第21話 友人
牛タンが美味しいことを再確認し、二人は六時発の新幹線に乗り込んだ。
体はとても疲れていたが二人とも脳は元気な様子で、帰りの新幹線は今まであまり話してこなかった他愛のない話で盛り上がった。
「疲れましたね……でも明日バイトだ……」
「そういえばなんのバイトをやっているの?」
「本屋のバイトです、駅前の」
「高校生で働けるところ珍しいわね」
「そうなんですよ。募集要項見つけた時は自分ついてるなって思いました」
「なんで本屋のバイトにしたの?」
「本が好きなんです。小説とか漫画とか、読むのも集めるのも好きで」
「そういえばたくさんあったわね」
由依の話も今ならたくさん聞ける気がした。
「卒業後は進学の予定ですか?」
「そうね、都内の私立大学が第一志望よ」
具体的な大学名を聞くと、知らない人はいない超有名大学だったので、彩人は恐れ慄いた。彩人も今から頑張れば合格するかもしれないが、そんなビジョンは見えるはずもない。
「その、付き合ってもらっててアレなんですが、勉強の方は大丈夫なんですか?」
彩人がそう言うと、由依がキッと彩人を睨んだ。
「私が勉強において遅れをとるわけないじゃない」
「そ、そうですよね……愚問でした……」
「わかればいいのよ」
少しだけ懐かしいやり取りをし、彩人が反撃をくらう。
「あなたはどうするつもりなの?」
「一応進学を考えていますが……」
「成績の方はどうなの?」
「一般的に見れば良い方だと思っています」
部活に入っていないため、勉強する時間はたくさんあった。予習まではしないが、復習だけはしっかりとやり、テスト前も毎日勉強していた。そのおかげか成績は入学時からそこそこをキープしている。
「そ。まあ勉強くらいは見てあげるわ」
「すげえありがたいです」
「志望校は私と同じところで設定しておくわね」
「……それはハードルが高すぎません?」
「志は高い方が結果が付いてくるのよ」
「まあ、言わんとすることは分かりますが……」
「それとも、私と同じ大学が嫌って言いたいの?」
「いえ決してそういうわけではないです」
「なら良いわ」
とても穏やかな時間だった。今までも話す機会はあったが、こうしてお互いのことを聞き合うような会話は少なかったように感じる。
現実と向き合いすぎたから、少し離れたかったのかもしれない。そのための会話だったかもしれない。
それでも、この由依との会話は彩人の心を落ち着かせ、また前を向く準備をさせてくれるようなものであった。
東京駅に着く頃には二〇時半を回っており、当たりはすっかり暗くなっていた。
地下鉄に乗り換え、途中もう一度乗り換えをして練馬駅へと向かう。由依の家は同じ路線だが練馬駅より先にあるので、そこで別れることになる。
由依もさすがに疲れたのか、言葉数は少なくなり、目を瞑る場面も多くなった。その横寝るわけにもいかないので、彩人は眠い目を擦りながらなんとか起きていた。
練馬駅で由依と別れ、自宅へと戻る。
すでにヘトヘトで、いつもなら近いと感じる家への道のりも、今日は少し遠く感じる。
なんとか家に辿り着き、一秒でも早くソファに座りたかったが、ここで座ると二度と動けなくなることを彩人は知っていたのでこのままの流れでお風呂に入ることにした。
湯船にお湯を張っている間、彩人は洗濯機に服を入れながらこの二日間のことを考えていた。
「怒涛の二日間だったな……」
金曜日の夜に由依に連行されそのまま仙台へ行き、由依と同じ部屋に泊まることになり、次の日には和希の家に行って、ドア越しではあったが二年ぶりに和希と話した。
間違いなく今までの人生で一番慌ただしい二日間であった。
だが、自分の意思で和希の家に行くという選択肢を取り、和希と話すことができた。
同時に、自分一人ではなにもできなかったことを実感させられる。何もかも、由依の尽力があったから、彩人は動くことができたのだ。
彩人のことを最終的に説得したのも、和希の家を調べてくれたのも、全て由依だ。本当に頭が上がらないなと、彩人は思う。
そんな由依に自分はなにができるだろうか。何かお返しはできるのだろうか。
きっと、一気に返すことは到底できない。
少しずつ、返していくことしかできない。
だからまず、和希とのことを解決しなければならない。
自分にできることをやるしかないのだ。
翌朝目を覚ますと、時計の針は午前九時を指していた。バイトは昼からなので、時間にはまだ余裕がある。
昨日の夜やり損ねたことをやって、バイトの準備をする。
彩人のバイト先は駅前の本屋だ。お世辞にも広いとは言えないが、このあたりに本屋がここしかないので、売り上げはぼちぼちである。
高校一年生の時からここで働いているので、もう一年働いていることになる。さすがに一年働くと業務にも慣れ、バイト自体にも余裕が出てくる。
お昼を食べ、のんびりとバイトへ向かった。春らしい陽気で、普段外にあまり出ない彩人でも出かけたいと思うような天気だった。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
バイト先に着くと、店長がパソコンに向かって仕事をしていた。
「そうだ、遅番の子一人辞めちゃうんだけど、周りにバイト探してる子いない?」
「あー、ちょっと探しときます」
早番は主婦の方が多く、遅番は学生が多い。彩人も基本は遅番だが、休日は昼から入ることもある。
学生は比較的入れ替わりが多く、彩人がここに勤めてからすでに二人入れ替わっている。連絡先を交換する文化もないので、特別親しくなるわけではないが、微妙な距離感のまま辞めていってしまう。
バイトは特に問題なく退勤時間を迎え、近くのスーパーで買い物をしてから家に帰った。
夕飯を食べ、お風呂に入り、翌日の準備をして、寝る。直近二日間が忙しすぎた反動か、非常にゆったりとした一日を送った。
翌日、憂鬱な気分を抱えながらもなんとか家を出た彩人は、石神井公園駅のバスの待機列にいた。スマホを見て待っていると、横かた友達カップルに話しかけられた。
「よ、彩人」
「おはよう倉木!」
「ああ、二人ともおはよ」
この二人にも知ってもらおうと思い、彩人は金曜日と土曜日に起こった出来事を、都合の悪い部分を省いて二人に伝えた。
「羽沢先輩すごい行動力だな……」
秀馬が感服している一方、
「さすが私の由依先輩ね」
と、凛が訳のわからないことを言っている。いつから凛のものになったんだか。
「まあでも、よかったな。少しだけでも話せて」
「ああ。また来週行くつもり」
「そっか。敢えて言うけど、頑張れよ」
「……そうだな、頑張るよ」
頑張れ、という言葉は無責任な言葉であると彩人は思っている。人に気張ることを要求する横暴な言葉だとも思っている。
この言葉に追い詰められる人もいる。実際に彩人はこの言葉を和希に言ったのだ。軽い気持ちで無責任に。その結果、和希は嫌がらせの対象になり、学校に行くことができなくなってしまった。
彩人の言葉が直接のきっかけになったわけではない。だが、確実に影響している。
そのことを踏まえた上で、知った上で、秀馬は彩人に頑張れと言ったのだ。
だから彩人も、受け止めた。
「ま、いくらでも相談乗るから当たって砕けてこい!」
「砕けちゃダメだろうよ」
悪気があるのかないのかわからないが、きっと凛なりの応援なのだろう。この二人の存在にも彩人はかなり救われている。
この二人にもいつか恩返しができたら良いなと、彩人は本心からそう思っていた。
その日はつつがなく一日が終わり、迎えた翌日、彩人はいつもより早く学校に着いてしまっていた。
「早く着いてもすることがないんだよな……」
この時間だとクラスメイトもいないだろう。いたところで彩人と会話する者はほとんどいないのだが。
そう思って教室のドアを開けると、知っている後ろ姿が見えた。
「ん?おおー!彩人くんおはよう!」
薫はいつも通りのテンションで挨拶をし、彩人は露骨に嫌な顔をする。朝からこのテンションはなかなかきついものがある。
「……随分早いんだな」
「そういう彩人くんは先週よりも晴れた顔をしているね?」
「……お前、やっぱりストーカーか?」
毎度毎度ここまで的確に当てられると、さすがの彩人も気持ち悪いと感じる。エスパーか何かなのだろうか。
「君のストーカーなんてそんな趣味の悪いことしないよ〜」
「そういうことをさらっと言えるあたり、性格悪いよな」
「彩人くんほどじゃないかな」
「……」
「他の友達といるときは素になれないからね、大目に見てよ」
「その相手が僕である必要はない」
「彩人くんだから、ここまで言えるんだよ」
「僕になら何言ってもいいって思ってるだろ」
「何言っても君なら私のこと嫌わないって思ってる」
「はあ……」
これ以上何を言っても無駄だと彩人は判断し、トイレに向かうことにした。用を足し、少し時間を潰してから教室に戻る。
教室に戻ると、薫は登校してきた友達と楽しそうに会話をしていた。先ほどとは違う、仮面を被った周りの様子を伺うような様子で。
その日から金曜日まで、何事もなく時は進んだ。学校行き、バイトに行き、寝る。いつも通りの生活を送った。
金曜日の放課後は、相談部の部室を訪れ、由依に明日は一人で行くという話をした。
「そう」
由依からの返事は、その淡白な一言だけであった。冷たいと思われてもおかしくないその一言だったが、彩人はその言葉に由依からの信頼を感じていた。
いよいよ明日、和希の家へと再度向かう。今度は由依の付き添いなしだ。単身で乗り込まなければならない。
挫けそうになっても支えてくれる人はいない。背中を押してくれる人もいない。どんなことが起きても一人で対応しなければならない。
自分が今までどれだけ由依に支えられていたか、彩人は今になって実感していた。
「一人にならなきゃわからないなんて、よっぽどあの人と一緒にいることが当たり前になってきてたんだな」
帰り道、桜散る木の下で、彩人はそう呟いた。
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