だった。想像するだけで楽しい気分になってくる。
「どうかな……?」
「いいわね、行きましょう」
「やった!」
桜はそう元気に返事をして「楽しみだな〜」と笑顔で言っていて、なんだかとても微笑ましかった。
そんな桜を見ていた由依は、あることに気づいた。
「そういえば私、鎌倉も江ノ島も行ったことないわね」
友達と行ったことがないのはもちろん、両親に連れて行ってもらった記憶がない。今由依の中で想像できる江ノ島の景色は全てテレビや雑誌などの映像や写真の記憶である。
由依はなんの気無しに言った言葉だったが、桜には衝撃的だったようで、
「えー!行ったことないの!」
と、珍しく大きな声を出していた。
「家族で行ったりしなかったの?」
「家族旅行は大体海外なのよ」
「スケールが違った……」
なぜか由依の両親は日本の観光地に行こうとしない。おかげで由依はほとんど日本の観光地に行ったことがなく、思い出が皆無だ。
「じゃ、じゃあさ、今回は江ノ島だけど、今度は違うところ行って、また今度は違うところ行って……。とにかく、いろんなところに行こう!二人で!」
桜は本当に素直で優しくて、辿々しかったが、必死にこちらに伝えようとする様子に和んでしまう。
ただ桜が由依を想ってくれていることに変わりはないので、由依も真剣に返す。
「そうね、それはすごく、楽しそうだわ」
「うん!」
家族とでは退屈な外出も、桜とならきっと楽しいだろう。根拠はないが、由依はそう確信していた。
夏休み入ってすぐに出かけることになり、家に帰った由依は慌てて準備を始めた。まだ数日はあるが、早めに準備しておくことに越したことはない。
なんせ友達と出かけることが初めてなのだ。心の準備というものが由依には必要なのである。
「何を着ていけばいいのかしら……」
季節は夏だ。当然薄手のものになるわけだが、由依はあまり服を持っている方ではなかった。出かけることも少ないため、必要最低限あれば問題ないと考えていたからだ。
クローゼットを覗いても、友達との外出に見合う服は見当たらない。
由依の家はお小遣い制ではなく、必要になったらその都度貰うという制度だ。なので今回も母親の元に行かなければいけないのだが、由依は母親自体あまり得意ではないので毎度億劫になる。
仕方なく由依は母親の元へ向かい、
「お母さん」
と、声をかけた。
由依の母親である羽沢静香は、由依と同じように容姿端麗頭脳明晰であった。名門高校を卒業し、知らぬ人がいないだろうという大学に入学した。当然のように首席で卒業し、大企業に就職。そこで出会った優秀な人と結婚し、由依を授かった。
まさに絵に描いたような人生を送り、今は仕事をやめ専業主婦としてこの家のことをこなしている。
その遺伝子を存分に受け継いだ由依に、静香は必要以上の期待をしていた。自分の人生をそのまま由依に歩んでもらいたいと思っていた。それが由依のためになると心からそう信じていたのだ。
だから由依は母親のことは少し苦手だ。自分の幸せは自分で決める。母親の敷いたレールをただ行くだけが本当の幸せだとは思えない。
過度な期待をしてくる静かに対して、由依はそんな思いを抱いていた。
ただ、親は親だ。切っても切れないものだし、育ててもらっている以上無駄に反抗することはない。時には談笑することだってある。
故に由依がお小遣いを貰いに静香のところへ行くことも、日常なのである。
「あら、どうしたの?」
「夏服が必要で」
その一言だけで理解したのか、静香は財布から一万円を取り出し由依に渡した。
「そういえば、期末テストはどうだったの?」
あとで報告しようと由依は思っていたが、向こうから聞いてくれるのなら話は早い。
「一位だったわ」
由依は嬉しそうでも誇らしそうでもなく、ただ淡々とした声音でそう言った。
「そう。さすが私の娘ね」
静香もそれが当たり前のような反応し、手に持っていた雑誌に目を落とした。
「部屋に戻るわ」
「ええ」
自室がある二階へと上がって自分の部屋に戻ると、由依は「ふう」と息を漏らした。
たった数回のやり取りで、かなり疲労を感じていたようで、ベッドに倒れると強烈な眠気が由依を襲った。
「あの人とちゃんと話せるようになる日は来るのかしら……」
そう呟いて、スイッチが切れたように深い眠りの中へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます