第10話 デート③

 初めて目にする大仏は想像よりも大きく、これが何百年も前に建立されたと考えると感慨深いものがあった。


「初めての大仏はどう?」

「大仏って感じがし

ます」

「……そう」

 と、ツッコむのを諦めたのか冷ややかな視線と共に由依が言ってきた。

何か言っておかないと機嫌を悪くさせそうなので、付け足しておくことにする。


「これを何百年も前の人が作ったっていうのが信じられないです」

「確かにそうね」


 何世紀も前の人が今ほどの技術がない中、一から作り上げたものなのだ。観光地にするために作ったわけではないが、それが現在まで残ってこうして多くの人々の記憶に残るものになっているのは、作った人たちも本望なのではないだろうか。


「中、入ってみる?」

「え、入れるんですか?」

「ほら」


 そう言って由依が指を差した方向に顔を向けると、入口と書かれた小さな看板が見えた。


「折角なので入ってみたいです」

「じゃあ行きましょ」


 二人は拝観料を払い中に入る。

 彩人の目に映ったのは、外から見るよりもはっきりとした像の継ぎ目や、後年補強された跡だった。それらがますますこの大仏の歴史を強調していて、再び感慨深い気持ちになった。


「中はどう?」

「先輩、今のセリフもっとエロい感じで言ってもらっていいですか」

「馬鹿言ってないでちゃんと見なさい」

「はーい」


 十分ほど中を見学すると時刻は二時半を回っていた。


「そろそろ江ノ島行くわよ」

「江ノ島って何があるんですか?」

「行ってみればわかるわよ」

「それ説明するのがめんどくさくなっただけでは……」

「何か言った?」

「イエナンデモナイデス」

「そう」


 と、由依は駅に向かって歩き出した。


「相変わらず女王様だな……」


 彩人以外には普通に接する先輩。彩人だけに厳しくて、でも時折見せる優しさも持ち合わせている。由依の一挙手一投足に心が躍る。ちょっぴり変で、歪な関係の年上の美人な先輩は、彩人の中で着実に特別な存在へとなっていった。




 二人は再び満員の江ノ電に揺られていた。向かい合って立っている状態だ。

 必然的に由依と密着することになるのは喜ばしいことだが、手放しで浮かれるわけにもいかない。少しでも気を抜いてラッキースケベでも起こそうものなら確実に潰される。何をとは言わないが。

 別のことも気になる。自分が近くにいることで何か不快な思いはさせてないだろうか。例えば体臭。身なりには気を使っているつもりだが、香水は自分が得意ではないので使っていない。柔軟剤の匂いだけで勝負することになるのだが、どのくらい対抗できるかもわからない。

 もし由依のお気に召さないことが起きたらその時は全力で謝ろう。彩人はそう決心した。

 彩人がそんなことを悶々と考えていると、由依が不思議そうな顔で聞いてきた。


「何をそんな難しい顔をしてるの?」

「どうしたらラッキースケベできるか考えてました」

「考えてる時点でラッキーじゃないわよそれ」


 と、つま先で彩人の足を踏んできた。


「いたた、すみませんって。この密着状態で先輩に迷惑かけたらどうしようって考えてました」

「迷惑?」

「はい。例えば匂いとか。自分の匂いってわからないじゃないですか」


 もしかしたら『匂い』ではなくて『臭い』になってるかもしれないが。


「そんなこと考えてたの?」


 そう言うと由依は彩人の首に顔を近づけクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。

 近づいてきた由依からはおよそこの世のものとは思えないほどいい香りが漂ってきた。女性はこんないい匂いがするものなのだろうか。いや、由依だからここまでいい匂いがするのか。

 シャンプーの香りか香水か柔軟剤の匂いかはわからないが、とにかくいい匂いを由依は纏っていた。


「別に臭くないわよ」


 狙ってやっているのかそうでいないのか表情では判断がつかない。由依は極めて普通な態度である。

 彩人はかなり動揺していたが、冷静な態度を装う。


「そうですか、それならよかったです」

「私の匂いも嗅ぐ?」


 由依が冗談っぽくそう言ってきたが、さっきの仕返しと言わんばかりに彩人が反撃する。


「じゃあ失礼します」

「え、ちょ……!」


 本当に嗅がれると思っていなかったのか、由依は慌てて顔を真っ赤にしている。

 そんな由依を横目に、彩人は由依の首筋に顔を近づけ先程の由依と同じようにクンクンと匂いを嗅ぐ。

 やはり群を抜いていい匂いがする。

 もっと嗅いでいたかったが、さすがにこれ以上は変態というレッテルから物理的な烙印を押されかねないため離れることにした。


「めちゃめちゃいい匂いがしました」


 素直な感想を述べる。


「あ、当たり前でしょ」


 由依は恥ずかしいような照れているような嬉しいような色々な感情が混ざった顔をしている。


「やっぱり先輩は可愛いです」

「調子に乗るな」


 と、いつものようにデコピンを食らわせてくる。


「痛っ」


 そんなに痛くないのだが、大袈裟に痛がっておく。


「そんな痛くないでしょ」

「バレたか」

「バレバレよ」


 会話が途切れたところで彩人が会話を振る。


「それにしても江ノ電ってほんとすごいところ通ってますよね」


 すぐそこに家が見えるのだ。こんなところを通っている電車はそうないだろう。


「そうね。でももうすぐよ」

「何がです?」

「窓の外見てればわかるわよ」


 逆らう理由もないので素直に言うことを聞いて窓の外に目を向ける。

 しばらくすると視界が開けた。


「……!」


 彩人の視界に広がったのは目が痛くなるほど鮮やかな空と海だった。透き通るような青みを帯びた空。太陽から燦々と降り注ぐ光に反射してキラキラと輝く海面。

 それらがあまりにも綺麗で、彩人は思わず言葉を失い見惚れていた。

 その様子を見ていた由依は、微笑みを浮かべ彩人に話しかける。


「私ね、ここからの景色が好きなの」

「僕も今、好きになりました」


 由依はこちらを見てもう一度微笑む。

 春の暖かな日差しに包まれながら、藤沢駅と鎌倉駅を結ぶローカル線は二人を江ノ島へと運んだ。

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