第25話 過去①

 羽沢由依は、幼い頃から優秀だった。

 何をやらせても一番で、誰にも負けることがなかった。

 歳を重ねれば重ねるほど美しくなっていく容姿も、皆の憧れであった。

 当然親は、そんな由依に期待をした。小学生の時から様々な習い事に行かせ、塾にまで通わせた。

 褒められると嬉しい、そんな思いだけで、当時の由依は親の期待に応えていった。

 中学受験に合格し、名の知れた大学の附属中学校に入学することが決まった。両親も親戚も大喜びで、こんなに喜んでもらえるのならもっと頑張ろうと、由依はそう思った。

 名門中学に入学しても、由依は優等生のままだった。入学式では新入生代表の挨拶を任され、すでに羽沢由依の名を知らぬものはいなかった。

 当然由依の周りには人が集まった。男女関係なく、皆由依と友達になりたかった。

 最初は由依も、拒否するようなことはなかった。みんなと仲良くできるのは楽しいと思っていたし、充実していると思えるような日々が続いていたからだ。

 入学から一ヶ月が経ち、新生活にも慣れてきてクラスにもグループがいくつか出来上がっていた。

 由依は女子グループの中の、いわゆるカーストトップにあるグループに所属することになっていた。当然由依が望んでそうなったわけではなく、由依の周りに人が集まった結果そうなったというだけだ。

 ただそれでも、そこそこ楽しめているという実感が由依にはあった。話し相手はいるし、一緒にご飯を食べる。どこかでかけるということはなかったが、こういうのもありかもしれないと由依は思い始めていた。

 そんなある日、由依はトイレの個室の中でこんな会話を聞いた。


『はー学校だるい帰りたいー』


 ドアの向こうから聞こえてきたのは、同じグループにいる子の声だった。


『まじそれ。てかあんたのクラスの由依?って子、どうなん?』

『あー由依ちゃん?なんか真面目って感じで割ときつい。まあでも一緒にいたらクラスで安泰だし頭いいから便利だよ』

『ちょ、便利って。言葉のチョイス最低かよ』


 ケラケラと笑い声をあげて、二人はトイレを去っていった。

 怒り、悲しみ、憎悪、色々な感情が由依の心をぐちゃぐちゃにしていた。

 なぜこんな人たちがわざわざ自分といるのだろうと疑問に思っていたこともあった。

 蓋を開けてみれば、周りの人たちが欲していたのは「羽沢由依」そのものではなく、「羽沢由依と一緒にいる自分」だった。それだけだったのだ。

 会話が聞こえた瞬間、個室から出て文句の一つや二つ言えば良かったのかもしれない。ただ、由依にはそれができなかった。それをする勇気がなかったのだ。

 由依はそんな不甲斐ない自分に腹を立てた。


そして自らそのグループを離れ、一人になった。

一人になると、今度は男子が寄ってくるようになり、今まであのグループにいることによって結果的に守られていたのだと、由依はここで知ることになる。

告白されることも増えた。一言も話したことない人はもちろん、顔も知らない人からの告白もあった。

もちろん全て断ったが、告白をされればされるほど由依の女子内での評価は落ちていった。媚を売っているだの愛想を振りまいているだの、由依をよく見てればそれが間違いだと気付けるのに、誰も気づかなかった。誰も由依のことを見ようとしなかったのだ。


 そのまま一ヶ月が過ぎ、由依に話しかける人も少なくなったある日、体育の授業である女子生徒とペアになった。

一度も話したことのないクラスメイトだったが、同学年のある程度の顔と名前を一致させることのできる由依が名前を思い出すのにそう時間は掛からなかった。

彼女の名前は門脇桜。眼鏡をかけたショートカットの女の子で、地味な印象であまり目立っていないが綺麗な顔の作りをしている。クラスではあまりグループでいるようなタイプではなく、一人で行動していることが多い生徒だ。


「よ、よろしくお願いします羽沢さん……」


由依に話しかけることが怖いのか、おどおどした態度で桜は挨拶をした。


「ええ、よろしく」

「は、はい」


依然として畏まった態度の桜に、由依は少し困ってしまう。


「同い年でクラスメイトなのだから、そんなにかしこまらなくていいのだけれど……」

「あ、ご、ごめんなさい!」

「まず敬語を止めるところから始めないといけないわね……」


不思議な感覚だった。

桜からは、由依の容姿や立場を利用しようとする雰囲気が微塵も感じられなかった。むしろ由依に対して畏れを抱き過ぎていて、見てる由依がなんだかおかしく思えてくるほどだ。

そんな桜に興味を抱き、由依は桜と積極的に関わっていった。一緒にお昼ご飯を食べ、ペアを作る機会があれば声をかけ、タイミングが合えば一緒に帰ることさえした。

最初こそ由依に対してビビりまくっていた桜だが徐々に慣れ、今では敬語を止めタメ口で話せるようになった。


「羽沢さんって、すごい頑張ってるよね」

「……え?」


ある日の帰り道、他愛のない話に花を咲かせていると、桜が突然そんなことを言い出した。


「え、あ、私図書委員だからテスト前いっつも最後までいる羽沢さん見てて……いつもあんな遅くまで頑張っててすごいなって……私勉強苦手だからさーあははー……」


最初は親に褒めてもらうのが嬉しかった勉強も、いつしか義務となりやらないといけないものへと変わっていた。

勉強自体が嫌なわけではなかった。ただ、努力して結果を出しているのに、元がいいから、とか才能だ、とかそんな言葉をかけてくる人ばかりだった。

誰も自分の努力を見ていない。由依はこの時までそう思っていた。

しかし、思いがけない人が由依のことを見ていたのだ。

名前しか知らなかったクラスメイト。

由依を利用しようとしない女の子。

 そんな人が、誰も見ていてくれない自分のことを見ていてくれたのだ。そんな自分を見て「頑張っていてすごい」と言ってくれたのだ。

 そんな言葉のために努力してきたわけではないはずなのに、その一言で由依は今までの努力が報われた気がしたのだ。

 しばらく言葉を失っていると、


「羽沢さん……?」


 と、桜が不安そうな顔でこちらを見ていた。


「……いえ、なんでもないわ」

「そっか、よかった……」


 そう言った桜は本当に安心したような顔をしていた。


「あと名前、由依、でいいわ」


 慣れない言葉だったためか、由依にしては珍しく辿々しい日本語になってしまったが、桜は気にすることなく、


「……うん!」


 と、笑顔で答えた。

 桜はそれに続けて、少し顔を赤らめながら自信なさげにこう言った。


「わ、私のことも名前で呼んでくれると嬉しいかな……」


 誰かのことを名前で呼んだことなどなかった。けれど、最初が桜ならば、喜んでその名を呼ぼう。由依はそう思った。


「ええ、改めてこれからもよろしくね、桜」

「こちらこそだよ、由依ちゃん!」


 由依にとって桜は、初めてできた友達であった。胸を張って友達と言える、そんな存在だ。

 まともな友達付き合いなどしたことがなかったが、桜となら何も問題ないと由依は根拠なしにそう思っていた。

 そしてこの付き合いは長くなるだろうなと、この時はそう確信していたのだ。


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