小牧原美心はいただきますが言えない 14
「あれ? カルトちゃんじゃね?」
その声に、美心は振り返らずともサァと血の気が引いていくのを感じた。体が硬直して発汗する。
隣にいた雪輝は、一瞬振り向きそうになったが『カルトちゃん』という言葉で、この今の状態を全て察した。しかし何も知らない來華が反射的に振り返り、その声の主を見る。坊主頭でピアスを開け、ダボっとしたオーバーサイズのトレーナーを着たその少年のニヤケ面を見て、瞬時に苦手なタイプと判断した來華は、すぐに向き直って無視することに決めた。隣を見ると雪輝も美心も振り返ろうとしていない。あの声は自分達に向けられたものだと分かっていたが、自分には心当たりは無いし、二人が振り返らないなら無視でいいだろう。そう來華は判断した。
「あれー? 無視か?」
少年は更に詰め寄る。
「カルトちゃんってなに?」
隣にいた明るい髪色のパーカー少女がそう尋ねる。するともう一人の男が答えた。
「あーいたいたそんなん。中学ん時の変な宗教の子だ。カルトちゃん久っしぶり」
「前に話してた子? やっば。まさか本物に会えるなんて」
そう言って三人は笑った。
美心が震え始める。流石の來華もその異変に気付き、雪輝に助けを求める視線を送った。
「…………」
雪輝は無言で美心の手を取って、そのまま歩き始める。一切振り返ろうとせず、動けないでいる美心を無理やり引っ張って歩いた。
「ねぇ吉祥――」
來華は雪輝の表情を見て言葉が詰まる。どこか必死で自分を抑えているような、怒りと冷静さを孕んだ表情だった。
一歩遅れてから、二人に着いていこうと來華が足を踏み出したとき、背後からパシャリとカメラのシャッター音が聞こえてきた。
「うっは。カルトちゃんの後ろ姿ゲット」
「その写真、アツシらに見せたら大爆笑でしょ」
「消せよ」
足を止めた雪輝が、振り返って静かに言い放った。
するとその坊主頭の少年も、目つきを鋭いものに変えて雪輝を睨む。
「なんだよテメ。カルト仲間か?」
「口閉じろカスが。消さねぇんだったら警察呼ぶそ」
怒りでいつもより口調が荒々しくなっている。
「呼んでみろよ。んなつまんねぇ事で警察が取り合うか試してみろや」
すると雪輝が二歩三歩と坊主頭に歩み寄り、その胸ぐらを掴む。
「喧嘩売ってんだったら最初からそう言えよ。なんなら俺の喧嘩買ってくれるんか? あぁ?」
「あぁん? テメェ手出したな。おい町田警察呼べ」
「ちょっとハルキ、もうやめよって。うちら遊べなくなるじゃん」
「そうそう、コイツ絶対面倒くせぇって」
ハルキと呼ばれた坊主頭の少年をなだめる二人。雪輝は掴んでいた手を放す。
「写真は消せ」
「……ちっ。わったよ」
そう言ってスマホのライブラリーを見せて、雪輝の前で削除ボタンを押した。
「行くぞ、美心」
雪輝は美心の背中を押してビルを出て行こうとする。
「おい、ちょっと待て」
ハルキが三人を呼び止める。するとまた雪輝だけ振り返って「なんだよ」と答えた。
「お前ら、カルトちゃんの事どこまで知ってるか知らんが、あんまり関わらない方がいいぞ」
雪輝は一言も返さず向き直り、美心の手を引いて三人はビルから出て行った。
その間も、後ろからはケタケタと笑う嫌な声が聞こえ続けてきた。
ビルの外に出ると、三人は小走りで少しでもそこから離れる様に移動する。駅方向には一応向かっていたが、ビルとビルの間に小さな公園を見つけて、とりあえずそこで一息をついた。
「あー緊張した」
ベンチに腰掛けた雪輝の気の抜けたような声が夕空に向かって拡散する。
「……なんだったの、あいつら」
來華も隣に座り、疑問を投げかける。美心は二人の前で俯いたまま突っ立っていた。
「さぁ、なんだったんだろうな?」
「知らずにあんな喧嘩腰で喋ってたの?」
「いや、あれはついイラっときて……」
「あなた次問題を起こしたら確実に退学よ?」
「……だってよ」
雪輝は美心の顔を見る。その視線に気づいた美心は、気を使ったのか、俯いていた顔を上げ、無理やり笑顔を作って言った。
「そ、そうだよテルキチ……喧嘩っぱやいの、直さないと」
しかしその声は震えていた……。
「美心、座ろうぜ」
雪輝は一つ位置をずれ、自分と來華の間にスペースを作る。美心が頷いて、そのスペースにゆっくりと腰を下ろした。
來華は美心の様子に、何となくただならぬ理由を察し、震える彼女の手に自然と自分の手を重ねていた。
「……小牧原さん、大丈夫?」
優しげな声で語りかける來華。
「う、うん。なんかごめんね。あはは、あの人、小中の時の知り合いなんだ」
美心の作り笑いが二人の胸を締め付けた。
「なんか、とても嫌な感じの人だったけど」
「そうだな。やっぱぶん殴っておけば良かった」
「それは駄目だよ……私のせいでテルキチが退学になったら、そっちの方が嫌だ」
「ねぇ、ちょっと。なんだか私だけ話に入れていないような気がするのだけど……。吉祥寺君はあの人たちの事知っているの?」
「さっきも言ったけど知らん」
「じゃあその……カルトちゃんって言うのは……?」
その言葉に美心の背中がビクンと小さく跳ねた。
「はぁ……來華お前なぁ」
雪輝が呆れたようにじとっと來華を見る。
「ご、ごめんなさい」
「い、いいの」
美心は慌てて首を振る。そしてポケットから例のペンダントを取り出した。
「來華ちゃん、私ね。宗教に入っているの」
美心はペンダントを來華に手渡す。
「宗教? どこの?」
「アカシアの救徒っていうんだけど」
「えっと、その……ごめんなさい……聞いたこと無いわ」
「ふふっ。來華ちゃんもそこで謝るんだね」
今度のは作り笑いではなく、自然と零れ落ちた笑みに見えた。その言葉に來華は雪輝の方を見る。
「もって事は、吉祥寺君は知ってたの?」
「あぁ。前に聞いた」
「……ごめんね來華ちゃん。隠してて」
「それはいいのだけど。もしかして私、聞かれたくない事聞いてしまった……?」
不安げに尋ねる來華に、美心は食い気味で首を振った。
「ううん。話したいの。……その、確かにちょっと前までは、高校では絶対に隠し通そうって決めてたんだけど、テルキチに話して、なんて言うか、來華ちゃんにも知ってもらいたいって思ったから」
「そう……じゃあ教えて。小牧原さんの事」
二人は黙って美心の話に耳を傾けた。
アカシアの救徒の事。教義の事。冴島先生との事。そして小中学生時代の事。最期に関しては雪輝も知らない話があった。美心の中学時代について彼は『変な人扱いを受けていた』という事までしか聞いていなかったが、美心が『カルトちゃん』と呼ばれていた事、人によってはいじめの様な扱いを受けていたことを聞いて、やはりさっき殴っておけば良かったともう一度後悔した。
「それでさっきの人は、小牧原さんの事をその、カルトちゃんって呼び始めた人なのね」
美心が小さく首を縦に振って肯定する。
「吉祥寺君。今から戻って殴りに行きましょう」
來華はそう言って立ち上がる。
「おい! さっきの俺の退学を案じてくれていた東雲來華はどこ行った!」
「あなたよりも小牧原さんの方が大事だわ」
「はーん。ずいぶん仲がよろしくなったようで何よりだ」
雪輝は今朝の震えながら美心と話す來華の様子を思い出しながら皮肉を込めて言った。
「あはは、駄目だよ來華ちゃん。それにね、私は大丈夫。蓋身学園ではみんなと上手くやれてるし。今が楽しいから、昔の事はもういいの」
そう言って立ち上がる來華の腕を軽く引っ張る。その力に引き寄せられて、來華は再びベンチに戻された。
「でも……なんだか、気が収まらないわね」
「その気持ちは分かるがな。でも美心はあいつらと離れる為に独り暮らしまでして、せっかく遠いうちの高校まで来たんだ。関わらずに済むなら関わらない方がいいだろ」
「……ありがと」
呟くように声が零れた。
その声を最後に少しの間沈黙が生まれる。
公園では少し離れた所で、ダンスの練習に来たであろう、男女数人のグループがずっと談笑をしていた。そのうちの一人がスピーカーを中央に置き、手を叩く。するとぞろぞろと人が動き出して整列を始めた。どうやら休憩を終え、またダンスの練習に戻る様だ。しばらくすると雪輝にも聞き覚えのある、有名なK-POPの軽い音が聞こえてくる。その音を聞いていると、雪輝は自分たちの沈黙がやたらと窮屈に感じ、たまらず立ち上がって伸びをした。
「あーまったく。今日はせっかく楽しかったんだ。こんな感じで帰るのは後味悪いし、どっかで飯食べてこうぜ。來華ももう信仰の事知ってるんだから、個室のある店なら美心も大丈夫だよな?」
雪輝は明るくそう言った。
「そうね。私はそうしたいわ」
來華もそれに賛同する。
「つってもあんまし金持ってないから、名古屋だと入れる店限られそうだけどな……」
「あら、貸しましょうか? 一日一割の利子になるけど」
「暴利が過ぎる……」
すると美心が「……えっと、だったら提案なんだけど」と少し不安げに手を上げた。「なんだ?」と雪輝が尋ねると彼女はこう言った。
「会館に、来ない……?」
不安そうな顔をする美心。
「えっと、会館すぐ近くに在って、毎週日曜日は食事会もしているから、行けば二人の分もご飯出してくれると思うし……その、どうかな……?」
やたらと歯切れが悪い。雪輝と來華は目を見合わせる。
「あっ、別に勧誘してるとかじゃないから安心して。会の人たちも優しいから、私が一言いえば強引に勧誘する人はいないと思うし……その、こういうのに二人が抵抗なければだけど……」
「構わんぞ」
「私も」
二人がそう答えると、美心はホッとしたように「良かった」と言った。
「ちなみに飯って……いくらだ?」
「え? タダだけど」
「そりゃもう行くしかないだろ。な!」
「あぁでも、食儀とかあるから、二人にはやっぱりちょっと居心地が悪いかもしれないんだけど、それでもいい?」
「えぇ。私はむしろ、小牧原さんの事知れるならそれも見てみたいって思うわ」
「來華ちゃん……」
少し感動したように美心が呟き、次の瞬間には來華に抱き着いていた。
「あのっ、ちょっとっ……」
「私、來華ちゃんに話せて良かったよ……っ!」
「小牧原さん。……そんなオーバーな」
ダンスの練習をしているグループの音楽が鳴りやむ。雪輝は空を見上げると、もうだいぶ日が傾き始めていた。困り顔の來華を助ける様に美心の肩を叩いて「行くならそろそろ出ようぜ」と声をかける。すると美心は立ち上がって「うん」と返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます