第5話 手作り弁当

「ただいまー」


 家に着き、誰もいない空間に声をかける。


 父親の単身赴任に母親がついて行ったので今は一人暮らしだ。兄弟もいないので広い家に一人で住んでいる。生活に必要なお金は仕送りで十分足りるのだが、遊ぶお金はあまり含まれていないので近所の本屋でバイトをしている。


「遅くなったし冷凍食品でいいか」


 普段はなるべく自炊をするように心がけているが、遅くなった日やあまりにも面倒くさくなった日はこうして冷凍食品やコンビニの弁当に頼ってしまう。無理に頑張らないことが自炊を続けるコツだと彩人は思っている。

 夕飯を食べている間にお風呂を入れておいたので今日のことをじっくり考えながらお湯に浸かる。


「怒涛の一日だったな……」


 いつものように登校していたら由依が現れて一緒に学校行くことになり、帰りは由依が待っていて一緒に桜を見に行った。去年までじゃ考えられないことだなと彩人は思った。

 ふと、桜を見ていたときのことを思い出す。


『戒め、かしら。過去を忘れないように』


 なんのことがさっぱりだが、過去に何かあったことは間違いないし、それが自分にここまでこだわる理由なのかもしれない。たかが出会って一日の後輩の男子に構うくらいなのだから相当のことがあったのだろうと想像はつく。


「僕のことを話したら先輩も教えてくれるのかな」


 由依に話せたらどれだけ楽だろうと今日一日通して彩人は思っていた。きっと彼女なら受け止めてくれるだろうと。

 しかしそれでいいのか?

 出会って一日の先輩に頼ってしまっていいのか?

 自分の中で整理がいまだにできていない感情を先輩にぶつけてしまっていいのか?

 そこまで考えて彩人は考えるのをやめた。


「僕って意外と頑固なんだな」


 風呂を出てスキンケアをし、髪の毛を乾かしてベッドに横になる。疲れていたのか、彩人はすぐ眠りについた。


 翌日の朝、石神井公園駅には当たり前のように由依がいた。


「おはよう倉木くん」

「おはようございます先輩」

「もう驚かないのね」

「そりゃあ、昨日も味わってますから」


 そこに友達カップルが合流する。


「おはようございます由依先輩!」

「あらおはよう凛ちゃん。今日も元気ね」

「すみません朝から。おはようございます羽沢先輩」

「おはよう吉野くん」


 挨拶を済ませるとちょうどバス来たので四人で乗り込む。由依は凛と、彩人は秀馬とそれぞれ雑談をし、着くまで時間を潰す。

 学校に着くと、自分のクラスに向かうと隣の席の薫がもう来ていた。


「おはよう彩人くん。美人な先輩とのデートは楽しかった?」

「......盗み見してたのか?」

「人聞きが悪いこと言わないでよー」


 おどけた調子で薫が言う。


「たまたま見えただけだって」

「まあどちらにせよ、デートではないけどな」

「あれをデートと言わないでなんと言うのさ」


 確かに側から見たらあれは誰がどう見てもデートだ。年頃の男女二人が放課後に桜を見るなんてシチュエーションはデート以外の何物でもない。


「先輩に連れて行かれただけだ」

「ふーん」


 薫は何か言いたげな顔をしながら彩人の方を見ている。

「ま、君がそう言うならそれでいいけどねー」


 本当に絡みづらい奴だと心の底から彩人は思っていた。


 一限から四限まで至って普通に授業を受け、昼食の時間を迎えた。普段はお弁当を作ることが多いが昨日早く寝てしまったので今日は購買の弁当だ。買いに行こうと席を立ち上がると教室の前の入り口に見覚えのある影が見えた。


「倉木くんはいるかしら?」

「倉木くんは僕ですが」


 そこにいたのは昨日桜を一緒に見た美人な先輩であった。

 ある程度覚悟はしてきていたが、まさかこう出てくるとは。

 突然の学校一の美少女の登場にクラスがざわつき始める。


「羽沢先輩と倉木……?」

「なんであいつが……」


 クラスが不穏な空気に包まれそうなところで由依が切り出した。


「場所を変えましょうか」


 由依に連れられた場所は相談部の部室であった。


「適当にかけてくれる?」


 初めてここに来た日のことを思い出しながら近くの椅子に座る。同時にあれからまだ二日しか経っていないのにここまで状況が変わるとは、とも思う。


「目立つのは嫌なので勘弁して欲しいです」

「ふふ、とっても目立ってたわよ」


 悪びれる素振りもなく由依が言う。


「あんなの、目立つに決まってるじゃないですか」


 学校一の美少女が学校一の変わり者に、わざわざクラスに足を運んで声をかけようものなら目立たないわけがない。


「明日からは自分でここに来ることね」

「そうさせていただきます」


 何されるか分からないが、クラスで目立つより遥かにマシだ。


「それで、なんのようですか?」

「あなた、お昼は?」

「今日は購買の弁当で済まそうとしてました」

「そう、ならよかった」


 そう言って由依が取り出したのは二つのお弁当箱だった。


「あなたのために、お弁当作ってきたのだけれど」

「あなたのためって強調してくるあたり厚かましいですね」

「材料余ったから、なんて建前を言う女の子は嫌いかと思って」


 建前より本音を言われた方が嬉しいに決まってるが、この先輩は可愛げがなさすぎる。


「食べてみて」

「いいんですか?」

「あなたのため、だからね」

「じゃあ、遠慮なくいただきます」


 お弁当の中身はおにぎりと卵焼き、唐揚げにミニトマトというシンプルなものだった。シンプルが故に美味しさにはかなりはっきりと差が出るラインナップである。

 まずは唐揚げ。見た目はこんがりと揚がった綺麗な茶色で、匂いと相まって食欲をそそる。一口食べると下味がしっかりついているのか噛めば噛むほど味を堪能でき、冷めていてもかなり美味しい。このレベルの唐揚げを作るのにどれだけの時間をかければいいのだろう。彩人には想像もつかない。


「どう?」

「……めちゃめちゃ美味しいです」

「そう、よかった」


 そう言って微笑む由依を見て思わずどきりとしたが、すぐに次の食べ物へ目を向ける。

 次は卵焼きだ。長方形に形の整った神々しい黄色のそれは、軽く淡白で柔らかな甘さの卵焼きであった。卵焼きの好みには個人差があるが、甘めが好きな彩人にとってそれは今までで一番好みの卵焼きであり、非常に美味しく感じていた。


「卵焼きは?」

「……今までの人生で食べてきた卵焼きの中で間違いなく一番美味しいです」

「……こういう時は素直なのね」


 由依が少し頬を赤らめながら言う。それを誤魔化すかのように次の言葉を続ける。


「ほら、早く食べなさい」


 その言葉がなくともそうするつもりであったが、箸は止まることを知らず進み続けあっという間になくなってしまった。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 お互い食べ終え、弁当箱を片付ける。


「先輩、料理できたんですね」

「どういう意味よ」

「美人でクールな先輩は料理ができないのがセオリーじゃないんですか?」


 読んだことや見たことのあるフィクションでは、美人でクールな先輩は料理ができないという一面を持っていてそこが可愛げがあるのだが、由依はどこをとっても完璧だ。


「その情報がどこからのものなのか分からないけれど、美人でクールで料理ができた方がいい女だとは思わない?」

「そこ言っちゃうあたり、どうかと思いますけどね」

「そんなこと言うならもう作ってあげない」

「先輩って美人でクールで料理もできて本当に素敵な女性ですよね」

「あなた、本当に調子がいいわね」


 呆れながら由依がそう言ったところで五限の予鈴がなる。


「じゃあまたね、倉木くん」

「はい、また」


 部室を出てクラスに戻るとなんとなく視線を感じ、隣の席の仮面女子もうるさかったが無視し、次の授業の準備を始めた。

 つつがなく授業が終わり靴箱に向かうと当たり前のように由依がいて当たり前のように一緒に帰った。その日は何もなく、家に着き一通りの家事を終えお風呂を出ると十一時を回っていた。


「明日はどう来るやら」


 そう呟き、由依と会うことを少し楽しみにしている自分がいることに気づいた。


「僕も案外ちょろいな」

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