32.その頃明日香はのんきに昼飯を食べていた。

 冠木かぶらぎが話を戻し、


「それで?先輩が力を貸してくれてるって?」


 紅音は軽く頷き、


「ええ。あす……朝比奈あさひな先輩はデータを漁るって言ってました。羽村はむら先輩は部活動の偵察に行くそうです。だから待ってろって」


「少年は何もやらないのか?」


「それ、俺も言ったんですよ。言ったんですけど……なんか……先輩たちの方がやる気になっちゃって。「西園寺さいおんじはとにかく体調を整えておいて!」って釘さされちゃったんですよね」


 そう。


 なにも紅音くおんだって、全て人任せでふんぞり返っているわけではない。


 今回は対決までの期間が短いことから、根本からの体作りだとか、特訓は難しい。と、なれば、小手先の策でなんとかしなければならないのは事実である。


 ただ、それでも出来ることはあるはずである。紅音だって、負けるつもりはさらさらない。幸いにして部室には(なぜか)バットが沢山ある。その中から一本でも借りて、素振りの一つでもしようかと思っていたのだが、


「なんでも、作戦をきちんと練ってから特訓をしたいらしくって、俺にはとにかく体調を整えてくれの一点張りなんで」


「それで、こうやって昼飯を食べてる、と」


「そういうことです」 


 葵がボリボリと良い音をさせながら、


「でもさぁ……(ボリボリ)。そういう時に「いや、俺は頑張りたいんです!ってのが(ボリボリ)男の子ってもんじゃないの?(ボリボリ)」


 それを言うなら学校のお昼休みにかりんとうをむさぼりながらしゃべらないでくれ。女の子なんだから。


 とは流石に言わなかったが、


「だからしゃべるか食べるかどっちかにしろって」


「(ボリボリボリボリボリボリボリボリ)」


 そっちを取るのかよ。


 まあいい。今は特にあおいに聞きたいことはない。


「まあ、そういうわけで、今の俺に出来ることってないんですよ、悲しいことに」


「悲しいって思ってる?」


「失礼な。これでも勝負自体はやる気ですよ。ただ、今回は題材が題材だから、俺の力が及びにくいだけで」


 冠木が「思い出した」といった風に、


「そう、野球。なんでまた相手のホームグラウンドで勝負することになったのさ」


「それは俺が一番聞きたいです」


 売り言葉に買い言葉。


 物のはずみ。


 ボタンの掛け違い。


 どんな言葉を使っても説明できることであり、説明できないことでもある。ただ、結局のところ、


「悪い偶然、ですかね」


 そう説明するのが一番しっくりくるような気がする。


 ところが冠木はそこに、


「少年、前に偶然なんてないんだって言ってなかったっけ?」


 かりんとうを食べ終えた葵も、


「あ、それ、私も聞いたことあります」


 やかましい。


 こんな時だけ会話に参加するな。ずっとボリボリしてなさい。


 冠木が脳内を時間遡行し、


「そう……そうだよ。少年、言ってたじゃない。この世に偶然なんかないんだって。だから幽霊だってなんだって、全て必然なんだって」


 言った。


 確かに言った。


 それ自体は間違いない。


 しかし、


「それとこれとは話が別です、別」


「「せっこー」」」


 やかましい。二人でハモるな鬱陶しい。


 冠木が楽しそうに、


「んで?その“悪い偶然”を呼び寄せたのが、月見里やまなしなんだ?」


「ぐっ」


 また、意地の悪い言い方をする。これでは紅音が月見里を悪役に見立てたみたいな感じになってしまう。この場に本人がいないからいいが、もしいたとしたら、その瞬間から後ろ向き全力疾走の始まりだ。紅音は、


「違いますよ。月見里も巻き込まれた被害者ですって」


 そう訂正する。事実、悪いのは勝負を吹っかけてきた陽菜であり、紅音でもなければ、月見里ですらあるわけがない。そう、ただちょっと、悪い偶然に巻き込まれただけなのだ。


 冠木が、


「分かった分かった」


 嘘だ。


 絶対に分かっていない。


 ただ、それを問い詰めるだけ無駄なのも確かだ。


 そんな彼女は続けて、


「んで?その巻き込まれたお姫様は、今日はお休み?」


 そう言って、葵の方を向く。当の彼女はと言えば、


「?」


 何一つ分かっていない風に首をかしげる。紅音が補足するように、


「そこ、いつもだと月見里が座ってるんだよ」


「あ、そうなの?」


 そう。


 別に椅子が備え付けられているわけでもなければ、畳敷きの和室にテーブルと座布団があるだけなので、別にどこに座ってもいいはずなのだが、月見里が座っているのはいつも大体、今葵が座っているあたりの位置なのだ。


 出入口から一番近い、紅音とも、冠木ともちょうど同じくらいの距離感がある位置。そんな概念がこの部屋に存在するのかは分からないが、上座下座で分割するのであれば、間違いなく「下座」の方に分類される場所。月見里らしいといえばらしい位置取りである。


 ちなみに上座はというと、ちょうど冠木の位置にあたる。自分で持ってきたらしい座布団が常に置いてある。時々気になるんだけど、ここは生徒のための部屋だよね?紅音の勘違いじゃないんですよね?


 紅音はさらっと、


「月見里なら、図書館行くって言ってましたよ。なんでも、調べものがあるとかで」


 冠木は「はぁ~」と感心し、


「真面目だねぇ~。どこかの不良学生とは違うね」


 紅音をじっと見る。


「……分かって言ってると思いますけど、成績は俺の方が上ですからね」


「それはテストの点でしょ。そこに出ないものがあるじゃないの」


「教師がいいますか」


「言うよ。だって私テストしないし」


 言われればそうだ。


 それに、学生相談室というのは、そういった「分かりやすい学校生活」に悩みを抱えている生徒が足を運ぶ場所なので、こういった視点の方がただしいのかもしれない。冠木が紅音よりも月見里を優等生にしたいがための詭弁でなければの話だが。


 紅音は話をまとめるように、


「そんなわけで、月見里は図書館にいると思いますよ。さて、と」


 立ち上がる。冠木が、


「およ?少年も用事?」


「まあそんなもんです。俺は俺なりに対策を練ろうかな、と」


 弁当箱を片付けて、どこからか取り出したポットと、お茶で一服していた葵が、


「対策って……体調を整えとけって話じゃなかったっけ?」


「ああ。だから、実際に体を動かすわけじゃない。けど、対策はそれだけじゃないだろ?今の時代なら情報はいくらでもある。俺なりに調べてみようと思ってな」


 冠木が、


「ん?でもネットならここで見ればいいじゃん」


 紅音が、


「ここ、無線ランないじゃないですか」


「あー」


 納得する。


 この学校、なぜか学内のネットワークの大半を有線で賄っている。理由は不明だが、学生が勝手に利用することで、教師が使いにくくなりやすいからというのがもっぱらの噂である。ただ、いくつかの例外があり、その一つが、


「図書館、たしかありましたよね。無線ラン」


 図書館なのだった。ただ、そのフレーズを出すにはタイミングが悪かった。冠木が「ははーん」と言いながらにやけた顔で、


「流石は青春部」


 ぶん殴るぞ。


 そういう意味で言ったんじゃないってのに。


 ただ、今そんな弁明をしても、全て「照れ隠し」というワードに強制変換されるのは間違いない。ようするに戦うだけ無駄だ。白旗を上げて敵前逃亡が正しい。三十六計逃げるに如かずとはよく言ったものだ。


「はいはい。んじゃ、俺は行きますね。葵、ごちそうさん。今日も美味かったよ。細かい感想は……まあ、後でメッセージでも送るわ」


「りょー」


 軽かった。


 味の評価を聞くためじゃないのか。


 まあいい。


「じゃ、また後で」


 それだけ言って退散する。その間、背後からずーっとにやけた視線が送られ続けていた。だから、違うっての。



               ◇



 とは言ったものの、


「別に図書館である必要はないんだよな……」


 考えてみればそうだ。


 こと無線ランというだけであれば部室でも事足りる。誰が整備したのかは知らないが、青春部の部室には有線と無線、両方の回線が完備されているのだ。電気ポットの類もあった気がするし、あの部室で一週間くらいなら生活できるんじゃないだろうか。


 一応、部室を選択しない理由もないわけではない。


 今まさに部室では明日香先輩が対策を練るためにデータの洗い出しをしているはずである。彼女はやるといったらやる人間だ。


 ましてや、今回の題材は野球なわけで、恐らくは弁当を片手にPCあたりとにらめっこしているに違いない。以前にもそういう光景をみたことがある。


 別に顔を出しても怒ったりはしないだろうが、邪魔になってしまってはいけない。そう考えると、明日の放課後まで部室には足を踏み入れないのが配慮というものだろう。


 となってくると後残る選択肢は図書室くらいのものであり、別に紅音の行動にはなんの矛盾や、違和感もないのだが、



「流石は青春部」



 言葉はずっと残り続ける。


 正直、全くの的外れだと思う。


 紅音はなにもそんな青い春を謳歌するような目的で図書室に足を運ぶわけではないし、月見里がそこに行くと言っていたから、という訳でもない。


 ない、はずなのだ。


「全く……」


 考えれば考えるほどドツボにはまっていく気がする。なんのことはない、他の目的があって図書室に行くのだ。その結果月見里と鉢合わせたとしても、そこになんの意図もあるはずがないではないか。ただの偶然。必然なんかでは決して、ない。


 と、紅音が心の中で必死の弁明を試みていると、


「お」


 月見里だ。


 噂をすれば影、というが、噂から大分タイムラグがあった。


 紅音は気軽に、


「よ、月見里」


「ひゃああああああああ!!!!」


 おかしい。


 こちらと向こうのテンションが全くかみ合っていない。紅音は「見かけたから声をかけた」だけなのに、月見里は「見つかってしまった」という感じだ。なんでそんなことに。


 紅音は頭をかきながら、


「悪い。驚かせるつもりはなかったんだが」


 月見里は体全体で否定し、


「い、いいえ!別に、その、驚いたというわけでは」 


 いや、それは流石に無理があると思うよ?


 ただ、本人がそう言っているのだ。聞かなかったことにしよう。


「ああ、うん。まあ、それはいいんだけど……もう調べものはいいのか?」


 月見里は未だに目線を泳がせながら、


「あ、はい。調べものですね。もう、大丈夫です。私は、大丈夫です」


 大丈夫な人はそんなつっかえながら「大丈夫」って言わないと思う。


 ただ、その目は別に何かに迷っているというわけではなさそうだった。どちらかといえば「驚き」の色が強い。似たような色を見たことがある。バレンタイン付近の優姫ひめは大体いつもこんな目だ。


 少なくとも紅音にとってマイナスとなることを隠しているわけではなさそうだ。それなら、追及する方が野暮ってもんだ。


 紅音は相手の土俵にわざとのっかり、


「そっか。俺はこれからちょっと用事があってな。図書館にいこうと思ってたんだ」


「そ、そうなんですね」


 沈黙。


 このまま放っておいたら休み時間終了までここにいることになりそうだ。紅音は無理やり、


「んじゃ、俺は行くわ。なにを調べてるのかは分からんけど、俺に手伝えることがあったら言ってな?」


「(こくこくこくこく)」


 話がまとまりかけたからだろうか。月見里も組み合って同じ土俵でがっぷり四つだ。ちなみに互いに同じ結末を求めている。こういうのを八百長というのかもしれない。最初は強く当たって、後は流れでお願いしますってやつ。


「では、失礼します」


 そんな、丁寧すぎる挨拶と、深すぎるお辞儀をして、月見里は小走りで去っていく。そんな背中を眺め、


「……あれ?」


 思う。


 今、月見里はどっちから来た?


 確か3階からの階段を下りてきていた気がする。


一応、そっちにも図書室の出入り口はあるものの、貸出カウンターなんかは二階にある上に、教室に戻るのであれば大分遠回りになってしまう位置にあった気がするのだが。


「……まあいいか」


 あえて考えない。それは紅音なりの配慮なのか、はたまた、


「俺は調べものに来たんだ。うん」


 自分を納得させるのに精いっぱいだったのか。それは今の紅音自身には分からないことだった。

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