漫画家・真堂カナデの仲間たち

久世 空気

第1話

 駅の裏にある、常連しかいない喫茶店。奥の、BGMで会話も聞こえにくいこの席で、今日も彼の「読者」は熱弁を振るう。

「今週の展開も神でした。まさか少佐が裏切るなんて。でもネットの考察では兆候があったんですね。私としたことが、全く気づきませんでした。私はどうしてもキャラの表情を見てしまうんですよ。でも悪魔に詳しい人が考察したら、その造形に伏線が張ってあったと。やっぱりカナデ様は神です! 神があの美しい悪魔をお描きになると考えただけでも・・・・・・」

 彼女は私の高校の時の後輩だ。昔はこんな子じゃなかった。確かに漫画・アニメ好きのオタクだったけど、今、目の前にいる彼女は「読者」というより、そう、「信者」だ。

「話はもう良い? 私、忙しいの」

 話の腰を遠慮なく折って、私はテーブルの上にA4サイズの紙を一枚乗せた。彼女は引ったくるようにそれをつかみ、眺め、熱いため息をつく。

「皆、これを見たら喜びます」

「ねえ、もうこんなことは・・・・・・」

「ダメですよ」

 今度は彼女がぴしゃりと私の言葉を遮る。

「今更やめるなんて、言わないでくださいね。会社に全部ばれても良いんですか?」

「でも、これって犯罪よ」

 彼女はニタニタと笑う。

「大丈夫、私たちは神を傷つけるようなことはしません」

 私がそこで黙るのを、彼女は納得してと思っているのかもしれない。でも私は怖いのだ。その笑う目の底に、薄暗いものを感じて。


 真堂カナデはホラー漫画家だ。主に悪魔や人の心の闇を描く。皮肉が強すぎるときもあり、また悪魔の描写がおぞましすぎることもあり、表だって好きだという読者はいない。ただ裏ではかなり熱狂的な読者がいるようで、読者アンケートはイマイチでも単行本になれば飛ぶように売れる。

 メディアが真堂カナデの存在を知ったのは、彼の漫画が100万部を突破してからだった。マスコミは急いで取材を始めたが、カナデ本人は拒否、街頭インタビューでも「あー、あの気持ち悪い漫画描く人ね」くらいのコメントしか引き出せなかった。それが逆に、謎の漫画家として多くの人に知られることとなった。

 公にされていること言えば、中学生の時に某少年誌の新人賞でデビューしたことと現在成人していることくらい。そんな得体の知れないカリスマ性をもった漫画家の、編集担当者を私は務めている。


 真堂カナデの仕事部屋に行くと、なぜか編集長もいた。

「佐伯さん、ちょうど良いところに」

「今日、来られる予定でしたっけ?」

 後輩に会った後だ。若干の後ろめたさを感じつつ確認する。

「ボクが呼んだんだよ」

 カナデが座っている椅子をぐるんと回して振り返った。ふわふわの猫っ毛が揺れる。さらに一回転して何か書き込んだメモを編集長に渡した。

「ボクが把握できただけで、これだけぇ」

「・・・・・・こんなに?」

「何かあったんですか?」

 ドキドキしながらメモを覗き込む。

『最近の好物。買った本。課金しているソシャゲ。動画、登録しているチャンネル。服のサイズ。リピートして聞いている歌・・・・・・』

 20個ほど箇条書きになっているのを見て、私はめまいを起こしそうになった。私が後輩に渡している情報、彼のプライベート。今まで渡していた一部が彼の独特な筆跡で書かれていた。

「どこにも書いてないぃ、身内しか知らないぃ、ボクの個人情報」

 冷や汗が背中に流れる。どうして気づいたんだろう。後輩はSNSに書き込むようなヘマはしない。

「どこにこれが?」

 編集長が聞いてくれた。

「とある信頼できる筋のたれ込み?」

 なぜ疑問形なんだろう。

 彼の顔を見ても、座っている椅子をくるくる回している上、前髪が半分目にかかっているから表情が読み取れない。

 私は疑われているのか。

 喉がカラカラになって張り付きそうだ。今、問いただされても言い訳すら出てこないだろう。しかし意外な言葉がカナデの口から出てきた。

「これは間違いなく不法侵入だなぁ」

「え?」

「何か心当たりが?」

 ふふんとカナデはなぜか自慢げに笑った。

「最近微妙に部屋の物の位置が変わっているんだよねぇ。あれは他の人には判らんだろうねぇ」

「でも鍵はどうやって。オートロックですよ?」

「まぁ、それはどうにでもなるよねぇ。悪い人にはねぇ」

 怒っているようにも怖がっているようにも見えない。カナデはいつものように飄々としている。

「いや、本当にその通り。すぐ警察に通報しましょう!」

 50代の編集長は20代の看板作家を守るためにここに馳せ参じたらしい。しかし警察に通報して、もし私と後輩の間柄がばれたら・・・・・・。せめて「信頼できる筋のたれ込み」がどういった物だったのか聞かなくては。

「いやぁ、ボクと佐伯さんでどうにかしますよぉ」

 すでにスマホを取り出していた編集長は、きょとんとして私と彼を見比べた。

「私、ですか?」

「いいよね~?」

 彼は私ではなく編集長に聞いていた。私に拒否権はないと言うことだ。彼の担当をして約3年。前の担当が引き継ぎの時に言っていたのを思い出す。

「彼は顔を見て、直接話して、私生活を垣間見たとしても尚、近くに感じたことはない」と。


 このマンションは、1階が駐車場になっていて、その一角にゴミ捨て場がある。そこに数人の影があった。私と真堂カナデが駐車場の柱の陰で待ち伏せしていたところ、彼らが現れ、ゴミを物色し始めたのだ。

 私が流した情報が、後輩のうかがい知れないところまで拡散されてしまったのかと思ったが、本当に不法侵入などして無理矢理プライベートを暴いた読者がいるのかもしれない。

「カナデ先生。あれって・・・・・・」

「あれが、それだよ」

 それってなんだと思ったが、つまり真堂カナデの仕事場に不法侵入しているやつらだとカナデは確信しているようだ。

「どうします? 警察呼びます? それともここの警備会社に?」

 立場上はそう言うしかないが、本当は大事にして私のことまでばれてしまわないか心配だった。

「直接決着を付けようかぁ」

 カナデはいつも通り落ち着いた口調で言った。どういうことですか、と聞く前にカナデは柱の陰から躍り出た。

「やぁやぁ我こそは悪魔にその魂を売り契約を交わした漫画家、真堂カナデなるぞ。して貴様らは一体何者ぞ」

 突然時代劇さながらに名乗りだし、私は完全に置いてけぼりを食らった。柱から出るに出れずにいるとゴミ捨て場にいた影がそそくさと近寄ってきた。

「ああ、カナデ様! 本物よ!」

「神だ! 神だ!」

 ゴミをあさっていたのは4人だった。そして、その一人が私の後輩だった。私は柱の横でうずくまる。出て行かないと不自然かもしれない。カナデを一人で4人の相手をさせるわけにもいかない。だけど、もし後輩が余計なことを話したら・・・・・・。

「ボクの神聖なる仕事部屋に入ったのは貴様らか」

 4人は「はい」と悪びれずに答える。

「すみません、先生のことが好きすぎて、どうしても、もっと近づきたくなって!」

「でも何も盗っていません!」

「神のことをもっと知りたかっただけです!」

 本当に入ったんだ・・・・・・。でもあの中に後輩がいるのだから説明が付く。たぶん私を尾行して、真堂カナデの仕事場を見つけ、喫茶店で会ったときにこっそり鞄から私が預かっている仕事部屋のスペアキーを抜き取って複製を作ったんだ。

 カナデがズボンのポケットから手帳のようなものを出すのが見えた。名前でも控えるのだろうか。

 しかし彼はただ手帳の1ページをちぎり取りコンクリートの床に落とした。

「お前らみたいな、きもちわりぃやつ、大好きなんだよ、悪魔は」

 その瞬間、落ちた紙切れから火花が散り始めた。ぎゃっと4人がのけぞる。火花は大きくなり、天井に付くほどの光の塊になった。

 そこから黒く太い腕がぬっと現れ、後輩を掴んだ。後輩はすっぽりとその手の中に収まった。後輩は叫びながらもがく。彼女を握りしめる力は強くなっていく。私は思わず柱から飛び出した。目が合った。その目がぱんっと飛び出し、彼女は握りつぶされた。そのほかの3人も光の中から出てきた手にそれぞれ捕まり、ある者は床にたたきつけられ、ある者は床と手に挟まれ潰され・・・・・・。最後は光が強くなり、唐突に、それこそ電源を切られたように消えてしまった。

 後には4人分の血糊だけが広がっている。

「佐伯さん、これ片付けといてね」

 コンクリートの上に座り込む私に、カナデは食後の食器洗いを任せるかのように言った。

「な、なんですか、今のは?」

「何って? 散々ボクの漫画で見てるじゃん。ボクね、悪魔と契約してるの」

 悪魔、あれが、悪魔?

「契約? 何を契約したんですか?」

「ん? もちろん、『一生おもしろい漫画描き続けたい』!」

 カナデは私の目の前に立ち、見下ろしてきた。表情はやっぱり見えない。でも前髪の間から見える目は冷たく光っていた。

「佐伯さんが、ボクのプライベート売ってるって悪魔が教えてくれたんだよぉ?」

 体に力が入らない。血だまりが、排水溝に向かっているのが見えた。私も・・・・・・。

「私も殺すの?」

 震える口でなんとか絞り出す。彼は首をぶんぶんと横に振った。

「佐伯さんには、いろいろお世話になってるからね。今後はこんなことないように」

 カナデは私の目線まで腰を下ろし、両手でぽんと私の肩を叩いた。

「よろしく頼むよ?」

 

 それから私は本当の意味での彼の担当になった。

 彼の熱狂的な「読者」は山ほどいる。その中から狂った奴らはカナデが漫画を描き続けるために邪魔だと判断され、悪魔が食っていくのだ。

 カナデが使役している悪魔は1体ではない。彼は何体もの悪魔を使ってよりよい漫画家環境を作り出していた。私は裏切らないか常に見張られている。そして悪魔が人を食ったとき、後始末にかり出される。

 

 これからも、私と、真堂カナデの熱狂的な読者と、悪魔という仲間たちの関係は、たくさんの血を流しながら続いていくのだろう。

 真堂カナデが「一生漫画を描き続ける」限り。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

漫画家・真堂カナデの仲間たち 久世 空気 @kuze-kuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説