chapter.9

31.負けず嫌いかく語りき。

「また面白いことになってるねぇ……」


 翌日。


 事の顛末を聞いた冠木かぶらぎのコメントがこれだった。


 時間帯は昼休み。


 場所はいつもの学生相談室。


 参加者はいつも通りのメンバーである冠木と紅音くおん。それから珍しく参加の意思を表明したあおいの三人だ。普段は彼女のいる位置あたりに月見里やまなしが座っているのだが、本日は欠席だ。


 葵が他人事のように、


「ねー、面白いですよね。紅音って」


 冠木が、


「そうだな。見てる分には面白いな」


 ははははは。


 笑い事ではない。


 少なくとも当事者からしたら頭の痛い話なのだが、ここ二人にとってはお昼のラジオ程度の扱いだった。紅音が不満げに、


「笑い事じゃないですよ、全く」


 冠木がなおもにやにや顔を崩さずに、


「ごめんごめん……でも面白くてね。なんでまた、そんなことになってるのさ」


「なんでって……今言った通りですよ。あいつ陽菜が喧嘩を売って、俺が買った。それだけの話です」


 そう。


 事態は実に単純なのだ。


 売られた喧嘩を勢いで買ってしまった。それだけのことだ。


 もっとも、その喧嘩を買ってしまったのは正確には今ここにいない月見里な訳だが。


 ただそれは、冠木の聞きたかったこととは違ったようで、


「いや、それは今聞いたから分かるんだけど、もっと前の話。少年はなんで、佐藤とそんな感じなのかなって」


「そんな感じ?」


「なんていうのかな……ライバル?」


 葵が横から、


「ただの同族嫌悪だと思いますけどね」


 そう言いつつ紅音の弁当箱から玉子焼きをかっさらう。


「おい、自分のを食べろ、自分のを」


 葵はぺろっと舌を出し、


「ごっめーん。だって、ほら、中身一緒だから」


 それを言われると困る。


 本日の紅音の弁当は、入れ物こそ違えど、中身は葵のものと全く同じだ。


 理由は簡単。


 どちらも葵が作ったものだからだ。


 それこそ気の向いた時だけなのだが、彼女は弁当の中身を多めに作っては、紅音と優姫ひめの分まで作って、持ってきてくれることがある。紅音は手間じゃないのかと思うし、実際に本人に尋ねたこともあるのだが、彼女曰く、


「レシピの分量がね、多いときがあるんだよねー」


 とのことだった。今日のメインは鶏飯だが、どうやら元レシピの分量ががっつり四人前だったらしい。


 それなら1/4の分量で作ればいいだけの話だし、なんだったら、家にストックしたっていいのではないかと思うのだが、彼女曰く「感想を聞きたいから」とのことなので、ありがたくおこぼれにあずかっている。


 ちなみに、弁当箱は彼女がいつの間にか西園寺さいおんじ家から持ち出したものだ。普段は優姫が管理しているはずなので、恐らくは彼女も“グル”みたいなものなのだろう。この場合は協力仲間と言った方がいいかもしれないが。


 紅音は気を取り直して、


「中間テストの成績が貼り出されるのは知ってますよね?」


 冠木が「ああ」と反応し、


「そういえば貼ってるね。少年はいつも1位だよね」


「ええ。ただ、正確には「1年1学期の期末試験から」ですけどね」


「んん……?そうだったっけ?」


 そう。


 紅音がここ、学生相談室に顔を出したのは、実に2学期になってからのことだ。従って、冠木は、紅音が学年1位となってからのことしか知らないことになる。


 加えて、紅音が「あえて語ることでもないだろう」と思って話していなかったため、そのまま今に至っているのだ。


 葵が、


「あ、そういえばそうだったねー。紅音、最初はそんな成績よくなかったもんねー」


「へぇ……そうだったのか」


「はい。別に落第とか、赤点とか、そういうレベルではなかったと思いますけど、少なくとも成績上位者ではなかった気がします」


「それは意外だな」


「ですよね?しかも、この学校に受かる前はもっと」


「おいこら」


 紅音が待ったをかける。葵が「なんで止められたのか分からない」という表情で紅音の方を伺い、


「どしたの?いいじゃん、別に。紅音が凄いよって話なんだから」


 確かに、その通りではある。


 今葵がしようとしていたのはまさに紅音の中学生時代の話であり、それはつまり、きちんと勉強をしたうえで、今の高校に進学したという事実にほかならず、それは見様によっては紅音の自慢話ということにもなってくる。だから、紅音本人の視点からすれば、別に恥じることは何もないし、むしろ誇るべきところなのだが、


「そこから話してたら昼休みが終わるだろ。それより、今だ、今」


 嘘ではない。


 紅音が話すならともかく、葵が語り手となるのであれば、その話は尾ひれが生えまくってそちらがメインディッシュとなるのが請け合いだし、間違いなく昼休み中には終わらないだろう。その判断基準は決して嘘ではないし、間違いでもないと思う。


 ただ、それとは別に、


「えっと……そうだ。俺が元々別に成績上位じゃなかったって話ですよね」


 冠木は話についていけてないようで、


「あ、ああ」


 空返事をする。


 仕方ない。


 過去の話──すなわち中学校時代の話は、紅音にとってはどちらかといえば「黒歴史」の側に分類されているものだ。少なくとも、そうやすやすと人に語るようなものでないことだけは確かである。


 なので、当然ながら冠木相手でもそう簡単には開示するべきではないし、ましてや、どんな脚色をするかも分からない葵を語り手に選ぶなどもっての他なのだ。


 冠木からしてみれば、そう言った話を聞くことこそ本懐かもしれないし、事実を知ったら呆れるかもしれない。


 ただ、これは……そうだな。紅音の言ってみれば“プライド”の話なのだ。それが一体どこに向けての、どんな目的を持っての虚勢なのかは、紅音自身も実はよく分かっていないのだった。


 と、まあ、そんなことは一切語らずに、紅音は淡々と、


「まあ、それでも一応、順位くらいは気になるんで、発表は見に行ったんですよ。そしたらまあ、案の定というか、50位以内に俺の名前は無くって。まあ、そんなものかなって思ってたんですよ。その時は」


 冠木が確認するように、


「でも、今は1位を取り続けてる……ってことは」


 紅音が首肯し、


「ええ。当然そのまま何事もなくってわけではありません。その時の学年1位がね、あいつなんですよ。佐藤さとう陽菜」


「そうか、その時は彼女が」


「そうです。凄かったですよ。学年1位だって勝ち誇ってて。取り巻き?みたいなのもいましたし。んで、その佐藤がね、たまたま俺の隣あたりで成績を見てたんですよ」


 そこまで聞いて冠木が、


「もしかして、喧嘩売ったのか?」


 紅音が首を横に振り、


「逆です。あっちから仕掛けてきたんです」


 葵がぽつりと、


「どっちもどっちだったと思うけどねー」


「うるさいな。ともかく、あいつは俺に話しかけてきたんですよ。「あなた、お名前は?」みたいな感じで」


 思い出す。


 あの時は不覚だった。


 不意を突かれた紅音は思わずぽろっと、自分の名前を言ってしまったのだ。ところが、


「あいつ、すぐに順位表に俺の名前が無いのをしって、目一杯自慢してきたんですよ。「あなた、大したことないんですのね。私、1位ですのよ。足元にも及びませんわね」って」


 葵が再びぽつりと、


「そこまでは言ってなかったと思うけどなぁー」


「だまらっしゃい!とにかく!あいつはそうやって喧嘩を吹っかけて、しかも「どこのお嬢様ですか?」みたいな笑い方で上から下ですよ。目線が。それでね、あ、こいつすっころばしたろって思って」


 冠木が、


「で、成績で負かせようと思った、と」


「そういうことです」


 言い切る。


 そんな事実を冠木は、


「うーん、捻くれてるなぁ」


 一言で片づけた。うるさい。紅音からしたらむしろ、捻くれているのは佐藤あちらの方だ。


 冠木は更に続けて、


「んで、その捻くれ少年は、捻くれ少女と野球で勝負することになったと」


「だれが捻くれ少年ですか、だれが。まあでも、そういうことです。発端は月見里ですけど、そんなこと言いだしたら「あら、敵前逃亡ですのね」とか言い出すに決まってますからね。引くわけにはいきませんよ」


 冠木が葵に、


「少年ってさ。昔からこんな捻くれてるの?」


「そんなわけないですよー。誰にだって純真無垢な幼少期があるように、彼にだって穢れてない時期があったんですよ。それが今じゃこんなことに……よよよ」


 目元を抑えて涙をぬぐう仕草をする葵。こんなことにってどういうことだこら。


 紅音はため息一つに、


「まあ、そんなわけで、勝負することになったんです。はい!この話おしまい!昼ご飯の時間ですよ!」


 パンパンと手を叩いて催促する。しかし冠木が、


「だって私もう食べ終わったしー」


 確かに。手元を見てみると、持ってきた昼食は全てなくなっていた。包装を見る限りだと、コンビニのパンに、ホットスナックに、ノンアルコールのビール。いつも思うのだが、この人の脳内に規則正しい食生活というワードは存在しているのだろうか。と、いうか、仮にも養護教諭を名乗る人間がこれでいいのか。


「んで、その捻くれた少年に、勝算はあるわけ?相手は曲りなりにもソフトボール部のエースでしょ?」


 紅音は肩をすくめて、


「分かりません」


「分かりませんって……大丈夫なの?」


「どうでしょうね?ただ、一応先輩方が手伝ってはくれてます」


「先輩方?」


 葵が補足するように、


「朝比奈先輩と、羽村先輩です。ほら、紅音の数少ない居場所である新聞部の」


 紅音がツッコミを入れるついでに、


「数少ないは余計だ。それに、あそこ。今、新聞部じゃないぞ」


 葵が目をぱちぱちさせ、


「え?新聞部じゃないって……どういうこと?」


「言葉通りの意味だ」 


 紅音はざっと、昨日までの経緯──主にたちばなの行動──を説明する。


 それを聞いた葵はといえば、


「流石あの部の親玉だけあるねえ」


 冠木がしみじみと、


「やっぱり、類は友を呼ぶんだねぇ」


 ちょっとまて。


 それはつまり、俺とあの部長が似た者同士だということか?


 それはあまりにもおかしいだろう。


 紅音とて自分が常識人ではないことくらいは分かっているつもりだが、流石にあれと同類というのは無理があると思うぞ。先輩方といい、一体紅音のことをなんだと思っているんだ。


 そんなわけで流石に反論をしようと、


「あのですね」


 そんな紅音の言葉を葵がぶった切るように、


「そーですよね。紅音の周りでまともなのって、私くらいですもんねー」


 残っていたおかずをぱくり。


 両手を合わせてご馳走様。


 その一連の流れを紅音と冠木はじっと見つめていた。


 やがて顔を上げた葵が首をかしげて、


「およ?どうしたんですか?葵ちゃんに何か用ですか?」


 二人は顔を見合わせ、首を横に振り、


「「ないない」」


「?」


 全く話についてこれていない葵。いや、君もしっかり変わり者サイドだからね?

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