小牧原美心はいただきますが言えない 13
悪霊は雪輝を探して下駄箱内を走り回っている。恐らくもうしばらくもすれば見つかってしまうだろう。
そんな光景の中、來華は考えていた。
(まだ十分程しか経っていないのに、もう終盤のような速度……こんな速さで走り回られたら、もう謎解きなんて場合じゃないわ……)
その時。彼女の脳内に、階段の張り紙に書かれていた『犠牲の覚悟』という言葉が浮かび上がってきた。
「……私が消えるのが妥当ね」
來華はそう呟き、隣で姿勢を低くして悪霊から身を隠している雪輝に合わせて、自分も腰を下ろした。
「吉祥寺君、次は私に回して」
「何言ってんだ。三十秒も逃げられるのかよ」
「無理に決まってるでしょ。私のシャトルランの回数教えてあげようか?」
「だったら何で」
「時間が無いから要点だけ話すわ。このままだと明らかにゲームの進行は不可。張り紙の『犠牲』の文字。以上。おわかり?」
雪輝は不服そうに口をへの字に曲げた。來華の言いたいことは伝わった。というか、悪霊の動きが速くなった時点で、雪輝にもこのゲームの意図に気づいてはいたのだった。
「一人消える必要があるのだったら、このままオレが捕まるよ。東雲の頭脳は必要だ」
「お言葉に甘えたいところだけど、今必要なのは頭脳より腕力の方なのよね」
それも雪輝には分かっていた。下駄箱を押す作業があと三列分残っている。しかしゲームとは言え、女の子を犠牲にして先に進むというやり方が、雪輝はどうも気に入らなかった。
「……だけどな」
「テルキチ、そっち行ったよ!」
遠くから美心の声が聞こえてくる。
「もう話してる時間は無いわ。先に外で待ってるから、いい結果期待してるわよ」
そう笑顔で言って、來華は雪輝から離れていった。
「あっ、おい!」
追いかけようと雪輝が立ち上がった時、下駄箱越しに悪霊と目が合ってしまった。
「おいマジかよ!!」
走って逃げる雪輝。それを見て來華は「早く私に!」と叫んだ。
雪輝の中で葛藤はあった。が、先ほど見せた來華の一瞬の笑顔。あの心の底からこのゲームを楽しんでいるような、曇りのない笑顔が雪輝の背中を押した。
東雲の為にもゲームをクリアしたい。その為に今取るべき最善手は――。
「あぁあもう! 來華ァ!!」
雪輝は來華の名前を叫んだ。
近くにいる美心は二人のやり取りを知らないので驚いている。
「……頼んだわよ、二人とも」
來華は呟いた。
が、しかし。
悪霊はまだ雪輝を追いかけている。
「はっ? ちょ、まじか!」
一瞬動きを止めていた雪輝だったが、依然追いかけてくる悪霊に驚きつつまた走り出した。
そう。先ほど美心からターゲットが変更代わって、まだ三十秒も経っていなかったのだ。
「吉祥寺君、何とか逃げて!!」
來華は少し焦ったように叫ぶ。
「言われんでも逃げるわ。くそっ」
悪態を吐きつつ走る雪輝。
「來華! 來華、來華、來華、來華、來華!!」
雪輝は名前を連呼した。
すると、悪霊はぴたりと動きを止めた。ここで三十秒経ったようだ。
「來華! 來華! 來華! 來華!」
念押しといった具合に雪輝は叫ぶ。
「もう止まってるわ! 恥ずかしいからあまり連呼しないでよ」
來華は少し顔を赤らめて言った。
その様子を見ていた美心が、何かを察したのか、少し悲しそうな目で來華を見つめた。
「……來華ちゃん?」
自分の名を呼ぶその声に來華は気づき、笑顔で返した。
「絶対クリアしてね、美心」
振り返った悪霊は、來華めがけて一直線に走った。
「來華ちゃーん!!」
美心が叫ぶも、悪霊はハサミを來華の首にかけ、そのまま防火扉の向こうに消えていく。その最中、來華は上のフロアで拾った日記を投げ捨てていた。雪輝はそれを拾い、唖然と佇む美心の肩を叩く。
「あいつが作った時間だ。今のうちに全て解くぞ」
薄っすらと涙を浮かべていた美心だったが、腕で目を擦り「うん」と力強く返事をした。
二人はまず残り三列ある下駄箱を動かして、日記の切れ端を回収した。
全部で五枚のパーツを合わせて文字を読む。
―――――――――――――――
人間はみんなジャンケンのような関係だ。
誰かが誰かに強くて、誰かが誰かに弱い。
そうやって平和が保たれている。
でも僕は違った。
僕はいつもみんなに負けさせられている。
僕はただ、対等でいたいだけなのに……
対等になったその先で眠ろう。
これでおあいこ。
―――――――――――――――
「どういう意味かな……」
首をかしげる美心だったが、一方で雪輝の方は不敵に笑った。
「もうほぼ答えだな、これ」
「え、分かったの?」
雪輝は來華の残した日記帳を開いた。
「今日は加藤さんが僕の髪をハサミで切った。今日は竹中くんに後ろから殴られた。今日は本田さんに顔をはたかれた。今日は和田君にサンドバックにさせられた。これ、日記帳に書いてあった、クビキリさんの受けたいじめだ」
「うん、私も読んだよ」
「それでクビキリさんは同じ事を仕返しして、おあいこと言った。今思えばその表現だけでも正解にたどり着けそうなモノだったんだが、この切れ端で全てわかったよ」
「おあいこ……もしかしてこれ? このジャンケンって部分?」
「そうそれ。受けたいじめとやった仕返しを、クビキリさんはジャンケンに例えた。そうやって考えると、髪を切るはチョキ、殴るのはグー、叩くのはパーになる」
「なるほど……。でもそれが一体……」
雪輝は顔の隣でチョキの形を作って笑った。
「ほらよ、数字が浮かび上がってくるだろ?」
チョキの形の手を見て、美心は全てに気づいた。
「凄いホントだ! 数字の二だよ!」
ぴょんぴょんと跳ねる美心。
「という事は、一人目がチョキで二。二人目がグーだからゼロ。三人目がパーだから五で、最後も、これは殴っているのだからグーでいいんだよね?」
「あぁ、そうだと思う」
「ホントに凄いよ。急ごう!」
美心の声と共に二人は立ち上がって外へと続く扉に向かった。
その時。
防火扉の前に、再びあの悪霊の佇む姿を見つけてしまった。
「げっ」
「うそっ」
声を上げる二人。悪霊が視線を合わせたのは、美心だった。
「えっ、また私!?」
「とにかく逃げろ! 扉は開けとくから!」
「う、うん!」
美心は走り出した。傾いて沈んだ下駄箱の上に乗って、軽やかに飛び移る。
その間に雪輝がダイヤルを合わせる。
「えっと……2050だよな……。頼む、これで合っててくれ」
祈るような気持ちで数字を合わせた。
「……頼む!」
そして鍵のシャックル部分を引っ張った――。
カチっ。
小さくも気持ちのいい音が聞こえ、錠が落ちる。
「開いた! 開いたぞ!!」
雪輝は叫んでいた。扉の取っ手に絡められているチェーンを急いでほどき、ついに扉を開けた。
「美心! 早く!」
図らずも上のフロアでの時と真逆の構図になっていた。
下駄箱の上をぴょんぴょんと飛び回って逃げる美心。悪霊とは少し距離を作った状態で雪輝の待つ扉の外にたどり着いた。
そして雪輝は扉を閉め、開かないように外からチェーンで取っ手を結んだ。
「よーしゴール!」
美心は嬉しそうに叫んだ
「つか危ないだろ、あんなんしたら」
「あはは、つい楽しくなって……」
「出禁食らっても知らないからな」
雪輝も安堵の笑みを零した。
「じゃあ、行くか」
ゴールとは言ったが、ここはまだゲーム内。茂みの先にある『出口』の看板の先が本当のゴールだった。
二人はその明りに向かって歩く。
しかしその時、雪輝が足を止めた。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと引っかかる事があって……」
「何、引っかかる事って」
美心が少し不安そうな顔をする。
「集めた五枚目の切れ端。あの最後に書かれていた『対等になったその先で眠ろう』その一文が気になるんだ……」
雪輝は振り返る。
必死に脱出したあの玄関では、悪霊が追いかけようとするでもなく、ただガラス越しにこちらを見ていた。
「……対等になった先」
雪輝は歩いている道をそれ、茂みのセットの中に入った。
「テルキチ!?」
美心が驚く。
「もしかしたらあるかもしれない。あいつは『対等』を望んでいた。だったら一方的に殺しておいて『対等』は無いはずだ。それに眠ろうって――」
そこまで言ったところで、雪輝は足元にぶつかる何かに気づく。
茂みに腰を下ろし、草をかき分けた。そこにあったのは。――足。
「……いた」
後ろから美心も様子を見に来た。
彼女の目に映った光景は、五人分の首を抱えて眠る様に横たわる、男子生徒のマネキンだった。
「これもしかして」
「あぁ、クビキリさんだ」
「こんな所に……」
雪輝は他の生徒の時と同じように、胸ポケットに手を入れて学生証を取り出した。
「名前もある。滝ケ花ツバキ。なんだよ、結構かっこいい名前してるじゃん」
「……ねぇ、名前が分かったって事はもしかして」
美心がそう尋ねると、雪輝は頷いた。
「あぁ、クビキリさんはまだあそこにいる。全てを解決させるって言う事は多分、アレを消すって事なんだと思う」
「名前を呼んで、クビキリさん自身をターゲットにさせるって事?」
「予想だけど」
すると少しだけ美心が黙った。しかしそれはほんの少しだけ。
「やろう」
「今憑いているのは美心だから、お願いすることになるけど、いいのか?」
「うん。私もそれがグッドエンドに繋がりそうな気がするし、何よりテルキチの考えは信じてるから。來華ちゃんの為にもやってみたい」
「美心……」
二人は来た道を戻る。
その途中で美心が話しを始めた。
「私ね、実はゲームが終わっちゃうのちょっと残念なんだ」
「なんだそれ」
「ほら、このゲームの中だと、私達三人は友達って設定でしょ? クビキリさんに友達の名前をって書いてあったし」
「あぁ……まぁそうだったな」
「……私はテルキチ達とは友達の関係にはなれない。でも、こうやってかりそめでも友達と呼べたことが凄く嬉しかったし、ちょっと名残惜しい……」
「……美心」
「こんな気持ちなんだってちょっと驚いる。信仰も教義も、救徒も没心人も、全部忘れらたこの時間……。不思議だった」
雪輝は美心の言葉をただ聞いていた。
二人は玄関に到着し、ガラス越しに悪霊を見つめた。
「私、このクビキリさんの気持ちが少し分かる気がする。私も対等になりたかった……救う側と救われる側とかじゃなくて、みんなと対等に生きたかった。だから蓋身学園に来て、信仰を隠したの。……でも結果得られたのは『誰にも優しい小牧原さん』という立場だけ。中学の頃よりはかなりマシだけど。それでも私が欲しかった関係とは程遠い……」
美心は取っ手に巻かれたチェーンを外し始める。
「なんか変な話しちゃったね。あはは、ちょっと恥ずかしくなってきちゃった」
照れ笑いを見せる美心。すると雪輝が彼女の手元のチェーンを取り、外すのを手伝う。
「じゃあオレも恥ずかしい事言うぞ」
「……ん?」
「有り体で飾り気もない言葉しか言えなくて悪いがな。……美心は友達だ。それこそ信仰も教義も、美心が俺の事をどう思ってようと関係ない。オレがただそう思ってる、勝手に」
「テルキチ……」
「……あぁもう。続きなんか言おうと思ったけどやめた。気の利いた事言えやしないし、恥ずかしさが百超えたわ」
そう言うと丁度チェーンも外れた。
「えー、言ってよー。テルキチが恥ずかしがってる顔もっと見せてー」
「うっさい。つかもう開けるけど、いいか?」
「ちぇっ。話逸らされちゃった。いいよ、開けて」
美心は悪戯っぽく笑って言った。
そして雪輝は勢いよく扉を開く。
解放された悪霊は、目の前の美心に向かってハサミをかかげた。
「滝ケ花ツバキ君――」
美心は悪霊の顔を見て優しく名前を呟いた。
すると悪霊は、持ち上げたハサミを自分の首にかける。そしてそのまま首を切り落とした。まるで椿の花が落ちる様に、ぼとりと音を立てて首が転がった。
「――っ!?」
驚く二人だったが、落ちた首を見てすぐにフェイクだと分かり安心した。
「……上手くいった、のかな?」
「多分な。つかビビったわ」
「ね。最後まで凄い演出。來華ちゃん見てたら相当驚いてただろうなぁ」
「あはは、逆にいなくて正解だったんじゃないか?」
そう言って二人は笑い、再び出口に向かって歩きだした。
來華はその出口の先に立っていた。黒いカーテンをじっと見つめて、雪輝たちの帰還を待っている。
するとカーテンが揺れ、中から二人が顔を出した。
「吉祥寺君、小牧原さん……」
安堵の漏れるような声で名前を呟いた。
すると來華の顔を見るやいなや、美心は彼女に抱き着いた。
「來華ちゃーん! やったよ、私達クリアしたよ!」
「あっ、ちょっと……恥ずかしいから……」
「いいじゃんいいじゃん。……って今、小牧原さんって言った? さっきは名前で呼んでくれてたのに!?」
「それはその……」
來華が顔を赤らめる。
「さっきはつい雰囲気で呼んでしまったけど、やっぱり慣れないから……」
「……そっかー」
美心はちょっと残念そうに言う。
「まぁでもいいよ。來華ちゃんの好きに呼んで」
「……えぇ。ありがとう」
「グッドエンド、おめでとうございます」
二人のやり取りにいつ入っていいのか困っていたスタッフが、ここぞとばかりに声を張った。
「グッドエンドでクリアしたの?」
來華が驚きの表情で雪輝を見た。
「おうよ」
腕を組んで得意げに言った。
「へぇ。流石学年十位の頭脳ね」
「……やっぱそれ馬鹿にしてるだろ」
そう言うと來華が笑った。
「ふふっ。いいえ、ちゃんと褒めてる」
「あのー、よろしいでしょうか……」
「あぁはい。すんません」
三人はスタッフの方に向き直った。
「こちらクリア証明書と、グッドエンドを迎えた記念品です」
差し出されたトレイの上には、今日の日付と三人の登録した名前、そして『グッドエンド』と書かれたプラスチック製のクリア証明書と、ゲーム内に出てきたクビキリさんのキーホルダーが三人分置かれていた。
「私ももらえるんですか?」
來華が尋ねる。
「もちろんです。お受け取り下さい」
三人はそれぞれキーホルダーと証明書を受け取る。
「クビキリさん。ゲーム内だと怖かったのに、キーホルダーになるとなんか可愛いね」
「えぇ、確かに」
「そうか? ちょっと不気味じゃないか?」
「テルキチはずっと追いかけられてたからね。仕方ないよ」
「それでは、エレベーターはあちらになります。本日はお越しいただきありがとうございました。そしてクリアおめでとうございます」
スタッフが深々と頭を下げた。
「あっ、ちょっといいですか?」
エレベーターに向かおうとした雪輝と來華だったが、美心がスタッフに声をかけた。
「はい?」
「写真撮ってもらっていいですか?」
美心がスマホを手渡して尋ねる。スタッフの人はそれを受け取って「えぇ、もちろん」答えた。
「さ、二人ともこっち来て」
美心は來華の手を引く。
「あっ、ちょっと小牧原さん!?」
「テルキチも!」
「はいはい」
來華は少し照れながら、雪輝は仕方なくといった感じに美心の元に集まる。
「じゃあ撮りますよー」
スタッフがカメラを構えてそう言うと、來華は慌てたように髪を整え始めた。
「んな時間ねぇぞー」
雪輝がそう言うといつもの調子で脛に蹴りが飛んできた。
「いった!」
「うるさいからよ」
「ちょっと二人とも、スタッフさん困っちゃうでしょ」
「撮りますよー」
語気にイラつきを感じるも、スタッフはシャッターを切った。
写真は中央で少し美心が屈んでクリア証明書を掲げおり、その後ろ両サイドで雪輝と來華が笑っていた。いい写真だと三人は思えた。
スタッフにお礼を言ってエレベーターに乗る。入ってすぐに、美心はその写真をメッセージアプリで二人に送った。
「写真ありがとう、小牧原さん」
「オレもありがとな」
「いいのいいの。いや楽しかったね今日は」
「そうね。想像してたよりずっと楽しかったわ」
そう言う來華を雪輝はじっと見つめる。その視線に気づいて「何?」と問う。
「いや、來華が素直にそういうこと言うの珍しいなって思って」
「何よ。私は思ったことは口にするタイプよ。……というかそれより、ゲームの外でまで名前で呼ぶことを許可した覚えはないのだけど」
「おっと、名前で呼んでたか?」
「うん。今がっつり」
美心が答えた。
「最後に連呼したからな。その名残か。つか東雲より呼びやすくて、つい。すまん」
「……まぁいいわ、なんでも。呼び方に深い意味なんて無いんだし。好きにすれば」
「あれ、來華ちゃんちょっと顔赤くない?」
「うるさい」
するとエレベーターが一階にたどり着いて扉が開いた。ビルの外に出ようと三人はフロアを歩く。すると丁度外から、男二人女一人の男女グループが、入れ違いでビルに入ってきた。
それはなんてことのない、ただのすれ違いになるはずだった。
しかしその時、グループの男の子が一人、振り返ってこう言い放った。
「あれ? カルトちゃんじゃね?」
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