わたしのあの子

三衣 千月

ある児童小説の156ページ

 さいきん、あの子が本を開いてくれないから、わたしはずっと同じページにはさまったまんま。


 あの子がページを開いてくれないと、わたしは真っ暗な中でずっと動けないのに。


 ああ、たいくつ。

 とってもたいくつ。


 前までは、あの子が色んな本に連れていってくれた。あの子がわたしを挟んで本を閉じれば、まっ暗でなにも見えなくなる。

 できるのは、はさまれた本と話をすることくらい。


 もうずっと同じ本に挟まっているから、たいくつでしょうがない。


「ねえ、なにかおもしろい話してよ」

「……むかし、むかし、人間がまだ、いまとはまるっきりちがうことばで話していたころ――」

「その出だしはなんべんも聞いたわ。100だって200だって聞いた! 別のお話がいい」

「そう言われても、わしはわしの話しかできん」


 本に書かれている物語を聞くのは楽しいけれど、こうも同じ本にずっといるから、すっかり話の内容もおぼえてしまった。


「あの子、もう本を読まなくなっちゃたのかしら」

「どうかのう。わしも部屋の本棚からずうっと見ておったが、ここ数年は部屋にもきておらんよ」

「ええ!? そんなあ……本、嫌いになっちゃったのかな」


 あの子は、本を読むのがとっても好きだった。

 かわいい挿絵がたくさん入った本にも連れていってくれたし、むずかしい漢字がたくさんある本にも連れていってくれた。

 変な鼻歌を歌いながら、ごきげんで本を読んでいた。


 とりわけ、わたしが今挟まっているこの本はお気に入りだったみたいで、春でも夏でも秋でも冬でも、どこでも読んでいた。


 あの子が連れていってくれる本の世界で、わたしもいろんなことを聞いた。空飛ぶ竜にのる男の子の話や、まほう使いとたいけつするウサギの話。他にも、山よりも大きなパンケーキを焼いて国じゅうのみんなで食べる話なんかもあった。

 どれも、あの子は目をかがやかせて読んでいたし、わたしもそんなあの子を見るのが好きだった。


「みんなで作戦かいぎよ! どうしたらもう一度、あの子に本を読んでもらえるか、かんがえなきゃ」

「そうは言ってもなあ」

「何よぅ。あなただって読まれたいでしょう? 他の本たちにも聞いてごらんなさいな」

「もちろん読まれたい。読まれたいが、あの子は――」


 ばたん!


 部屋の扉が元気よく開く音がした。

 扉が「あいたぁ!」って叫んでたから、よほど勢いよくあけたんでしょうね。


 あの子じゃないわ。

 あの子なら、もっと静かに扉を開けるもの。少し変な鼻歌を歌いながら入ってくるもの。


「おや、あの子が来たぞ」

「あの子はドアをあんなにつよく開けないわ」


 でも、聞こえてきた。

 本にはさまれてまっ暗でも、あの子の鼻歌はよくおぼえている。だって、ちっともじょうずじゃなくて、とっても優しい声だったから。


 少し声は違う気がするけど、これはまちがいうなくあの子の歌だ。


『おかーさん! ここがおかーさんのむかしのへや?』

『ええ、そうよ』

『ほんがいっぱい!!』

『みーんな、お母さんの宝物よ』


 二人分の声が聞こえる。

 ごそり、と本が抜かれる音がして、急に世界がまぶしくなった。


 本をのぞき込んでいるのは、おとなになったあの子と、小さな女の子。


『これがお母さんの一番好きな――まあ、こんなところにあったのね』

『おかーさん! それなぁに?』

『それは栞よ。お母さんが本を読む時にね、いつも一緒に使っていたの』

『それじゃあ、おかーさんのおともだちだったの?』

『そうねえ。大事な、大事なお友達』


 そっか。あの子は、本を嫌いになったんじゃなかったんだ。


『あたしもおともだちになる! いーっぱい、いっぱい本よむ』


 ええ、いっしょにたくさん本を読みましょう。

 あなたも、わたしの仲間、今日からお友達よ!


 とても久しぶりにみた本の外の世界は、とってもきらきら、幸せの色に光っていた。

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わたしのあの子 三衣 千月 @mitsui_10goodman

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