第15話 お泊まり

「これが、僕が部活に入らない理由です」


 長い話を終え、彩人はコップのお茶を口に含み喉を潤す。

 一年以上経った今でも、自分に無性に腹が立ち、許せる気にはならない。


「そんなことかよって思うかもしれませんが、僕にはそのくらい応えたんです」


 彩人が自嘲気味に言うと、


「そんなことなんて、思うわけがない」


 と、由依が強く、少し怒ったような口調でそう言った。由依だからこそ、わかる気持ちがあるのかもしれない。


「……仲がよかったのね」

「……はい」


 由依のその短い言葉の中に、とてつもなく重く、計り知れない思いがあるのが彩人に伝わってきた。

 ただ、今の彩人にはどうすることもできない。由依を救うことなどできないのだ。


「彼は今、どうしてるの?」

「引っ越した先でも、学校には行けてないみたいです」


 親同士も仲が良かったので、今でも交流はあるらしい。彩人はその話を母親から電話で聞かされていた。


「そう……」


 由依が続ける。


「あなたは、彼に会いたい?」

「……正直、よくわからないです。もちろん、会いたいって思う気持ちもあります。でも、怖いんです」


 あんな別れ方をして、それ以来一度も会ってないのだ。当然、そういう気持ちは抱いてしまう。


「あなたの考えもわかるけれど、会えるのなら、会うことを勧めるわ」


 由依の一つ一つの言葉が重く、彩人にのしかかる。

 もう、大切な人に会えない人からの言葉は、他の人との重みが違う。

 そんな人から助言をもらったのだ。彩人の選択肢はもう一つに絞られている。

 けれど、その一歩を踏み出すことができない。自分には和希に会う資格なんてない、そう思ってしまうのだ。


「……もう少し、考えさせてください」

「……そう。わかったわ」


 どれだけ話していただろうか。外は真っ暗になり、人々に生活音も聞こえなくなっている。

 時計を見ると、すでに二十二時を回っていた。

 由依も時計を確認し、


「もうこんな時間か」 


 と、呟く。

 すると、


「もう遅いし、今日は泊まっていくわね」

「……は?」


 何を言っているんだこの人は。彩人は自分の耳を疑った。


「だから、泊まっていくって言ってるのよ」


 どうやら聞き間違いではないらしい。


「……いやいや、さすがにダメですって」

「あら、倉木くんはこんな遅い時間に美少女を一人で家に返すって言うのかしら?」


 そう来られると彩人としては何も言えない。彩人がそんなことをできないと知っていて、由依はそう言っているのだからタチが悪い。


「……仮に泊まるとして、着替えとか他に必要なものはどうするんですか?」


 まだ営業しているスーパーに買いに行くという選択肢があることを理解していたが、あえて口に出さない。


「それなら心配いらないわ」


 そう言って由依はリビングの隣の部屋に入る。普段彩人が使わない部屋だ。

 ゴソゴソと音がして、戻ってきた由依は手に大きめの紙袋を持っていた。


「こんなこともあろうかと、お泊まりセットを用意しておいたの」

「なんでこの状況を想定してるんですか……」


 ありえない想定の準備までしている由依に、彩人は尊敬ではなく呆れを抱いていた。


「ま、細かいことはいいじゃない。お風呂借りるわね」


 抵抗は諦め、素直に受け入れた方が賢いと判断した。受け入れた上で、最大限の抵抗をするしかない。


「嫌です」

「え?」


 そんなことを言われると思っていなかったのか、由依は素直に驚いていた。


「一緒に入ってくれたら、貸します」


 由依に喋る隙を与えす、真顔で捲し立てる。


「ちなみに近くに銭湯はありません。大人しく一緒にお風呂に入るか、一日外へ出かけた体をそのままにして明日を迎えるかのどっちかです」


「あ、あなたね……」

「さあ、どっちにしますか。二者択一です」


 由依が顔を真っ赤にして「どっちって言われても……」とか言っている。完全にパニクっていて、焦っている姿も可愛い。

彩人は一日ぐらいお風呂に入らなくてもなんとかなるが、女性の由依はそうはいかないだろうし、性格的にも入らないと気が済まないはずだ。

由依は必死に考え、「じゃ、じゃあ」と口にしたところで、


「冗談です。覗くとかもしないんで、入ってきてください」


 と、淡々と述べる。


「……もう馬鹿!知らない!」


 バタン、とリビングのドアを音を立てながら閉め、耳の付け根まで顔を赤く染めた由依はお風呂へと向かった。


「さて、僕は皿でも洗うかな」


 ささやかな抵抗を見せた彩人は、由依がお風呂に入っているという事実を頭の中から追い出すためか、できるだけ音を立ててお皿を洗い始めた。



「お風呂ありがとう」


 まだ怒っているのか、由依は少しムッとした声色でそう言った。

 お風呂上がりの由依は顔が火照り、濡れた髪はどこか艶かしい。

 そんな由依を見逃すまいと、彩人は目をカッと開いて由依を見る。


「……何よ」

「いや、目に焼きつけておこうと思って」

「……」


 由依が若干引いてるような気もしたが、着替えとタオルを手に取り彩人もお風呂へと向かう。


「あ、お湯は張ってないから」

「えーなんで張ってないんですか」


 せっかく由依が入った後のお湯に浸かれると思ったのに。


「その反応を見る限りやっぱり張らないで正解だったみたいね……」


 彩人の目論見がバレていたのか、由依は先に手を打っていたらしい。


「いいからさっさと入ってきなさい」

「はーい」


 一通り洗い終えて、あらかじめ張っておいた湯船に浸かる。


「ふぅ……」


 暖かいお湯が全身に染み渡り、疲れた体をほぐしていく。


「なかなか、すごい一日だったな」


 朝一番で薫に会って由依に怒られて、そこから丸一日デート。鎌倉江ノ島を存分に楽しみ、夕飯まで作ってもらった。

 そして、誰にも話してこなかったことも、由依に話した。同時に、由依からも大事なことを聞いた。


「あ、そういえば……」


 しみじみと、噛み締めるように今日一日の出来事を一つ一つ頭に思い浮かべていると、一つ気になっていたことを思い出した。

 それは、今日の由依が時折見せていた物憂げな表情だ。明らかにあの場にはそぐわない表情は、彩人の頭からなかなか離れない。


「聞いてみるか……」


 お風呂から上がると、由依は髪の毛を乾かし終わってリビングのソファに座っていた。


「意外と遅かったわね」

「ええ、先輩の残り香を楽しんでました」

「キモい」


 由依に一刀両断されたが、このくらいで彩人はへこたれない。むしろご褒美である。


「それはそうと先輩、今日行ったところは誰かとの思い出の場所だったりしますか?」


 彩人はできるだけ雑談のトーンを保つ。今の彩人には、こういう聴き方しかできない。


「その聴き方をしてくるってことは、予想はついてるのね」


 あの話を聞いた後、もしかしらそうかもしれない、と彩人は思っていた。由依が歩み寄ってくれているのだ。彩人も、少しずつ由依のことを知っていかねばならない。


「そうよ、鎌倉と江ノ島はあの子との思い出の場所。それこそ、半年に一回のペースで行っていたわ」

「やっぱり、そうなんですね」

「あとね、あの子は桜も好きだったの。私もあの子の影響で好きになって。桜が満開の時期は毎年近所でお花見をしていたわ」


 由依が楽しそうな表情でそう言い、二人で桜を見に行った時の表情はこれが関係していたのだと、彩人はそこで初めて気付く。

 しかし、先程の表情とは一転、由依は自分を嘲笑うかのような笑顔を浮かべこう言った。


「私の思い出の中にあの子は生きてるんだって、そう思いたいのね、きっと」

「先輩の中で生きてますよ、絶対」


 彩人がこんなことを言うとは思っていなかったのか、由依は驚いたように一瞬目を開くが、


「そうね」


 と言って微笑んだ。


「さて、明日も学校だし、そろそろ寝ましょう」

「そうですね。シーツ類洗濯してあるとはいえさすがに僕のベッドでは寝たくないと思うので、先輩は客用の布団でリビングで寝てください。僕は自分の部屋で寝ます」

「……一緒に寝るとか言い出すのかと思ってた」


 本当に驚いたような声色で由依がそう言った。


「先輩は僕をなんだと思ってるんですか……」

「そうね、変態、かしら」

「まあ否定はしませんけど」

「少しは否定しなさい」

「いて」


 そう言った由依からデコピンが飛んできた。


「さっさと寝るわよ。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

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