第13話 過去①

 中学三年生の梅雨、倉木彩人は一番の友達である早宮和希と、部活からの帰り道を一緒に歩いていた。


「もう六月だねー」


 和希がのんびりとした様子で言う。


 あまり目立つ方ではないが、心優しく、その性格が言動にも表れている。


「だな。最後の大会まで二ヶ月弱ってところか」


 弓道部がある中学校は都内でも珍しい。私立の中高一貫校は弓道部が多いが、彩人の通う中学校は公立でありながら弓道部があり、区内で唯一だ。

 物珍しい部活だからか、人数がとても多く、その分選手層も厚いが、彩人はその中で部長になるほどの実力を持っており、和希もまた、役職は与えられていないが彩人に匹敵するほどの実力の持ち主であった。

 弓道は三人一組か五人一組でチームを組んで大会に出ることが多い。各校枠制限はあるものの、その枠に収まるなら何チームも出ても構わないというルールだ。

 しかし当然実力がある人間から順にチームを組むので、上に進める人間は限られてくるわけである。

 そんな中で彩人と和希は、一番実力があるチームであるAチームの座を、先輩が引退してからは一度も譲っていない。二人とも安定して的中を出せるため、全国大会も夢ではないと言われているほどだ。


「……絶対、全国行きたいね」


 和希がゆっくりと、そしてはっきりとその言葉を口にした。


「……そうだな。絶対行こう」


 彩人も強い意志を持ってそう言った。

 和希となら絶対に行けると、そう確信していたのだ。



 和希と彩人の出会いは小学生の頃だった。幼稚園は別々だったが、家はとても近く、親同士が先に仲良くなった。

 同じ小学校に通うということで、半ば強制的に一緒に学校に行くことになった。

 和希はあまり話す方ではなかったし、彩人も積極的に話しかける方ではなかった。それでも登下校は必ず隣に和希がいた。

 クラスも一緒になり、特に決めたわけではないが、ペアを組むときは和希と彩人で組んでいたし、グループも和希と彩人は常に一緒のグループだった。

 そんなある日の帰り道、彩人は和希にこんな質問をぶつけた。


「なあ、ずっと僕と一緒にいて楽しいのか?」


 純粋な疑問だった。二人でいて決して盛り上がるわけではない。つまらないわけではないが、周りのクラスメイトたちほど話したり遊んだりはしない。

 少し間が空き、和希がゆっくりと話し始めた。


「僕は話すのが遅いから、他の人と話してるとみんな僕の話を遮って次の話へいっちゃうんだ。しょうがないけどね」


 和希は悲しそうに笑った。

 小学生の会話はただでさえ忙しい。あっちへいったりこっちへいったり、和希の性格ではついていくのに必死だっただろう。


「でも倉木くんは、僕の話をちゃんと最後まで聞いてくれるんだ。僕がどれだけゆっくり話していても、終わるまで聞いてくれる。僕にはそれがとっても嬉しいんだ。だから僕は楽しいよ」


 彩人は、和希と一緒にいる時間は決して苦痛ではなかった。きっと彩人の中の時間の流れと、和希の中の時間の流れが一緒だったのだろう。

 和希がどれだけ話すのに時間をかけていても、彩人はそれをいくらでも待つことができた。そしてその和希と過ごす時間をいつの間にか心地よいと感じるようになっていたのだ。


「そっか。じゃあこれからもよろしくな、

「……うん!よろしくくん!」


 そのやりとりがあった後、二人はより仲良くなった。以前より会話も増え、年月を重ねるごとにその絆も強くなっていったのだ。

 その絆故か、小学校は六年間全て同じクラスだった。登下校も毎日一緒で、卒業する頃にはまさに唯一無二の親友と呼んでいいほど、お互いのことをよくわかっていた。

 二人はそのまま学区域内の公立中学校に進んだ。無事クラスも一緒になり、新しい生活が始まった。

 そのときすでに両親とは暮らしていなかったが、部活にだけは入れと前々から言われていた。

 特段やりたいものなどなかった彩人は和希に入りたい部活はないかと聞いてみた。


「うーん。あ、これなんてどうかな?」


 そう言って和希は手に持っていた部活動紹介のあるページを指差した。


「弓道部か」

「うん!珍しいし、どうせやるならここかなって思ってたんだけど……」


 他にやりたいものがあるわけでもないし、和希がやりたいというなら反対する理由もない。


「じゃあ、弓道部に入るか」


 そうして二人は弓道部に入った。新入部員はかなり多く、狭い弓道場があっという間に埋まってしまった。

 弓や矢、その他の弓具は非常に高価かつ繊細で、扱い方を間違えればすぐに壊れてしまう。そのため入部したての初心者はまず引く型を覚えるのだ。

 最初はゴム紐で反発がほぼない状態で型を覚えることに集中する。型を覚えたらゴム弓という太いゴムを利用した簡易的な道具で、ある程度反発のある状態で弓を引く力を徐々につけていく。そして矢を番ず弓を引く素引きという練習を一通り終えると、ようやく矢を番えた練習ができるのだ。

 かといってすぐ的に向かって弓を引けるのではなく、最初は巻藁と言って藁に向かって専用の矢を使って弓を引くという練習がある。

 これで顧問や上級生が合格を出したら的に向かって弓を引けるようになるのだ。

 二人の所属する弓道部は、夏休み序盤にある合宿で一年生が的前に立つのが例年のペースだったが、二人の上達スピードは早く、一年生で二人だけが夏休みを前にして的前に立つことを許された。

 それからも二人はメキメキと力をつけていき、大会でも結果を出すようになっていった。

 二年生になってもクラスは一緒で、三年生が部活を引退すると彩人は部長に選ばれた。和希は副部長どうだと顧問に勧められていたが、断っていた。


「なんで断ったんだ?」

「僕引っ張っていくのとか得意じゃないし、彩人くんのこと陰で支えるよ」

「……そうか、ありがとう」


 秋の新人戦や冬の大会でも着実に結果を残し、上位大会に進むほどの実力に二人はなっていた。周りも二人に引っ張られるように実力を伸ばしていった。

 このままの勢いで三年生もいくぞという流れの中、二人は初めてクラスがバラバラになった。

 彩人は和希との会話を心の底から楽しんでいる。会話のラリー自体はゆっくりだが、話し方は落ち着いていて考えもしっかりしている。

 しかし全員が全員、彩人と同じように思うとは限らない。

 周りとは少し違うものを持っている人間は、そこを責められ、叩かれ、省かれる。まだ心が出来上がっていない中学生なら尚更だ。そこを受け止め切れる技量は、中学生にはまだない。

 今まではクラスが一緒だったから和希のことをフォローできていた。しかしクラスが離れれば今まで通りにはいかなくなる。彩人はそのことを不安に思っていた。


「大丈夫か?」

「うーん、まあ不安は不安だけど、部活行けば彩人くんいるし」

「そうか、それならいいんだ」


 とは言ったものの、彩人はやはり不安だった。

 クラスが変わって一ヶ月、ある日の部活帰りに彩人は和希に思い切って聞いてみることにした。


「和希」

「なに?」

「その、クラス、馴染めてるか?」


 この問いかけ方が合っていたのかどうか判断つかなかったが、今はこう聞くことしかできなかった。


「うーん……そうだね……」


 和希はいつものように少し考え、


「彩人くんがいないの心細いけど、なんとかやってるよ」


 と、嘘偽りない笑顔で彩人に言った。


「……そうか。それなら、よかった」


 不安は拭えずにいたが、和希を信じることにして彩人は他の話題を振ることにした。


「そういえば今日の練習、いつもと足袋変わってたけどどうしたんだ?」

「……なんで気づくのそんなところ」


 和希は引き気味で彩人に聞いた。


「和希のことはなんでも知ってるからな」

「ちょっと気持ち悪い……」


 と言って少し和希は彩人から離れた。

 二人は顔を合わせて「あはは」と笑い合うと、元の距離感に戻った。こういうくだらないやり取りを二人は好み、よくやっていたのだ。


「それで足袋はどうしたんだ?」


 彩人は改めて和希に問うた。


「……この前の練習で破れちゃって、新しいのを買ったんだ」

「そうなのか。足袋、意外とすぐボロボロになるよな」

「そうそう!困っちゃうよね」


 和希は優しく笑いながらそう言った。嘘をついているようにも思えないし、ここで嘘をつく意味もないため、彩人は和希の言った言葉を正直に受け取った。

 和希は嘘をつくのが苦手だった。小学生の頃から、彩人が和希の嘘を見破れなかったことはない。

 和希も和希で、彩人に嘘をつくのは無駄だと悟ったのか、中学校に上がってからは彩人に隠し事をするのをやめていた。気になる女の子、テストの点数、失敗談、それらを隠すようなことはせず、彩人に話していた。

 彩人は和希の話の揚げ足を取ったり、馬鹿にしたり、そういうことを決してしなかったので、和希にとってもきっと話しやすかったのだろう。

 だからこの会話に嘘はないと彩人は確信していたし、和希のことを信じて疑わなかったのだ。

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