第2話 新学期
遡ること数時間前。
「今日から二年生か……」
新学期の捉え方は人によるだろう。楽しみで仕方ないという生徒もいれば、嫌で嫌で仕方ないという生徒もいる。
彩人は後者だ。
クラス替えで交友関係はリセット。
歯が浮くような気の遣い合い。
ぼっちにはなりたくないという必死さ。
自分を取り繕うような行動が至るところで見られ、厭わしくも活気のある空気が蔓延している。
そんな空気を彩人は馬鹿馬鹿しいとさえ思ってしまう。
つまるところ、倉木彩人はひねくれているのである。
誰もいないリビングに電気をつけ、まずトイレに向かう。用を足し、洗面所に向かって手を洗ってから顔を洗う。スキンケアを終え、最低限寝癖は直し、朝食を食べる。
考えるのがめんどくさいという理由から、朝食は毎日決まってコーンフレーク、ヨーグルト、牛乳だ。
スマホを見ながら朝食を食べ終え、そのまま歯磨きをする。磨き終えたら自室に戻り制服に着替える。制服とはいえ、彩人の高校は制服がないので今から着替えるものがなんちゃって制服である。私服校であることは知って入学したが、実際毎日私服を考えるというのは非常にめんどくさい。
紺色のブレザーにグレーのスラックス、赤が主体のストライプのネクタイを身につけ、スカスカのリュックを背負う。
「いってきます」
返ってくるはずのない空間に挨拶をし、鍵を閉めて家を出る。
彩人は都立井荻高校に通っている。所要時間は四十分ほどで、彩人の最寄りである練馬駅からはO線からS線に乗り換えて行く方法と、違うS線からバスに乗り換えていく方法の二つが存在しているが、彩人は後者を選択している。
家から駅までは約十分。母校である中学校の前を通りしばらく歩くと今度は母校の小学校の前を通る。この時間帯はまだ小中学生の姿は見えないが、新学年を迎えるにあたり少し懐かしい気持ちになっていた。ツツジで有名な公園の横を通り階段を登ると最寄りの駅の改札が見えた。
目的のバスの発着地である石神井公園駅は下る方向にある駅であるため、都心へ向かう満員電車を横目に彩人は悠々とガラガラの電車に座る。十分ほどで着いてしまうのだが、座れることに越したことはない。彩人はあくびを噛み締めながら電車に揺られた。
駅に着いてバスを待っていると、この学校に二人しかいない友達の片割れが現れた。
「おはよう彩人」
「朝からイケメンでうざいな」
「新学期そうそうひどくないか?」
「吉野の顔が良いのが悪い」
どこかの事務所には入っていそうな端正な顔立ちに八頭身はあろうかというスタイルの良さ。極め付けはその優しい性格で誰に対しても分け隔てなく接する心の広さ。サッカー部の所属していて二年生にしてエース。これで嫌味なところがないと言うのだからモテないわけがない。
「彩人の顔も悪くないと思うけどな」
「イケメンに言われてもお世辞にしか聞こえません」
極めて平均的な顔に平均的なスタイル。容姿は一般的な高校生男子というのが彩人の自己評価である。
「今日から二年生だね」
秀馬が話を振ってきた。
「だな」
「年下は好き?」
「いや、年上しか勝たん」
「彩人ほどその言葉が似合わない人はいないよ……」
「新学期からキャラ変えようと思って」
「ますます浮くよ。とりあえず学年が上がることは嬉しくないってことね」
「今朝から憂鬱だったよ」
そんなやりとりをしていると小走りでこちらに来る女子生徒が見えた。
「二人ともおはよー」
バス待ちで現れたのはこの学校に二人しかいない友達のもう一人、
「なんの話してたのー?」
「彩人が年上好きだって話」
「朝から最低だね、倉木」
「なぜ僕だけ」
「秀馬は私一筋だからいいの!」
「だそうだ」
「朝からいちゃつくのやめてもらっていいですか?」
彩人をダシに秀馬と凛がいちゃついていると、ようやくバスが来た。
荻窪駅行きのバスに乗り込み高校へ向かう。本来なら十分程度で着くはずだが、S線の上井草駅の近くにある踏切が原因でとんでもない渋滞が多々起き二十〜三十分かかることはザラである。そのためギリギリのバスに乗るのは危険行為であり、多くの生徒は時間に余裕を持ってバスに乗る。この三人も例外ではない。
「にしても一年あっという間だったねー」
凛が切り出すと秀馬も乗っかる。
「そうだね、もう二年生だもんね」
「何もせず一年が過ぎた気がする」
「倉木は部活入らないからでしょー」
「そういえば俺らが話すようになったきっかけも彩人が部活に入ってなくて浮いてたからだったよね」
「そういえばそうだったな」
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去年の四月、彩人は頑なに部活に入ることを拒否しクラスでも学年でも浮いていた。何人かは「なんで部活入らないんだ?」と聞いてきたが、彩人が「話したくない」と言うとそれ以降話しかけてくることはなかった。
よくわからないやつだと思われてもいい。
友達も出来なくたって構わない。
それでもどうしても部活に入りたくない、関わりたくない理由が彩人にはあるのだ。例えその部活が少人数で文化系でも、『部活』と言う存在自体受け付けないのである。
そんな時話しかけてきたのが、同じクラスだった秀馬と凛の二人であった。二人は当時すでに付き合っていてお似合いのカップルだと一目置かれていた。
最初は他の人たちと同じで適当にあしらったら勝手に離れていくんだろうなと思っていたが、一向にその気配がない。部活に入らない理由を聞くわけでもなく、ただただ普通に話しかけ、昼食に誘い、一緒に登下校までする。
「なんで僕に構うんだ?自慢じゃないが大勢に避けられているような人間だぞ僕は」
「そんなの、仲良くなりたいと思ったからに決まってるだろ」
秀馬が当たり前だろみたいな顔をして言ってくる。
「そうだよー。それ以上の理由が必要?」
凛も屈託のない笑顔で付け足してきた。
「そりゃまあ、部活に入らない理由は気になるけど、それと倉木の人間性に因果関係があるわけでもないだろ?」
「直接話してみないとわからないことも多いからね!」
学校という狭い社会にいると、噂や印象、見た目で人を判断しがちだ。その方が自分が楽だから。そんなくだらない理由でその人と関わらないという選択肢を取る人間が多いのが学校というものである。
必然的にグループが分かれ、キラキラしたグループ、あまり目立たないグループができ、見えない上下関係が発生する。そしてそのどちらにも属さず結果的に『浮く』人間が現れる。そういった人間を見て自分は浮いていないと安心する。
だがこの二人は違った。学校に当たり前のようにある空気に縛られず、自分たちの目で自分たちが確かめたもののみを信じる。
学校という場所でそれをすることがどれだけ大変か、同時にどれだけめんどくさいか。それがわからないほど彩人は馬鹿ではなかった。
そして何よりこの二人といる時間が心地よかった。
学校内で唯一心を許せる存在に、いつの間にかなっていた。
「イケメンなくせに性格も良いなんて最低だな」
「倉木は酷いなー」
秀馬が笑いながら言う。
「……彩人でいい」
「……わかった。じゃあ俺のことは秀馬って呼んで!」
「それは遠慮しておく」
語尾に被せ気味に彩人が言う。
「なんで……」
「じゃあ私のことは?」
「うーん、旭丘は長いから凛かな」
「了解!私は倉木の方が言いやすいから倉木かな」
「男女差別だ……」
「これは区別」
他人と馴れ合うような会話は久しぶりで、なんだか気恥ずかしい。
だが思っていたよりも心地の良いもので、彩人は自分の心が溶かされていくような、そんな感覚を味わった。
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「いやー懐かしいね」
凛がしみじみ言う。
「彩人、浮きまくってたもんね」
「その浮いてた人間に執拗に関わってきたのはどこのどいつですか」
「あんなに浮いてるのを気にしない人間はきっと良い人だっていう謎理論を凛が言ってきてさ」
「そうそうー。でもあながち間違いじゃなかったでしょ?」
「それは思う」
「僕から一番は離れてる言葉だよそれは」
過去の話がひと段落つくと凛が不安そうに言い出した。
「クラス分けどうなるかなあ」
「また三人同じクラスがいいよな。じゃないと彩人がぼっちになっちゃうし」
「余計なお世話だ」
「でも私たちが高校で三年間クラス一緒になったらすごいよね!」
彩人たちの学年は人数が多く全部で八クラスあるため三人が同じクラスになる可能性は極めて低い。
「あれ、二年と三年の間でクラス替えってないんだっけ?」
「彩人忘れたのか?受験のことも考えて二年と三年の間ではクラス替えしないって先生たち散々言ってただろ?」
秀馬が呆れながら言ってくる。
「あー……なんか言ってたような……」
彩人の高校は一年生と二年生の間はクラス替えをするが、二年生と三年生の間は受験のこともあり二年連続で担任が同じ方がいいということでクラス替えをしていない。
「そんなんだから部活に入りたくないのに部活に入らなきゃいけない高校選んじゃうのよ」
「それで結果浮くってもうフォローしきれないよ」
「人生最大のミスをこれ以上抉らないでくれ……」
校則が特になく制服も髪色も自由であるという理由だけで特に調べもせず高校を決め。推薦でさっさと受かってしまったのである。
そうこうしているうちに高校に着き、靴箱の前にはクラス替えの紙が貼られていた。
「旭丘旭丘……あった!秀馬と同じクラスだ!」
凛と秀馬はハイタッチをし再び掲示板に向き直る。
「彩人の名前は……ないね」
秀馬が冷静に言う。
「まじ?」
「まじ」
この二人以外友達がいない彩人にとってその事実は残酷だ。
「まあ、なんとかするしかないな」
「そうね、倉木だもんね」
「だな、彩人だから」
開き直るしかない彩人を適当に励ましつつ、三人はそれぞれのクラスに向かった。
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