第12話 デート⑤
下に降りると、そこはまさに崖だった。
海がすぐそこに見え、波が崖に打ち付けられている。一歩踏み外せば大事故になるなと、彩人は気を引き締める。
しかし安全なところも多く、釣り人や観光客で賑わっている。確かに海がすぐそこにあり波を間近で感じられることは観光スポットとしてポイントが高い。
「こんなところがあるの知りませんでした」
「楽しそうな場所でしょう?」
「あれ、僕のこと突き落とそうとしてます?」
「私のことそんなふうに見てるんだ」
「過去の言動と行動からあってもおかしくはないと思うんですけど」
彩人がそう言うと、鋭い目つきで由依がこちらを睨んできた。
「ふーん、そういうこと言うんだ。じゃあ今日の夕飯は抜きね」
「ちょっと待ってくださいそれとこれとは話が違います」
「なにも違わない」
由依はそう言ってそっぽ向いてしまった。
「というか、また作ってくれる予定だったんですか?」
一日出かけた後にご飯を作るなんて芸当は彩人にはできない。そういう日は大体コンビニの弁当で済ませてしまう。
「折角腕によりをかけて料理しようと思ってたんだけどなー」
完全に拗ねている。しかし拗ねているところも可愛いなどと思ってしまう。
「すみませんって。許してください」
「じゃあ早く私の機嫌を取りなさい」
「どうやって取れば……?」
「それを考えるのよ」
「えー……」
恋人ではないのでスキンシップは論外だろう。もししようものなら、確実に岩場から突き落とされること間違いなしだ。
物で宥めるという手もあるが、今すぐに機嫌を取ることには向いていない。
そうなるとやれることは一つだなと思い、彩人は口を開いた。
「先輩って、綺麗と可愛いどっちも持ち合わせてますよね」
「……!」
由依がなにを言い出すんだと言い出しそうな顔をこちらに向けてくる。
気にかけたら止められそうだったので、一気に畳み掛ける。
「普段は凛としていて『綺麗』って感じがすごいよく出てるんですけど、美味しいもの食べてる時とかテンション上がってる時とか、そういう時の表情はすっごく『可愛い』が出てるんですよ」
「ちょ、ちょっと……!」
ここぞとばかりに畳み掛ける彩人を目の当たりにし、由依は珍しくテンパっていたが、彩人はそれを無視して続ける。
「性格も、僕に対して普段は厳しいですけど、時々優しさが垣間見えてるんですよ。階段登ってる時が顕著に出てたと思うんですけど、さっさと先に行ってるように見えて僕との距離が離れすぎないようにちゃんと見てくれてましたよね?」
さらに続ける。
「そういう細やかな配慮が自然とできるところほんと素敵だなって思います」
すると、
「も、もういい!」
と、由依が顔を真っ赤にして止めてくる。
「許してあげるからもう言わないで……」
「あと五分くらいは話せますけど」
「ただの地獄よそれは……」
由依はそう言って腕を組み、依然頬を赤く染めたまま、
「本当に生意気な後輩ね」
と、呆れたような、それでいて少し楽しそうな声色で言ってきた。
「こういう後輩もいていいと思います」
「自分で言うな」
お約束のデコピンを食らって、由依はいつもの調子に戻った。
機嫌の戻った由依と共に、岩場をもう少し回ってから展望台に向かうことにした。
道中、金網に南京錠をかけ、カップルで鐘を鳴らすと二人は別れないと言われている丘と鐘への案内を見つけたが、今回も全て言い終わる前に却下されてしまった。
来た道をそのまま戻り、展望台の場所まで来た。
お金を払って展望台がある敷地に入り、展望台に向かいエレベーターを使って上まで登る。もしかして階段?とか思っていたが、どうやら上りは階段を使えないらしい。
「上れたら階段使っていたのに」
と、安心していた彩人の横で由依が恐ろしいことを言っていた。もし上っていたら確実に足が千切れたいただろうなと思い、彩人はルールに感謝していた。
エレベーターのドアが開き、展望台に着くと、圧巻の景色がそこに広がっていた。
「すごいな……」
思わず声が漏れる。
まず目に入ったのは、コバルトブルーに染まった相模湾だ。この展望台が高さ六〇メートルでさらに高台にあるため海面からは高さ一二〇メートルにもなり、遮るものがなにもない。
展望台は三六〇度見渡すことができ、右を向けば湘南海岸でサーフィンをする人々が見え、左を向けばヨットハーバーとその先にある鎌倉の景色が見え、後ろを向けば砂浜と江の島を繋ぐ弁天橋が見える。
遠くには富士山や世界一の電波塔も見え、まさに三六〇度のパノラマであった。
極め付けは空を真っ赤に燃やしている夕日である。
時刻は夕暮れ。段々と落ちていく太陽は、空を真紅に染め上げ、しばらく見入ってしまうほどの凄まじい夕焼けを作り出していた。
「どう?」
由依は夕焼けに目を向けたまま彩人に問いかけた。
彩人も夕焼けに目を奪われつつ、
「死ぬほど綺麗です」
と、答えた。
「まあ、さっきよりはマシな感想ね」
そう言って由依は微笑んだ。
そうしてしばらく二人で夕焼けを眺め、日が落ち切る前に展望台を降りた。落ち切るまで見たいところだったが、時間がそれを許してくれなかった。
残念と思ったが、由依が夕飯を作ってくれることを考えたら、マイナスを帳消しどころかプラスに変えてしまう。それくらい、由依が自分のために料理を振る舞ってくれるのが嬉しいし、単純にめちゃめちゃ美味しいのである。
帰り道はその日の感想で盛り上がった。ここではどうだったあそこではどうだった、そんな話に花を咲かせていたら最寄りまではあっという間だった。
最寄駅に着くと、時刻は七時を回っていた。
「今から作るの、大変じゃないですか?」
「うーん、そうね。あまり手の込んだものは作れないわね」
家の冷蔵庫になにもないことを伝えると、一緒にスーパーに買い物に行くことになった。
「なんだか同棲してるみたいですね」
一日二人で過ごし、そのままスーパーに一緒に行き食材を買い、家で食卓を囲むというのはまさに同棲のそれではないだろうか。
しかし由依は全く意識していなかったのか、
「ど……!」
と、完全に動揺している。
「でも先輩は大人の女性だからたかが学校の後輩に揶揄われても意識なんてしないよね?」
「あ、当たり前じゃない。さっさと買い物行くわよ」
思いっきり意識している由依を彩人は楽しみつつ、「はーい」と返事をした。
パッと作ることができるということから、夕飯はパスタになった。しかしソースは買っていなかったので自分で作るらしい。パッと作ることができるからパスタを選んだのに、わざわざ自分でソースを作るのは実に由依らしい。
家に着く頃には七時半を回っていた。
荷物を置き、手を洗い、由依の料理を手伝う。
最初から手伝おうと思っていたが、
「倉木くん手伝って」
と、由依に言われたのでホイホイついて行く。
と言っても由依の手際が良すぎて最低限のことしかできないのだが、ここで座って待つような男になりたくないと彩人は思っていた。
そうして出来上がったのはミートソースのパスタであった。市販のソースとはまた違う、手作りでしか出せない味で、もう市販のミートソース食べたくないなと思わせるほどの美味しさだった。
「もう他のミートソース食べられないです」
「ふふ、大袈裟よ」
そう言いつつも満足そうな顔をしていて、そのあまりの綺麗さに彩人は少し見とれてしまった。
「ん、なに?」
「いや、あまりに綺麗だったのでつい見惚れてしまいました」
「はいはい、あ、ごめんティッシュ取って」
いつも通りに流され、日常の会話に戻っていく。
二人とも食べ終え、「僕が洗います」と皿洗いを引き受け、水が流れる音やスポンジで擦る音、食器同士がぶつかる音が二人の間を流れていく。
皿を洗いながら、彩人は由依のことを考えていた。
出会ってから約一週間。
ほぼ毎日いたと言っても過言ではないだろう。
最初の印象が悪かったのか、彩人にだけ強く当たってくる。その様子はまさに女王様だが、彩人は満更でもない。
それからお昼にはお弁当を作ってくれ、彩人の家まで来て夕飯まで作ってくれる。どの料理も絶品で、毎日由依の手料理が食べたいほどだ。
学校一の美少女と話すと言うことでさえ信じられないのに、その美少女と食卓まで囲むというのだから変な話である。
そして、由依の前で自分の弱さを見せたことを思い出した。きっと、秀馬や凛とご飯を食べていてもああはならなかったなと確信している。
変な自分をそのまま受け入れてくれる由依の前だから、決して茶化したり馬鹿にしたりしない由依の前だから、自分を曝け出すができたのだと、彩人は思っている。
由依に頑張ったと言ってもらえて、どれだけ心が救われたか。ずっと誰かにその言葉を言って欲しかったんだと、今なら強く思える。
そのことがあった後も、由依は普通に接してくれた。深く立ち入ることもなく、ただただ、受け止めてくれた。
それでも、部活に入らない理由を由依に伝えるのだけはできなかった。由依を頼ることができなかったのだ。
しかし、一週間一緒にいて、丸一日過ごして、この人なら頼ることができると、そう思えるようになっていた。
何か決定的なきっかけや出来事があったわけではない。ただ由依の態度や性格、発せられるオーラやその他全ての由依を構成する要素が、信頼足り得る何かを持っていたのだ。
きっと由依なら、彩人の話を聞いて、真正面から受け止め、考えてくれると、そう確信するところまで来ていた。
ただ一点、気になるところだけを除いては。
彩人はお皿を洗い終え、手を拭き、リビングに戻って椅子に座った。
「先輩、ちょっとお話いいですか?」
「どうしたの真面目な顔して」
彩人の珍しく真剣なトーンに由依は少し驚いていた。
「少し真面目な話をするので」
「……わかった」
由依がスマホを置き、彩人の方に向き直る。
「それで?」
「はい。この一週間、先輩にすごい良くしてもらってとても感謝しています。でも、なんで出会って一週間の僕に、そこまでしてくれるんですか?」
唯一気になっていたのはそこだ。ただの男子高校生が学年一の美少女のために体を張ると言うならわかる。
しかし、学校中から一目置かれている才色兼備の彼女が、彩人にここまでする理由がどうしても見つからないのだ。
「どうしてもそこだけが引っかかるんです。そこさえわかれば、先輩に全部話すことができる気がするんです」
断られる可能性が十分あることも、彩人はわかっていた。これを聞かなくても由依はきっと話を聞いてくれることも。
でもそれではダメなことも、同時に理解していたのである。由依の動機をここで聞いておかなければきっと後悔すると。
由依がなぜ自分にここまでしてくれるのかを、知らなければならないと強く思ったのだ。
彩人はいつになく真剣であった。由依の目をしっかりと見て、全身に力が入っている。
そんな彩人を見て、由依は降参と言わんばかりに「ふう」と息を吐き出した。
「それはね、君が昔の私と同じ目をしてたからよ」
「同じ目……?」
「そう。始める前からすでに諦めているような目。自分の殻に閉じこもっているような目」
由依は続けた。
「でもまだ決定的な何かは起こってないような目。そんな目をした後輩を放っておけるわけないじゃない」
「それだけですか……?」
何か弱い気がした。それだけでは、ここまでする理由としては足りないと彩人は感じた。
「しつこい男は嫌われるわよ?」
由依は冗談を言うトーンで、彩人が由依に言った言葉を返してきた。
それでもここで聞かなければならない。
彩人はその言葉に反応せず、ただ由依の目を強く見ていた。
そこでもう一度由依が「ふう」と息を吐き出す。
「私と同じ思いをしてほしくないの」
「それはどういう……?」
彩人がそう聞くと、由依は目を瞑り大きく深呼吸をする。
そしてゆっくりと目を開け、彩人の目を見てこう言った。
「中学生の時、親友がいじめが原因で自殺したの」
「それは……」
彩人は言葉に詰まった。ここでなにを口に出せばいいのか、今の彩人は的確な解を出せる覚悟も心も持ち合わせていなかった。
そんな彩人を一目見て、由依は話を続けた。
「私には中学校でとても仲が良かった友人がいたの。親友と言っていいわね。でもその子は理不尽ないじめに遭って、自ら命を絶った」
彩人はなにも言えなかった。
「私はその子を守れなかった。何かできたかもしれないのに。最悪の結果は免れたかもしれないのに」
由依の手に力が入り、語尾も強くなる。その過去が由依にとってどれほどのものなのか、その様子から十分に伝わってくる。
「それからしばらくは大分塞ぎ込んだわ。食事も喉を通らないぐらいにね」
由依は自嘲気味に笑う。
「でも、こんなんじゃダメだと思った。こんなんじゃあの子に怒られるってね」
由依は続ける。
「だから、私と同じ思いをしてほしくないから、こういうことをするって、決めたの。そこに、あの時の私と似たような目をしたあなたが現れたってわけ」
由依は少し笑いながら、びっと彩人を指差す。
「……」
なんて強い人なんだろうかと、彩人は率直に思った。
親友を失ったのにも関わらず、自力で立ち上がり、さらには他人に手を差し伸べようとする。そんなことは普通の人間にはできない。
きっとこの強さが、羽沢由依が羽沢由依たる理由なのだろう。
ただ、これを聞いてもなにも言えない、なにもできない自分の実力不足を彩人は実感していた。今ここでできることは、ただ一つだ。
「じゃあ次は、君の番ね」
彩人が自分から言い出せないことをわかっていたのか、由依が場を動かしてくれる。こういうところも敵わない。
「……わかりました」
先程の由依と同じように、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。心を落ち着かせる。自分の過去と向き合うために。
そして、ゆっくりと話し始める。
「中学生の時の話です」
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