第17話 正解

 その日の放課後、彩人と凛と秀馬は学校を出てバスに乗り、駅に戻ってチェーン店のカフェに入った。学校でもよかったのだが、なんだか落ち着かないのでここまで来てもらうことにしたのだ。

 彩人と秀馬はアイスティー、凛はアイスカフェラテを頼み、席に着く。

 少し雑談を終えたところで、


「それで、本題は?」


 と、秀馬が切り出した。向こうから切り出してくれると彩人としても話しやすいものだ。


「僕が部活に入らない理由を話そうと思ってな」


 そう彩人が言うと、二人は心底驚いたような顔をする。


「それまた急だね?」


 と、秀馬。


「どういう心境の変化?」


 と、凛。

 話そうと思ったきっかけについては誤魔化しつつ、これ以上長引かせても仕方ないので、彩人は本題に入ることにした。


「これは中学三年生の時の話で……」


 彩人は由依に話したことをそのまま二人に伝えた。


「とまあ、これが部活に入りたくない理由の全貌だ」


 彩人の話を聞いた二人は、なんて言っていいかわからないような顔をしていた。

 その反応を彩人はなんらおかしいとは思っていなかった。突然話をしたいと言われ、一年以上話してこなかったことを一気に話したのだ。逆の立場だったとしても、きっと彩人も同じ反応をするだろう。


「色々、あったんだな」


 ようやく秀馬が口にした言葉はそれだった。哀れむ言葉でもなく、同情する言葉でもなく、言葉自体は短いが、彩人の心に寄り添うような、そんな言葉だった。


「私もそんな経験したら部活入ろうとは絶対ならないな……」


 凛も、秀馬と同じように彩人を憐れむような真似をせず、彩人が欲しい言葉をくれた。

 この二人に話してよかったと心の底から思い、そして今一番聞きたいことを聞くことにした。


「もし二人が俺の立場だったら、和希に会いたいか?」


 今日二人を呼んだ一番の理由はこれだ。彩人一人では到底結論を出すことはできないと思い、二人を頼ることにしたのだ。

 二人はしばらく考え、先に口を開いたのは凛であった。


「私は、会いたいと思うかな。会いづらいところはあると思うし、向こうもどう思ってるかわからないけど、会えるなら会った方がいいんじゃないかと思う。会うなら、早めの方がいいと思う」


 彩人の気持ちの半分は、凛の意見と同じである。

和希には会いたいし、謝罪だってしたい。会うのは早めの方がいいというのも、これ以上行きづらくならないために必要なことだ。

 対して秀馬は、


「うーん、俺は少し怖いかな。二年も経って、最後はあんな別れ方をして、正直どんな顔して会ったらいいかわからないというか……拒絶されたら、とか思うと尚更ね」


 と、彩人の気持ちの残り半分を代弁するような意見を言った。

 会いたいという気持ち以前に、彩人は怖いのだ。何もできなかった自分に対して和希がどう思っているのか。どういう感情を向けているのか。会いに行って拒絶されたらそれこそ立ち直れる気がしない。ただただ、怖いのだ。


「そうか……ありがとう」


 そうお礼を言うと、


「彩人はどうなんだ?」


 と、秀馬にそう聞かれた。


「……まだ、わからないんだ。自分がどうするのが正解なのか、わからない」


 二人の意見を聞いてもなお、自分の進むべき道が見当たらない。どうすることが彩人自身にとって最善なのか。未だ彩人は答えを出せずにいた。


「……そっか」


 秀馬はそう相槌を打ち、アイスティーを口に運ぶ。

 すると、その様子を見ていた凛が口を開いた。


「正解不正解じゃなくてさ、倉木がどうしたいかじゃないの?」

「僕が、どうしたいか……?」

「そう。何が正解で何が不正解なのか、そんなの誰にもわからないんだから。倉木がしたいことをしたいようにすればいいと思うよ」


 自分がしたいこと、今までそれを判断材料にしたことはなかった。

 彩人はいつも、その場にとって何が最善かで動いてきた。中学の時の部活でもクラス内での活動もそうだ。自分のしたいことを通すこともせず、その場でのその場での正解だと思ってきた行動や言動を常に選んできた。

 両親と離れて暮らすようになった時もそうだ。彩人はそれをすんなりと受け入れた。それが家族にとって最善だと思っていたからだ。寂しい、一緒に暮らしたいという思いは確かにあった。けれどそれを言葉にすることも態度にすることもなく、両親を送り出した。

 いつしかそれが当たり前になり、彩人の生きる指針のようなものになった。

 だから自分のしたいことすることは、彩人にはどうしても抵抗があったのだ。


「仮に僕がしたいようにして、最悪の結果になったらどうする」


 当然、自分のしたいことが最善になるとは限らない。最悪になる可能性だって、もちろんあるのだ。


「そんなの、知らないよ」

「……は?」


 想像していなかった凛の答えに、彩人は間抜けな声を出してしまう。


「そもそも正解か不正解かわからないんだから、自分がしたいことをしてそれが不正解だったとしても仕方のないことじゃん」

「言ってること無茶苦茶で無責任だぞ……」

「確かに無茶苦茶で無責任だけど、俺は凛の方を持つぞ」

「秀馬まで……」

「お前は考えすぎなんだよ、彩人」

「考えすぎ……?」


 彩人は自分が考えすぎなんて思ったことは一度もない。いつだって最善を選び続けてきたのだ。それを考えすぎと言われるのは、彩人としてもあまり気持ちの良いことではない。


「そう。もっと自分の欲に忠実になっていいんだ」

「自分の欲……」

「俺らに言えることはこのぐらい。あとは一人で考えてみてくれ」


 そう言って二人は荷物もまとめて帰っていった。

 カフェに一人取り残された彩人は、凛と秀馬に言われた言葉について考えていた。

 『自分のしたいこと』を優先するのであれば、会いに行くのがその場合の正解なんだろう。会って話したい、謝りたい、そういう欲が、彩人の中にはある。

 しかし、会って和希を傷つける結果になったら、会う前に拒絶されるようなことになったら、そう思うと、『自分のしたいこと』を優先して動こうとは思えない。


「考えすぎ、か」


 秀馬のその言葉に一度は思うところもあったが、こうして落ち着いて考えるとその言葉は的を射ているなと、そう思わざるを得ない。

 

 翌日の放課後、彩人は一つの教室の前に立っていた。

 一人で考えていても埒があかないと考え、ある人を訪ねることにした。

 コンコン、とドアをノックする。


「どうぞ」


 中からそう聞こえてきて、彩人は教室の中に足を踏み入れた。


「失礼します」

「なんだ、倉木くんか」


 そう言ってきた由依は、椅子に座って小説を読んでいた。


「すみません、邪魔しましたか?」

「確かにいいところだったけれど、まあいいわ」


 正直に言うところが実に由依らしい。


「それで?要件は?」

「はい、実は相談があって」

「相談?」


 由依が少し首を傾げながらそう聞いてくる。

 その可愛さに面食らいつつも彩人は昨日あった出来事を由依に話していく。

 秀馬と凛に話したこと。

 自分がどうするのが最善なのかわからないこと。

 自分がしたいようにすればいいと言われたこと。

 そして、考えすぎと言われたこと。


「なるほど……」

「それで先輩はどう思いますか?」


 彩人は単刀直入に由依に聞く。


「そうね……」


 由依は少し考え、


「考えることは悪いことではないわ。でも、考えすぎは逆効果だと私は思う」


 そう言って、こう続けた。


「秀馬くんの言うとおり確かにあなたには考えすぎなところがあるわ。考えすぎで、大事なことを見失ってる」

「大事なこと……?」

「そう、倉木くん以外の、他者の感情よ」

「……!」

「あなたは自分にとっての正解不正解を、自分の物差しでしか測れていないの。だからあなたにとってそれが正解だとしても、第三者からしたらそれは正解じゃないかもしれない。あなた以外の人は気持ちを踏み躙られたって考えるかもしれない」

「でも……!」

「そうね、他者の気持ちなんてわからないわ」


 彩人に何も言わせず、由依は続ける。


「自分のしたいことをしても、考えすぎで行動をしても、他者の気持ちがわからないんだったら、後悔の残らない方を選ぶべきなんじゃない?」

「後悔の残らない方……」

「自分の欲に素直になった方が後悔は残らないと、私は思うけどね。しない後悔よりする後悔よ」


 由依は自分の意見を押し付けるわけでもなく、ただ淡々と彩人に思っていることを伝えている。

 後悔の残らない選択、それは今まで考えたこともない新たな選択肢だった。

 今まで彩人は自分が思う最善を選んできた。当然、そこに後悔はない。なぜならそれが一番最適だと思って行ったことだからだ。

 しかし今回は、会っても会わなくても、どちらにも後悔が残る可能性がある。今までのように単純な話ではないのだ。少し考え方を変える必要があるかもしれないと、彩人は思い始めていた。


「あと、きつい言い方になるけれど」


 黙っていた彩人に由依が切り出した。


「あなたは、和希くんから逃げているだけよ。現実から目を背けているだけ」

「……!」


 彩人は反抗しようにも、反抗できずにいた。

 薄々、わかってはいたのだ。

 最善が何かわからない、自分のしたいことが明確にわからない、それを言い訳にして、自分が和希と向き合うのが怖いだけなのだと。

 周りにとって何が最善か考えることは、結局自分が傷つきたくない方法を選ぶということに過ぎなかったのだ。

 改めて由依の口からそう言われ、彩人は痛いところを突かれた気分になっていた。


「そう、かもしれません」


 そんな彩人を見て、由依は優しく微笑んだ。


「あとは、あなたが決めるだけよ」

「……はい」


 そう言って彩人は相談部の部室を後にした。

 バスに乗っている間も、電車に乗っている間も、本屋でバイトしてる間も、ずっとそのことだけを考え続けていた。

 次の日も、その次の日も、ひたすらに考え続けた。

 自分がどうしたいのか。どう動くべきなのか。何に基づいて判断を下すのか。

 簡単に決められることではなかった。だから彩人は、初めて由依に頼ったように秀馬と凛に意見を求めた。由依には自分の迷いから事実を突きつけられた。


「ほんと、何もかも先輩に助けられっぱなしだな」

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