第23話 再会②

「身長、伸びたか?」 


 二年ぶりの再会だというのに、咄嗟に出たのはそんな言葉だった。だが、それ以外に何を言えばいいのかもわからないでいた。用意していた言葉や考えていた言葉が全て飛んだ。それくらい、この再会は彩人にとって嬉しかったのだ。


「そうだね、五センチぐらい伸びたかな。彩人くんも伸びたね」

「ああ、七センチくらい」

「ふふ、そっか。あ、中入って」

「ん」


 前の和希の部屋は何度も訪れていたが、今の和希の部屋は初めてだ。初めてなのに、なぜか懐かしい感じがする。


「綺麗にしてるんだな」

「まあね、ほぼ一日、いるから」

「……そうか」

「……」

「……」


 二人の間を沈黙が流れる。言いたい言葉はたくさんあるはずなのに、どうきっかけを作ればいいのかわからない。


「えーと……」

「ごめん!」

「え?」


 和希からの突然の謝罪に、彩人は当然のように動揺する。


「僕ずっと、彩人くんに謝りたかったんだ」

「なんで和希が……」


 和希が謝る理由なんてどこにもない。

 和希が悪いことなんて何もないのに。


「あの時、彩人くんが『一緒に頑張ろう』って言ってくれたのに、僕は頑張れなかった。辛くて苦しくて、逃げ出したんだ。僕がもっとちゃんとしていれば、あんなことにはならなかったはずなのに」


 和希も彩人と同じように、自分を責めていたのだ。彩人の頑張ろうという言葉に対して応えられなかったこと。自分の喋り方が原因でいじめに発展したこと。客観的に見ても和希が悪いことはないはずなのに、自分を責め続けていた。


「だから、あの時頑張れなくて、ごめん」


 彩人の思っていた通り、彩人が言った言葉が、和希にとって呪いのようなものになってしまっていた。自分が無意識に、無責任に放った言葉。それが二年もの間、和希を苦しめていたのだ。


「……和希が謝るなら、僕にも謝らせてくれ。謝るのはこっちなんだ。あの時、僕は何もできなかった。和希に無責任な言葉を投げて、和希の周りで起こっていたことにも気づかないで、自分のことしか見えてなかった」


 和希は黙って聞いている。彩人も続ける。


「だから、ごめん和希」

「彩人くん……」

「お前は何も悪くなかった」

「でも、僕が普通じゃなかったから……」

「『普通』って、なんだ?」

「……!」

「和希にとっての『普通』があるように、僕にとっての『普通』がある。でも、その自分の中の『普通』が他人の『普通』と同じとは限らないだろ?」


 彩人は続けた。


「人は一人一人違う。だから『普通』も人それぞれで違うんだ。それなのに、世間は『普通』を押し付けてくる。特に学校とか部活とか、狭いコミュニティは」


 一人一人違うはずの『普通』を、社会は押し付けてくる。『普通』じゃなければ集団から弾き、見えないふりをする。個性を見ようとすらしない、つまらない社会を形成しようとする。


「でも、それに従う必要はない。和希は自分の『普通』を貫けばいい。日本だけでも一億人以上いるんだ。和希の『普通』に合う人もいるだろうし、それが好きだと言ってくれる人も必ずいる。だから、変わらなくていいんだ。和希は、そのままでいいんだ」


「変わらなくていいの……?」

「ああ」

「このままでいいの……?」

「そうだ」


 和希はきっと、ずっと悩んできたのだ。

 自分が変わらなければいけない。無理をしてでも現状をどうにかしなければいけないと。

 自分を変えるのは、並大抵の努力ではできない。生きていて『変わる』ことはあれど、『変える』ことは難しいものである。

 まして和希は、何も悪くないのだ。何も悪くないのに自分を変えなければいけないのは、道理が通っていない。

 これは、和希を救う根本的な手にはなっていないのかもしれない。もしかしたら、手段としては間違っているのかもしれない。それでも、誰かが和希にそのままでいいと言わないと、和希は一生苦しむことになる。

 だからせめて、自分がその役を担おうと、彩人は思った。

 すると、和希の目から涙が溢れる。


「そっか……僕はこのままでいいんだね……」

「そうだ。無理しなくていい。そのままの和希でいいんだ」

「う……うう……」


 和希が泣き止むまで、声を殺しながら泣く背中を、彩人はゆっくりとさすった。




「ごめんね、もう大丈夫」

「もっと泣いてもいいんだぞ?」

「もう泣かないって」


 そう笑いながら言って、


「泣いても、何かが変わるわけじゃないから」


 と、続けた。


「……そうか」


 泣いて、気持ちを切り替えることはできるかもしれない。ただ、泣いても自分が変わるわけではないし、周りが変わってくれるわけでもない。泣いた先には、何も待っていないのだ。

 だったら、泣くよりもすべきことがある。ただ立ち止まって袖を濡らしているよりも、前に向かって進む方が遥かに自分のためになる。

 突っ走らなくても構わない。途中いくら休憩したって構わない。それでも少しづつ、着実に歩を進めることが、今の自分に必要だと和希は判断したのだ。

 だったら彩人にできることは一つだ。


「応援してるぞ」


 和希は一瞬目を見開いたが、


「ありがとう」


 と、満開の笑みで応えた。

 すると、和希がぽつぽつと話し始めた。


「……僕、大学には行きたいんだよね。高校には行けなかったし、行きたいとも思えなかったけど、でも大学には行ってみたいんだ」


 その願望は、和希が前に進み始めた証でもあった。それと同時に、今まで自分の欲というものを出してこなかった和希が、初めてこれをしたいと言った瞬間でもあった。


「なら、高卒認定試験受けたらどうだ?」

「高卒認定試験?」

「ああ。いろんな理由で高校卒業できなかった人たちに向けてに試験なんだけど、受かると大学とか短大の受験資格を取れるんだ」

「そんなのがあるんだ……!」

「受かるまではそっちに集中して、受かったら大学受験の勉強始めたらどうだ?」

「……そうする。僕、頑張るよ」


 和希はきっと、あえてその言葉を使った。

 前とは違う、無意識でも無責任でもない、意志のこもった言葉。

 だから彩人も、こう返した。


「ああ、頑張れよ」


 互いの目を見て、少し照れ臭かったが、これでまた一つ過去を乗り越えたことになればいいなと彩人は思った。


「自分でそれなりに勉強はしてたつもりだけど、わからないところがあったら聞いてもいい……?」

「もちろんだ。あ、それこそ先輩にも手伝ってもらおう。あの人すごい頭いいんだ」

「ふふ、彩人くん、その先輩の話してる時とっても楽しそうだよ」


 和希に思いがけないことを言われ彩人は一瞬固まるが、自分がそうなるほど、由依との時間は楽しいものなのだとと改めて実感した。


「そう、かもな。尊敬してるんだ、あの人のこと」

「うん、伝わってくる」


 あの人がいなければ今の自分はない。彩人がそう思えるほどに、由依の存在は大きい。


「その先輩のこと、好きなの?」


 和希の声音は至って真面目だ。決して揶揄っているわけではない。ならば彩人も真剣に応えなければならない。

 もう隠し事は懲り懲りだ。


「そう、なんだろうな、きっと」

「そっか」


 和希はそう言って微笑み、こう続けた。


「じゃあ僕は勉強、彩人くんは恋を頑張るってことだね」


 今の自分に告白する資格があるとは彩人は到底思っていない。何もかも、由依に足りないのだ。

 だから、やることは一つだ。


「……そうだな、お互い頑張ろう」

「うん!」


どう転ぶかはわからない。ただ、やらなければいけないことがある。それは間違ってるかもしれないし、もしかしたら正解に近づくのかもしれない。

結果はわからなくとも、邁進するしかないのだ。

 和希が頑張ろうと言うのだから、頑張ろうではないか。

 それから二人は、他愛のない話に花を咲かせた。

 この二年間どう過ごしてきたか、何を思って生きてきたのか、嘘偽りなく正直に。今まで話すことができなかったぶんを取り戻すように。

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